「男の娘」の版間の差分
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1990年代以降、[[武内直子]]の漫画作品『[[美少女戦士セーラームーン]]』(1991年。1992年に[[美少女戦士セーラームーン (テレビアニメ)|アニメ化]]。){{Sfn|熊田|2005|pp=72, 74}}・テレビアニメ『[[少女革命ウテナ]]』(1997年)・[[今野緒雪]]による少女小説『[[マリア様がみてる]](マリみて)』(1998年)のヒットを契機として百合ブームが発生し、ジャンルとして定着した{{Sfn|たまごまご|2010|p=60}}{{Sfn|藤本|2014|pp=104-107}}{{Sfn|樋口|2015|p=87}}。百合とは、性的表現を含まない女性同性愛の物語などと定義されるようなポップカルチャーのジャンルである{{Sfn|熊田|2005|p=73}}。 |
1990年代以降、[[武内直子]]の漫画作品『[[美少女戦士セーラームーン]]』(1991年。1992年に[[美少女戦士セーラームーン (テレビアニメ)|アニメ化]]。){{Sfn|熊田|2005|pp=72, 74}}・テレビアニメ『[[少女革命ウテナ]]』(1997年)・[[今野緒雪]]による少女小説『[[マリア様がみてる]](マリみて)』(1998年)のヒットを契機として百合ブームが発生し、ジャンルとして定着した{{Sfn|たまごまご|2010|p=60}}{{Sfn|藤本|2014|pp=104-107}}{{Sfn|樋口|2015|p=87}}。百合とは、性的表現を含まない女性同性愛の物語などと定義されるようなポップカルチャーのジャンルである{{Sfn|熊田|2005|p=73}}。 |
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社会学者の[[熊田一雄]]によれば、まず『セーラームーン』により、[[吉屋信子]]以来の「高邁な魂を呼び合う二人」という百合のテーマは「身近な愛」へと一変した。この愛の形は男性にも理解しやすいものであった{{Sfn|熊田|2005|pp=75-76}}。そして、セーラー戦士・[[天王はるか]]と[[海王みちる]]のカップルに代表されるような{{Sfn|熊田|2005|p=74}}{{Sfn|天野|2014|p=93}}百合パロディが大量に描かれ、二次創作が盛り上がっていった{{Sfn|渡辺|1998|p=51}}{{Sfn|藤本|2014|p=105}}。そこへ続いた『マリみて』の影響は大きかった。『マリみて』は、2003年{{efn2|name="kume"|{{Harvnb|久米|2013|p=77}}によれば2004年。}}には男性の間で大きなブームを呼び起こし、2004年には[[マリア様がみてる (アニメ)|テレビアニメ]]が放映される{{Sfn|吉本|2009|p=13}}{{Sfn|吉本|2015|p=223}}。俗世から隔絶された男子禁制のミッションスクールで少女同士が恋愛的な関係([[エス (文化)|シスターフッド]])を結ぶ様に、男性たちは「萌えた」のである{{Sfn|本田|2005|pp=151-152}}{{Sfn|久米|2013|p=77}}{{Sfn|Kinsella|2019|p=441}}。「どうして俺は女子高生じゃないんだ!」というファンによる関連掲示板への投稿は「名言」として伝えられた{{Sfn|熊田|2005|pp=93-95}}。 |
社会学者の[[熊田一雄]]によれば、まず『セーラームーン』により、[[吉屋信子]]以来の「高邁な魂を呼び合う二人」という百合のテーマは「身近な愛」へと一変した。この愛の形は男性にも理解しやすいものであった{{Sfn|熊田|2005|pp=75-76}}。そして、セーラー戦士・[[天王はるか]]と[[海王みちる]]のカップルに代表されるような{{Sfn|熊田|2005|p=74}}{{Sfn|天野|2014|p=93}}百合パロディが大量に描かれ、二次創作が盛り上がっていった{{Sfn|渡辺|1998|p=51}}{{Sfn|藤本|2014|p=105}}。『セーラームーン』はまた「女性であることが武器である」([[幾原邦彦]])というメッセージを打ち出していた{{Sfn|久米|2013|p=70}}。天上ウテナは男装の少女主人公である{{Sfn|久米|2013|p=70}}。従来、女性の男装には社会的な力を獲得しようとする意思が繰り返し描かれてきたが、ウテナのある種女性的な男装には、「女性の生きづらさが減った、と思われた、二十世紀末の状況」{{Harv|久米|2013|p=71}}を示唆するような試みがあった{{Sfn|久米|2013|pp=70-71}}。そこへ続いた『マリみて』の影響は大きかった。『マリみて』は、2003年{{efn2|name="kume"|{{Harvnb|久米|2013|p=77}}によれば2004年。}}には男性の間で大きなブームを呼び起こし、2004年には[[マリア様がみてる (アニメ)|テレビアニメ]]が放映される{{Sfn|吉本|2009|p=13}}{{Sfn|吉本|2015|p=223}}。俗世から隔絶された男子禁制のミッションスクールで少女同士が恋愛的な関係([[エス (文化)|シスターフッド]])を結ぶ様に、男性たちは「萌えた」のである{{Sfn|本田|2005|pp=151-152}}{{Sfn|久米|2013|p=77}}{{Sfn|Kinsella|2019|p=441}}。「どうして俺は女子高生じゃないんだ!」というファンによる関連掲示板への投稿は「名言」として伝えられた{{Sfn|熊田|2005|pp=93-95}}。 |
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2022年9月2日 (金) 10:38時点における版
男の娘(おとこのこ[2][3][注 5]、英: Otokonoko[web 1]、中: 偽娘)は、日本のインターネットスラングのひとつ。2000年代にサブカルチャーの領域で知られるようになり、2010年代に広く一般に普及してブームを起こした。二次元および三次元の「少女のような外見をした少年」を指すという一定の共通認識は成立しているが、厳密な解釈は定まっていない。
二次元の「男の娘」——少女のような外見をした少年キャラクターの流行は、1990年代に形成されたショタ・百合という2つのジャンルが、女装した少年の登場する対戦型格闘ゲームやアダルトゲームのヒットにより、2002年 - 2005年以降急速に女装と結びついて発生したものという考察がなされている。それらのキャラクターが男性にとり異性愛の対象であるか否かに関しては専門家の意見が分かれているが、「受け身になりたい」という彼らの願望が反映されているであろうという点では大体の一致をみている。
三次元の「男の娘」——現実世界で女装する男性の多くは、トランスジェンダーやゲイなどではなく、一種のコスプレイヤーであるという点で複数の専門家の見方が一致している。江戸時代以前の日本は稚児や女形などの芸能が盛んであり、女装を禁忌としていた西洋文化圏とは対照的な地域のひとつであった。二次元サブカルチャーの動きは、元来女装に寛容であった日本の伝統へと接続し、「かわいい」に価値を置く若い世代のカジュアルなファッション文化として定着した。その過程ではインターネットの普及が大きな役割を果たしていた。そして、現実で女装する彼らにも「かわいがられたい」という欲望の存在が指摘されている。
時期の重なり合う両者に共通する社会的背景は、第二次世界大戦後のフェミニズムの拡大・男性優位主義の縮小の過程と、バブル崩壊後の長引く景気後退・労働市場の急激な規制緩和であり、浮かび上がってくる問題は「男性の生きづらさ」である。「女装してリラックスしたい」というこの現象は、現代日本における男性問題の「映し鏡」として登場したものであるという考察がなされている。
定義
「男の娘」という言葉は、「少年」を意味する「男の子」の「
椿の調査によれば、この言葉は2006年9月9日に開催された同人誌即売会「男の娘COS☆H」において、初めて衆目に触れる形で使用された[11]。「女装・ふたなり・女体化・異性への憑依などをした『男の娘』の同人誌即売会」が、その第1回の開催概要であった[12]。「男の娘」という言葉は明確な定義がなされないまま[13]、インターネットスラング、インターネット・ミームとして拡散していった[8]。
二次元文化に端を発した「男の娘」がメディアで紹介される機会は、2009年 - 2010年以降増えていった[10][14][15][16]。ところが、その多くは三次元の「男の娘」、つまり現実に存在する男性の女装であった(図1)[14]。二次元の流行が波及し、若年層を中心にポップでカジュアルな女装がおこなわれるようになったのである[17][14]。「オカマ」「ニューハーフ」「女装少年(男子)」「女装子」など、似た意味の言葉は従来多く存在していたが[18]、その中で「男の娘」が人口に膾炙した背景には用語問題があった[19]。侮蔑的・差別的なニュアンスを含む「オカマ」のような言葉に対し、人々は敏感になっていた[20][19][21][注 7]。漫画評論家の永山薫によれば、そこで決定的だったのが「男の娘」という語の登場であった[19]。「直接的に「女装」の意味を含まず、婉曲的で、未だ手垢も付かず、ふわふわしていてカワイイ感じの「男の娘」が多くの人々のオトシドコロとして選択された」のである[19]。ときにはマーケティングの都合から「男の娘」が使用されることもあった[22]。
「男の娘」の定義は、専門家により、例えば以下のように言及されている。
論者 | 次元 | 定義 | 出典 |
---|---|---|---|
漫画研究者 日高利泰 |
二次元 | そもそも「男の娘」とは一体何なのか。漠然とした共通理解として、それが女の子のような外見をした少年(とりわけ美少年)を指して用いられるということはわかる。 | [23] |
ライター 来栖美憂 |
二次元 | 「男の娘」というワードはもともとネットスラングであり、2010年代に入って一般に普及した。『大人限定 男の娘のヒミツ』によると「きれいな女装少年」を指し示す言葉であり、女装をしてはいるがどこかに「男」の要素を必ず残していることが肝心であるという。〔メディア文化論研究者・田中東子による来栖 2015b, p. 32の解説〕 | [24] |
日本近代文学研究家 水野麗 |
二次元 | まとめると、「男の娘」とは「どんな服装であれ、女の子のように見えるかわいらしい美少年」を指し、女装少年は「女の服装をしている、かわいらしい美少年」を指すという違いがある〔……〕。 | [25] |
新聞記者 (福) |
二次元 | 「女装男子」は、見た目で女の子の格好をしている男子ですよね。「男の娘」は主体的というか「自分で女の子の格好をしたい」「女の子になりたい」っていう気持ちを持っている男子を指す言葉ですかね。〔……〕「女装男子」はスタンスは少年で、たまに女の子の格好をする。 | [26] |
タレント 大島薫 |
二次元 | 自分で名乗るのは男の娘じゃないとよく言われます。〔……〕おそらくそのひとたちの主張の根幹にあるのは、自ら女装してしまったら男の娘ではないということなんだと思います。男の格好をしていて本人も男だと思っているけれど、女の子に見えてしまうのが男の娘である。 | [27] |
オタク文化史研究家 吉本たいまつ |
二次元 | 現在の二次元表現に現れる「男の娘」は、非常に多様である。外見については「見た目は美少女」という点でほぼ共通している。しかし、内面の設定は様々である。「見た目は美少女だが内面は男らしい」という、非常にゆるい共通認識はあるが、女装に対する認識や性自認などはキャラクターごとに違う。内面の設定から「男の娘」を定義することは難しい。〔……〕そこで本稿では「男の娘」に厳密な定義を行わず、外見で大まかに区分することとする。 | [28] |
