「愛知環状鉄道線」の版間の差分
編集の要約なし タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
m Bot作業依頼: はくたかの改名に伴う修正依頼 - log |
||
179行目: | 179行目: | ||
沿線には[[高等学校|高校]]・[[大学]]・[[工場]]が多く点在する<ref name="地域活性化ビジョン"/>。県立高校普通科は豊田市(三河学区)と瀬戸市(尾張学区)の市境が[[学区]]の境界となっている(調整特例などはない。[[愛知県の高校入試]]も参照)ため、学区境界を越えて通学できるのは、開業時は私立高校か全県学区の公立高校の[[職業高等学校|職業科]]及び[[定時制]]課程だけだったが、2007年(平成19年)4月に[[愛知県立豊田東高等学校|豊田東高等学校]]、2008年(平成20年)4月に[[愛知県立岡崎東高等学校|岡崎東高等学校]]、2009年(平成21年)4月に[[愛知県立瀬戸北総合高等学校|瀬戸北総合高等学校]]と、全県学区の[[総合学科]]の高校が次々設置されたため、沿線全域から通学できる県立高校が増加することになった。[[愛知工業大学]]や[[中京大学]]豊田キャンパスなど、岡多線の開業を当て込んで、[[1970年代]]から早々と[[名古屋市]]内から沿線に進出した大学もある{{Sfn|名古屋学院大学|2012|p=36}}。さらに、[[三河豊田駅]]前には[[トヨタ自動車]]本社・本社工場がある<ref name="朝日新聞2017-06-20"/>ほか、沿線(豊田市内)にはトヨタ自動車などの工場群も点在しており<ref>{{Cite web|url=https://www.city.toyota.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/180/1701siryou033.pdf|title=大規模事業所等の分布(従業員数500人以上)|accessdate=2021-01-21|publisher=[[豊田市]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210121151058/https://www.city.toyota.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/180/1701siryou033.pdf|archivedate=2021-01-21}}</ref>、通勤利用も多い<ref name="東洋経済2017-06-12"/>。 |
沿線には[[高等学校|高校]]・[[大学]]・[[工場]]が多く点在する<ref name="地域活性化ビジョン"/>。県立高校普通科は豊田市(三河学区)と瀬戸市(尾張学区)の市境が[[学区]]の境界となっている(調整特例などはない。[[愛知県の高校入試]]も参照)ため、学区境界を越えて通学できるのは、開業時は私立高校か全県学区の公立高校の[[職業高等学校|職業科]]及び[[定時制]]課程だけだったが、2007年(平成19年)4月に[[愛知県立豊田東高等学校|豊田東高等学校]]、2008年(平成20年)4月に[[愛知県立岡崎東高等学校|岡崎東高等学校]]、2009年(平成21年)4月に[[愛知県立瀬戸北総合高等学校|瀬戸北総合高等学校]]と、全県学区の[[総合学科]]の高校が次々設置されたため、沿線全域から通学できる県立高校が増加することになった。[[愛知工業大学]]や[[中京大学]]豊田キャンパスなど、岡多線の開業を当て込んで、[[1970年代]]から早々と[[名古屋市]]内から沿線に進出した大学もある{{Sfn|名古屋学院大学|2012|p=36}}。さらに、[[三河豊田駅]]前には[[トヨタ自動車]]本社・本社工場がある<ref name="朝日新聞2017-06-20"/>ほか、沿線(豊田市内)にはトヨタ自動車などの工場群も点在しており<ref>{{Cite web|url=https://www.city.toyota.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/180/1701siryou033.pdf|title=大規模事業所等の分布(従業員数500人以上)|accessdate=2021-01-21|publisher=[[豊田市]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210121151058/https://www.city.toyota.aichi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/008/180/1701siryou033.pdf|archivedate=2021-01-21}}</ref>、通勤利用も多い<ref name="東洋経済2017-06-12"/>。 |
||
[[2017年]]度(平成29年度)の[[輸送密度]]は約11,408人/日である{{Sfn|数字でみる鉄道|2019|p=68}}。この数字は、旧国鉄路線から転換されたか、[[日本鉄道建設公団]](鉄建公団)が建設していた新線を継承した第三セクター鉄道路線としては最高であり、その中で輸送密度が8,000人/日以上である{{Efn2|仮にこの数値を国鉄再建法により規定された区分に当てはめた場合、「[[地方交通線]]」ではなく「[[幹線#鉄道|幹線系線区]]」に該当する。}}路線は当路線のみである{{Efn2|2006年度(平成18年度)の資料によれば、当路線以外に[[北越急行ほくほく線]]もこれに該当していた<ref>{{Cite web|url=https://www.mlit.go.jp/common/000025880.pdf#page=3|title=輸送密度と経常収支率によるグループ分け(平成18年度)|accessdate=2021-01-02|publisher=国土交通省|year=2007|format=PDF|page=2|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210102080501/https://www.mlit.go.jp/common/000025880.pdf#page=3|archivedate=2021-01-02}}</ref>。しかし、ほくほく線は2015年(平成27年度)3月に[[北陸新幹線]]([[長野駅|長野]] - [[金沢駅|金沢]]間)が延伸開業し、線内を走る[[はくたか |
[[2017年]]度(平成29年度)の[[輸送密度]]は約11,408人/日である{{Sfn|数字でみる鉄道|2019|p=68}}。この数字は、旧国鉄路線から転換されたか、[[日本鉄道建設公団]](鉄建公団)が建設していた新線を継承した第三セクター鉄道路線としては最高であり、その中で輸送密度が8,000人/日以上である{{Efn2|仮にこの数値を国鉄再建法により規定された区分に当てはめた場合、「[[地方交通線]]」ではなく「[[幹線#鉄道|幹線系線区]]」に該当する。}}路線は当路線のみである{{Efn2|2006年度(平成18年度)の資料によれば、当路線以外に[[北越急行ほくほく線]]もこれに該当していた<ref>{{Cite web|url=https://www.mlit.go.jp/common/000025880.pdf#page=3|title=輸送密度と経常収支率によるグループ分け(平成18年度)|accessdate=2021-01-02|publisher=国土交通省|year=2007|format=PDF|page=2|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210102080501/https://www.mlit.go.jp/common/000025880.pdf#page=3|archivedate=2021-01-02}}</ref>。しかし、ほくほく線は2015年(平成27年度)3月に[[北陸新幹線]]([[長野駅|長野]] - [[金沢駅|金沢]]間)が延伸開業し、線内を走る[[はくたか|特急「はくたか」]]が廃止されて以降は輸送密度が大幅に落ち込み、同年度以降は輸送密度1,300 - 1,500人/日台で推移している(参照:[[北越急行ほくほく線#利用状況]])。}}。当路線の沿線住民は多くが自動車で移動・通勤する<ref name="地域活性化ビジョン"/>が、当路線は[[#輸送実績|後述]]のように、2007年度以降は輸送密度が毎年のように9,000人以上を記録し、経営状態の苦しい企業が多い第三セクター鉄道の中では珍しく黒字経営となっている<ref name="朝日新聞2017-06-20">{{Cite news|title=愛知環状鉄道、三セクなのに絶好調 実は沿線に…|newspaper=[[朝日新聞デジタル]]|date=2017-06-20|author=臼井昭仁|url=https://www.asahi.com/articles/ASK66555BK66OBJB007.html|accessdate=2021-01-21|publisher=[[朝日新聞社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210121152150/https://www.asahi.com/articles/ASK66555BK66OBJB007.html|archivedate=2021年1月21日}}</ref><ref name="東洋経済2017-06-12">{{Cite news|title=鉄道事業を営む206社の平均年収ランキング 高収益のJR東海は9位。1位はどこだ?|newspaper=東洋経済オンライン|date=2017-06-12|author=大坂直樹|url=https://toyokeizai.net/articles/-/175455?page=3|publisher=[[東洋経済新報社]]|page=3|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210121152656/https://toyokeizai.net/articles/-/175455?page=3|archivedate=2021年1月21日}}</ref>。[[2012年]]度(平成24年度)は2,660万円の経常損失となったが、補助金などの支援により、約2,100万円の利益を計上した<ref>{{Cite press release|title=損益計算書(自:平成24年4月1日 至:平成25年3月31日)|publisher=愛知環状鉄道株式会社|date=2013-03-31|url=http://www.aikanrailway.co.jp/pdf/settlement/27/profitsandlosses.pdf|format=PDF|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140519112752/http://www.aikanrailway.co.jp/pdf/settlement/27/profitsandlosses.pdf|archivedate=2014-05-19}}</ref>。 |
