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:* 定期運用離脱前は、平日朝に塩尻 - 長野間で運行される快速「[[おはようライナー (長野)|おはようライナー]]」に充当されていた。信越本線の長野 - 直江津間が経営分離されるまでは、[[普通列車|普通]]・[[快速列車|快速]]「[[くびき野 (列車)#妙高|妙高]]」や、[[しなの鉄道線]]の快速「[[しなのサンライズ・しなのサンセット|しなのサンライズ号]]」などでも運用された。過去には、特急「[[くびき野 (列車)|みのり]]」で[[新潟駅]]までの運用実績もある。[[臨時列車]]では、快速「[[ムーンライト信州]]」、特急「あずさ」などに使用されることが多く、[[豊田車両センター]]配置のあずさ色189系の[[日本の鉄道車両検査|検査]]時には「[[ホリデー快速富士山]]」の代走もあった。[[団体専用列車|団体臨時列車]]に使用されることもあり、それらをあわせて頻繁に[[首都圏 (日本)|首都圏]]に乗り入れていた。 |
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:* 主に、1997年の[[北陸新幹線]]([[高崎駅|高崎]] - [[長野駅|長野]]間)先行開通以前に[[在来線]]の[[エル特急]]「[[あさま]]」で運用されていた189系を、[[普通車 (鉄道車両)|普通車]]のみの6両編成に組み替えた編成である。N101編成は[[制御車]]に房総・総武特急で使用後、「[[あずさ (列車)|あずさ]]」で運用されていたクハ183-1525・1528が組み込まれていた。これは臨時特急「[[かいじ (列車)|はまかいじ]]」を当センターで担当することになった際、[[京浜東北線]]・[[根岸線]]へ乗り入れることから[[自動列車制御装置|ATC]]-6形搭載の必要があったためで、元々東京地下駅乗り入れ用にATC機器室を装備していた同番台車が[[松本車両センター]]から転入したものである。 |
:* 主に、1997年の[[北陸新幹線]]([[高崎駅|高崎]] - [[長野駅|長野]]間)先行開通以前に[[在来線]]の[[エル特急]]「[[あさま]]」で運用されていた189系を、[[普通車 (鉄道車両)|普通車]]のみの6両編成に組み替えた編成である。N101編成は[[制御車]]に房総・総武特急で使用後、「[[あずさ (列車)|あずさ]]」で運用されていたクハ183-1525・1528が組み込まれていた。これは臨時特急「[[かいじ (列車)|はまかいじ]]」を当センターで担当することになった際、[[京浜東北線]]・[[根岸線]]へ乗り入れることから[[自動列車制御装置|ATC]]-6形搭載の必要があったためで、元々東京地下駅乗り入れ用にATC機器室を装備していた同番台車が[[松本車両センター]]から転入したものである。 |
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:* N104編成は[[大宮総合車両センター]]からの転属車であり、2013年7月30日から運行を開始した。なお、N104編成は「妙高」などの定期運行列車には充当されず、「あずさ」の臨時増発時など、主に臨時列車として用いられていたが、2015年3月に廃車となった。また、車体の老朽化および189系電車の余剰化に伴い、N103編成も同月に廃車となった。 |
:* N104編成は[[大宮総合車両センター]]からの転属車であり、2013年7月30日から運行を開始した。なお、N104編成は「妙高」などの定期運行列車には充当されず、「あずさ」の臨時増発時など、主に臨時列車として用いられていたが、2015年3月に廃車となった。また、車体の老朽化および189系電車の余剰化に伴い、N103編成も同月に廃車となった。 |
2021年6月24日 (木) 22:25時点における版
配置車両数の変動があっても、明確な出典を示した上で編集を行ってください(Wikipedia:出典を明記する)。明確でない場合は、差し戻されることがあります。 |
長野総合車両センター | |
---|---|
基本情報 | |