「プロパガンダ」主宰 西原さつき |
三次元 | 男の娘という存在の、明確な定義は私もハッキリと分かっている訳ではない。ただ女性ホルモンの投与を受けておらず、身体は完全に男性の状態。でも顔は女の子にしか見えない。かつ、若い。というのが私の中での男の娘の印象だ。 | [29] |
ライター 川本直 |
三次元 | 「女装している容姿端麗な男の子」というのが最小限の定義である。〔……〕川本直は、「男の娘」を「ジェンダーアイデンティティがセックスや与えられたジェンダーと一致しない」という広義のトランスジェンダーとみなすことを提案している。〔日本視覚文化研究者・Sharon Kinsellaによる川本 2014, pp. 2–3の解説〕 | [30] |
ニューハーフAV女優 橘芹那 |
三次元 | 三次元では敢えて言葉を濁している人が多いから、定義をはっきり確立させたほうがいいよ。誰一人、三次元で男の娘という言葉の定義をはっきりさせていない。だから、叩かれるのは当たり前だと思う。人によって定義が違うんだから。自分が「男の娘とは何か」と訊かれたら、それは女装もニューハーフも含むと断言するよ。 | [31] |
性社会文化史研究者 三橋順子 |
三次元 | 今、定義を四つ[注 8]申しましたが、そのうちの二つに、「カワイイ」という言葉が入っています。これが一つのキーワードだと思います。そこで、私なりの定義を示しますと「まるで女の子のようにカワイイ、女装した男の子」ということになります。 | [32] |
「女装」という概念は、男性が女性風の装いをすることで自然と発生する[33][34][35]。漫画研究家の泉信行は、しかるに、従来の「オカマ」「ニューハーフ」などの呼称は、女装という行為によって付けられはするが、その巧拙までは問われなかったと指摘し[18]、次のように続けている(二次元/三次元)。
「男の娘」は、まず第一に「女子にしか見えない/女子より女装が似合う」といった容姿への賛辞が前提としてある。〔……〕「充分に女子として見られる」という「見る側」の視点から呼ばれる言葉なのだ[注 9]。—泉 2015, pp. 176–177、出典の強調は傍点、図2も参照
ライターの宮本直穀も、二次元に関し「外部からの評価語」である点を見抜いており、「作品の受け手にとって女の子っぽさが可愛らしい少年〔強調はママ〕」程度の理解で充分である趣旨を述べている[37]。メディア文化論研究者の田中東子も、来栖の定義のうちに「きれい」「少年」という要素が抜きがたく含まれている点を指摘している[38]。三次元に対しては、三橋が「カワイイ」がキーワードであると見抜いているほか(上述)[32]、『セックスペディア』(2014年、文藝春秋)にも「女装愛好家との線引きは難しいところですが、若くて、ルックスレベルが高いと男の娘に認定されるようです〔強調はママ〕」という記載がある[39]。
女装を必須としない定義もある(斎藤 2015, p. 203、樋口 2015, p. 85など)。日本近代文学研究家の水野麗もそのような立場だが(上述)[25]、やはり「かわいい女の子にしか見えない〔出典の強調は傍点〕」という審美的な基準が含まれてくると述べている[40]。「男の娘」はしばしば「女装少年」と混同されるが[40]、水野は「女装少年」も「男の娘」と同様に、かわいらしさという条件を最重要視しているためであろうと考察している[25][41](図3)。
一定の共通認識が存在するにもかかわらず、「この言葉の定義をめぐる領域は、銃弾飛び交う戦場にも似てい」るとライターの川本直は述べている[2][42]。まず、「男の娘」は二次元限定の概念であるという考えがあり、そのため、三次元に実在する人間が「男の娘」という語を使用することに対しては批判の声がある[43][44][45][42]。三次元の「男の娘」同士でも解釈をめぐる争いがあるという[46][47]。二次元においても事情は同様であり、例えば以下は、主人公が女装して女学園に潜入するアダルトゲーム(いわゆる女装潜入もの)の開発者による座談会の発言である。
東ノ助:『月に寄りそう乙女の作法』の情報を公式HPで解禁した時、主人公の紹介に「男の娘」って書いてあったんです。そうしたら発売後にユーザーさんから「朝日は男の娘じゃない!」ってお叱りをいただきました。〔……〕
NYAON:実は私も『オトメ*ドメイン』のコンセプト紹介で湊を「男の娘」って書いてしまって、怒られました。 — BugBug 2016年12月号, p. 151
吉田悟郎の漫画作品『オトコの娘ラヴァーズ!!』(2013年)は、こうした状況について、「女装している子を愛でたい人」「可愛く女装したい人」「可愛い男の子が好きな人」など、そもそもは異なる対象を愛好していた人々が、「男の娘」という便利な言葉の登場に伴いひと括りにされたため、混乱が生じたものという解説をおこなっている[48]。編集者・井戸隆明は、この語の使用者は「男の娘」という概念に対しそれぞれなりの所有意識、すなわち「男の娘はこうだというふうに誰かに決められたくない、定義されたくないという無意識の欲望」を持っていると推測しており、無理に定義せずに曖昧さを残しておくほうが望ましいと述べている[49]。来栖は、「男の娘」の定義の曖昧さが、逆に女装コスプレ人口の増加に繋がったとの見方を示している[50]。「男の娘」という語のこれらの広がりを受け、ニューハーフAV女優の橘芹那や漫画家の幾夜大黒堂は、「包み込む言葉がなかったから、いい言葉だと思う」[51]「新しい、強力なことばだと思います」[52]などと語っている。漫画家の秀良子は「男の娘」に相対的な概念が存在しないことを示唆している[53]。
成立
ブームへといたる流れ
漫画
オタク文化史研究家・吉本たいまつの解説によれば、漫画表現においては男性キャラクターを美少女の顔で描くことで読者の認識を混乱させる手法が、手塚治虫『リボンの騎士』(1953年)以降しばしば用いられてきた[54]。複数の専門家の見解が一致するところ[55][56][10][9][57][58][54]、のちの「男の娘」ブームの先駆・ルーツとなる(あるいはそうと仮託される)作品は、江口寿史『ストップ!! ひばりくん!』(1981年)である。ニューハーフブームの只中に登場した[59][60]ヒロイン役の大空ひばりは事実を知らなければ美少女にしか見えない少年であった[9][61]。吉本は、ここでも明示的な描画の転倒がおこなわれていると述べる[54]。
どう見ても美少女なのに、「男」と言い張ることは、端から見ればおかしな主張である。しかしそれは『ストップ!! ひばりくん!』からすでに見られたものであったし、二次元表現ではこうしたマジックは容易である。 — 吉本 2015, p. 215
大空ひばりのキャラクター人気は1980年代初めにおいて急騰した[61]。来栖は、江戸川乱歩の小林少年や横山光輝『伊賀の影丸』の影丸が女装していたころには、既に一部に熱狂的なファンがついていたとしつつ、そこへ「大きな一石を投じ」たのが『ひばりくん』であったと述べる[56]。「ひばりくんの可愛さは衝撃的であり、彼が近代女装美少年文化の始点という評価に異を唱える者はまずいないだろう」と断じている[56]。吉本は、『ひばりくん』では従来の作品より明確に「男の子でもかわいければ恋愛・性の対象にしてもよい」というメッセージが打ち出されていたと分析している[54]。『ひばりくん』の後、描画コードの転倒は少年漫画においてしばらく途絶えるが[56][62]、川原由美子『前略・ミルクハウス』(1983年)[56]・那州雪絵『ここはグリーン・ウッド』(1986年)・高河ゆん『アーシアン』(1987年)[63]など、少女漫画に一旦受け継がれる形で[56]創作パターンのひとつとして定着していった[54]。
『ひばりくん』に続く女装美少年作品の「アイコン」として登場したのが、小野敏洋『バーコードファイター』(1992年)であった[64]。小学生向けの漫画雑誌『月刊コロコロコミック』(小学館)で連載が始まった同作品のヒロイン役・有栖川桜は、女の子の容姿で描かれており、セリフもかわいらしかった[54]。ところが読者の人気を充分獲得した後[56]、実は女装した男子であったことが明かされ、女の子と信じていた子供たちを驚かせたのである[65]。来栖はこの出来事を「オトコの娘史に残すべき大事件」と形容している[66]。『バーコードファイター』は女装した男子を一貫して肯定的に描いた[54]。永山は、一部の読者に対しては「女装男子でも可愛いからいいのだ」「むしろ男の子の方がいい」という新しい扉を開いたと述べている[65]。
1997年以降、小・中学生の少女向け作品でも大きな動きが起きる。『りぼん』に吉住渉『ミントな僕ら』(1997年)[67][68]が、『ちゃお』(小学館)に富所和子『ライバルはキュートBoy』(1999年)[67]が、さらに『小学五年生』(同)にやぶうち優『少女少年』(1997年)[67][68]が相次いで登場し、いずれも女装した少年を扱っていたのである。特に、少年が女装してアイドルになる展開を描く『少女少年』は読者の好評を博した[67]。永山は、『少女少年』もまた読者の「秘密の扉を開いてしまった」と述べている[69]。来栖も、これらの作品が偏見の少ない子供たちの認識形成に影響し、のちのブームに繋がったと見ている[67]。
来栖やライターの森瀬繚はまた、この時期に高橋留美子『らんま1/2』(1987年)がヒットを飛ばしていたことにも注意を向けている[70][63]。同作主人公の早乙女乱馬は水をかぶると女に変身してしまう特異体質の持ち主である[71]。来栖は、性転換ものは一般に抵抗感が小さく、広く受け入れられやすかったことを指摘し、『らんま』とそれに続いたあろひろし『ふたば君チェンジ♡』(1990年)・西森博之『天使な小生意気』(1999年)などの作品群が、よりマニアックなジャンルである女装ものへの入り口の役目を務めたと述べている[72]。
ショタ
一方、アニメにおいては1970年代初頭から、女性がかわいい男子に性的な欲求を向ける動きがあった[54]。いわゆるショタであり、1990年代中・後半期に男性向けジャンルへ越境していく[73][74][75]。このショタが「男の娘」の最大の背景であり、成り立ちに直接影響していると考えられている[76][77][78][79]。
小学校高学年くらいの少年同士、または若者と少年の性行為が描かれるショタは、もともとは「やおい(ボーイズラブ)」のサブジャンルであった[80][73][81]。少年を主人公とするアニメでは、主として女性ファンによる二次創作がおこなわれていた[82]。1983年にアニメ化された高橋陽一『キャプテン翼』は同人誌即売会の規模を大きく拡大させた[83][84]。同作の登場人物が少年から青年へと成長していく中、女性たちの人気を再び博したのが、元気な小学4年生が活躍する[85]『魔神英雄伝ワタル』(1988年)であった[86][54]。ショタがやおいから分離して、独自のジャンルとして成立する契機となったのが『ワタル』である[80]。『ワタル』と後続作品のヒットにより、少年ものの二次創作はさらに活性化していった[86][82]。そして1994年に、『赤ずきんチャチャ』『勇者警察ジェイデッカー』『ヤマトタケル』が放映されると、男性のショタファンが急増し[87]、同人誌の即売会は3作品の男女のファンで混み合うようになる[88]。この流れに、『新世紀エヴァンゲリオン』『ロミオの青い空』(いずれも1995年)などが続いた[89][84]。
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そうした中で「男の娘」の源流を形成したのが、ショタ作品を集めたアンソロジーコミックである「ショタアンソロジー」であった[78][84]。これは二次創作の盛り上がりを受けて生まれた同人誌アンソロジーを母体としており[注 10]、少年ものの二次創作を出身とする女性作家が多く[84]、最初は完全に女性向けの商品であった[95][81]。それが、1995年に[96]男性ファンによるショタオンリーの同人誌即売会「ショタケット」が開催されると[88]、男性作家・編集者がこれに刺激を受け[97]、便乗するように男性向けのショタアンソロジーも作られるようになる[95][97](#社会的背景も参照)。