||
鉄道[[評論家]](鉄道[[アナリスト]])の[[川島令三]]は著書にて「[[1998年]]度(平成10年度)現在の輸送密度(約5,138人)から見て、第三セクターではなくJR東海の路線となっていてもおかしくない路線である。国鉄は各線の事情を考慮せず、一律に(特定地方交通線に)指定して(廃止・第三セクターへの経営分離をして)しまうというミスを犯した」と指摘している{{Sfn|川島令三|2002|p=211}}。 |
鉄道[[評論家]](鉄道[[アナリスト]])の[[川島令三]]は著書にて「[[1998年]]度(平成10年度)現在の輸送密度(約5,138人)から見て、第三セクターではなくJR東海の路線となっていてもおかしくない路線である。国鉄は各線の事情を考慮せず、一律に(特定地方交通線に)指定して(廃止・第三セクターへの経営分離をして)しまうというミスを犯した」と指摘している{{Sfn|川島令三|2002|p=211}}。 |
2021年4月20日 (火) 11:04時点における版
愛知環状鉄道線 | |||
---|---|---|---|
基本情報 | |||
国 | 日本 | ||
所在地 | 愛知県 | ||
起点 | 岡崎駅 | ||
終点 | 高蔵寺駅 | ||
駅数 | 23駅 | ||
開業 | 1970年10月1日 | ||
旅客営業開始 | 1976年4月26日 | ||
三セク転換 | 1988年1月31日 | ||
全通 | 1988年1月31日 | ||
所有者 | 愛知環状鉄道 | ||
路線諸元 | |||
路線距離 | 45.3 km[1] | ||
軌間 | 1,067 mm[1] | ||
線路数 | 複線(中岡崎 - 北岡崎間、北野桝塚 - 三河上郷間、三河豊田 - 新豊田間、瀬戸市 - 高蔵寺間)、単線(左記以外)[2] | ||
電化方式 | 直流1,500 V[1] 架空電車線方式 | ||
最高速度 | 110 km/h[3][1][4] | ||
|
停車場・施設・接続路線 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
愛知環状鉄道線(あいちかんじょうてつどうせん)は、愛知県岡崎市の岡崎駅から新豊田駅・瀬戸市駅を経て、愛知県春日井市の高蔵寺駅に至る愛知環状鉄道の鉄道路線である。通称愛環線(あいかんせん)、または愛環(あいかん)。
なお、この路線の大部分の区間(岡崎 - 新豊田 - 瀬戸市間)の前身となった岡多線(おかたせん)についても本項で記述する。
概要
愛知県中部の都市である岡崎市・豊田市(西三河地域)・瀬戸市・春日井市(尾張東部地域)を結び、東海道本線・中央本線(いずれも東海旅客鉄道〈JR東海〉管轄)とともに中京圏の環状鉄道の一部を担っている[6]。ほぼ全区間が立体交差化され高架線などになっており、愛環線内の踏切は岡崎駅を出てすぐのJRとの並走区間にある1か所[注 1]のみである[9]。多くの区間で複線化が進められ、2005年(平成17年)3月25日 - 9月25日まで開催された2005年日本国際博覧会(愛・地球博 / 愛知万博)会場へのアクセス路線の一つとして、輸送力増強が行われた。全線で「TOICA」および全国相互利用の交通系ICカードが使用可能である[10]。
沿線には高校・大学・工場が多く点在する[11]。県立高校普通科は豊田市(三河学区)と瀬戸市(尾張学区)の市境が学区の境界となっている(調整特例などはない。愛知県の高校入試も参照)ため、学区境界を越えて通学できるのは、開業時は私立高校か全県学区の公立高校の職業科及び定時制課程だけだったが、2007年(平成19年)4月に豊田東高等学校、2008年(平成20年)4月に岡崎東高等学校、2009年(平成21年)4月に瀬戸北総合高等学校と、全県学区の総合学科の高校が次々設置されたため、沿線全域から通学できる県立高校が増加することになった。愛知工業大学や中京大学豊田キャンパスなど、岡多線の開業を当て込んで、1970年代から早々と名古屋市内から沿線に進出した大学もある[12]。さらに、三河豊田駅前にはトヨタ自動車本社・本社工場がある[13]ほか、沿線(豊田市内)にはトヨタ自動車などの工場群も点在しており[14]、通勤利用も多い[15]。
2017年度(平成29年度)の輸送密度は約11,408人/日である[16]。この数字は、旧国鉄路線から転換されたか、日本鉄道建設公団(鉄建公団)が建設していた新線を継承した第三セクター鉄道路線としては最高であり、その中で輸送密度が8,000人/日以上である[注 2]路線は当路線のみである[注 3]。当路線の沿線住民は多くが自動車で移動・通勤する[11]が、当路線は後述のように、2007年度以降は輸送密度が毎年のように9,000人以上を記録し、経営状態の苦しい企業が多い第三セクター鉄道の中では珍しく黒字経営となっている[13][15]。2012年度(平成24年度)は2,660万円の経常損失となったが、補助金などの支援により、約2,100万円の利益を計上した[18]。
鉄道評論家(鉄道アナリスト)の川島令三は著書にて「1998年度(平成10年度)現在の輸送密度(約5,138人)から見て、第三セクターではなくJR東海の路線となっていてもおかしくない路線である。国鉄は各線の事情を考慮せず、一律に(特定地方交通線に)指定して(廃止・第三セクターへの経営分離をして)しまうというミスを犯した」と指摘している[19]。
本路線の成り立ち
本路線の前身は岡多線の大半区間(岡崎 - 新豊田 - 瀬戸〈現:瀬戸市〉)と瀬戸線(せとせん)の一部区間(瀬戸 - 高蔵寺間)である[20]。岡多線(岡崎 - 瀬戸間)および瀬戸線は、ともに旧日本鉄道建設公団(鉄建公団)が「主要幹線鉄道線」(C線)[注 4]として建設し[28]、日本国有鉄道(国鉄)による運行・経営が予定されていた。
岡多線(岡崎 - 新豊田間)は1976年に国鉄線として開業し[29]、1987年の国鉄分割民営化で東海旅客鉄道(JR東海)に継承されたものの、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)により第3次特定地方交通線に指定されていたため、高蔵寺延伸とともに第三セクター鉄道へ経営転換した。なお同区間は特定地方交通線の中では唯一、第三セクター転換前に電化されていた路線である。残る岡多線(新豊田 - 瀬戸間)および瀬戸線(瀬戸 - 高蔵寺間)は、岡崎 - 新豊田間の「岡多線」開業区間と同じく[29]、旧鉄建公団が「C線」として建設した[30][注 4]ものの、開業直前の1984年に国鉄が引き受け拒否を表明した岡多線(新豊田 - 瀬戸間)および瀬戸線(瀬戸 - 高蔵寺)の一部区間である[29]。
岡多線は岡崎から新豊田・瀬戸市を経由し多治見まで至る計画の路線だったが、このうち実際に着工され、開業した区間は名古屋近郊の大環状線として、瀬戸線との一体運用が想定されていた岡崎 - 瀬戸(瀬戸市)間にとどまった[31](詳細は後述)。第三セクター転換問題が浮上する1984年(昭和59年)以前から、岡多線(岡崎 - 瀬戸間)は、瀬戸(瀬戸市駅)で接続する瀬戸線とともに「岡多・瀬戸線」と呼称され、名古屋周辺部の各都市を結ぶ環状ルートを形成すると同時に、名古屋近郊の東海道線(岡崎 - 稲沢間)をバイパスする大環状線として位置づけられていた[32]。一方、残る岡多線の区間(瀬戸 - 多治見間)はその大環状線から外れる形となっており[33]、着工されないまま、「岡多・瀬戸線」の第三セクター転換問題が浮上する以前の1979年(昭和54年)6月に建設が凍結され、未成線に終わっている[34]。線路等級に着目しても、現在の愛知環状鉄道線として開業した区間を含む「岡多・瀬戸線」(岡崎 - 瀬戸 - 稲沢間)は高規格な「甲線」(複線・電化)として、未成線に終わった岡多線の瀬戸以北(多治見方面)はより規格の低い「丙線」(単線・非電化)として、それぞれ計画されていた[35][36]。
当路線は輸送需要が未成熟だったことから単線で開業したが[28]、もともと全線複線化に対応できる構造で建設されており[37]、路盤は複線で施工されている[28]。単線区間では、線路の東側にもう1線分の用地があらかじめ確保されており、トンネルなどもそれに準じた規格で作られている。しかし愛環発足から10年以上経過してから新設された貝津駅・愛環梅坪駅に関してはプラットホームが1面1線の片面ホームで作られているため、複線化の際には線路の増設に加えてもう1つホームを新設し、2面2線の相対式ホームとする必要がある(後節も参照)。また、愛環発足時に新設された大門駅に至っては複線化用路盤上にホームが設置されているため[注 5]、同駅周辺の複線化は容易ではない。また普段使われていない東側の用地は、橋の更新工事などを行う際の仮線を敷く際に利用されることがある。
路線データ
- 管轄(事業種別):愛知環状鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):45.3 km[1]
- 軌間:1,067 mm[1]
- 駅数:23駅(起終点駅含む)[1]
- 複線区間:中岡崎 - 北岡崎間、北野桝塚 - 三河上郷間、三河豊田 - 新豊田間、瀬戸市 - 高蔵寺間[2]
- 線路規格(線路等級):甲線(建設名称:「岡多線」岡崎 - 瀬戸および「瀬戸線」)[35][40]
- 電化区間:全線電化(直流1,500 V[1]・架空電車線方式)
- 閉塞方式:(複線及び単線)自動閉塞式[1]
- 保安装置:ATS-ST
