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* [[ストラボン]]『[[ギリシア・ローマ世界地誌]]』飯尾都人訳、龍渓書舎(1994年) |
* [[ストラボン]]『[[ギリシア・ローマ世界地誌]]』飯尾都人訳、龍渓書舎(1994年) |
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* 『ディクテュスとダーレスのトロイア戦争物語 トロイア叢書1』[[岡三郎]]訳、[[国文社]](2001年) |
* 『ディクテュスとダーレスのトロイア戦争物語 トロイア叢書1』[[岡三郎]]訳、[[国文社]](2001年) |
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* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年) |
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍溪書舎(1991年) |
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* 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年) |
* 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年) |
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2021年11月15日 (月) 10:31時点における版
サラミース(古希: Σαλαμίς, Salamīs)は、ギリシア神話に登場する女神あるいは女性である。河神アーソーポスとメトーペーの娘で[1][2]、キュクレウスの母。サラミース島の名の由来とされる。長母音を省略してサラミスとも表記される。
サラミースは彼女に恋したポセイドーンにさらわれ、アッティカ沖の島に連れていかれた。そしてその地でポセイドーンに愛され、1子キュクレウスを産んだといわれる。成人したキュクレウスは島の王となり、島民を苦しめた大蛇を退治した[3][4]。またキュクレウスは母の名を取って島の名をサラミース島と名付けた[5]。
キュクレウスには男子が生まれなかったため、後に娘と結婚したテラモーンに王位を譲った[3]。
テラモーンには2人の息子、大アイアースとテウクロスがいた。しかし大アイアースはトロイア戦争で非業の死を遂げ、テウクロスは戦後、大アイアースの遺児エウリュサケースを連れて帰国したが、兄の死を止められなかったことをテラモーンに責められ、サラミース島から追放された[6]。その後、キュプロス島に流れ着き、サラミース市を起こしたという[7][8]。
その後サラミース島はサラミスの海戦が行われたことで有名になり、ギリシア海軍の戦艦サラミスなど、多くの船の名前にもなった。
系図