すると、刊行数の急増に作家の確保が追いつかなくなり、女性向けに描いていた作家を男性向けに融通するということがおこなわれるようになった(その逆のパターンもあった)[95]。ショタアンソロジーは「女性作家の男性向けジャンルへの大量越境の橋頭堡」(永山 2015, p. 153)となり、多くの男性読者が女性作家の表現に触れる切っ掛けとなったのである[95][98]。日本視覚文化研究者のSharon Kinsellaは、このことは「かわいい女装少年」の現代様式を生み出した「クロスオーバーポイント」のひとつとして検討できるだろうと述べている[99]。
このように成立したショタアンソロジーの多くは、性行為において主人公の少年を受動的に描いていた。漫画・ジェンダー論研究家の堀あきこは、このことは読者男性の「男性性からの逃避」願望の反映として解釈できるとしている[100]。永山は、女性蔑視を内包するマチズモが衰退していった結果、「受動的な男の子(と強い女性)」表現が登場したと解説している[101]。精神科医・批評家の斎藤環は、男性向けの作品では「少年はあきらかにペニスを持った少女という位置を担わされている」と述べている[102]。さらに、それらの性行為表現は非常にハードなものであった[103]。吉本はショタアンソロジーにより、かわいい男の子が、美少女と同じように「性的に消費される存在」「まなざされる存在」になっていったと述べている[103]。
ショタアンソロジーが果たした重要な役割は〈かわいい男の子を性的に消費する表現を確立した〉ことであった。
—吉本 2015, p. 214、出典の強調は傍点
ショタアンソロジーは1995年から1998年にかけてブームを迎える[95]。最も多くの巻数が発行されていた『ROMEO』(一水社→光彩書房。『ロミオの青い空』に由来する。)がそれらの代表であり、ピークの1998年には63種もの単行本が刊行されていた[84]。しかし、1998年に児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律が国会で審議入りすると出版各社に動揺が走る[104][105]。連立与党が提出した法案は次の3点を含んでいた。①漫画も規制の対象となること、②同性愛表現も児童ポルノに含まれること、③頒布・所持の禁止[106]。漫画は結局規制対象から除外されたものの[104][107]、このことが最大の原因となり、ショタアンソロジーは1999年に一度壊滅する(図4)[73][103]。
ショタアンソロジーの描き手は約75%が女性であり、多くは2000年代初頭のボーイズラブへと流れていったが[103]、しかし、少なくない数の作家がのちの成年向け「男の娘」漫画で活躍することになる[108]。吉本の調査によれば、この時点のショタアンソロジーでは女装している「受け」は全体の3.5%に過ぎなかった[103]。吉本は、これは男の子を女装させるメソッドが確立していなかったためと推測している[103]。
ブリジット(ギルティギア)
# | 日付 | スレッドのタイトル[注 11] |
---|---|---|
1 | 2002年1月26日 | ブリジットが男確定、で自殺した奴の数→ |
2 | 2002年2月11日 | ブリジットが男確定、で転生した奴の数→ |
3 | 2002年3月6日 | 鰤たんと俺たちで創る理想郷 |
吉本は、現代の「男の娘」の直接の先祖となるキャラクターは、アーケード格闘ゲーム『GUILTY GEAR XX(ギルティギア イグゼクス)』(2002年、アークシステムワークス)に登場するブリジットであるとしている[103]。宮本もブームの軸を遡るとブリジットに行き当たると述べている[110]。ブリジットはヨーヨーを武器に戦う[111]、修道女風の服装に身を包んだキャラクターである[web 1][112]。外見は女の子にしか見えず[95][113]、発売前の発表に接したGUILTY GEARシリーズのファンは、美少女キャラクターが新作に登場すると沸き立った[96]。ところが翌月、ブリジットが実は男だったことが判明したのである[96][109]。このこともまた大きな衝撃をもって迎えられた[96][109]。当時のインターネットでの反応を調査した来栖・吉本によれば、最初は「男だと分かって絶望」[96]のような否定的な感想が見られたが、次第に「男の子でも萌えるのでは?」[109]「むしろ男だからいい!」[96]などの肯定的な雰囲気へと変わっていったという(表1)。来栖の取材したところによれば、アーク社には、売り出すためにわざと性別を隠しておき、センセーショナルな発表を行うという意図はなかった[114]。しかし「実は男」という設定が話題を呼ぶことになった[114]。
ブリジットの影響で[115][109]、2002年から2003年にかけ、『好色少年のススメ』(2002年、茜新社)・『少年愛の美学』(2003年、松文館)・『少年嗜好』(2003年、桜桃書房)など、ショタアンソロジーが復活していく[116][117]。1990年代と違い、女装少年の登場する作品が多数掲載されるようになっていた[113][109]。ショタと女装が結びついていったのである[118][109]。
ブリジットが果たした役割は、〈かわいい少年と女装を結びつけた〉ことにあった。
—吉本 2015, p. 215、出典の強調は傍点
ブリジットにより、かわいい少年を女装させたら一層「いい」ことが発見されたと、吉本は述べている[109]。しかし、ブリジットの女性服は体の線を隠しており、男子の体型にフィットしたものではなかった[109]。吉本は、「男の娘」の描き方が確立されるまでには、もう少しの進歩が必要であったと解説している[109]。画像掲示板の「ふたば☆ちゃんねる」では、「こんな可愛い子が女の子のはずがない」という「男の娘」を象徴する倒錯フレーズが生まれた[109]。吉本によれば、このフレーズはブリジットに端を発している[109]。
そして2002年11月[96]、ブリジットをメインに据えた、女装・女性化・ふたなりの同人誌即売会「鰤計画」(2004年に「計画」へと名称変更[119][注 12])が開催され、盛況となった[122]。「鰤計画」には多くの女装コスプレイヤーが参加していた[113]。1990年代後半のメイドブーム以降[123]、女装コスプレイヤーの数は増加傾向を示していたが、多くのコスプレイベントは主に外見上の快・不快の問題から、彼らを締め出していた[123][124]。「鰤計画」はそのような状況に一石を投じることとなった[122]。また「鰤計画」にはのちの「男の娘」ブームを支えることになる人々が多数参加していた[114][注 13]。ブリジットの人気は、二次元と三次元のクロスオーバーが発生させ[113]、「男の娘」文化を形成していく人々の出会いの場をも生み出したのである[114]。
「鰤計画」の刺激を受けた[126][127]2006年の「男の娘COS☆H」では、参加者の交流により重きが置かれるようになった[122]。そこにおいて「男の娘」という語が初めて衆目に触れる形で使用されたことは既に述べた。来栖は、「男性向け女装少年」というジャンルの確立と、「男の娘」という言葉の定着は、ブリジットに依るところが大きいと述べている[114]。
百合
1990年代以降、武内直子の漫画作品『美少女戦士セーラームーン』(1991年。1992年にアニメ化。)[128]・テレビアニメ『少女革命ウテナ』(1997年)・今野緒雪による少女小説『マリア様がみてる(マリみて)』(1998年)のヒットを契機として百合ブームが発生し、ジャンルとして定着した[129][130][131]。百合とは、性的表現を含まない女性同性愛の物語などと定義されるようなポップカルチャーのジャンルである[132]。
社会学者の熊田一雄によれば、まず『セーラームーン』により、吉屋信子以来の「高邁な魂を呼び合う二人」という百合のテーマは「身近な愛」へと一変した。この愛の形は男性にも理解しやすいものであった[133]。そして、セーラー戦士・天王はるかと海王みちるのカップルに代表されるような[134][135]百合パロディが大量に描かれ、二次創作が盛り上がっていった[136][137]。『セーラームーン』はまた「女性であることが武器である」(幾原邦彦)というメッセージを打ち出していた[138]。天上ウテナは男装の少女主人公である[138]。従来、女性の男装には社会的な力を獲得しようとする意思が繰り返し描かれてきたが、ウテナのある種女性的な男装には、「女性の生きづらさが減った、と思われた、二十世紀末の状況」(久米 2013, p. 71)を示唆するような試みがあった[139]。そこへ続いた『マリみて』の影響は大きかった。『マリみて』は、2003年[注 14]には男性の間で大きなブームを呼び起こし、2004年にはテレビアニメが放映される[140][119]。俗世から隔絶された男子禁制のミッションスクールで少女同士が恋愛的な関係(シスターフッド)を結ぶ様に、男性たちは「萌えた」のである[141][142][112]。「どうして俺は女子高生じゃないんだ!」というファンによる関連掲示板への投稿は「名言」として伝えられた[143]。
男性が百合を支持した理由について、熊田は、社会学者・岩井阿礼の「やおい」に関する実証研究を援用した仮説を提示している[145]。まず岩井は、「やおい」の作者・読者は、良妻賢母を理想とするような古い女性ジェンダーに囚われ、男女の対等な関係を求める新しい女性ジェンダーとの間で板挟みになっているとし、「「対等な対」のあり方に思いをめぐらせる思考実験あるいは避難の場として、「男性同性愛」という形式を、必要とした」のだと推測している[146][147]。その上で熊田は、男性もまた、女性を一方的に値踏みする古い男性ジェンダーと、対等な関係を求める新しい男性ジェンダーの板挟みになっているとしており、女性と同様に「「対等な対」のあり方に思いをめぐらせる思考実験あるいは避難の場所として、「女性同性愛」という形式を必要とした」と推測するのである[148]。そして、複数の専門家が[149][150][140][142][151][121][152]、特にアダルトゲームにおける女装もののブームの背景に、この百合ブームがあったことを指摘している。
宮本は、後述の『処女はお姉さまに恋してる(おとめはボクにこいしてる、おとボク)』(2005年、キャラメルBOX)の舞台・設定に、『マリみて』に通じるものを見いだしており、『マリみて』のブームと『おとボク』の登場が時期的に符合していると指摘している[153]。ゲームライターの彼佐真近も、女装美少年ものが2005年当時急速に流行しだしたことは、『マリみて』という下地があったからこそだと分析している[150]。『PC NEWS』編集長の今俊郎は、アダルトゲーム市場のムーブメントは、一般に周辺市場に追随して生じると説明し、『おとボク』のブレイクも決して偶然ではなかったと述べている[149]。以下は、2010年の森瀬の記事中の、シナリオライター2人の対談の抜粋である。
A:女装といえば、『おとボク』は当時、正直やられたと思った。マリみてを持ってくるアイデアとして、どうして自分では閃かなかったんだろうと。
B:2005年というと、ちょうどブリジットの影響が芽を出す頃ですね。 — A・Bともにシナリオライター、森瀬 2010, p. 78