- 最高速度:110 km/h[1][4]
- 最急勾配:10 ‰[28]
- 最小曲線半径:500 m[28]
岡多線としての路線データ
- 路線距離(営業キロ):約61 km(岡崎 - 多治見間。うち開業区間〈岡崎 - 瀬戸間〉40 km+未成区間〈瀬戸 - 多治見間〉21 km)[41]
- 軌間:1,067 mm
- 駅数:22駅(岡崎 - 多治見、起終点駅含む。ただし、未開業の瀬戸〈瀬戸市〉 - 多治見の途中駅は不確定のため含まず)
- 線路等級:甲線(岡崎 - 瀬戸間)、丙線(瀬戸 - 多治見間)[35]
- 電化区間(予定):岡崎 - 瀬戸間[35][41](瀬戸 - 多治見間は非電化)
- 複線区間(予定):岡崎 - 瀬戸間(瀬戸 - 多治見間は単線)[35][41]
- 日本鉄道建設公団による建設線としての分類(1974年〈昭和49年〉3月31日時点)[42]
運行形態
すべての列車が愛知環状鉄道線内の各駅に停車する普通列車で、ほとんどの時間帯で16分間隔で運行されている[43]。
岡崎駅 - 高蔵寺駅間の直通運転が基本であるが、一部は車両基地のある北野桝塚駅で車両交換が行われ、同一ホームでの乗り換えとなる[43]。早朝・深夜時間帯の一部列車は、瀬戸口駅・新豊田駅・北野桝塚駅を始終着とし[43]、その駅にて夜間滞泊が行われる。前述の北野桝塚駅ですぐに北野桝塚発の列車に乗り継げる列車以外にも、日中の一部時間帯に入出庫を兼ねた北野桝塚駅発着列車が運行されている。平日(トヨタカレンダーで稼働日となる一部の休日を含む)朝ラッシュ時、および毎週水曜・金曜の夕方ラッシュ時には三河豊田駅 - 新豊田駅間にシャトル列車「あさシャトル」「ゆうシャトル」がそれぞれ運行され、この区間は上り7 - 8分、下り3 - 12分間隔での運行となっている[43]。岡崎駅 - 高蔵寺駅間の所要時間は約60分である[11]。
このほか、平日の朝夕のみJR中央本線(名古屋地区)直通列車が運転されている[43]。朝は瀬戸口発名古屋行きで2本、夕方は名古屋発瀬戸口行きで4本の運行である[43]。すべてJR東海の車両が用いられ、朝は10両編成[注 8]が走るが、夕方は3 - 4両編成での運行となる[43]。ホーム長さの関係から、愛環線区間内では高蔵寺方3 - 4両はドア扱いをせず、岡崎方3 - 4両のみに乗車できる。JR中央本線直通列車は、2005年の愛知万博の際に「エキスポシャトル」として運行された[44]後、万博閉幕後の同年10月から名古屋 - 高蔵寺 - 瀬戸口・岡崎間で毎日運行されていたが、2012年3月17日のダイヤ改正から平日のみの直通運転となり、2014年3月15日のダイヤ改正で平日朝夕に名古屋駅 - 高蔵寺駅 - 瀬戸口駅間のみでの運行となった。
シャトル列車・朝夕のJR直通列車を除くと、編成両数や北野桝塚駅乗り換えの有無の違いはあるものの、基本的には平日・土曜・休日とも同一ダイヤである[43]。
他の多くの第三セクター鉄道とは異なり、全列車で車掌が乗務する。車内補充券発行機で発行された乗車券は自動改札機を利用可能であったが、機器更新後は感熱レシートタイプの非磁気券となった。JR線と接続する岡崎駅や高蔵寺駅に到着する直前で必ず車内改札を行う。この際、自動改札機を通せない乗車券(無人駅で発行された乗車駅証明書等含む)や入場記録のない回数券は降車駅証明と引き換えとなる。これは岡崎駅や高蔵寺駅でJR東海と完全に改札口を共用しているため、不正乗車の防止のほか、有人改札口の混雑を防止するためである。
使用車両
車種は特記がなければ電車。JR中央本線直通列車はすべてJR東海の車両。
- 愛知環状鉄道線内普通列車
- JR中央本線直通列車
※愛知環状鉄道2000系車両では自動車内放送が行われるが、JR東海車両は車掌による放送となる。
過去の使用車両
- 愛知環状鉄道線内普通列車
- JR中央本線直通列車
岡多線時代
- お召し列車(1979年5月27日運転)
- 旅客列車
- 貨物列車
※車両の受け持ちは、電車が神領区、電気機関車が浜松機関区。
旅客営業の開始当時は、神領電車区所属の70系電車が使用された。新規開業路線に旧形国電が使用されたケースは当線が最後である。また1980年代に入るともっぱら113系2000番台電車の運用になり、冷房車の普及も早かった。その後同車は東海道本線へ転出、当時余剰となっていた165系電車に置き換えられる。なお、開業時より電化されているため気動車は岡多線時代を含めて営業運用に入ったことはない(キヤ95系が検測のために入線した程度)。
お召し列車入線の際には三河豊田駅での機回しが不可能なため、帰途はEF58形61号機が北野桝塚駅まで徐行による推進運転を行い、同駅からは60号機が先頭に立ち通常運転となった。お召し列車での推進運転はきわめて異例であり、踏切のない区間ならではの特例と言える。
事業用車両
- キヤ95系気動車 - JR東海より借入れ
利用状況
輸送実績
愛知環状鉄道線の近年の輸送実績を下表に記す。表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
運転本数は、当該年度に実施された最終のダイヤ改正以降の平日1日あたりの営業旅客列車(貨物列車、臨時列車、非営業列車を含めない)の本数を記す。
年度別輸送実績 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 運転本数 | 輸送密度 (人/日) |
特記事項 | |||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合計 | ||||
1987年(昭和62年) | 19.2 | 12.6 | 36.7 | 68.5 | 79 | JR東海より転換 開業 | |
1988年(昭和63年) | 122.9 | 194.0 | 154.9 | 471.8 | 3,298 | ||
1989年(平成元年) | 140.9 | 218.8 | 203.8 | 563.5 | 3,756 | ||
1990年(平成2年) | 143.2 | 244.2 | 238.8 | 626.2 | 4,162 | ||
1991年(平成3年) | 122.3 | 261.9 | 284.2 | 668.4 | 4,384 | ||
1992年(平成4年) | 128.2 | 269.4 | 314.3 | 711.9 | 4,675 | ||
1993年(平成5年) | 127.3 | 277.8 | 326.5 | 731.6 | 4,861 | ||
1994年(平成6年) | 128.2 | 284.4 | 322.2 | 734.8 | 4,934 | ||
1995年(平成7年) | 126.9 | 290.3 | 334.4 | 751.5 | 85 | 5,066 | |
1996年(平成8年) | 129.1 | 294.4 | 338.4 | 761.9 | 5,178 | ||
1997年(平成9年) | 133.4 | 275.6 | 335.0 | 744.0 | 5,032 | ||
1998年(平成10年) | 135.1 | 277.3 | 342.7 | 755.1 | 5,138 | ||
1999年(平成11年) | 129.7 | 274.0 | 337.7 | 741.4 | 5,035 | ||
2000年(平成12年) | 129.8 | 274.4 | 346.9 | 751.1 | 5,152 | ||
2001年(平成13年) | 142.0 | 266.7 | 379.1 | 787.8 | 88 | 5,379 | 一部区間複線化 |
2002年(平成14年) | 152.6 | 263.5 | 420.6 | 836.7 | 93 | 5,743 | |
2003年(平成15年) | 162.3 | 266.9 | 441.1 | 870.3 | 6,064 | ||
2004年(平成16年) | 192.9 | 271.9 | 523.5 | 988.3 | 212 | 6,948 | 一部区間複線化 愛・地球博開催 |
2005年(平成17年) | 257.5 | 294.9 | 1413.6 | 1966.0 | 123 | 15,453 | 愛・地球博開催 |
2006年(平成18年) | 1116.2 | 8,446 | |||||
2007年(平成19年) | 637 | 633 | 1270.9 | 153 | 9,124 | 一部区間複線化 | |
2008年(平成20年) | 697 | 708 | 1406.4 | 160 | 9,537 | ||
2009年(平成21年) | 341.5 | 366.9 | 673.9 | 1382.3 | 9,339 | ||
2010年(平成22年) | 348.7 | 383.0 | 683.0 | 1414.7 | 9,601 | ||
2011年(平成23年) | 1456.1 | 9,816[45] | |||||
2012年(平成24年) | 373.7 | 402.8 | 776.5 | 1497.2 | 9,997 | ||
2013年(平成25年) | 393.0 | 422.0 | 747.3 | 1562.3 | |||
2014年(平成26年) | 416.6 | 393.8 | 728.1 | 1538.4[46] | 10,081[47] | ||
2015年(平成27年) | 449.6 | 409.2 | 799.4 | 1658.2 | |||
2016年(平成28年) | 465.8 | 407.2 | 838.4 | 1711.4[48] | 10,930[49] | ||
2017年(平成29年) | 501.7 | 403.2 | 885.2 | 1,790.1[50] | 11,408[16] | ||
2018年(平成30年) | 533.9 | 407.8 | 904.0 | 1,845.7 |
鉄道統計年報、『数字でみる鉄道』(国土交通省鉄道局監修)及び国土交通省中部運輸局統計情報より
収入実績
愛知環状鉄道線の近年の収入実績を下表に記す。表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別収入実績 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 鉄道線路 使用料 千円/年度 |
運輸雑収 千円/年度 |
