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2021年6月10日 (木) 21:41時点における版

大野剣友会(おおの けんゆうかい)は、日本の演劇殺陣集団。

柔道一直線』や仮面ライダーシリーズなどのテレビ番組で、アクションやスタント、スーツアクターを務めたことで知られる。

概要

1964年殺陣師の大野幸太郎が設立[1][2]。大野は劇団ひまわり出身で、殺陣師の大内龍生[注釈 1]門下だったが、大内剣友会では若手へ仕事が回ってこなかったことから独立した[3]。大野の自宅敷地に2階建ての事務所を備えた道場と、殺陣スタッフのためのアパートを設置し、殺陣・演劇を教える一大殺陣集団として1970年代に活躍した。

テレビ番組『柔道一直線』(TBS)のアクションを担当したことをきっかけに、『仮面ライダー』(毎日放送)をはじめとする東映のテレビ特撮作品のヒーローや怪人のスーツアクター、戦闘員を含む殺陣全般を数多く務めるようになる[4][1]

もともと演劇集団であり、俳優志望のメンバーも多く、担当作品では顔出し出演や怪人の声なども担当している[1]

東映の実写ヒーロー作品が激減した1978年には、円谷プロダクションの『恐竜戦隊コセイドン』や創英舎の『UFO大戦争 戦え! レッドタイガー』(共に東京12チャンネル〈現:テレビ東京〉)など、他社作品に参加する。前者では岡田勝がゴドメス帝王のアクションを演じ、後者では撮影現場の下請制作も引き受けるなどの活躍をみせる。1980年に放映された『ウルトラマン80』(TBS)では、赤坂順一らがスーツアクターとしてアクションを演じた。

沿革

エピソード

  • 『仮面ライダー』で、『柔道一直線』とは全く違う素顔の見えない仮面劇アクションを要求された大野は、ここで若い会員たちに次の規律を定め、鉄則として守らせた。平山亨は大野のこの「鉄の規律」が、古巣東映京都でのスターに対する教えと同じものであり、当時でも昔話になったと思っていた世界が剣友会にあったことを知って感動したと語っている[11]
    1. たとえ吹替えでも、仮面ライダーに入らせてもらえることを最高の名誉と思え
    2. 仮面ライダーを着させてもらえたものは、人の見ているところで煙草を吸ったり、寝そべったり、立ち小便などをしてはならない。それは主役であることの誇りを傷つける行為である
    3. 脱いだ面を、地面に置くなど軽率に扱ってはならない。主役には必ず付き添いがつき、脱いだ面も靴も上座に安置せよ。面、靴といえども、我々全員が飯を食わせていただくスターさんであるからである
  • 大野幸太郎は、テレビで『仮面ライダー』を見る際に自分の息子の側にアイスクリームを置いて、その時の息子の仕草からどの場面で子供が喜ぶかを研究した。結果、アクションシーンで息子は身を乗り出してテレビに熱中していたが、ドラマの場面ではアイスを食べていた。そのことから大野はドラマの冒頭とクライマックスにアクションを入れれば子供が夢中になることを学んだと述べている[12]

メンバー

過去のメンバー

名義は在籍時のもの。表記・記載順は『大野剣友会伝 ヒーローアクションを生んだ達人たち』(風塵社、1999年)の「大野剣友会歴代メンバー紹介」に基づく。

創始者

大野幸太郎おおの こうたろう
1933年6月6日[3][2][5] - 2009年10月30日[2]東京都杉並区出身[3][2][5]
時代劇好きであったことから、高校生の時に殺陣師として高名であった大内竜生に弟子入りする[3][2][13]。大内と対面した際は、木刀を構えただけで弟子入りを認められたという[3][13]。大学在学中から映画に出演しており、大学卒業後に正式に大内剣友会へ入門し、芸能活動を本格化する[3][2][5]
1964年に大内剣友会から独立し、兄弟弟子や自身がスカウトした高橋一俊・中村文弥らとともに大野剣友会を旗揚げした[2][5]。『仮面ライダー』の序盤では、高橋が『柔道一直線』を担当していたため、大野自ら殺陣師を務めた[2] 後楽園ゆうえんちで開催された仮面ライダーショーの構成・演出も手掛けた[14]。『UFO大戦争 戦え! レッドタイガー』では原作を担当。
1980年に代表を岡田勝に譲り、以後は会長として後進の育成に務めた[2][5]

男性

※ 名字だけの人物は名前不明。

女性

担当作品

メンバーが助っ人で参加した作品を除く。

脚注

注釈

  1. ^ 俳優の池田駿介の実父である[2]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j OFM仮面ライダー9 2004, pp. 27–29, 和智正喜「特集 大野剣友会 ライダーアクション影の主役たち」
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 仮面ライダー怪人大画報 2016, pp. 176–210, 「仮面ライダー スタッフ・キャスト人名録 2016年版」
  3. ^ a b c d e f OFM仮面ライダー9 2004, p. 27, 「大野幸太郎」
  4. ^ 仮面ライダー大全集 1986, pp. 154–157, 「仮面ライダーの影 大野剣友会」
  5. ^ a b c d e f 受け継がれる魂 2002, p. 123.
  6. ^ 受け継がれる魂 2002, pp. 127–129.
  7. ^ 仮面ライダー大全集 1986, pp. 155、159.
  8. ^ 受け継がれる魂 2002, pp. 140–142.
  9. ^ a b 受け継がれる魂 2002, p. 161.
  10. ^ 大野幸太郎氏死去 殺陣師 - 47NEWS2013年7月20日閲覧。
  11. ^ 『キャラ通』・「平山亨ヒーロー列伝」、1997年12月1日号記事(文化産業新聞社)[要ページ番号]
  12. ^ 受け継がれる魂 2002, p. 131.
  13. ^ a b 受け継がれる魂 2002, p. 124.
  14. ^ 受け継がれる魂 2002, pp. 131–132.
  15. ^ a b 受け継がれる魂Ⅱ 2003, p. 134.
  16. ^ 受け継がれる魂Ⅱ 2003, pp. 134–135.
  17. ^ a b c 受け継がれる魂Ⅱ 2003, p. 130.
  18. ^ 受け継がれる魂Ⅱ 2003, p. 133.
  19. ^ a b c d e f g 受け継がれる魂 2002, p. 203.
  20. ^ a b c d e f 受け継がれる魂Ⅱ 2003, p. 205.
  21. ^ https://www.facebook.com/fm783/posts/1187495601322902/
  22. ^ https://twitter.com/shinichiwakasa/status/1136935010873643008

参考文献

  • 『創刊15周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー大全集』講談社、1986年5月3日。ISBN 4-06-178401-3 
  • 岡田勝 監修『大野剣友会伝 ヒーローアクションを生んだ達人たち』(風塵社、1999年) ISBN 4-938733-69-2
  • 『仮面ライダーSPIRITS公式ファンブック 受け継がれる魂』講談社、2002年6月19日。ISBN 4-06-334551-3 
  • 『仮面ライダーSPIRITS公式ファンブック 受け継がれる魂Ⅱ』講談社、2003年9月29日。ISBN 4-06-334771-0 
  • 『KODANSHA Official File Magazine 仮面ライダー Vol.9 仮面ライダースーパー1』講談社、2004年9月10日。ISBN 4-06-367090-2 
  • 藤岡弘『仮面ライダー=本郷猛』(扶桑社、2008年) ISBN 978-4-594-05661-2
  • 宇宙船別冊 仮面ライダー怪人大画報2016』ホビージャパン〈ホビージャパンMOOK〉、2016年3月28日。ISBN 978-4-7986-1202-7 

関連項目

外部リンク