ほかにも、『るいは智を呼ぶ』(2008年、暁WORKS)などに『マリみて』の影響が指摘されている[140]。日本近代文学研究家の久米依子も同様の認識のもとで、主人公が「男の娘」化するのちのライトノベル作品も、百合ブームから繋がった『おとボク』の影響を直接に受けたと推測している[154]。吉本は、女装もののアダルトゲームには「百合関係を体験したい」という男性の欲望が反映されているとしており、女子校・女子寮潜入を題材とした漫画作品にも男性の体験願望が反映されていると述べている[140]。対して、日本近代文学研究家の樋口康一郎は、百合文化を受容したオタク男性は、「もはや少女同士のコミュニティの中に男性が入ることを好まず、少女たちを鑑賞する位置に自らを置こうとする」と述べている(「空気系」も参照)[131]。
アダルトゲーム
では、なぜ女装少年は魅力的なのか——〔……〕何より重要なのは、そのキャラが実は男であるというギャップです。〔……〕『はぴねす!』の準がまさにそれ。〔……〕
また、男性にとって同性である女装キャラは、自己をより投影しやすい存在でもあります。〔……〕例えば『おとボク』の瑞穂になりきることこそ、萌えの究極形態と言えるでしょう。
〔……〕さあ、萌えのフロンティアへの合言葉を、一緒に唱えましょう。「こんなに可愛い子が、女の子のはずないじゃないか!」女装少年の広まりに重要な役割を果たしたのがアダルトゲームである[155][156]。アダルトゲームでは2004年まで、女装少年を登場させることには賛否両論が存在していた[156]。例えば、2004年に発売された『はなマルッ!』(TinkerBell)は、ヒロインの一人が男性であることが発売前は伏せられていたため、購入したユーザーの中にはメーカーに抗議する者もあったという[157][158][159]。ところが2005年に、前述の『おとボク』と『はぴねす!』(ういんどみる)が発売されるとそうした状況は大きく変わる[160][161][156]。『おとボク』の主人公・宮小路瑞穂は、祖父の遺言で名門女学園へ無理矢理に入学させられるが、たちまち人気者となり、全校生徒の代表(お姉さま)に選出される[162]。『はぴねす!』のサブキャラクター・渡良瀬準は、ヒロインを攻略する主人公のサポート役でありながら、女装姿で小悪魔のような魅力を発揮し、物語を牽引していく[159]。2人はともに、メーカー公式のキャラクター人気投票でヒロインたちを差し置いて1位を獲得したのである[153][156]。
瑞穂と準は、大空ひばり[57]や有栖川桜[54]らと違い、自身を男だと明確に認識しているキャラクターであった[156]。来栖は、瑞穂と準が2000年代半ばを代表する「男の娘」であったとし、2人が同じ年に登場したのは偶然ではなかったという趣旨を述べている[163]。吉本は、瑞穂と準を「まさに「男の娘」と呼ばれるに相応しいキャラクターであった」と評し、それまではっきりしなかった「男の娘」の基準がこの2人により明確化されていったと述べている[156]。
瑞穂と準は〈男の娘の理想型のひとつを示した〉のである。
そして、この2つの作品が2006年にテレビアニメ化されたことで、それまで成年向けコンテンツに触れることのなかった人々にも「男の娘」的なキャラクター類型の存在が広く知られるようになった[164][165]。テレビアニメ『乙女はお姉さまに恋してる』(『処女は—』から改題[166])は2006年の全アニメ作品を対象にした「このアニメがすごい! 2007」で13位に入賞し[167]、宮小路瑞穂は第29回アニメグランプリで男性キャラクター部門の11位にランクインした[168]。
吉本は、特に準の果たした役割を評価している。メーカー公式サイトで「オカマちゃん」と紹介されていた[169][37]準は、従来の女装少年とは一線を画した絵柄で描かれていた[156]。瑞穂とも異なり、乳房がなく、肩幅が微妙に広く、目立たない程度に「男性らしさ」を主張していたのである[156](吉本はそこに女装ショタの影響を認めている[92])。ここにおいてついに「「男の娘」の描き方のスタンダードが確立」(吉本 2015, p. 218)するのである。
準は、〈男の娘の描き方を完成させた〉点で、重要な役割を果たしたのである。
—吉本 2015, p. 217、出典の強調は傍点
吉本は、このことにより、男性の身体もまた「性的に消費される対象」となったとしている[170]。準は「準にゃん」という愛称で親しまれるようになり、ファンディスクでは攻略対象キャラクターに昇格した[169][37]。2007年には渡良瀬準単独の即売会「準にゃん足りてる?」も開催される[119]。森瀬は、準がアダルトゲームにおける「男の娘」属性確立のターニングポイントとなったと述べている[169]。宮本は、二次元の「男の娘」の確立の基盤となったキャラクターの一人として準を評価している[37]。
『おとボク』と『はぴねす!』のヒットにより、女装ものはアダルトゲームにおいてブームを迎え[注 16]、『恋する乙女と守護の楯』(2007年、AXL)・『キラ☆キラ』(2007年、OVERDRIVE)などの作品が後に続いた[171]。このブームを受け、既に『空想女装少年コレクション』(2005年)を出していた一迅社から、『女装少年コレクション ゲーム編』(2008年)・『女装少年コレクション ゲーム編2009』(2009年)が続けて刊行された[170]。2005年後半から2008年前半までに登場した女装少年キャラクターは48人(『ゲーム編』)であったのに対し、その後2009年前半までにさらに39人(『ゲーム編2009』、重複1人)が登場する事態となっていた[172]。吉本は、わずか1年で驚くべき伸びを示したと述べ[172]、2008年から2009年にかけて表現の幅が広がりを見せたと分析している[173]。
現実世界での女装
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ブリジットに前後し、一般向けの漫画で女装少年が再び注目されるようになっていた。志村貴子『放浪息子』(2002年)・宮野ともちか『ゆびさきミルクティー』(2003年)・塩野干支郎次『ブロッケンブラッド』(2003年)・畑健二郎『ハヤテのごとく!』(2004年)[174]や、遠藤海成『まりあ†ほりっく』(2006年)[175]などである。
Minky House*の掲示板には、ゲイやレズビアンや女装子など、多種多様な若い世代が集まっていた。
〔……〕数年後、「プロパガンダ」という日本最大級の女装イベントがあることを、インターネット経由で知った。今、女装界隈で最も熱いイベントだという。ホームページのスタッフ欄を見て、私は少なからず驚いた。オーガナイザーは、あのモカではないか。『放浪息子』と『ゆびさきミルクティー』の主人公は、自分の男性ジェンダーに違和感を持っており、「女の子になりたい」と願う少年であった[176]。吉本らは、これらが「かわいくなりたい」「女装したい」と考える三次元の男性に影響を与えたと考察している[57][156]。またタレントの大島薫[177]のように、二次元の女装少年に憧れる形で女装願望を抱くようになった男性も存在していた[20]。来栖は、子供のころに読んだ『少女少年』(前述)などの影響を受けて女装を始めた者も多かったようだと述べている[67]。2007年、一迅社から初心者向けの女装指南本『オンナノコになりたい!』が発売されると、内容的には目新しいものがなかったにもかかわらず話題を呼んだ[178][156][注 17]。それまで女装文化に興味のなかった層が、女装の情報を求めるようになっていたのである[180]。そこへ『オトコの娘のための変身ガイド』(2008年、遊タイム出版)[注 18]など、数多くの入門書が続いた[182][156]。
二次元と三次元のボーダレス化は着々と進行した。2007年、一迅社から『オンナノコになりたい!』という女装指南書が発売され、ベストセラーになる。この本が二次元と三次元の女装を繋ぐターニングポイントとなった。
—川本 2014, p. 142、強調は引用者
来栖・椿は、『東方Project』シリーズ(1996年 - 、上海アリス幻樂団)の影響も大きかったことを指摘している[183][20]。ニコニコ動画の本格運用が始まり、『東方』はVOCALOID・アイドルマスターと並ぶ「御三家」の一角として[184]、2008年ごろから爆発的なブームとなっていた[185][20]。『東方』の男性コスプレイヤーも急増したが(図5)、ほとんどの『東方』キャラクターは少女の姿をしていたのである[183][20]。椿は、『東方』の人気が女装という行為に普遍性を与えたと述べている[20]。
2007年8月、秋葉原に女装メイド喫茶「
日本における女装文化の歴史は古く、もともと多くの女装愛好者が存在していた[189]。彼らマイノリティの側も、女装ビジネスを二分するように動いた[190]。「雲雀亭」の開店と同じ2007年8月、モカというトランス女性により、定期開催の女装イベント「プロパガンダ」が立ち上げられる[191]。第1回の会場は新宿二丁目にある収容人数50人の店であった[192]。mixiコミュニティでの告知から始まった[192]「プロパガンダ」は、回を追うごとに参加人数が膨らんでいき、やがて国内最大規模の女装の祭典へと成長していく[17]。
「男の娘」ブーム
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2006年以降、「男の娘」という概念が次第に認知されるようになっていき、普及していく[170]。アダルトゲームでは「男の娘」という概念が制作側に意識されはじめ、『ツイ☆てる』(2007年、c:drive)公式の紹介文にこの言葉が出てくる[110]。ショタアンソロジーでも、2007年末になり「男の娘」という表現が初めて登場する[193]。2008年のメディアミックス『オトコのコはメイド服がお好き!?』(ホビージャパン)を分析した吉本は、渡良瀬準に始まった「男の娘」キャラクターの描き方がこの時期には確立していると判断している[193]。
2009年にかけて「男の娘」は急成長していく[193]。2009年のニンテンドーDS向けソフト『THE IDOLM@STER Dearly Stars』(バンダイナムコゲームス)の主人公の一人は、女装した少年であった[194][195]。ブリジットのときと情報の出し方が似ており[196]、男ではないかという大方の予想が的中すると、「バンナム、はじまったな」などと喝采が上がり[197]、人気キャラクターとして定着した[196]。テクノコスプレ研究会主宰のあしやまひろこは、『ひばりくん』と松本トモキ『プラナス・ガール』(2009年)の対比のうちに、1980年代から2000年代に至るまでのパラダイムシフトを見いだしている[198]。かつての大空ひばりは、家族以外には性別を偽らなければならなかった。一方、『プラナス・ガール』のヒロイン・藍川絆は、男を公言していながら常に学園のアイドルとして扱われるのである[57][58]。あしやまは、(2000年代において)「可愛いは正義」が作品のシンプルなテーマとして通用するようになったと述べている[198]。
2009年5月、三和出版から成年向け女装美少年専門誌『オトコノコ倶楽部』(後に編集者の井戸が独立し『オトコノコ時代』へ改称[199][200])が刊行され[201]、創刊号はマニア誌としては異例の発行部数を記録した[200][注 19]。井戸は、「男の娘」という語を当時頻繁にネットで見かけるようになっていたといい、「男の娘ということばのポップな、現代的なイメージを借りれば、ことば自体もキャッチーだし、〔従来のニューハーフ雑誌より〕もっと幅広い層に受けるんじゃないか」と考えたという[200]。2009年ごろまで「男の娘」は「女装少年」という語とシェアを競っていたが、2010年代に入ると[203]「男の娘」が一般化し、「女装少年」を置き換えるようになっていく[203][193]。
三次元では、「プロパガンダ」以降、女装関係の飲食店・イベントが増えていく[204]。東京の女装文化の中心は、1990年代までは新宿であったが[205]、「男の娘」文化の中心は秋葉原であった[205][206][207][208]。