総合計 千円/年度 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 手小荷物 | 合 計 | ||||
1987年(昭和62年) | 44,557 | 21,374 | 138,857 | 0 | 204,788 | 216 | 8,831 | 213,835 |
1988年(昭和63年) | 255,235 | 239,693 | 631,583 | 0 | 1,126,511 | 1,108 | 72,624 | 1,200,243 |
1989年(平成元年) | 298,657 | 281,678 | 643,391 | 0 | 1,223,726 | 1,715 | 124,926 | 1,350,367 |
1990年(平成2年) | 314,158 | 296,550 | 745,172 | 0 | 1,355,880 | 1,240 | 165,883 | 1,523,003 |
1991年(平成3年) | 249,773 | 333,944 | 873,613 | 0 | 1,457,330 | 1,252 | 250,969 | 1,709,551 |
1992年(平成4年) | 257,051 | 350,313 | 946,737 | 0 | 1,554,101 | 1,410 | 293,200 | 1,848,711 |
1993年(平成5年) | 251,826 | 379,258 | 976,704 | 0 | 1,607,788 | 1,708 | 298,317 | 1,907,813 |
1994年(平成6年) | 249,442 | 398,481 | 970,560 | 0 | 1,618,483 | 2,209 | 301,870 | 1,922,562 |
1995年(平成7年) | 247,346 | 405,139 | 1,003,776 | 0 | 1,656,261 | 1,968 | 299,210 | 1,957,439 |
1996年(平成8年) | ||||||||
1997年(平成9年) | 260,408 | 383,851 | 1,013,290 | 0 | 1,657,549 | 1,963 | 317,148 | 1,976,660 |
1998年(平成10年) | 266,551 | 386,911 | 1,049,445 | 0 | 1,702,902 | 1,963 | 316,397 | 2,021,267 |
1999年(平成11年) | 252,832 | 381,238 | 1,041,587 | 0 | 1,675,657 | 1,005 | 321,998 | 1,998,660 |
2000年(平成12年) | 256,129 | 388,230 | 1,061,272 | 0 | 1,705,631 | 0 | 317,518 | 2,023,149 |
2001年(平成13年) | 283,532 | 376,641 | 1,135,525 | 0 | 1,795,698 | 0 | 311,286 | 2,106,984 |
2002年(平成14年) | 309,084 | 376,158 | 1,254,981 | 0 | 1,940,223 | 0 | 311,490 | 2,251,713 |
2003年(平成15年) | 331,293 | 383,872 | 1,347,419 | 0 | 2,062,584 | 0 | 311,681 | 2,374,265 |
2004年(平成16年) | 391,674 | 396,675 | 1,587,675 | 0 | 2,376,024 | 0 | 324,246 | 2,700,270 |
2005年(平成17年) | 977,973 | 4,479,786 | 0 | 5,457,760 | 0 | 343,336 | 5,801,097 | |
2006年(平成18年) | 1,018,308 | 1,729,482 | 0 | 2,747,791 | 0 | 326,598 | 3,074,390 | |
2007年(平成19年) | 1,123,679 | 1,878,424 | 0 | 3,002,104 | 0 | 332,894 | 3,334,998 | |
2008年(平成20年) | 1,226,124 | 2,060,516 | 0 | 3,286,640 | 0 | 324,805 | 3,611,446 | |
2009年(平成21年) | 1,235,887 | 1,958,193 | 0 | 3,194,080 | 0 | 326,702 | 3,520,783 | |
2010年(平成22年) | 1,276,374 | 2,002,473 | 0 | 3,278,847 | 0 | 320,865 | 3,599,712 |
歴史
本路線は、鉄道敷設法で「愛知県岡崎ヨリ挙母ヲ経テ岐阜県多治見ニ至ル鉄道」(改正鉄道敷設法別表70ノ2)として計画された岡多線と、「愛知県瀬戸ヨリ稲沢ニ至ル鉄道」(改正鉄道敷設法別表72ノ2)として計画された瀬戸線が元になっている。
戦前の恐慌ムードの中、1930年(昭和5年)12月に鉄道の先行バス路線として岡崎 - 多治見間に初の鉄道省営バス(のちの国鉄バス、現在のJR東海バス)路線が開設された。この路線 (65.8 km) [51]を走った国鉄バス第1号車は交通博物館を経て2007年(平成19年)から埼玉県さいたま市の鉄道博物館に展示されていたが、2011年(平成23年)にリニア・鉄道館に移されて展示されている。
国鉄岡多線
国鉄バス開業後も岡多線(岡崎 - 瀬戸 - 多治見間)の鉄道線としての計画・建設は進められ、1957年(昭和32年)4月3日付で調査線に、1959年(昭和34年)11月9日付で工事線にそれぞれ指定された[52]。一方で、瀬戸線(瀬戸 - 稲沢間)は岡多線との連絡により、東海道本線(岡崎 - 稲沢間)のバイパス路線を構成すると同時に、名古屋地区における北方貨物線的構想を打ち出すものとして[51]、1962年に「敷設予定鉄道」・1964年(昭和39年)に工事線として指定され[53]、1966年(昭和41年)に着工した[32]。岡多線の沿線は自動車工業(豊田市など)、全国有数の珪砂・珪石・粘土の産地(猿投町 - 瀬戸市)、窯業(瀬戸市 - 多治見市)など、近代的内陸工業・地下資源の開発が急速に進展していたエリアだったが、瀬戸から稲沢を結ぶ瀬戸線が追加されたことにより、互いに一体となって東海道本線のバイパス路線としての性格も有するようになった[51]。
当初は国鉄岐阜工事局が岡多線の一部測量および試錐による調査を実施し、瀬戸線についても調査を進めていたが[51]、1964年(昭和39年)に鉄建公団が発足[21]。これに伴い、工事は鉄建公団に移管され[51]、同公団が「主要幹線」(C線)として[21]、岡多線(岡崎 - 瀬戸)および瀬戸線(全区間:瀬戸 - 高蔵寺 - 勝川 - 稲沢)の建設を進めた[28]。1965年(昭和40年)4月に運輸大臣が岡多線(岡崎 - 豊田間)の工事実施計画を認可し、同年8月には岡多線(豊田 - 瀬戸間)も運輸大臣から認可された[32]。
このころ、日本鉄道建設公団(鉄建公団)は岡多線(岡崎 - 瀬戸間:瀬戸以南)および瀬戸線を一体の環状線「岡多・瀬戸線」として重要視していた[54]。また、愛知県も鉄建公団と同じく、瀬戸以北は岡多線(多治見方面)より、高蔵寺を経由して稲沢・名古屋方面へ向かう瀬戸線を重要視しており、瀬戸 - 多治見間の岡多線は「岡多・瀬戸線」の整備より遅れを取るようになった[注 9][54]。実際、岡多線と瀬戸線の分岐駅である瀬戸市駅の構想段階における構造(2面4線・島式ホーム)は、岡多線(岡崎方面)と瀬戸線(高蔵寺方面)がともに本線(両方向とも複線)として計画されていた一方、同駅北方で本線(瀬戸線)から枝線として単線の岡多線(多治見方面)が分岐する構造だった[55]。
← 岡多線 岡崎方面 |
→ 瀬戸線 高蔵寺方面 |
|
↓ 岡多線 多治見方面 | ||
凡例 出典:[55] |
岡多線(多治見方面)の経由地となることが予想されていた品野地区に名古屋学院大学を誘致していた瀬戸市側は、当初こそ岡多線多治見方面の早期整備を望んでいたが[56]、次第にその重点は岡多線に限らず「環状線としての瀬戸線の早期建設・完工および瀬戸市をめぐる交通網の整備一般」へ変化し、岡多線期成同盟の運動も「名古屋市を中心とした環状鉄道の早期実現」へと重点を移していった[57]。結局、鉄建公団は1979年(昭和54年)7月6日に、未開業の国鉄新線のうち、開業後に十分な輸送需要が見込めないとされるもの[注 10]については建設を凍結することを決定[60]。これにより、当時未着工のままだった岡多線の瀬戸 - 多治見間(AB線・約20 km)[34]も建設が凍結された[58]ため、岡多線は瀬戸線とともに大環状線を形成する岡崎 - 瀬戸間のみが建設されることになり、事実上「岡瀬線」になった[61]。
1970年(昭和45年)10月1日にトヨタ自動車上郷工場からの完成自動車輸送を目的に、貨物線として岡崎 - 北野桝塚間が開業した[62]。1971年(昭和46年)10月からは岡崎 - 北岡崎間のユニチカ岡崎工場向けの原料輸送も行われている[62]。1973年(昭和48年)3月には岡多線の予定ルートと並行する形で走っていた名鉄挙母線(上挙母駅 - 大樹寺駅間)が廃止・バス転換され[注 11][63]、廃線跡は岡多線の用地に転用された[64]。1976年(昭和51年)4月26日に新豊田駅まで路線が延長され、旅客営業も開始された[65]。
延長路線は岡崎市、豊田市の中心市街地を通過しているものの、部分開業であり、かつ旅客営業開始後も列車本数は少なく、最終列車も早かったため、従来から存在する路線バス(国鉄・名鉄)に対抗できず、利用は伸び悩んだ。また、国鉄時代、名鉄名古屋本線の新名古屋(現:名鉄名古屋) - 岡崎公園前 - 東岡崎間に対抗して設定された特定運賃が名古屋 - 中岡崎(岡崎公園前駅に隣接)間ではなく名古屋 - 岡崎(岡崎市南郊に所在)間を対象に設定されたことも、岡多線の国鉄線としての存在を希薄化させることとなった。
第三セクター化へ
