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「クレオビスとビトーン」の版間の差分

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母キューディッペーはヘーラーの祭礼を見に行くことになったが、出発の時に車を引く牛がいなかったため、二人が牛の代わりになって車を引き、45[[スタディオン]](8.3 km)離れたヘーラー神殿に母親を連れて行った。クレオビスとビトーンは孝行息子だとしてヘーラー神殿の饗宴に招かれ、そこで息子たちの親孝行に感激したキューディッペーはヘーラーに対して、この世で一番の幸福を息子たちに贈るように祈願した。その夜、クレオビスとビトーンはヘーラー神殿で永遠に眠った。記念のため、アルゴスの人たちはクレオビスとビトーンの銅像を作って[[デルポイ]]の聖域内に納めた<ref>ヘーロドトス、31。</ref><ref>高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』p.205a。</ref>。
母キューディッペーはヘーラーの祭礼を見に行くことになったが、出発の時に車を引く牛がいなかったため、二人が牛の代わりになって車を引き、45[[スタディオン]](8.3 km)離れたヘーラー神殿に母親を連れて行った。クレオビスとビトーンは孝行息子だとしてヘーラー神殿の饗宴に招かれ、そこで息子たちの親孝行に感激したキューディッペーはヘーラーに対して、この世で一番の幸福を息子たちに贈るように祈願した。その夜、クレオビスとビトーンはヘーラー神殿で永遠に眠った。記念のため、アルゴスの人たちはクレオビスとビトーンの銅像を作って[[デルポイ]]の聖域内に納めた<ref>ヘーロドトス、31。</ref><ref>高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』p.205a。</ref>。


後に[[パウサニアス]]はアルゴス市内の[[アポローン|アポローン・リュケイオス]]の神域で牡牛を肩に担いだビトーンの彫像と<ref>パウサニアス、2巻19・5。</ref>、ヘーロドトスの語る物語を描いた[[レリーフ]]彫刻を見ている<ref>パウサニアス、2巻20・3。</ref>。
後に[[パウサニアス (地理学者)|パウサニアス]]はアルゴス市内の[[アポローン|アポローン・リュケイオス]]の神域で牡牛を肩に担いだビトーンの彫像と<ref>パウサニアス、2巻19・5。</ref>、ヘーロドトスの語る物語を描いた[[レリーフ]]彫刻を見ている<ref>パウサニアス、2巻20・3。</ref>。


== ギャラリー ==
== ギャラリー ==

2021年11月15日 (月) 11:17時点における版

アルゴスの彫刻家ポリュメーデースにより紀元前610年から前580年頃に制作された大きな2体のクレオビスとビトーン石像(デルポイ考古学博物館所蔵)。

クレオビスとビトーン古希: Κλέοβις, Βίτων)は、ハリカルナッソスヘーロドトスの『歴史』第1巻にて、ソローンが語ったアルゴス出身の二人の兄弟。プルータルコスによるとクレオビスとビトーンはヘーラーの女神官であるキューディッペーの息子[1]

母キューディッペーはヘーラーの祭礼を見に行くことになったが、出発の時に車を引く牛がいなかったため、二人が牛の代わりになって車を引き、45スタディオン(8.3 km)離れたヘーラー神殿に母親を連れて行った。クレオビスとビトーンは孝行息子だとしてヘーラー神殿の饗宴に招かれ、そこで息子たちの親孝行に感激したキューディッペーはヘーラーに対して、この世で一番の幸福を息子たちに贈るように祈願した。その夜、クレオビスとビトーンはヘーラー神殿で永遠に眠った。記念のため、アルゴスの人たちはクレオビスとビトーンの銅像を作ってデルポイの聖域内に納めた[2][3]

後にパウサニアスはアルゴス市内のアポローン・リュケイオスの神域で牡牛を肩に担いだビトーンの彫像と[4]、ヘーロドトスの語る物語を描いたレリーフ彫刻を見ている[5]

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脚注

  1. ^ プルータルコス断片、133。
  2. ^ ヘーロドトス、31。
  3. ^ 高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』p.205a。
  4. ^ パウサニアス、2巻19・5。
  5. ^ パウサニアス、2巻20・3。

参考文献