鉄道事業者 | 東日本旅客鉄道 |
帰属組織 | 長野支社 |
所属略号 | 長ナノ、長野 |
整備済み車両略号 | 長野総合車セ、NN |
配置両数 | |
内燃機関車 | 1両 |
電車 | 193両 |
気動車 | 20両 |
合計 | 214両 |
備考 | 2021年4月1日現在のデータ[1][2] |
長野総合車両センター(ながのそうごうしゃりょうセンター)は、長野県長野市西和田二丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)長野支社の車両基地および車両工場。北長野駅付近に位置している。
概要
1888年(明治21年)5月1日に官設鉄道開業に併せて開設された長野機関庫を前身にもつ車両基地で、工場のある場所にはかつて平林城があり、1930年には長野都市計画が認可され、城山公園と同規模の平林公園の建設が予定されていたが、戦時中の用途地域制限解除期間中に鉄道省長野工機部の工場が建設された[3]。
国鉄時代は長野工場と称し、車両検査・修繕だけでなく、蒸気機関車などの製造も行った。同じ敷地内には配置車両がある基地(長野運転所→長野第一運転区→北長野運転所)もあったが、1991年(平成3年)7月1日に長野工場と北長野運転所を統合し長野総合車両所が発足[4]、その時JR在来線で初めて、車両基地と車両工場を一体化させた区所となった[注 1]。2004年(平成16年)6月1日に現名称に改称した[4]。
当センター内には周知の埋蔵文化財包蔵地として、南側には平林城址と記した石碑が立ち[5]、国鉄車両基地遺跡[6]、西和田遺跡[7]がある。
毎年10月に「JR長野鉄道フェスタ」(旧称 - 「長野総合車両センターふれあいまつり」)として、センター内を一般公開している。
歴史
- 1888年(明治21年)5月1日 - 官設鉄道関山 - 長野間の延伸開業に併せて、長野機関庫を開設。
- 1890年(明治23年)2月16日 - 上水内郡芹田村大字栗田(現・長野駅東口)に内閣鉄道局長野器械場発足。
- 1893年(明治26年)10月1日 - 逓信省鉄道局に移管のうえ、長野器械場を長野工場に改称。
- 1897年(明治30年)8月18日 - 逓信省鉄道作業局に移管。
- 1907年(明治40年)4月1日 - 逓信省帝国鉄道庁に移管[8]。
- 1908年(明治41年)12月5日 - 内閣鉄道院中部鉄道管理局に移管。
- 1920年(大正9年)5月15日 - 鉄道省名古屋鉄道局に移管。
- 1936年(昭和11年)9月1日 - 長野機関庫を長野機関区に改称。
- 1942年(昭和17年)9月11日 - 鉄道省新潟鉄道局に移管のうえ、長野工場を長野工機部に改称。
- 1943年(昭和18年)11月1日 - 運輸通信省新潟鉄道局に移管。
- 1945年(昭和20年)6月1日 - 運輸省新潟鉄道局に移管。
- 1945年(昭和20年) - 上水内郡吉田町に長野工機部吉田分所を設置。
- 1945年(昭和20年)8月13日 - 長野空襲により機関区に被弾。職員8人、兵隊3人が死亡[9]。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道新潟鉄道局に移管。
- 1952年(昭和27年)8月5日 - 長野工機部を長野工場に改称。
- 1964年(昭和39年) - 長野工場吉田分所を長野工場本工場に、(旧)長野工場本工場を栗田分所に改称。
- 1966年(昭和41年)7月25日 - 長野機関区、長野客貨車区などを統合して長野運転所が発足。
- 1969年(昭和44年) - 長野工場栗田分所を廃止し、本工場に集約。
- 1973年(昭和48年) - 残っていた蒸気機関車が運用からはずれ無煙化完了。
- 1986年(昭和61年)9月1日 - 長野運転所と長野運転所第二分所を統合し、長野第一運転区発足[10]。
- 1987年(昭和62年)3月1日 - 長野第一運転区が北長野運転所に改称[10]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道に継承。
- 1991年(平成3年)7月1日 - 長野工場と北長野運転所を統合し、長野総合車両所発足[4]。