2009年5月[209][web 3]、「雲雀亭」のスタッフが分かれる形で[188][186]「男の娘カフェ&バー NEWTYPE」が同地に開店する[210][193][190]。「NEWTYPE」は常設の店舗であり[188][211]、積極的なメディア展開をおこなうとともに[209][212]、店員の写真集やDVDを発売するなどして、「秋葉原の女装文化の中心的な存在」(川本 2014, p. 76)になっていく[212][注 20]。2009年以降、「男の娘」に関するメディア報道が増えるが(図6)、それらの多くが「NEWTYPE」を取材したものであった[193]。
2009年11月、東京都荒川区で[213]、化粧した男子が美しさを競い合う「東京化粧男子宣言!」が開催される[214][215]。主催は『オトコノコ倶楽部』第1号の表紙を飾った井上魅夜。自伝エッセイ漫画『わが輩は「男の娘」である!』作者の[216]いがらし奈波がMC[217]、ミス・ユニバース・ジャパン主催企業社長の谷本龍哉、漫画家のいがらしゆみこらが審査員を務め[218][219]、これもテレビ局の取材を受けた[220][221][222]。
また、複数の大学で女装コンテストが活発に開かれるようになった[223][215]。2011年には、川本が確認しただけで、東京大学・電気通信大学・東京工業大学など6校でコンテストが実施されている[223]。参加者の大半がオタクであったという[224]。筑波大学は、秋葉原とつくばエクスプレス(2005年開業[127])で結ばれ、川本によれば最も盛んに女装がおこなわれる大学となっていた[225]。女装の流行は、彼らを中心として若年層に広がり[226]、インターネットには若い男性の女装画像が大量にアップロードされるようになった[2]。Twitter(2013年時点)では「#女に見えたらRT」などというタグが使われていた[227][228]。
比較文化学者の佐伯順子がおこなった調査によれば、「男の娘」「女装子」の新聞メディア初出は、読売新聞の以下の記事である[229][注 21]。
「 | 「ジョソコ」っていったい何? 「女装子」と書けば分かる通り、趣味で女性ファッションを楽しむ男性のこと。女性と見まがう美しい人もいて、今やテレビで特集が組まれたり、「男の娘(こ)」という言葉が生まれたりするほど広がり、ゲームやアニメにも当然のように登場します。〔……〕 | 」 |
2010年2月には、NHKの英語ニュース番組『NEWSLINE』が「Boys will be boys?」と題し、こうした日本の現象を世界百数十カ国に向けて紹介した[232]。コメント出演の依頼を受けた三橋によれば、驚いた三橋がそんなニュースを流して大丈夫なのかと確認したところ、番組のディレクターは「実は、日本国内よりも外国で注目されているので、十分ニュース価値があるんです」と答えたという[232]。同年5月、BS情報番組『MAG・ネット〜マンガ・アニメ・ゲームのゲンバ〜』でも「男の娘」が特集される[233](吉本らが出演[web 4])。
そしてこの年には、「男の娘」の一般向け専門誌が2誌創刊された。一迅社の『わぁい!』とミリオン出版の『
2010年代初頭、ブームを象徴する碑として、あるいはそれらしい空気を確かな現象に固着させるための楔として、相次いで《男の娘》専門雑誌が誰の目にも留まる書棚に並べられた。既に月刊漫画雑誌の販路を確立していた一迅社の『わぁい!』と、実話・実録系雑誌を得意とするミリオン出版の『おと☆娘』である。 — 椿 2015, p. 191
両誌とも、「男の娘」が登場するアダルトゲームやアニメなどの作品紹介や、オリジナルの「男の娘」漫画を主なコンテンツとし、かつ、女装のノウハウなど三次元にも配慮した構成となっていた[193]。『わぁい!』の女装指南コーナーは前述の『オンナノコになりたい!』の出張版であった[235]。吉本は、男性の「女装したい」という欲求が高まったことが創刊の原動力のひとつになっていたと見ている[236]。両誌は男性サイズのブルマ・旧スクール水着[108]や、ニーソックス・ミニスカート[175]などを付録につけていた。川本は『おと☆娘』に関し、これらの付録が二次元と三次元のクロスオーバーを加速させたと分析している[175]。Kinsellaは、二次元から三次元へと移行していく動きが『わぁい!』などに見られたと報告している[237]。
さらに両社からは、「男の娘」漫画のアンソロジー・単行本が大量に発行された[108]。既にスクウェア・エニックスが先行しており、両社やエンターブレインが後に続いた格好であった[211]。成年向けの「男の娘」漫画も発行点数が増える[108]。前述したショタアンソロジー『少年嗜好』『好色少年のススメ』は、それぞれ「男の娘」アンソロジー『オトコのコHEAVEN』(メディアックス)・『好色少年』へと受け継がれ、この両誌が2010年代を牽引していった[238][239]。成年向けの漫画は、吉本によれば明確にショタアンソロジーの系譜に連なっていた[108]。1990年代末にショタアンソロジーで執筆していた作家たちが、「男の娘」漫画の担い手になっていたのである[108]。この発行ラッシュは2010年から2013年まで続く[108][注 23]。
アダルトゲームでは、おとこの娘倶楽部のような専門ブランドも設立され[240]、女装ものの年間発売本数が2010年と2011年にそれぞれ42本(吉本調べ)にも及んだ[170]。2011年は「男の娘」がメインヒロインを務める作品が増えたという報告がある[241]。同年の、全ヒロインが「男の娘」という内容の『女装山脈』(脳内彼女)はヒット作となり[242][243]、萌えゲーアワードの話題賞・金賞を受賞した[244][110]。2012年に発売された『月に寄りそう乙女の作法』(Navel、前述)は大賞を受賞し、この流れに続いた[245]。
# | 男性部門 | 女性部門 | 総合 | 出典 |
---|---|---|---|---|
2009 | 1位 | 10位 | 2位 | [246] |
2010 | 1位 | 7位 | 1位 | [247] |
「男の娘」は文字媒体との親和性も高かった。作者が「男」として書けば、どのような人物でも男ということにできるからである[11]。2009年の論稿でライトノベルに「中性的な女装少年を魅力的に描く物語が出始めている」と書いた久米は、2013年になり、「そして四年経った現在、女装少年は〈男の娘〉と呼びならわされ、もはやライトノベルの登場人物としては〈標準仕様〉と言いたくなるほど一般化してしまった」と報告した[248]。久米・樋口らは、代表例として白瀬修『おと×まほ』(2007年、GA文庫)の白姫彼方[249][250]や、築地俊彦『けんぷファー』(2008年、MF文庫J)の瀬能ナツル[249]、平坂読『僕は友達が少ない』(2009年、MF文庫J)の楠幸村[251][250]などを挙げている。メディアミックスは既に一般的になっており、アニメにおいても「男の娘」は数を増やしていく[252]。2011年に「男の娘」を特集したアニメ雑誌『娘TYPE』は、ブームの火付け役・牽引役として井上堅二『バカとテストと召喚獣(バカテス)』(2007年、ファミ通文庫。2010年にアニメ化。)の木下秀吉を特に挙げている[253]。秀吉は、男性キャラクター・女性キャラクターの両面で読者の支持を集めた[63][254](表2)。2014年には佃煮のりおが『わぁい!』で連載していた『ひめゴト』もテレビアニメ化を果たす[255][256]。サブカルチャーの全域で、「男の娘」は脚光を浴びていった[248][250]。
2011年、ドワンゴと提携した井上が、ニコニコチャンネル内に『男の娘☆ちゃんねる』を立ち上げる[257][258]。その主力コンテンツ「男の娘だョ! 全員集合」のパーソナリティは、女装芸能人の桜塚やっくん・モカ・「NEWTYPE」を経営する「茶漬け」らであった[259]。50人の会場でスタートした「プロパガンダ」は、より大人数の参加者を収容するため、新宿の中で次々に開催場所を移していった[260]。2011年9月のバラエティ番組『スッキリ!!』は、「男の娘」特集を流した際、テロップの「男の娘」に読み仮名を振ることをもはやしていなかった[155]。川本は、2012年に実写映画『僕の中のオトコの娘』が公開されたことを取り上げ、「男の娘」という言葉が(この時期)確実に一般社会にも浸透しはじめたと述べている[261]。関西の女装ブームの中心は大阪であった[262]。千日前の味園ビルで2008年に始まった女装イベント「ウルトラ・エクセレント」は2013年ごろから活気を帯びていった[263]。東京とは雰囲気が異なり、井戸により「女装の世界に東西の分断が起こっている」と評された[263]。
川本著『「男の娘」たち』(2014年)には、2012年当時の「プロパガンダ」の様子が次のように記されている。
2012年2月25日21時30分、風林会館5階の狭いエレベーターホールは女装子、MtF、男性、女性でごった返していた。プロパガンダは毎月の最終土曜日、22時から新宿歌舞伎町の「風林会館ニュージャパン」で開催されていた。規模は400人ほどで〔……〕。会場内ではすでに江戸時代の陰間茶屋(男娼が男女をもてなす娼館)をコンセプトとするバー「若衆bar化粧男子」の店主、井上魅夜が、和装姿で2人のスタッフを引き連れて入場していた。プロパガンダを、ドワンゴと提携して配信しているニコニコチャンネル『男の娘☆ちゃんねる』(現=『TJTV』)で中継するためだ。
一人で来た客を楽しませるためにモカが結成したプロパガンダ・ガールズもスタンバイしていた。〔……〕ガールズは総勢7人。最古参で秋葉原にある「男の娘カフェ&バー NEWTYPE」の共同経営者chiakiがリーダーで〔……〕。
この日はテレビクルーも入っていた。モカがリポーターを務めるエンタメ〜テレHDのテレビ番組『二丁目なう』のスタッフたちで、今回は初回放映の撮影だ。テーマはモカ自身がプロパガンダをリポートするというもので、彼らはかなりのやる気を見せていた。
22時、開場と同時に参加者が雪崩れ込んでくる。 — 川本 2014, pp. 31–34
「男の娘」ブームは、2008年から2014年ごろにかけて続いた[264]。吉本は、爆発的なブームが観測されたのは2012年から2013年にかけてであったとしている[265](井戸は、2013年ごろには落ち着いていたと語っている[266])。来栖は、文化として最も熱気があった時期は2009年であったと述べている[186]。
成立の背景
文化・歴史的背景
ユダヤ・キリスト教文化圏から日本を訪れる人が、テレビ番組のオネエタレントを見て驚くというのはよくある話である[267]。旧約聖書には「女は男の着物を着てはならない。また男は女の着物を着てはならない」(申命記22章5節)と記されているからである[268][269]。百年戦争の英雄、ジャンヌ・ダルクは異端審問で火刑に処せられたが、神の教えに背いたとされた決定的な理由は、彼女の男装であった[269]。旧約聖書にはまた、男性同性愛を行った者は「必ず殺されなければならない」(レビ記20章13節)とも書かれているからである[268][269]。フランスには1726年3月に男性同性愛者が死刑になった記録が残っている[270]。一方、日本の神道・仏教には旧約聖書のような規範が存在しない[269]。
日本における「女装した少年」の起源を遡ると、『古事記』『日本書紀』のヤマトタケルにたどり着くことは複数の専門家が指摘している[271][272][273][274]。ヤマトタケルは叔母から贈られた「
