「クレオビスとビトーン」の版間の差分
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* [[パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年) |
* [[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]『ギリシア記』飯尾都人訳、龍渓書舎(1991年) |
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* [[高津春繁]]『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年) |
* [[高津春繁]]『ギリシア・ローマ神話辞典』、[[岩波書店]](1960年) |
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2021年11月15日 (月) 11:03時点における版
クレオビスとビトーン(古希: Κλέοβις, Βίτων)は、ハリカルナッソスのヘーロドトスの『歴史』第1巻にて、ソローンが語ったアルゴス出身の二人の兄弟。プルータルコスによるとクレオビスとビトーンはヘーラーの女神官であるキューディッペーの息子[1]。
母キューディッペーはヘーラーの祭礼を見に行くことになったが、出発の時に車を引く牛がいなかったため、二人が牛の代わりになって車を引き、45スタディオン(8.3 km)離れたヘーラー神殿に母親を連れて行った。クレオビスとビトーンは孝行息子だとしてヘーラー神殿の饗宴に招かれ、そこで息子たちの親孝行に感激したキューディッペーはヘーラーに対して、この世で一番の幸福を息子たちに贈るように祈願した。その夜、クレオビスとビトーンはヘーラー神殿で永遠に眠った。記念のため、アルゴスの人たちはクレオビスとビトーンの銅像を作ってデルポイの聖域内に納めた[2][3]。
後にパウサニアースはアルゴス市内のアポローン・リュケイオスの神域で牡牛を肩に担いだビトーンの彫像と[4]、ヘーロドトスの語る物語を描いたレリーフ彫刻を見ている[5]。
ギャラリー
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トマ・ブランシュ『クレオビスとビトン』スウェーデン国立美術館所蔵
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ニコラス=ピエール・ロワール『クレオビスとビトン』1649年頃
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ジャックス・ガメリン『クレオビスとビトン』1764年 カルカソンヌ美術館所蔵