- 2000年(平成12年)2月25日 - ISO9001認証取得。
- 2004年(平成16年)6月1日 - 長野総合車両センターに改称[4]。
配置車両の車体に記される略号
整備済み車両の車体に記される略号
「NN」「長野総合車セ」(「長野工」→「長総車所」→「長野総合車セ」と推移。)
業務と職場
当センターの主な業務は、車両の検査・修繕、改造である。また、車両配置もあり、車両基地の機能も有しており、車体の清掃業務なども行っている。
当センターには鋳物職場があり、鋳鉄制輪子やNN46ブレーキライニング(ブレーキパッド)などを製造している[11](後述を参照)。さらに、首都圏で使用された電車の廃車に伴う解体作業も実施している[12][注 3]。
下記にセンターの業務について、項目別に説明する。
検査担当形式と配置区所
- 電車
- 気動車
改造・機器更新など
しなの鉄道115系の塗色変更やリニューアル改造など[13]や、元京葉車両センター所属の205系0番台を富士急行6000系への改造を施工[14][15][16][17]などの実績がある。
その他、中央線快速用E233系0番台のトイレ設置工事や元中央・総武緩行線用E231系0番台の転用改造(武蔵野線向け)など、改造工事各種を受け持っている[18][19]。
2019年10月に首都圏でJR東日本と乗り入れを行っている相模鉄道の相鉄10000系10701F(E231系がベースの車両・なお10000系はJR東日本へ乗り入れは行っていない)が、機器更新のため同車両センターに入場[20]し、その後2020年1月に同車両センターからかしわ台車両センターまで甲種輸送された[21]。大手私鉄の電車がJRの工場へ入場するのは、大宮総合車両センターへ入場した小田急4000形に続き2例目となったが、こちらは、JR貨物の機関車に牽引されたため甲種輸送で行われた[20][21]。
鋳物職場
前述したとおり、当総合車両センターでは鋳物職場を有しており、以下に示すもの(鋳物製品以外もある)を製造している[11]。
- 踏面ブレーキ用鋳鉄制輪子およびディスクブレーキ用ブレーキディスク、ブレーキライニング
- 国鉄→JR東日本化後にステンレス車両の妻面にある楕円型銘板を「日本国有鉄道」→「JR東日本」に全数交換したが、これは長野工場で製造したものである[11]。
- JR東日本各駅のベンチ・ごみ箱など[11]。
- 腰掛 - 115系リニューアル車、200系新幹線リニューアル車、209系用など[11]。
- 側引戸(がわひきど・乗降口ドア) - 自社新津車両製作所のE231系、E233系新造車両に取り付け(2012年3月まで製造)[11]。
- 鋳鉄枕木・鋳鉄車輪[11](1993年から2年間製造)
- ゴルフパター[11](1999年から2年間製造・約500本販売)
- 蒸気機関車用給水ポンプ筐体の製造
車両解体
鉄道博物館建設に伴い、大宮総合車両センターでの解体作業が終了したため、首都圏で使用された電車の廃車に伴う解体は、当センターへと機能を移した[12][注 3]。
配置車両
電車 | 気動車 | 機関車 | 客車 | 貨車 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|
193両 | 20両 | 1両 | 0両 | 0両 | 214両 |
電車
- 211系(192両)
-
- 6両編成(N601 - 614編成)14本、3両編成(N301 - 327・331 - 339編成)36本が配置されている。
- N601 - 606編成(0番台)およびN317 - 327編成(1000番台)はセミクロスシート、N607 - N614編成(2000番台)およびN301 - N316・N331 - N339編成(3000番台)はロングシートとなっている。
- N301 - 305・331 - 339編成は幕張車両センターから、N306 - 327編成は高崎車両センターから、N601 - 614編成は東京総合車両センターからの転入車であり、当センターで長野色への配色変更や耐雪設備の強化等の改造を実施している。
- 高崎車両センターから転入した車両のうち一部(N306 - 316・317 - 327編成)は、種別表示がLEDとなっている。
