「明月院」の版間の差分
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2021年6月20日 (日) 01:23時点における版
明月院 | |
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所在地 | 神奈川県鎌倉市山ノ内189 |
位置 | 北緯35度20分5.97秒 東経139度33分5.24秒 / 北緯35.3349917度 東経139.5514556度座標: 北緯35度20分5.97秒 東経139度33分5.24秒 / 北緯35.3349917度 東経139.5514556度 |
山号 | 福源山 |
院号 | 明月院 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
本尊 | 聖観音 |
創建年 | 応永元年(1394年)以前 |
開山 | 密室守厳[1] |
開基 | 上杉憲方[1] |
別称 | 紫陽花寺 |
札所等 | 鎌倉観音霊場第三十番 |
文化財 | 木造上杉重房像、ほか |
法人番号 | 5021005001984 |
明月院(めいげついん)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の寺院。山号を福源山と称する。本尊は聖観音、開基(創立者)は上杉憲方、開山(初代住職)は密室守厳(みっしつしゅごん)である[2]。紫陽花の名所として知られ、「紫陽寺」の通称がある[3]。北条時頼の墓所も敷地内にある。
歴史
山内上杉家の祖、関東管領・上杉憲方は密室守厳を開山として、明月院を開創した。憲方の没年は応永元年(1269年)で、それ以前の開創である。
なお、寺伝では、平治の乱で没した山内首藤俊通(やまうちすどうとしみち)の菩提のため、永暦元年(1160年)、その子の経俊が「明月庵」を建立したのが草創とされ、憲方は中興者とされているが、実際の開基は憲方とみるのが通説である。
明月院は、禅興寺という寺の塔頭であったが、本体の禅興寺は明治初年頃に廃絶し、明月院のみが残っている。
禅興寺の起源は鎌倉幕府5代執権・北条時頼にまで遡る。時頼は別邸に持仏堂を造営し、最明寺と名付けたが、時頼の死後は廃絶していた。時頼の息子の北条時宗は蘭渓道隆を開山としてこれを再興し、禅興寺と改名した。
現在は、「紫陽花寺」として有名で、花のシーズンにはたいへんな混雑をみせる。この寺で紫陽花を植えたのはさほど古い事ではなく、第二次世界大戦後に、物資や人手が不足して参道を整備する杭が足らず、杭の代わりに「手入れが比較的楽だから」という理由で、紫陽花を植えたものが次第に有名になったという。紫陽花の他にも1年中花が絶えず、紅葉でも知られる。他に冬は蝋梅、春は梅と桜が咲く。 こうした美しい花を堪能できる他、枯山水庭園や丸窓、明月院やぐらも楽しめる。特に本堂(紫陽殿)に設けられた「悟りの窓」と呼ばれる方丈内の円窓から見る景色は鎌倉を代表する絶景で、四季の美しさを丸い額に入った絵画のように切り取って鑑賞することができる[4]。
境内
境内には北条時頼廟、北条時頼墓(宝篋印塔)、鎌倉十井の1つである「瓶(つるべ)の井」(「甕(かめ)の井」とも)、「明月院やぐら」と称される、岩を掘りぬいた墓室(憲方の墓とされる宝篋印塔を安置)などがある。1984年(昭和59年)2月9日、「明月院境内」として国の史跡に指定された。
文化財
重要文化財
史跡
- 明月院境内
その他
- 塑造北条時頼坐像 - 鎌倉時代には珍しい塑造の肖像彫刻。
交通
脚注
- ^ a b 新編鎌倉志 1915, p. 65.
- ^ 鎌倉市史編纂委員会『鎌倉市史 社寺編』吉川弘文館、1979年10月31日、337頁。
- ^ 柴田博・相川浩子『鎌倉名刹巡礼』シバ、1996年4月15日、337頁。ISBN 4-915543-06-4。
- ^ “美しすぎる明月院ブルー!鎌倉・明月院はあじさいの名所中の名所!”. Lineトラベルjp. 2020年7月18日閲覧。