岡多線は岡崎 - 新豊田間で部分開業したが、当時の運転本数は13往復/日で、年間運輸収入約3億円に対し、約50億円/年の鉄建公団への借損料を払っていたため、営業係数は672と大赤字を記録していた[66]。1981年(昭和56年)4月時点における平均断面輸送密度は国鉄再建法により廃線対象となる基準の4,000人/日を下回る2,757人/日で、輸送人員は190万人/年前後で伸び悩んでいた[67]。また、岡多線として開業時から行われていた岡崎 - 北野桝塚間のトヨタ自動車の自動車輸送[注 12]は1984年(昭和59年)末限りで終了したため、貨物需要も当て込むことができなくなった[67]。このため、岡多線(岡崎 - 新豊田間)の赤字は20億円/年[注 13]となっており[68]、国鉄は特定地方交通線第3次廃止対象線区として廃止承認を申請した。
さらに鉄建公団が主要幹線(C線)として建設し[30]、1984年度(昭和59年度)中の開業[注 14]を目指して建設を進めていた「岡多・瀬戸線」[岡多線(新豊田 - 瀬戸間)および瀬戸線:(瀬戸 - 高蔵寺間)]も、沿線の住宅開発が十分に進まなかったことなどから、平均断面輸送密度が3,672人/日[注 15]と試算され、廃止・転換対象の基準(4,000人/日)を下回ることが予想されていた[29]。前記の輸送密度は、名古屋近郊都市を結ぶ短絡線としての効果が(そもそも中央線高蔵寺方面と東海道線岡崎以東の、沿線間の短絡需要自体がそれほどないのではあるが)発揮できないことを意味した。また、新豊田 - 高蔵寺間を国鉄運営路線として開業させた場合、約65億円/年の借損料を鉄建公団に払わなければならなくなることや、「地方の赤字路線を廃止している一方で、『岡多・瀬戸線』だけを新たに開業するのはおかしい」との批判も予想されたため、国鉄常務理事・岩崎雄一は「仮に輸送密度の予測が5,000 - 6,000人/日になったり、地元が第三セクター化を拒否したりしても、国鉄が引き受ける意思はない」と表明していた[68]。
これらの事情から、国鉄は1983年(昭和58年)8月ごろから「岡多・瀬戸線」の第三セクター化に向けた検討を始め、1984年(昭和59年)春には愛知県に対し、第三セクター化をにおわす話をしていた[68]。そして同年7月17日、国鉄は「岡多・瀬戸線」の沿線自治体(愛知県および岡崎・豊田・瀬戸・春日井の各市)に対し、「岡多・瀬戸線」(岡崎 - 高蔵寺間)を第三セクターで運営するよう申し入れた[29]。また、同時に瀬戸線(高蔵寺 - 枇杷島間)についても着工を見合わせ、凍結する方針を決めた[70]。当時、国鉄再建法に基づいて廃止又は第三セクターへの移行の方式が打ち出されていた特定地方交通線以外で、一部を既に国鉄が運営している線区に対し、第三セクター方式導入が打ち出されたことは異例だった[70]。また、それまで廃止・第三セクター移行の方針が打ち出されていた路線はすべて地方交通線で、「幹線」区分で建設されていた路線について第三セクター化が提案された例は異例[注 16]だった[69]。鉄建公団名古屋支社は同月20日までに、公団本社および運輸省などと討議した結果、「岡多・瀬戸線」(岡崎 - 高蔵寺間)の運営主体が決定するまで、新豊田 - 高蔵寺間の工事[注 17]を一時中断する方針を決めた[71]。
当初、自治体は「国鉄による早期開業を」と強く要請したが、国鉄側の回答は変わらなかったため、愛知県知事[注 18]および沿線4市町は、プロジェクトチームを設置し、第三セクター化に向けて積極的な取り組みを進めていた[72]。しかしそのさなか、1985年(昭和60年)1月には国鉄が「岡多線(岡崎 - 新豊田間)を国鉄の子会社で運営する」という再建計画案を打ち出したことから、愛知県など地元側は「2階に上がってはしごを外されたようなもの」と反発[73]。結局、国鉄は名古屋鉄道管理局長名で同年3月に「基本方針に変わりはない」という文書を愛知県知事らに提出した[73]。結果、地元自治体はまず「『岡多・瀬戸線』は地域にとって必要不可欠であり、廃線にしない」「開業に向けて一致協力して努力する」ことで合意し[74]、1985年8月19日には第三セクター化受け入れで合意[75]。1986年(昭和61年)には、営業を受け入れるための第三セクターとして「愛知環状鉄道」を設立した[75]。また鉄建公団に支払う賃借料[注 19]については、国鉄分割民営化後に国鉄清算事業団が継承し、地元への負担は求めないことで決着をみた[74]。これにより、岡多線(新豊田 - 瀬戸市間)および瀬戸線(瀬戸市 - 高蔵寺間)の建設は鉄建公団によって再開され、岡多線の既存区間とともに愛知環状鉄道によって継承されることとなった[76]。なお瀬戸線のうち、愛知環状鉄道線として開業した瀬戸 - 高蔵寺間は1987年(昭和62年)に国鉄としての基本計画は消滅し、勝川 - 枇杷島間は国鉄分割民営化で東海旅客鉄道(JR東海)への継承が決まったものの、同社の子会社東海交通事業が城北線として開業させている[77]。
なお、1979年6月に運輸省の決定で建設が凍結されたままだった岡多線の瀬戸 - 多治見間(AB線・約20 km)については、1985年(昭和60年)10月16日に開かれた関連2組織[注 20]の合同定期総会で、それまで建設を求めていた岐阜県と関係6市町(多治見市など)が建設を事実上断念(建設推進のための総会・陳情活動の見合わせ)する方針を決定[34]。鉄道敷設法の廃止に伴い計画そのものが消滅した。国鉄バスとして先行開業した瀬戸市 - 多治見駅前間に運行されていたJR東海バスの瀬戸北線は、2002年(平成14年)に下半田川 - 多治見駅前間を東濃鉄道(東鉄バス)に譲渡、下半田川 - 品野間を廃止し、2009年(平成21年)までに残る区間も名鉄バスが代替運行する形で、全線廃止となっている。
愛環発足後
1988年(昭和63年)1月30日、岡崎 - 新豊田間はJR東海の岡多線として最後の日を迎え[78]、翌1月31日、岡崎 - 新豊田 - 高蔵寺間が愛知環状鉄道線として開業した[79]。
同年2月3日の大雪で瀬戸口、中水野などの駅の分岐器が不転換となってダイヤが混乱したことを教訓に、分岐器のある10駅に3年がかり(1988年 - 1991年10月)で融雪器を設置した[80]。以後、積雪によるトラブルはない。
愛知環状鉄道への転換に伴い、1日の運行本数を26本から72本へ大幅に増発し[78]、2018年(平成30年)3月17日時点では営業列車172本/日が運転されている[81]。一方で愛環発足後も岡崎 - 新豊田 - 瀬戸間で運行していたJR東海バスは、乗車実績が年々減少したことから、2000年(平成12年)以前に廃止しており、その後は夜行高速バス「ドリームとよた号」のみ運行されている。
愛知万博開催を控え、会場アクセス拠点駅となる八草駅は2004年(平成16年)10月10日から万博閉幕後の2005年(平成17年)9月30日まで「万博八草駅」と一時改称された[82]。万博が開催された2005年には、会場アクセス列車として名古屋 - 万博八草駅間にJR中央本線直通列車「エキスポシャトル」が3月1日から9月30日まで毎時3往復(1日40往復)運転された[83]。車両はJR東海の211系5000番台(日によっては113系)が使用された。また、これを機に万博終了後の同年10月1日のダイヤ改正から名古屋 - 瀬戸口・岡崎間に直通列車が新設された[84]。この年は輸送密度が(万博による「特需」の影響とはいえ)史上最高の15,453人/日を記録した[85]。その後も2006年度は輸送密度8,446人/日を記録し、2007年度以降は毎年9,000人/日以上で推移している。
一方、岡崎 - 北岡崎間の貨物列車運転は1999年(平成11年)12月4日に廃止され[81][86]、その後も日本貨物鉄道(JR貨物)が許可を有していた岡崎 - 北岡崎間の第二種鉄道事業は2010年(平成22年)4月1日で廃止された。
マイカー通勤転換プロジェクト
沿線のトヨタ自動車がマイカー通勤から公共交通機関利用に転換を進めていることに対応し、国・県・沿線市・民間からの支援を受け、同社本社の最寄り駅である三河豊田駅 - 新豊田駅間を複線化して同駅間にシャトル列車を運行する計画が立てられた[87]。同区間の工事は2005年(平成17年)4月から着手され、三河豊田駅の配線改良[87]、新上挙母駅の全面改良(下り線路盤上に設置されていた旧ホームの撤去・上下線新ホームの設置など)、新豊田駅の高蔵寺方に留置線を設置するなどの工事を行った[88]。2008年(平成20年)1月27日始発列車から複線運転が開始された。同3月15日ダイヤ改正より朝通勤時間帯にシャトル列車が設定され、この区間で既存列車と合わせて約8分間隔で列車が運行されるようになった[89]。
← 岡崎方面 |
→ 高蔵寺方面 |
|
凡例 出典:[90] |
年表
- 1927年(昭和2年)3月31日[91] - 鉄道敷設法の一部改正により[72]、岡多線(岡崎 - 多治見間の全線)が予定線に編入される[91]。
- 1935年(昭和10年) - 岡多線の測量など工事に着手するが、その後戦争で中止される[72]。
- 1930年(昭和5年)12月20日 - 鉄道省(当時)が、岡崎 - 多治見間と瀬戸記念橋 - 高蔵寺間で自動車(バス)による旅客貨物の運輸事業を開始。省営バス第1号(以下「バス路線」と記す)。
- 1957年(昭和32年)4月3日 - 鉄道建設審議会において、岡多線が調査線となる[52]。
- 1959年(昭和34年)
- 1962年(昭和37年)5月 - 鉄道敷設法の一部改正により、瀬戸線(瀬戸 - 稲沢間)が追加され、敷設予定鉄道路線(予定線)になる[72]。
- 1964年(昭和39年)
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年) - 瀬戸線が着工され、瀬戸市は山口駅・瀬戸口駅・瀬戸駅(現在の瀬戸市駅)の各駅で都市計画の策定を進める[32]。
- 1967年(昭和42年)1月14日 - 岡多線(豊田 - 瀬戸間)の路盤工事着手[72]。
- 1968年(昭和43年) - 瀬戸線(瀬戸 - 高蔵寺間)の工事が開始される[62]。
- 1969年(昭和44年)12月18日 - 岡多線(岡崎 - 豊田間)の開業設備について工事実施計画認可[72]。
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)10月1日 - 北岡崎信号場を駅に格上げし、北岡崎駅開業。
- 1973年(昭和48年)2月16日 - 瀬戸線(瀬戸 - 高蔵寺間)の路盤工事着手[72]。