- 2013年3月16日のダイヤ改正より、8編成(N301 - 305・331・332・339編成)が導入され、信越本線(篠ノ井 - 長野間)、篠ノ井線(全線)、中央本線(塩尻 - 富士見間)、大糸線(松本 - 信濃大町間)で営業運転を開始した[22][23]。
- 2014年(平成26年)3月15日のダイヤ改正では、新たに12編成(N306・311 - 313・316・320・333 - 338編成)が導入され、中央本線(富士見 - 立川間)およびJR東海の中央本線(塩尻 - 中津川間)、飯田線(飯田 - 辰野間)まで運用範囲が広がった。また、これに伴い115系の半分以上が置き換えられた。
- 2014年10月までに16編成(N307 - 310・314・315・317 - 319・321 - 327編成)が転入し、1000番台と3000番台が出揃った。
- 2014年5月から0番台6両固定編成の転入が始まり、同年6月1日より運用を開始した。2015年10月までに2000番台と合わせて6両固定14編成が転入し、115系の運用置き換えが完了した。
気動車
- キハ110系200番台(18両)
-
- 両運転台構造のキハ110形12両、片運転台構造のキハ111形・キハ112形2両編成3本が配置されている。
- 飯山線(しなの鉄道北しなの線長野 - 豊野間含む)と上越線(越後川口 - 宮内 - 信越本線長岡間)で運用される。また、他線での臨時列車に投入されることもある。
- この車両は、特急「秋田リレー号」で使用されていた300番台で、同列車の運転終了後に普通列車用に改造・転用された。
- キハ110-235, 236は観光列車「おいこっと」用に再改造され、2015年4月4日より同観光列車として運行されているが、平日を中心に定期運用も行う場合がある。この2両は改造編入直後は「眺望車ふるさと」と呼ばれ、座席の一部(東側)または全てがレール方向(東向き)に向いており、飯山線沿線の景色が楽しめるようになっていたが、のちに他車と同一仕様に改造された経緯がある。
- HB-E300系(2両)
-
- 2010年6月9日に東急車輛製造で新製された[25]。
- 快速「リゾートビューふるさと」「ナイトビュー姨捨」のほか、イベント列車として使用される。
機関車
- DD16形ディーゼル機関車(1両)
- 11号機が配置されている。
- 主に飯山線や小海線での臨時列車や工事臨時列車に使用される。
過去の配置車両
- 電車
-
- 2019年4月1日時点では、訓練車の3両編成(N15編成)1本が配置されていた[26]が、2019年10月15日付で廃車され[27]、配置が無くなった。
- 2015年3月14日のダイヤ改正までは中央本線(立川 - 塩尻 - 中津川・岡谷 - 辰野 - 塩尻間)、大糸線(松本 - 信濃大町間)、篠ノ井線(全線)、信越本線(篠ノ井 - 柿崎間)、飯田線(飯田 - 辰野間)およびしなの鉄道線(篠ノ井 - 軽井沢間)の普通列車で運用された。しかし、同日のダイヤ改正において信越本線長野 - 妙高高原間がしなの鉄道北しなの線へと移行されたことにより、C編成を除く115系の長野支社管内での定期運用は終了[28]。また、しなの鉄道区間への当車両センター所属115系の乗り入れも終了した。さらに211系の導入が進んだことで、2015年10月をもって、C編成を含む115系の定期運用が全て消滅。その一方で善光寺御開帳開催などの多客時には篠ノ井線でE127系の代走としてN9編成が充当された。
- C編成は2007年3月に松本車両センターから転入した車両で、主に中央東線で運用されていた。また2010年(平成22年)12月のダイヤ改正までは、通常時は豊田車両センターM40編成を充当していた快速「むさしの号」代走運用に投入されたケースがある。
- N1 - 16編成は東海旅客鉄道(JR東海)管内である中央西線・飯田線やしなの鉄道線への入線が可能で、2007年にJR東海所有の115系が全廃となった後も引き続き、2012年のダイヤ改正まではJR東海区間へ乗り入れていた。なお、N21以降の編成はJR東日本管内のみで運用された。
- 全編成がセミクロスシートである。ただしN29編成は一時期、ロングシート化された。