仏教界は、男性同性愛文化の温床であった[269]。また女装芸能の発祥の場所でもあった[276]。日本の中世寺院社会では稚児と呼ばれた女装の少年が僧侶の男色の対象とされていて[269][277]、儀式の場では延年などの芸能を披露していた(その模倣が白拍子である)[278]。やがて、猿楽・田楽・延年などを源流とし、性別越境を特徴とする能や、阿国歌舞伎が生まれる[279]。江戸幕府により女性が歌舞伎に出ることを禁じられると若衆歌舞伎が始まり[280][281]、さらに近世歌舞伎の女形が発生していく[269]。歌舞伎の世界で、端役さえ与えられず舞台に立つ機会のない者を「陰子」と呼んだ[282]。陰子は生活のために茶屋で接客業に従事するようになったと考えられ、茶屋で色を売る女装の少年を「陰間」と総称するようになった[283]。フランスなどとは対照的に、18世紀の日本では陰間が接客する陰間茶屋が繁盛していたのである[270][284]。曲亭馬琴は1814年から1842年にかけて、長編伝奇小説『南総里見八犬伝』を書いた[285]。里見家復興のため活躍する八犬士のうち2人は女装しており[286][63]、特に犬坂毛野は八犬士中随一の人気を集めた[287]。三橋は、これは馬琴が江戸庶民の嗜好に合わせた側面もあったと推測している[287]。
キリスト教規範の影響の下、性別越境者に対する差別が強まったのは明治時代前期(1870年 - 1880年代)以降のことである[284]。一時期、異性装は法令で禁止されていた[288][289]。
西洋の精神医学も異性装の文化に影響を与えた。1886年にドイツの精神科医クラフト=エビングが『性的精神病質』を著し、日本にも紹介されると[291]、これが元となった通俗性欲学が大正から昭和初期(1910年 - 1920年代)にかけて広まっていく[292][284]。それによれば、「女性的男子」は変態性欲という精神病の小分類のひとつであり、その「最も好むところのものは、女装を為すこと」であった[293]。日本人はこの時期に女装は不健全なものという印象を刷り込まれたのである[17][289][294]。
第二次世界大戦後、性別越境の文化は抑圧から解放される[295]。終戦間もない時期には女装した男娼が街頭に立ち[295]、1950年代には丸山(美輪)明宏に端を発したゲイ・ブームが到来する[296]。ゲイバー世界は、男性同性愛者と女装者が混在していたものだったが[297](「女装子」という言葉が蔑称として生まれたのはこの時期である[298])、1960年代から1970年代にかけて住み分けが進んでいき[299]、1980年代にはニューハーフブームが訪れる[300][301]。いわゆる素人女装も活発になり[302]、エリザベス会館などの女装クラブが賑わうようになった[303][304]。稚児や陰間など、女装を重視する伝統的な文化は、現代でも、新宿や六本木のニューハーフ・パブ、新宿歌舞伎町周辺の女装コミュニティなどに引き継がれている[305](対して、主に新宿二丁目周辺の、女装を必要としないゲイのコミュニティが汲んでいるものは衆道の流れである[306])。
三橋は、三次元の「男の娘」もこうした性別越境文化の伝統に連なるものであり、現代の特異現象などではないと主張している[308][309][310]。一方、あしやま[228]・田中[311]、漫画家の魔北葵[312]らは、「男の娘」の流行にはコスプレという側面があったことを指摘している。佐伯は、三次元の「男の娘」は、アニメ・少女漫画といったポップカルチャーと強く結びついたまったく新しい女装現象であると断じており[195]、性別越境の手段ではなくコスプレの一種であったことが、江戸時代以前の社会的寛容への接続を可能にしたと考察している[206]。樋口は、二次元の「男の娘」について次のように論じている。キリスト教の影響下で、少女の美が次第に特権化されていった際、男性のセクシュアリティは少女に対する「所有の欲望」として成立した。ところが1990年代の百合ブームを経て、オタク男性たちは少女を性的な視線で見る自分たちの男性性に嫌気が差し、少女に「なりたい」という「憧憬の欲望」を持つに至った。オタク文化における「男の娘」は、少女に「なりたい」という憧れが現実化していく過程とみなせ、あくまで異性愛にもとづくものである——[313]。
いずれの観点でもインターネットは重要な役割を果たしたとされている。「プロパガンダ」を主宰(2015年時点)していた西原さつきは、インターネットの普及により女装に関する情報が簡単に入手できるようになり、SNSなどで仲間と交流しやすくなっていたことに加え、「男の娘」という言葉の登場もあり、女装がポジティブでカジュアルなものに変わったと述べている[29]。井戸も、若者が女装の方法をインターネットで学べるようになったことが大きいとし、SNSや動画配信などが承認欲求を満足させる装置として機能したと述べている[304]。
いままでは情報がなくて、メイクのしかたひとつとってもわからなかった。女装しようと思っても、初めてやるときはすごく敷居が高いんです。まずお金がかかるし、女装用品をバレないように隠さなきゃいけない。むかしよく言われていたのは、女装趣味というのはひとりの愛人を囲うくらいコストのかかることなんだと。〔……〕いまはインターネットが使えればメイクのしかたとかいろいろな情報に接することもできるし、ちょっと女装をして写真をネットに上げればかわいいと言われるような増幅装置もある。 — 井戸 2015, p. 187
『マンガで振り返るオトコノコ10年史』(2020年、三和出版)は、写真加工アプリの登場と「盛る」文化の興隆がこれに拍車を掛けたとしている[314]。来栖は、三次元の「男の娘」文化は、インターネットの最大の特徴であるメディアの双方向性と相性が良かったとしており[315]、また二次元の「男の娘」も、その成立にはインターネットが必要不可欠であったと述べている[316]。三橋は、最大の要因はインターネットであったとしている[317]。
そのほかには、市販化粧品の品質が向上したことも、三次元の流行の大きな一因となっていた[318]。
メカニズム
「男の娘」を視点人物(主人公)に据えた『おとボク』の登場に対し、いち早く考察をおこなった一人が評論家の本田透である。主人公の宮小路瑞穂は、『マリみて』を彷彿とさせる女学園に女装して編入し、学園生徒たちと親睦を深めていくことになるが、そこでははじめ友人関係が結ばれ、それが百合関係に発展し、最後に男であることが判明して恋人関係になる[319]。本田が着目しているのは、従前に結ばれた対等な対としての関係が、新たな関係に進展したあとも、
- 友人関係
- 友人関係+百合関係
- 友人関係+百合関係+恋人関係
というように継続する点である[320]。また、瑞穂はプレイヤーの感情移入の対象でありながら、しばしば画面上にその姿が映し出される[321][153]。本田は、主人公が女装することで、主人公に感情移入するプレイヤー自身が「萌え」の対象になると指摘し、「現実における男女の恋愛とはもはや無関係な、そして現実世界では実現不可能な新しい関係性」が実現されていると評している[322]。
ところで、男性が女性キャラクターに感情移入するにあたっては、外見と性感の乖離が障害になるはずであった[150][12]。『おとボク』の人気を分析した椿は、永山の以下の講演内容[注 24]を援用しつつ、宮小路瑞穂、一般に主人公タイプの「男の娘」は、プレイヤーにその乖離を乗り越えさせるため、必然的に男性器が描写されているものだと主張している[12](「ミラーニューロン」も参照[323])。
80年代末期から囁かれてきたことなんですが、エロ漫画の作者、読者というのは実は女の子になりたいんじゃないかということがあるんですね。男性向けエロ漫画には、だいたい四半世紀、長めに見積もって半世紀の歴史があるんですけれども、そこで繰り返し描かれてきたのは、結局女の子が気持ちよくなっている画像ばかりなんですね。そうすると、やっぱり一所懸命頑張っている男になるよりは、気持ち良くなっている女の子になったほうが得だよねという意識がどこかで働いているのではないかと思います。
そこに、やはり男が女の感覚をシミュレートするのは難しいので、ペニスも残しておきたいということで、ふたなりブームやシーメールのブームが来るわけです。ただ飛躍が大き過ぎる。そこでショタ=少年の身体ということになるわけですね。
— 椿かすみによる永山 2003, pp. 52–53の抜粋より[12]
椿は同時に、アダルトゲームは「反家父長制的かつ超家父長制的な感覚に支えられ」ているという批評家・東浩紀のアイデアを借りて[324]、以下のように整理している。「男の娘」が主人公となるゲームのプレイヤーは、「気持ちよくなる立場」と「服従させる立場」の双方に同時に感情移入しており[155]、男性器の描写がそれを可能にさせているというのである[12]。
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反家父長制 | 超家父長制 | 受容のされかた | |
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アダルトゲーム(東) | →詳細は「AIR (ゲーム) § 批評」を参照
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男の娘ゲーム(椿) | モテない(家父長たりえない)プレイヤーは、物語世界の疑似恋愛に逃避するが、同一化する視点人物は女装している。ここに反家父長制的な心理に加え、男性性の放棄までもが表出している[12]。 | 主人公は、複数の女性キャラクターと性交渉を持つ。あるいは女装した主人公自らが陵辱される。現実世界のプレイヤーにとって、結局、女性キャラクターは単なる攻略対象に過ぎない[12]。 | プレイヤーは、気持ち良くなる女性の立場と、服従させる男性の立場の双方に、多重人格的に感情移入している[155]。この二面性(男性の解離)を視覚が受容している[324]。 |
同様のことを、2005年の時点で彼佐が既に指摘している。百合文化を受容した男性プレイヤーは、美少女同士のシスターフッドに憧れるものの、感情移入するキャラクターが女性であっては感覚の乖離が生じる。さらに、男性として挿入することもできなくなる[150]。彼佐は、そのジレンマを女装少年はクリアしてしまったと述べ、男性プレイヤーも「やおい」を楽しむ女性と同じように、「受け」側(特に後輩ヒロイン)に感情移入しているのではないかという仮説を立てていた[150]。
椿は、「男の娘」が攻略対象であるゲームにおいても、やはりプレイヤーは男性的に解離していると述べている[12]。永山が2014年になって「男の娘」漫画に関して示した見方も同様である。ショタ漫画の男性読者が「攻め」と「受け」の両方に感情移入していることは既に解明されていた[325](やはり男性器がポイントとなる[326])。永山は、ショタが一般向けに浸透したものが「男の娘」である以上、それは自己完結型のエロティシズムで読み解くことができると述べている[327]。来栖は、「男の娘」の一番のポイントは、少女の外見をしているにもかかわらず、男性器だけは残されている点に集約されると断じている[328]。「この問いには確実な答えがある。ペニスである[329]。」
成年コミックにおける「女装の快楽」を分析した永山は、多くの作品において、現実社会の男性優位幻想が「男の娘」の快楽描写の前提になっていることを指摘している[330][331]。視点人物は女装することで、劣位であるはずの女性の立場に初めて身を置くことになるが、そこで性的に「解放」(倒錯したマチズモ)され、さらなる快楽へ到達するというのである[331]。また、「女装することと、女装しても自分に残されたペニスが、快感を与えてくれていて、さらにその快感の中にはナルシ〔シ〕ズムがある」という永山の言説(来栖 2015a, p. 15)を、来栖は本質の一面を看破したものと評価している[244]。