- 1976年(昭和51年)4月26日 - 北野桝塚 - 新豊田間 (10.8 km) が延伸開業[92]。全線で単線による旅客営業開始[93]。中岡崎駅、三河上郷駅、永覚駅、三河豊田駅、新豊田駅開業[65]。
- 1979年(昭和54年)
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)
- 1986年(昭和61年)
- 4月8日 - 国鉄は岡多線(岡崎 - 新豊田間)を第3次特定地方交通線として承認申請[72]。
- 5月27日 - 岡多線(岡崎 - 新豊田間)が第3次特定地方交通線として承認される[75]。
- 7月21日 - 愛知県知事と沿線4市長が会談し、第三セクター会社を「愛知環状鉄道株式会社」とすることで合意[75]。また社長・要員・本社位置・授権資本についても合意[75]。
- 8月11日 - 岡多線(岡崎 - 新豊田間)を愛知環状鉄道へ転換し、「岡多・瀬戸線」の工事区間[岡多線(新豊田 - 瀬戸市間)および瀬戸線(瀬戸市 - 高蔵寺間)]も同社が継承することが決定した[75]。
- 9月19日 - 愛知環状鉄道株式会社設立[75]。
- 11月15日 - 日本鉄道建設公団により、瀬戸線(瀬戸 - 高蔵寺間)の追加工事着工[72]。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)1月31日 - JR東海の岡多線(岡崎 - 新豊田間)が廃止され[72]、愛知環状鉄道に転換。新豊田 - 高蔵寺間 (25.8 km) が延伸開業[92]。既存区間に六名駅、大門駅、末野原駅、新上挙母駅開業。新規開業区間に四郷駅、保見駅、篠原駅、八草駅、山口駅、瀬戸口駅、瀬戸市駅、中水野駅開業。
- 1999年(平成11年)2月25日[94] - 輸送力増強整備第1期工事の施行認可を受け、工事に着手[95]。内容は中岡崎 - 北岡崎間 (1.9 km) および北野桝塚 - 三河上郷間 (2.0 km) の複線化、篠原駅の交換設備新設工事、車両基地の改良[注 21]など[96]。
- 2000年(平成12年)10月24日 - 輸送力増強第2期工事に着手[95]。内容は岡崎駅構内の専用線化、瀬戸市 - 中水野間 (2.8 km) の複線化、高蔵寺駅直通運転施設整備事業など[96]。
- 2001年(平成13年)12月23日 - 輸送力増強第1期工事が竣工[95]。中岡崎 - 北岡崎間 (1.9 km) 、北野桝塚 - 三河上郷間 (2.0 km) を複線化[95]。
- 2002年(平成14年)
- 3月31日 - バス路線のJR東海バス岡多線の最終営業日。
- 4月1日 - バス路線の下半田川 - 多治見駅間を東濃鉄道バスに移管。
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)3月14日 - ホームを全面禁煙化[103]。
- 2010年(平成22年)4月1日 - 岡崎 - 北岡崎間の日本貨物鉄道の第二種鉄道事業廃止。
- 2012年(平成24年)3月17日 - 土休日の中央本線との直通運転を廃止[103]。
- 2014年(平成26年)3月15日 - 平日昼間の中央本線との直通運転を廃止[103]。
- 2019年(平成31年)3月2日 - ICカード「TOICA」および、全国交通系ICカードが利用可能になる[104]。
- 2020年(令和2年)7月8日 - 令和2年7月豪雨の影響で永覚 - 末野原間で土砂流入が発生し、北野桝塚 - 三河豊田間が不通となる。翌7月9日正午頃復旧[105][106][107]。
駅一覧
全駅愛知県に所在。
- 凡例
- 有人駅…○:終日有人駅、△:駅員時間配置駅、空欄:無人駅
- 駅施設…○:あり、空欄:なし
- 線路…|・◇:単線区間(◇は列車交換可能)、∥:複線区間、∧:これより下は複線、∨:これより下は単線
駅番号 | 駅名 | 駅間 キロ |
営業 キロ |
接続路線 | 有人駅 | 自動改札機 | 自動券売機 | エレベーター | 線路 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
01 | 岡崎駅 | - | 0.0 | 東海旅客鉄道: 東海道本線 (CA52) | ○ | ○ | ○ | ○ | | | 岡崎市 |
02 | 六名駅 | 1.7 | 1.7 | ◇ | ||||||
03 | 中岡崎駅 | 1.7 | 3.4 | 名古屋鉄道:NH 名古屋本線(岡崎公園前駅:NH14) | ○ | ○ | ○ | ∧ | ||
04 | 北岡崎駅 | 1.9 | 5.3 | △ | ○ | ○ | ○ | ∨ | ||
05 | 大門駅 | 1.2 | 6.5 | △ | ○ | | | ||||
06 | 北野桝塚駅 | 2.2 | 8.7 | △ | ○ | ∧ | ||||
07 | 三河上郷駅 | 2.0 | 10.7 | △ | ○ | ∨ | 豊田市 | |||
08 | 永覚駅 | 1.7 | 12.4 | | | ||||||
09 | 末野原駅 | 1.6 | 14.0 | △ | ○ | ◇ | ||||
10 | 三河豊田駅 | 1.9 | 15.9 | ○ | ○ | ○ | ○ | ∧ | ||
11 | 新上挙母駅 | 1.7 | 17.6 | 名古屋鉄道:MY 三河線(上挙母駅:MY06) | △ | ○ | ○ | ∥ | ||
12 | 新豊田駅 | 1.9 | 19.5 | 名古屋鉄道:MY 三河線(豊田市駅:MY07) | ○ | ○ | ○ | ○ | ∨ | |
13 | 愛環梅坪駅 | 2.0 | 21.5 | △ | ○ | ○ | | | |||
14 | 四郷駅 | 2.0 | 23.5 | △ | ○ | ◇ | ||||
15 | 貝津駅 | 2.0 | 25.5 | △ | ○ | ○ | | | |||
16 | 保見駅 | 1.3 | 26.8 | △ | ○ | ◇ | ||||
17 | 篠原駅 | 2.4 | 29.2 | ◇ | ||||||
18 | 八草駅 | 2.8 | 32.0 | 愛知高速交通:東部丘陵線(リニモ) (L09) | ○ | ○ | ○ | ○ | ◇ | |
19 | 山口駅 | 2.6 | 34.6 | △ | ○ | ◇ | 瀬戸市 | |||
20 | 瀬戸口駅 | 2.1 | 36.7 | ○ | ○ | ○ | ◇ | |||
21 | 瀬戸市駅 | 2.4 | 39.1 | 名古屋鉄道:ST 瀬戸線(新瀬戸駅:ST18) | ○ | ○ | ○ | ○ | ∧ | |
22 | 中水野駅 | 2.8 | 41.9 | △ | ○ | ∥ | ||||
23 | 高蔵寺駅 | 3.4 | 45.3 | 東海旅客鉄道: 中央本線 (CF09) (名古屋駅まで一部直通運転) | ○ | ○ | ○ | ○ | ∥ | 春日井市 |
- 岡崎駅と高蔵寺駅以外の各駅で、接近放送前に駅ごとに異なる接近メロディが上下別で流れている。
未成区間の通過予定地
瀬戸市駅から北東へ進路を取り、瀬戸市品野町付近を通って県境を越え、岐阜県旧笠原町(現:多治見市笠原町)へ。笠原町からは旧東濃鉄道笠原線と1 - 2 km東側へ離れたところを併走し、中央本線の中津川方から多治見駅へ進入する予定であった。
日本鉄道建設公団(鉄建公団)の位置づけでは、岡多線岡崎 - 瀬戸市間と、同区間と一体運用される瀬戸線(瀬戸 - 稲沢間)が東海道本線(岡崎 - 稲沢間)のバイパスを構成する名古屋近郊の大環状線として、複線・電化の主要幹線(C線)及び線路等級「甲線」と高い線路規格で計画されていた一方で、大環状線から外れる岡多線瀬戸以北多治見方面は単線・非電化の地方開発線(A線)として計画されており、線路等級も「丙線」と低く、建設の優先順位も岡多・瀬戸線(岡崎 - 瀬戸市 - 高蔵寺 - 〈中央本線と並行〉 - 勝川 - 小田井〈当駅で2方向に分岐〉 - 稲沢・枇杷島)より低かった[108]。
途中の設置駅などは詳しく決まっておらず、建設予定線のまま、工事はほとんどされずに建設は事実上中止となったため、瀬戸市駅付近のごくわずかを除いて、未成区間の痕跡を辿ることは非常に困難である。
国鉄時代の逸話
- 国鉄時代の路線名である「岡多(おかた)線」は湯桶読みである。国鉄は従来、2つの地名から1文字ずつを取った線路名称は、実際の読み方に関係なく音読みのみ(一部訓読みのみの例外あり)としてきたが、当路線は初めてこれを破った路線名となった。宮福線(みやふくせん)は国鉄路線としては開業しなかったので(宮福鉄道として開業)、岡多線が湯桶読みの国鉄路線の最初で最後である。ただし、実際には存在せず運行系統上のみ存在する路線としては埼京線も該当する。
- 「歴史」の節で記した通り、トヨタ自動車の自動車輸送を目的として開業し、国鉄末期にトヨタ側がこれを取りやめた。スト権ストなどで国鉄への信頼が失われたせいもあるが、これに関して、国鉄改革を推進する側は「国鉄の非効率」(トヨタが見限る)の典型例として取り上げ、逆にそれを批判する側は「大企業の都合で敷いた鉄道が、その企業の都合で使うのをやめられてしまう」鉄道施策の無定見ぶりとして取り上げた。
複線化
開業当初は全線が単線であったが、2001年に中岡崎 - 北岡崎間および北野桝塚 - 三河上郷間で、続く2004年には瀬戸市 - 高蔵寺間、2008年には三河豊田 - 新豊田間が相次いで複線化された。それ以外の区間は2019年時点でも単線のままであり、貝津駅・永覚駅など行き違いのできない駅もあるが、それらの駅を含めほぼすべての区間で複線化のための用地が確保されている。これは将来の全線複線化を見越してのことであるが、その目途は立っていない。
脚注
注釈
- ^ 「南乾地踏切」(愛知県岡崎市羽根町字東ノ郷 / 岡崎市道:羽根東ノ郷2号線と交差)[7]。なお、この踏切は代替施設(歩行者専用地下通路・都市計画道路羽根町線)の整備により、廃止が予定されている[8]。
- ^ 仮にこの数値を国鉄再建法により規定された区分に当てはめた場合、「地方交通線」ではなく「幹線系線区」に該当する。
- ^ 2006年度(平成18年度)の資料によれば、当路線以外に北越急行ほくほく線もこれに該当していた[17]。しかし、ほくほく線は2015年(平成27年度)3月に北陸新幹線(長野 - 金沢間)が延伸開業し、線内を走る特急「はくたか」が廃止されて以降は輸送密度が大幅に落ち込み、同年度以降は輸送密度1,300 - 1,500人/日台で推移している(参照:北越急行ほくほく線#利用状況)。