- 塗装は基本的には長野色であったが、最後まで残った訓練車は湘南色であった。なお、過去にはC1編成が横須賀色、N9編成が湘南色とされていた。
- C5 - 11編成および、N1・3・5 - 7・11 - 14・16・21・24 - 26・28・29・32・33編成は、内装などの更新を施工したリニューアル車両。
- 2014年3月15日のダイヤ改正以降、211系が追加導入されたことに伴い、多くの編成が廃車となった(C2・4 - 14編成、N2・4・5・8・10・16・22 - 24・26・28 - 33編成)。また、C3編成、N3・6・11・14・25・27編成は2015年3月15日までに、N9編成は2015年12月16日付で新潟車両センターへ転出した。
- 北陸新幹線延伸後に経営分離された際、しなの鉄道に3両編成5本(N1・7・12・13・21編成)が譲渡された。塗装は横須賀色としなの鉄道色に変更されている。S15編成のみ2代目長野色を維持している。JRロゴなし、しなの鉄道ステッカーなしである。
- C14編成、N4編成が廃車されたことにより、長野支社所属の115系の長野色は廃止された。
- また、C1編成についても、2015年10月28日に定期運用を離脱し、同年11月22日のさよなら運転「ありがとう115系C1編成」をもって、完全に運用を離脱し、2015年11月25日付で廃車となった。これにより、長野支社管内では115系全ての運用が終了した。
-
- 国鉄時代は信越本線の急行「信州」「妙高」「とがくし」や篠ノ井線の急行「天竜」「かもしか」で運用されていた。JR化後は長野県内の普通列車や篠ノ井線・飯田線の快速「みすず」で運用されていた。
- JR化後は地域色として、115系と同様の初代長野色や新長野色の車両の他、急行・快速列車用のリニューアル車として「緑のN」を大きくデザインした塗色の車両も存在した。
- 特急「しなの」で運用されていたが、国鉄時代の1982年11月15日のダイヤ改正で神領電車区(現・神領車両区)に転属となった。
-
- 6両編成1本(N201編成・ジョイフルトレイン「彩(いろどり)」)が配置されていた。
- クロ481-5503(1号車 - 紫)・モロ484-5024(2号車 - 黄)・モロ485-5024(3号車 - ピンク)・モロ484-5007(4号車 - 水色)・モロ485-5007(5号車 - 紫)・クロ481-5502(6号車 - ピンク)で構成されていた。種車は新潟車両センターに所属していた快速「くびき野」用T21・22編成で、改造時に余剰となったクハ481-333・1507は廃車・解体されている。
- 2015年7月に交直切り替え機能を使用不能にし、直流専用車となり、5000番台化された。
- 2017年にラストランを行い、同年10月20日付で廃車[29]、解体された。
-
- 2019年4月1日時点では、6両編成(N102 - あさま色)1本が配置されていた[26]。
- N102編成は2019年3月ダイヤ改正で定期運用を離脱し、2019年6月25日付けで廃車[30]、配置が無くなった。
- 定期運用離脱前は、平日朝に塩尻 - 長野間で運行される快速「おはようライナー」に充当されていた。信越本線の長野 - 直江津間が経営分離されるまでは、普通・快速「妙高」や、しなの鉄道線の快速「しなのサンライズ号」などでも運用された。過去には、特急「みのり」で新潟駅までの運用実績もある。臨時列車では、快速「ムーンライト信州」、特急「あずさ」などに使用されることが多く、豊田車両センター配置のあずさ色189系の検査時には「ホリデー快速富士山」の代走もあった。団体臨時列車に使用されることもあり、それらをあわせて頻繁に首都圏に乗り入れていた。
- 主に、1997年の北陸新幹線(高崎 - 長野間)先行開通以前に在来線のエル特急「あさま」で運用されていた189系を、普通車のみの6両編成に組み替えた編成である。N101編成は制御車に房総・総武特急で使用後、「あずさ」で運用されていたクハ183-1525・1528が組み込まれていた。これは臨時特急「はまかいじ」を当センターで担当することになった際、京浜東北線・根岸線へ乗り入れることからATC-6形搭載の必要があったためで、元々東京地下駅乗り入れ用にATC機器室を装備していた同番台車が松本車両センターから転入したものである。