同様の指摘は三次元においてもなされている。女装子専門のAVメーカーを経営する二村ヒトシは、「ぼくにはおまんこが味わっている快楽は味わえないが、ちんぽの快楽は熟知している。だから女性からちんぽが生えていれば、それだけ感情移入しやすい。」と述べ、ある作品を「おっさんが、体の表面だけ美少女になって、しかしちんぽだけはおっさんのまま、スク水を着てもっこりして恥ずかしがりたいという願望」の映像化であると自ら評している[332]。また三橋は、「男の娘」が現れる以前の女装は、男性上位の社会にあっては行為者に社会的下降を想起させるものであったとし、往々にしてマゾヒズムを伴っていたと語っている[333](#社会的背景も参照)。
一方、男性器を露出させない「男の娘」には、こうした欲求の形を当てはめることができない[165]。椿は、ハーレムラブコメなど、登場人物の性別が明確に男と女に分かれていた従来の作品においては、両性のキャラクター間で取り交わされる感情は恋愛感情だけであったと指摘する[165]。椿によれば、「男の娘」はそこへ、「男性でも女性でもない/ある存在」として投入され、
- 男性たちのアイドル的な存在になり、時には本気で惚れられたり、
- 女性たちの輪に自然に溶け込み、時には女性から告白されたり、
- 「男性の気持ちを知り尽くした女性」として男性の恋愛相談に乗ったり、
といった役割を務めるようになった[334]。椿は、これらによって生み出される「キャラクター関係のダイナミズム」こそが、脱がない「男の娘」の、作品にもたらす魅力なのではないかと考察している[334]。この「関係性の多様さ」は女性向けの作品、特に「やおい」に通じるものがあるという[335]。
社会的背景
このように、女装少年〔男の娘〕には、男性の様々な欲望や願望が込められている。それはとりもなおさず、女装少年を作り出し、女装少年を熱狂的に楽しむ男性たちが、様々な抑圧を受け、不自由な思いをしていることを浮き彫りにする。—吉本 2009, p. 26
三橋が最も重要と指摘している背景は、男性の社会的地位の低下と、それに伴う女装に対する価値観の変化である[333]。かつての男性上位社会にあっては、女装には「下降」のイメージが付きまとっていた[336][333]。ところが現代の日本人は、男性文化よりも、女性たちの「かわいい文化」のほうを上位に感じるようになっている[337][131]。三次元の「男の娘」たちの根幹には、「より輝いているあこがれの女の子ライフに近づいていく」という上昇志向があり、女装する彼らに対する社会の評価もまた肯定的なものに変化しているのだという[337]。永山も、女装に対する蔑視・差別が軽減されている点を指摘しており、2000年代を境に大量の女装少年漫画が登場した背景には、マチズモの崩壊・フェミニズムの伸長などの複合的な要因があったと分析している[19]。吉本は、二次元の「男の娘」にも、「かわいいものを愛好したい」「かわいくなりたい」、あるいは「女の子になりたい」という男性の願望が反映されていると述べている[338]。
ところがその一方では、外に出て働き、家族を養うのは夫の役割であるといった戦前の家父長制度の考え方が、現代社会に根を張りつづけている[341][342]。毎日新聞は2013年、三次元の「男の娘」の背後に「「生きづらい男社会」の現実や、男でいることの閉塞感が、現実の社会の映し鏡のように」存在している可能性を報じている[343][230]。記事中で佐伯は、「男性は『稼がなければ』とプレッシャーがかかるのに、一部の女性は、結婚して経済的に男性に依存する生き方も許される。不況で労働環境が厳しくなり、そんな女性の役割に『逃げ込みたい』と考える男性がいる。」と解説している[343]。
二村も、男性たちが「“男”であろうとすることが、めんどうくさい」「“男”という役割を降りたい」などと思っていると推測している[344]。佐伯は、2015年の論稿において、三次元の女装は「いまだ男性に主流的に担わされる生計や社会的責任からの解放」を当事者が希求するものであると述べ、ブームの背景には男性に対する抑圧・男性の自殺の増加など、日本社会の「深刻な男性問題」があると推測している[230]。
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21世紀の最初の20年間、日本では若い人口の約40 - 50%(Kinsella 2019, pp. 453–454)が、異性との恋愛・結婚・育児という「ストレート」な人生からほぼ全面的に排除されてきた。Kinsellaは、そのような受難の時代と「男の娘」現象は広く関連しあっていると論じ[345]、「男の娘」文化は二つの方向に分裂していると考察している[346]。ひとつの方向性としては、川本の定義に「容姿端麗」とあるように、ある程度のルックスに恵まれている場合、ともかくも社会の変革に適応しようとすることができる。それが三次元の「男の娘」であるという[346]。
そして「批判的な抵抗の立場」であるとしているもうひとつの方向性が、二次元の「男の娘」である[346]。バブル経済は崩壊したが、その時期に成立した「男性は女性をリードする」「男性はデート代を全額支払う」といった男女交際の「マナー」はその後も強制力を持ち続けた[341][347]。一方で、女性の社会進出もあいまって労働条件は悪化し、男性の収入は減少していったため、恋愛における「男らしさ」も非常な負担として男性たちにのしかかるようになった[341]。本田によれば、また吉本もそのようなケースは実際多いと述べているところ[341][347]、このプレッシャーから逃れ、二次元の世界に純愛を求める存在こそがオタクである[348][341]。(その逃避はミソジニー(女性嫌悪)であるともされる。幻想の女性性を礼賛するということは、現実の女性性に対する差別にも繋がると批判されることがある[330]。#評価・影響も参照。)椿は、「男でいることに疲れてしまった」現代の男性たちが、二次元の「男の娘」に性的な欲求を向けていると述べている[155]。吉本は、二次元の「男の娘」が、「恋愛でもセックスでも、受け身=客体になった方がずっと「楽」」であり、受け身になりたいという男性の願望を反映していると述べている[349]。水野は、非モテ(オタク)男性のほうこそが、旧来のジェンダー規範に強く囚われていると反論しているが、結局彼らは「男らしさ」の理想に程遠い自分たちの「鏡」として「男の娘」を必要としたのだと述べている[350]。
漫画研究家の藤本由香里は、『セーラームーン』が百合のテーマを一変させる以前の1980年代後半ごろから、漫画における百合表現には変化が見え始めていたと述べている。そして、その遠因となったのは男女雇用機会均等法だと推測している[351]。女性が自立できるようになり、女性同士の関係にも変化がもたらされたという[352]。
三橋・椿らが着目している背景として、ほかに性同一性障害の広まりがある。1995年、それまでもっぱら「性的倒錯」という肯定的でない訳語があてがわれていた「transsexualism」の概念が、1994年のハリー・ベンジャミン国際性別違和協会の決定にのっとり、「性同一性障害(gender identity disorder)」として一般にも認知されるようになった[353]。性別を越えて生きたいと願うことを精神疾患だと捉えるこの概念がメディアで大きく取り上げられたため、ニューハーフ・パブや新宿コミュニティなどの女装文化は再び打撃を受ける[354][355]。しかし性同一性障害には、医療による女性化を重視し、ジェンダー表現・ファッション・化粧といったものを軽視するきらいがあった[205]。三橋は、「男の娘」ブームにはその反動という側面もあったと指摘している。気楽に性別を乗り越える(と三橋が主張する)「男の娘」に、メディアが飛びついた面が大きいというのである[205]。椿も、性同一性障害の広まりに、ファッションの女装文化としての「男の娘」が接続した面があると見ている[20]。
もうひとつ、永山・吉本が指摘している背景がある。それは出版物の「成年マーク」である。さかのぼること1980年代初頭、それまで劇画タッチで描かれてきた成年コミックを、漫画・アニメタッチで描くという転換がおこなわれ、短期的なブームを形成した。いわゆるロリコンである[356][357][358]。1988年から1989年にかけ、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件が発生し、容疑者がロリコンのオタクであると報じられると[359][360]、猛烈な批判が男性向け成年コミックに向けられる(有害コミック騒動)[361][362]。この騒動は、出版各社が自主規制として成年マークを導入することで一応の決着をみた[363][84]。ところがその結果、出版業界に「成年マーク・バブル」(永山 2014, pp. 102)が訪れたのである[364][103]。永山の調査によれば、1990年代中・後半のほぼ全期間、年間1,000冊を超える成年コミックの出版ラッシュが続いた[365][103]。この主な要因は、永山・吉本によれば、①いつ本当に規制されるかわからないという飢餓感[366]、②成年マークが逆にエロ本であることの保証となったこと[367][103]などであった。急拡大した成年コミック業界は、ロリコン(童顔巨乳)に続く新しいエポックを模索した[368][103]。そのひとつがショタアンソロジーなのである[95][365]。これがブリジットのブレイクへと接続して[95][67]「男の娘」の最大の源流となったことは、#ショタおよび#ブリジット(ギルティギア)を参照のこと。
ブームの収束
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2015年現在[update]、「男の娘」ブームは全体として収束状態にあり、井戸は「低空飛行で安定」したと表現している[202]。来栖は、「現在、「男の娘」というワードに、数年前まで確かにあった魔法のようなものは消えてしまったかもしれない」と述べている[369]。
2013年5月に専門誌の『おと☆娘』が休刊に追い込まれると、その9か月後の2014年2月には『わぁい!』も休刊を表明する[255][370]。椿は、少ないパイをおそらく奪い合った結果[370]、売り上げが低迷したことを大きな要因として指摘している[371]。井戸は2誌から「これ!という作品が生まれなかった」ためだと述べている[202]。2誌で連載されていた漫画作品のうち、『ひめゴト』だけが他誌に移籍して連載を続けていたが、それも2015年7月の第6巻が最終巻となった[370]。
■成年マークのつかない「男の娘」コミックの刊行点数は2012年にピークを迎えたが、2014年に大きく減少した[265]。吉本によれば、これは専門2誌が休刊し、アンソロジーも終了したため、作品の供給自体がなくなったためである[265]。吉本は2015年の時点で、非成年コミックのブームは終了に向かっていると判断している[265]。ただし、●成年コミックでは非成年での供給減少を補うような形で継続しているとの見方を示している(図9)[265]。
アダルトゲーム業界では『おとボク』がヒットした直後の2005年の時点で、以下のようにブームの早期終焉を危惧する声が上がっていた[372]。彼佐などは「女装」と「美少年」以外の新たな要素が必要になってくるだろうと警句を発していた[150]。
あとは企画力の勝負になると思うんですよね。例えば主人公の立場をどこに置くか、とか。ぶっちゃけ、大概どれも学園ものじゃないですか。既存の学園ものに、主人公の立場だけを単純に変えて、その女学園に放り込む、みたいな。そういうパターンを今後はもう少し変えていかないと、あっという間に飽和しちゃいますよ。 — ミスターX、空想女装少年コレクション, p. 81
結局、2015年になり、アダルトゲームでは明らかにブームが終了に向かっていると吉本は結論した(図10)[265]。『はぴねす!』を企画した「ちゃとら」は、準以降、女装キャラクターが必然性なく登場することが増えたと不満を語っていた[373]。『女装山脈』などのディレクションを手掛けた西田一は、「非常に残念なことですが、男の娘が美少女ゲームの一ジャンルを築くことはついぞありませんでした」と述べ、受け皿の少なさから一過性のものに終わったとの認識を示している[374]。