- ^ a b 鉄建公団が「主要幹線鉄道線」(C線)として建設した路線には、「岡多・瀬戸線」以外に追分線・紅葉山線・狩勝線(石勝線として開業)[21]、根室本線狩勝峠の急勾配改良区間である落合 - 上落合間の「落合線」(狩勝線とともに開業)[22]、丸森線(現:阿武隈急行線)[23]、根岸線[24]、伊勢線(現:伊勢鉄道伊勢線)、呼子線(虹の松原 - 唐津間 / 筑肥線として開業)、浦上線(長崎本線の長崎トンネル経由新線)がある[25]。ただし丸森線は国鉄再建法の施行に伴い、1980年12月に福島 - 丸森間の建設が中止され[24]、第三セクター鉄道として建設再開後にはC線から「AB線」(地方開発線及び地方幹線)に変更された[26]。一方、呼子線(虹の松原 - 唐津間)は当初「AB線」として建設され、国鉄再建法施行によりいったん工事中止となったものの、建設計画見直しにより有償資金が投入され、「C線」として工事が再開された[27]。
- ^ 新上挙母駅(三河豊田 - 新豊田間)もかつては大門駅と同じ構造[38](上り線用の路盤上にホームが設置された構造)だったが、同区間の複線化にあたって旧上り線ホームは撤去され[37]、2面2線の相対式ホームに付け替えられている。
- ^ 車両搬入時などに使用される。
- ^ 1974年時点での部分開業済み区間(約9 km)+工事線(未開業区間・約31 km)[30]。
- ^ 第三セクター鉄道では最長編成。
- ^ 1970年時点では岡多線(瀬戸以南)と瀬戸線がそれぞれ既に着工されていた一方、岡多線(瀬戸以北・多治見方面)は路線ルートすら確定していなかった[32]。
- ^ 開業後の推定輸送密度が4,000人/日・km以上の路線のみ建設が継続され、それ以外の路線は大半の建設が凍結された[58]。なおこの時の建設継続可否判断基準(輸送密度4,000人/日・km)は、後の特定地方交通線の定義を先取りしたものでもあった[59]。
- ^ 岡多線の建設に伴う挙母線の廃線について、名古屋鉄道(名鉄)は1966年(昭和41年)9月に沿線自治体に対し、挙母線を廃止・バス転換し、廃線敷の一部分を岡多線の線路用地として譲渡する意向を表明したが、岡多線の恩恵を受けない岡崎市北部の挙母線沿線地区(細川・奥殿・恵田地区)で反対の声が強かったため、同意を得るために長期間を要した[63]。名古屋鉄道 (1994) は「国鉄新線の建設という媒介を経ているとはいえ、過去にトヨタ自動車の立地に大きな影響力を発揮した挙母線が、自動車産業の発展により存在価値を失ったことは交通機関の新旧交替を示す象徴的な事例である。」と述べている[63]。
- ^ ピーク時の1973年(昭和48年)には約35万台(国内向けトヨタ車の約20%)を輸送していたが、その後の輸送はトラック主体に移行し、1983年(昭和58年)時点では約8万台にまで下落していた[67]。
- ^ 内訳は鉄建公団への借損料16億円+運営上の赤字4億円[68]。
- ^ 当時、「岡多・瀬戸線」(新豊田 - 瀬戸 - 高蔵寺間)の建設工事は最終段階に入っており、仮に順調に建設が進んでいた場合、翌1985年初めには駅設備や中央線との接続工事も含め、開業に必要な工事はすべて完了し[69]、同区間は1984年度中に開業可能となっていた[29]。
- ^ 当初の予測は6,410人/日[68](1979年10月時点の試算)[70]。
- ^ 同じく「幹線」として建設されていながら、開業前に第三セクター化への移管が決まっていた線区としては丸森線(現:阿武隈急行線)があるが、『日本経済新聞』は当時、「『岡多・瀬戸線』は開業すれば赤字必至とはいえ、それなりの乗客が見込まれる路線で、丸森線とは乗客数・かかった建設費の両面で格が違うといってもよい」と指摘していた[69]。
- ^ 鉄建公団名古屋支社の1984年度計画では、岡多線(新豊田 - 瀬戸間20 km)の開業関係工事に2億円、中央線高蔵寺駅改良工事に9億円、岡崎 - 新豊田間のCTC(列車集中制御方式)設備に約10億円などを投じる計画だった[71]。高蔵寺駅は当時、「岡多・瀬戸線」の乗り入れに備え、1980年(昭和55年)10月から約61億円の工費を掛け、1985年4月の完成を目指して工事を進めており、全体の3分の2まで工事が進んでいた[71]。
- ^ 1984年当時は鈴木礼治。
- ^ 地方開発線・地方新線のAB線は無償で国鉄に貸与・譲渡されるのに対し、C線は有償貸与であり、実際に国鉄は岡崎 - 新豊田間の賃借料を支払っていた。賃借料(借損料)は総額2,000億円超を40年にわたって支払い続けるものであり、沿線自治体は第三セクター化の条件として、借損料の免除を求めた[74]。
- ^ a b 「岡多線鉄道敷設推進協力連合会」(会長:多治見市長・加藤直樹)と、「岡多線瀬戸-多治見間鉄道敷設期成同盟会」(会長:岐阜県知事・上松陽助)[34]。
- ^ 北野桝塚駅構内の配線変更、車両基地内の配置変更・設備改良、総合事務所の建設(CTC指令室・運転区・電気区の集約)など[96]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j 愛知環状鉄道 2019, p. 97.
- ^ a b 愛知環状鉄道 2019, p. 119.
- ^ 愛知環状鉄道 2019, p. 54.
- ^ a b c “愛知環状鉄道殿向け 2000系”. 日本車輌製造. 2021年1月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月1日閲覧。
- ^ 愛知環状鉄道 1998, p. 107.
- ^ 愛知環状鉄道 2019, p. 96.
- ^ “整備局トップ > 道路部トップ > 中部の踏切道対策踏切安全通行カルテ作成一覧表(愛知県)”. 愛知県. 2021年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月21日閲覧。
- ^ “踏切安全通行カルテ 南乾地” (PDF). 愛知県. 2021年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月21日閲覧。
- ^ 牧野和人 2017, p. 102.
- ^ “TOICA”. 愛知環状鉄道株式会社. 2021年8月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月21日閲覧。
- ^ a b c “愛知環状鉄道沿線地域活性化ビジョン” (PDF). 愛知県 (2012年3月30日). 2021年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月21日閲覧。
- ^ 名古屋学院大学 2012, p. 36.
- ^ a b 臼井昭仁「愛知環状鉄道、三セクなのに絶好調 実は沿線に…」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2017年6月20日。オリジナルの2021年1月21日時点におけるアーカイブ。2021年1月21日閲覧。
- ^ “大規模事業所等の分布(従業員数500人以上)”. 豊田市. 2021年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月21日閲覧。
- ^ a b 大坂直樹「鉄道事業を営む206社の平均年収ランキング 高収益のJR東海は9位。1位はどこだ?」『東洋経済オンライン』東洋経済新報社、2017年6月12日、3面。オリジナルの2021年1月21日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 数字でみる鉄道 2019, p. 68.
- ^ “輸送密度と経常収支率によるグループ分け(平成18年度)” (PDF). 国土交通省. p. 2 (2007年). 2021年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月2日閲覧。
- ^ 『損益計算書(自:平成24年4月1日 至:平成25年3月31日)』(PDF)(プレスリリース)愛知環状鉄道株式会社、2013年3月31日。オリジナルの2014年5月19日時点におけるアーカイブ 。
- ^ 川島令三 2002, p. 211.
- ^ “開業実績一覧” (PDF). 鉄道建設・運輸施設整備支援機構. 2018年4月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月13日閲覧。
- ^ a b c 日本鉄道建設公団 1995, p. 113.
- ^ 日本鉄道建設公団 1995, p. 114.
- ^ 日本鉄道建設公団 1995, pp. 114–115.
- ^ a b 日本鉄道建設公団 1995, p. 115.
- ^ 日本鉄道建設公団 1995, pp. 118–119.
- ^ 日本鉄道建設公団 1995, p. 90.
- ^ 日本鉄道建設公団 1995, p. 118.
- ^ a b c d e f 日本鉄道建設公団 1995, p. 116.
- ^ a b c d e f 『中日新聞』1984年7月17日朝刊一面1頁「岡多・瀬戸線の運営 第三セクターで国鉄、愛知県と4市に要請 新豊田-高蔵寺間 開業遅れ必至」(中日新聞社) - (愛知環状鉄道連絡協議会 1988, p. 27)
- ^ a b c d e f g 日本鉄道建設公団 1974, p. 55.
- ^ 川島令三 2002, p. 203.
- ^ a b c d e f g h i j k 名古屋学院大学 2012, p. 35.
- ^ 名古屋学院大学 2012, p. 37.
- ^ a b c d e f 『中日新聞』1985年10月17日朝刊「国鉄岡多線 瀬戸−多治見間の建設“断念” 岐阜県と関係6市町 凍結から6年余 陳情見合わせ決定」(中日新聞社) - (愛知環状鉄道連絡協議会 1988, p. 59)
- ^ a b c d e 日本国有鉄道 1966, p. 317.
- ^ 日本鉄道建設公団 1995, p. 87.
- ^ a b 愛知環状鉄道 2008, p. 50.
- ^ 川島令三 2002, p. 207.
- ^ 川島令三 2009, pp. 8, 14.
- ^ 日本鉄道建設公団 1995, pp. 87, 116.
- ^ a b c d e 岐阜工事局 1970, p. 150.