- N104編成は大宮総合車両センターからの転属車であり、2013年7月30日から運行を開始した。なお、N104編成は「妙高」などの定期運行列車には充当されず、「あずさ」の臨時増発時など、主に臨時列車として用いられていたが、2015年3月に廃車となった。また、車体の老朽化および189系電車の余剰化に伴い、N103編成も同月に廃車となった。
- また、183系2両が組み込まれていた国鉄色のN101編成についても2015年5月17日のさよなら運転終了後に廃車[31]。これにより当センター所属の189系はあさま色のN102編成のみとなり183系は廃形式となった。
- 2015年2月にN102編成が検査から出場した際、「ASAMA」のロゴが復活した。
- 気動車
-
- 1997年にキハ110系に置き換えられるまで、飯山線で運用されていた。
- 運用終了後は廃車された。
- 客車
その他エピソード
梅小路蒸気機関車館開設当初、保存蒸気機関車の整備は当センターの前身の一つである長野工場で行っており、多くの車両は最後の全般検査を長野工場で受けている。また、C51形239号機の外装復元も行なっている。その後、現役蒸気機関車の全廃に伴って長野工場での整備を終了し、営業継続機関車については鷹取工場に引き継がれた。鷹取工場の閉鎖後は梅小路運転区で整備が行われている。
2015年3月14日に北陸新幹線が金沢駅まで延伸したことに伴い信越本線・長野駅-直江津駅間が経営分離されたが、長野駅から当センターへの線路は経営分離後のしなの鉄道北しなの線とは別に敷設されているため、経営分離の影響は受けていない。
車両製造
長野工場時代は、車両を製造した実績があり、以下にそれを示す。
- D51形蒸気機関車 - 1938年(昭和13年)から長野工場で9両が製造された[11]。そのうち、1940年(昭和15年)3月に長野工場で製造した486号機は、1969年(昭和44年)10月の廃車後、本工場で静態保存している[11]。
- DD16形ディーゼル機関車- 1971年(昭和46年)に長野工場で1,2号機を製造
- JR東日本107系電車 - 100番台を2両のみ製造(R9編成・ノックダウン生産)
脚注
注釈
- ^ 当センターのように、車両工場と車両基地の機能を同じ敷地内でもつ車両基地は、JR東日本では新幹線総合車両センターや東京総合車両センターがあり、他にJR西日本網干総合車両所、東武鉄道南栗橋車両管区、相模鉄道かしわ台車両センターなどが該当する。なお、JR北海道の苗穂工場(JR貨物苗穂車両所も含む)も同じ敷地内に車両配置の基地があるが、そこは苗穂運転所という名称である。
- ^ 「長」で始まる名称を持つ他区との区別のため。長万部機関区の区名札にも「長」は使われず、「万」の旧漢字である「萬」とされていた。
- ^ a b JR東日本テクノロジーHPの長野支店の事業所紹介では「JR東日本長野総合車両センター内で、車両メンテナンス、改造、廃車解体などに協力しています。」と記載されている[12]。
出典
- ^ a b 太田浩道 編「東日本旅客鉄道 長野総合車両センター 長ナノ」『JR電車編成表 2021夏』発行人 横山裕司、交通新聞社〈ジェー・アール・アール編〉、2021年5月24日、102-103頁。ISBN 978-4-330-02521-6。
- ^ a b 別冊付録:「東日本旅客鉄道 機関車 電車 気動車 長野総合車両センター〔長野〕(長ナノ)」『鉄道ファン7月号付録 JR旅客会社の車両配置表/JR車両のデータバンク 2021』第61巻7号(通巻第723号)、交友社、2021年7月1日、4,14 - 15頁。
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参考文献
- 鉄道図書刊行会「鉄道ピクトリアル」2013年10月臨時増刊号鉄道車両年鑑2013年版「製造部門を持つ鉄道工場 長野総合車両センターを見る」30-42P
関連項目
座標: 北緯36度39分28秒 東経138度12分53.6秒 / 北緯36.65778度 東経138.214889度