- ^ 日本鉄道建設公団 1974, pp. 54–55.
- ^ a b c d e f g h “平成30年3月17日改正ダイヤ” (JPG). 愛知環状鉄道 (2018年3月17日). 2021年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g 愛知環状鉄道 2008, p. 128.
- ^ 国土交通省鉄道局(監修) 編『数字でみる鉄道 2013』運輸政策研究機構、2013年10月31日、66頁。ISBN 978-4903876511。
- ^ 数字でみる鉄道 2016, p. 67.
- ^ 数字でみる鉄道 2016, p. 66.
- ^ 数字でみる鉄道 2018, p. 69.
- ^ 数字でみる鉄道 2018, p. 68.
- ^ 数字でみる鉄道 2019, p. 69.
- ^ a b c d e 岐阜工事局 1970, p. 151.
- ^ a b c 名古屋学院大学 2012, p. 30.
- ^ 名古屋学院大学 2012, p. 32.
- ^ a b 名古屋学院大学 2012, pp. 33–35.
- ^ a b 愛知環状鉄道 2019, p. 126.
- ^ 名古屋学院大学 2012, p. 34.
- ^ 名古屋学院大学 2012, pp. 37–38.
- ^ a b 日本鉄道建設公団 1995, p. 94.
- ^ 日本鉄道建設公団 1995, p. 93.
- ^ 日本鉄道建設公団 1995, pp. 93–94.
- ^ 『中日新聞』1984年7月24日朝刊「どこへ行く 岡多・瀬戸線 <上> 大誤算 ジリ貧自動車輸送 旅客だけが“頼みの綱”」(中日新聞社)
- ^ a b c d 愛知環状鉄道 2019, p. 32.
- ^ a b c 名古屋鉄道 1994, p. 331.
- ^ 牧野和人 2017, p. 103.
- ^ a b 名古屋鉄道 1994, p. 1039.
- ^ 愛知環状鉄道 1998, p. 20.
- ^ a b c 愛知環状鉄道 2019, p. 33.
- ^ a b c d e 『朝日新聞』1984年7月26日名古屋朝刊「秋までには受け入れ意思を 岡多線第三セクター常務理事発言」(朝日新聞名古屋本社) - (愛知環状鉄道連絡協議会 1988, p. 35)
- ^ a b c 『日本経済新聞』1984年7月17日名古屋朝刊一面「岡多・瀬戸線 国鉄、運営を放棄 第三セクター提案 対応迫られる自治体」(日本経済新聞名古屋支社) - (愛知環状鉄道連絡協議会 1988, p. 31)
- ^ a b c 『朝日新聞』1984年7月17日名古屋朝刊「岡多・瀬戸線 国鉄が“撤退宣言” 旅客見込めず 「第三セクター運営を」」(朝日新聞名古屋本社) - (愛知環状鉄道連絡協議会 1988, p. 30)
- ^ a b c 『朝日新聞』1984年7月21日名古屋朝刊「岡多・瀬戸線の工事中断 鉄建公団が方針 運営主体決着まで 新豊田-高蔵寺間開通のメド立たず」(朝日新聞名古屋本社) - (愛知環状鉄道連絡協議会 1988, p. 33)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 愛知環状鉄道 1998, p. 22.
- ^ a b 愛知環状鉄道 1998, p. 23.
- ^ a b c 愛知環状鉄道 2019, p. 34.
- ^ a b c d e f g h i j 愛知環状鉄道 2019, p. 35.
- ^ 川島令三 2002, p. 204.
- ^ 川島令三 2002, pp. 204–205.
- ^ a b 愛知環状鉄道 2019, p. 37.
- ^ 愛知環状鉄道 2019, p. 38.
- ^ 愛知環状鉄道 2019, p. 40.
- ^ a b 愛知環状鉄道 2019, p. 109.
- ^ 愛知環状鉄道 2019, p. 136.
- ^ 愛知環状鉄道 2019, p. 58.
- ^ 愛知環状鉄道 2019, p. 61.
- ^ 市川嘉一 2007, p. 35.
- ^ 愛知環状鉄道 2019, p. 135.
- ^ a b 愛知環状鉄道 2019, p. 65.
- ^ 愛知環状鉄道 2019, p. 68.
- ^ “愛知環状鉄道”. 愛知県. 2021年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月21日閲覧。
- ^ 愛知環状鉄道 2008, pp. 111–112.
- ^ a b 愛知環状鉄道 2019, p. 31.
- ^ a b c “日本鉄道建設公団30年略史”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 8. (1993年3月23日)
- ^ 愛知環状鉄道 2019, pp. 32–33.
- ^ 愛知環状鉄道 2008, p. 124.
- ^ a b c d 愛知環状鉄道 2008, p. 126.
- ^ a b c 愛知環状鉄道 2019, p. 51.
- ^ “愛知環状鉄道「駅番号制」を導入”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2004年4月7日)
- ^ a b 「鉄道記録帳」『RAIL FAN』第52巻第1号、鉄道友の会、2005年1月、24頁。(2005年1月号)
- ^ a b c 愛知環状鉄道 2008, p. 129.
- ^ 愛知環状鉄道 2008, pp. 49–50.
- ^ 愛知環状鉄道 2008, p. 131.
- ^ 愛知環状鉄道 2008, p. 132.
- ^ a b c 愛知環状鉄道 2019, p. 139.
- ^ "「TOICA」乗車券のサービス開始日について" (PDF) (Press release). 愛知環状鉄道. 12 December 2018. 2019年6月2日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2020年11月8日閲覧。
- ^ “鉄道・高速、混乱相次ぐ 愛環鉄道線路に土砂流入”. 中日新聞社 (2020年7月8日). 2020年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月11日閲覧。
- ^ “遅延証明書” (pdf). 愛知環状鉄道 (2020年7月8日). 2020年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月11日閲覧。
- ^ “遅延証明書” (pdf). 愛知環状鉄道 (2020年7月9日). 2020年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月11日閲覧。
- ^ 名古屋学院大学 2012, pp. 27–53.
参考文献
- 日本国有鉄道 編『鉄道辞典 補遺版』(PDF)日本国有鉄道、1966年3月31日、317頁。オリジナルの2020年3月5日時点におけるアーカイブ 。2020年3月5日閲覧。 - 鉄道辞典(公益財団法人 交通協力会のウェブサイトより)
- 日本国有鉄道岐阜工事局(編)『岐阜工事局五十年史』日本国有鉄道岐阜工事局、1970年3月31日。
- 日本鉄道建設公団十年史編さん委員会 編『日本鉄道建設公団十年史』日本鉄道建設公団、1974年10月20日。
- 愛知環状鉄道連絡協議会 編『出発進行!愛知環状鉄道―開業までの歩み(新聞報道から)―』愛知環状鉄道連絡協議会(愛知県、岡崎市、瀬戸市、春日井市、豊田市 事務局:愛知県企画部交通対策室)、1988年3月。 - 非売品。蔵書:愛知県図書館・春日井市図書館・岡崎市立中央図書館・豊田市中央図書館
- 名古屋鉄道(株)広報宣伝部(編さん) 編『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年6月13日。
- 日本鉄道建設公団三十年史編纂委員会 編『日本鉄道建設公団三十年史』日本鉄道建設公団、1995年3月。
- 10年史編纂プロジェクトチーム 編『愛知環状鉄道の10年』愛知環状鉄道株式会社、1998年3月16日。 - 蔵書:愛知県図書館・名古屋市鶴舞中央図書館・春日井市図書館・瀬戸市立図書館・安城市図書情報館・岡崎市立中央図書館・豊田市中央図書館・碧南市民図書館・石川県立図書館・国立国会図書館東京本館・東京都立中央図書館・岡山県立図書館
- 川島令三『全国鉄道事情大研究 名古屋東部篇』(第1刷発行)草思社、2002年6月25日、211頁。ISBN 978-4794211408。
- 市川嘉一「データでみる地域 輸送密度・営業収支率にみる地方鉄道・路面電車事業者の経営体力」『日経グローカル』第69号、日本経済新聞社、2007年2月5日、34-39頁。
- 愛知環状鉄道20年史編纂委員会(編集)、株式会社NAGAYAコーポレーション(編集協力・印刷) 編『愛知環状鉄道20年史』愛知環状鉄道株式会社、2008年6月。
- 川島令三(編著者)『豊橋駅-名古屋エリア』 4巻(第1刷発行)、講談社〈【図説】日本の鉄道 東海道ライン全線・全駅・全配線〉、2009年6月20日。ISBN 978-4062700146 。
- 笠井雅直「岡多線の建設と名古屋学院大学の創立 : 大学と地域開発に関する事例研究」(PDF)『名古屋学院大学論集社会科学篇』第49巻第2号、名古屋学院大学総合研究所、2012年10月31日、27-53頁、doi:10.15012/00000169、ISSN 0385-0048、 オリジナルの2020年3月5日時点におけるアーカイブ、2020年3月5日閲覧。
- 国土交通省鉄道局(監修) 編『数字でみる鉄道 2016』運輸政策研究機構、2016年10月1日、66-67頁。ISBN 978-4903876719。
- 牧野和人「愛知環状鉄道」『愛知県の鉄道 昭和~平成の全路線』(第1刷)アルファベータブックス、2017年8月5日、102-105頁。ISBN 978-4865988284。
- 愛知環状鉄道30年史編纂委員会(編集)、中日新聞社(編集協力) 編『愛知環状鉄道の30年 安全で信頼される鉄道を目指して』愛知環状鉄道、2019年3月。
- 国土交通省鉄道局(監修) 編『数字でみる鉄道 2018』一般財団法人 運輸総合研究所、2019年1月、68-69頁。ISBN 978-4903876870。
- 国土交通省鉄道局(監修) 編『数字でみる鉄道 2019』一般財団法人 運輸総合研究所、2020年1月、68-69頁。ISBN 978-4903876931。