椿は、「《男の娘》が有名になり、大量のシミュラークルが市場に投下され続けた」結果、オタクたちが単純に「飽きた」という可能性を指摘している[121]。井戸は、ブームのころに面白いコンテンツがあまり出てこなかったと述べている[202]。来栖は粗製濫造により全体の質が悪化したと分析する[375]。作品数が増え、「男の娘」の意味するところが属性の一部にまで拡大した結果、「「女のキャラがただ男と言ってるだけ」というものに代表される、表層的に記号化され、物語も魅力も薄っぺらい平坦なキャラクター」が多くなり、制作者・ユーザーの双方が飽きてしまったのだという[375]。
吉本は、二次元表現における爆発的なブームは全体としては過ぎたとの見解を示しているが、成年コミック(図9)とコミックマーケットにおける増加傾向(図11)から、「男の娘」を性的に愛好する動きは2015年の時点において継続していると分析しており[265]、以降は安定していくと予想している[5]。成年向け漫画の一般として、「一度生まれたモード、スタイル、テーマ、モチーフ、趣味趣向、傾向は盛衰があっても決してなくなら」(永山 2014, p. 96)ず、その需要は存在し続ける[5]。二次創作でも『艦隊これくしょん』の人気が2015年ごろにピークに達し、艦娘「島風」のコスプレをする男子「島風くん」などが「男の娘」をさらに普及させている[376](『Fate/Grand Order』のアストルフォがこの流れに続いている[377])。
2013年10月にパーソナリティであった桜塚が事故死したため、『男の娘☆ちゃんねる』は2014年1月に名称を『Trance Japan TV』と改め、トラニーチェイサー(トランスジェンダー愛好者のこと[378])番組として再スタートを切った[258]。『オトコノコ時代』は10号で終了となった[266]。「プロパガンダ」も2016年3月に9年間の歴史に幕を下ろした[207]。ブームのうち特に旧来の女装界隈が主体となっていたものについて、井戸は、報道と実情の乖離を肌で感じていたとし[379]、次のように振り返っている。
メディアってフィードバックがあるから、テレビでやってると「あ、女装流行ってるんだ、私たちめっちゃ来てるじゃん!」って感じになる人もいたから〔……〕。むしろ、ブームって言われてた頃に店舗がどんどん減っていったからね。 — 井戸 2020, p. 42
吉本は、しかし、三次元の「男の娘」は定着した印象があると述べている[5]。椿も、「NEWTYPE」が2015年時点で依然定期的にメディアで取り上げられていることなどを挙げ、「〔男の娘という〕存在の特異さにすっかり慣れてしまったのが、この2015年なのではないだろうか」と語っている[121]。
表3:約10年周期の流行(来栖)[59] | |
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1960年代 |
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1970年代 | |
1980年代 |
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1990年代 | |
2000年代 | 「男の娘」ブーム |
ブームが収束したことに関し、来栖は、「男の娘」的な文化はこれまでもおよそ10年おきに何度か発生し、その都度消えていったとし(表3)[380]、再来の可能性は充分にあると主張している[381]。三橋も、繰り返されてきた流行現象の「21世紀リニューアル・バージョン」が「男の娘」であると語っている[309]。井戸は、ブームが再来する可能性はないと見ているが[60]、来栖・三橋らと同様に同じものが形を変えて反復しているという認識は持っており、「男の娘」的なものは今後も存在し続けると推測している[273]。吉本は、今後再びブームになる可能性があるとすれば、ショタが「男の娘」に変化したように、別の要素が加わることでまた新たな性的愛好の対象が作られたときであろうと予想している[382]。
評価・影響
二次元
主として美少女キャラクターを礼賛・消費してきたオタク文化は、2000年代において、徹底してフェミニズム[250]、あるいはバブル的恋愛観[383]からの批判を受け続けてきた。そのさなかに「ロリ」「ツンデレ」「先輩」「妹」などと並ぶ萌え属性として登場した[384]「男の娘」は、「少女」ではなく「少年」のキャラクターであるという点において強い衝撃をともなうものだった[250]。オタク男性たちは、少女を欲望の対象とすることから脱却しつつあるものと受け取られたのである[250]。泉は、「こんな可愛い子が女の子のはずがない」(=男の子だからかわいい)といったような常識の逆転そのものが、知的な興味の対象にされたのではないかと考察している[3]。第一に提示された魅力は既成概念からのギャップであった[164][385][386][52][387]。批評家の石岡良治は、「男の娘」が登場するライトノベル・アニメのハーレム作品では、そのキャラクターがヒロインたちの誰よりもかわいいという設定が定番になったように思えると述べている[388]。
しかし水野・樋口、美術評論家の暮沢剛巳らは、実際にはこの表象は「ツンデレ」や「妹」を愛好してきた従来のオタク文化の延長として出現したものに過ぎず、オタク男性たちの性的嗜好に本質的な変化が生じているわけではないと指摘している[389][390][250]。斎藤も、「男の娘」がブームになったことは別段驚くほどのことではないとし、次のように語っている。
別にゲイが増えたってワケじゃない。そもそも萌えの基本文法は「ギャップ」でしょ。〔……〕こういう「ギャップ」にはいろんなものがあるけど、やっぱり「性」に関するものが最強、ってこと。
—斎藤 2015, p. 205
泉は、(三次元も含め)「男の娘」という言葉が用いられているとき、実は「女子に見えるという状況とは何か」こそが問われており、「男の娘」は「女子(美少女)とはこういうものだ」という強い規範・理想の上に成り立っていると主張している[3]。
オタク男子に対してインタビュー調査をおこなった水野は、「分かりあえて、楽で、かわいくて、癒やされる」タイプの「男の娘」が支持を得ていることの背景にミソジニーやホモソーシャリティ(同性間の社会的絆)があると推測している[391][40]。『バカテス』を読んだ樋口の感想も同じである。三橋が指摘したような社会状況において、百合の影響を受けた少女に「なりたい」という欲望は、樋口によればオタク文化では客体化される方向で支持を集めた[392]。木下秀吉は主人公に好意を持っているが、あくまでコメディとして描かれる[393]。そこには同性愛ではないというメッセージが込められており、ホモフォビア(同性愛嫌悪)を回避していると樋口は指摘する[393]。秀吉は、従来の美少女キャラクターと同じように、ホモソーシャルな男性読者共同体の中でコミュニケーションのネタとして消費されているというのである(ミソジニー)[393]。オタク男性たちは「男の娘」の内面まで踏み込まず、安全な場所からキャラクターを消費していると樋口は言い、そのような読者層をターゲットにする以上、創作の表現も制約を受けざるをえず、「男の娘」表象には自ずと限界があると指摘している[393]。吉本・暮沢なども同様の趣旨を述べている[394][389]。水野は、そのような「男の娘」が受け容れられたにあたり、決定的な役割を果たしたのは「かわいい」であるとし[395]、次のようにまとめている。
ミソジニー、ホモソーシャリティ、ヘテロセクシズム、ホモフォビアを、女性の媒介なしに同時に成立させ、既存の秩序の枠内にきっちりと収めているのだから〔本当は男でも問題ない〕。近代のジェンダー秩序から一歩も踏み出すことなく、コミュニケーションと性の問題を一挙解決したい、その願いを叶えるアクロバットな装置が「男の娘」なのだ。
—水野 2015, p. 201
対して堀は、2016年の『ひばりくん』に関する論稿の中で、男性読者の欲望は異性愛の単なる延長ではないという見方を示している[396]。作者の江口はラブコメに対するアンチテーゼとして『ひばりくん』を描いた[59][397]。男性読者の異性愛規範とホモフォビアにより、主人公と大空ひばりの関係はギャグとして笑い飛ばされるはずであった[398]。堀はしかるに、読者は『ひばりくん』を純粋にラブコメとして楽しんでいたと分析し[399]、大空ひばりの「かわいい」には規範意識を攪乱するほどの威力があったと述べている[400]。泉も、恋愛ものの「男の娘」作品の一般として、発動するホモフォビアを「かわいい」が乗り越えさせると述べている[401]。吉本は、アダルトゲームに関し、その表現の幅が広がるにつれ、「男の娘」が直接性愛の対象として描かれるようになったと述べている[402]。吉本は、女性もまた「男の娘」を性的にまなざす主体になっているとし[403][注 28]、ボーイズラブでいうところの「性別受」と「男の娘」の類似を指摘している[405]。
ライトノベルのキャラクターを調査した久米は、客体としての「男の娘」(代替少女型)と、主人公が女装する「男の娘」(ここでは「主人公型」と呼ぶ)を区別することの必要性を訴えている[406]。代替少女型(楠幸村、木下秀吉など)においてはギャップが旧来のジェンダー秩序を補強している一方[407]、主人公型(瀬能ナツル、白姫彼方など)においてはミソジニーではなくミサンドリー(男性嫌悪)が観測されるというのである(表4)[408][393]。久米は、男子読者の女装して少女コミュニティの一員になりたいという願望は、「少女に全肯定されたい少年の自己愛物語」と批判されるようなセカイ系や、「男性は女性をリードするべきだという規範を、男性自らが忌避する傾向」を(同様に)示すような戦闘美少女などとテーマが一致すると指摘している[409]。
タイプ | 代表的なキャラクター | ルーツ | 分析 |
---|---|---|---|
代替少女型 |
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『ひばりくん』[410] | ジェンダー秩序の強化 |
主人公型 |
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百合→『おとボク』[154] | ミサンドリー |
「男の娘」[17]の内面を描いたものと認知され、高く評価されている作品も存在する。例えばふみふみこ『ぼくらのへんたい』(2012年)は異なる理由で女装している3人の少年を詩的に描いた群像劇であり[411]、川本・来栖・井戸らにより特筆すべき作品と見なされている[411][412][413]。『放浪息子』(前述)は、性別に違和感を抱く2人の少年少女を中心に、思春期の悩みや難しい友人関係を描き出した作品であり[414]、「萌え」やコメディしかなかったそれまでの女装少年コミックとは一線を画すと評されている[415][411]。泉は恋愛作品に関し、「多様なメンタリティで描かれる男の娘は、その感情の動きの複雑さこそが読む魅力となる」と述べている[36]。
樋口は、自身の上述の批判にもかかわらず、「男の娘」表象が崩壊しつつあるマチズモから生じてきていることは確かであるとし、単に少女を賛美していた段階から百合文化を経て「男の娘」の段階まで到達したことは、「異性愛制度が〔我々に〕強制する規範を克服していく過程」として肯定的に捉えることができると評価している[416]。吉本も、特に二次元の「男の娘」により「男でもかわいければよい」「むしろ男だからよい」という考えが広まったとし、同性愛を無条件に忌避していた状況に変化が現れたことを歓迎している[5]。
「男の娘」という言葉が成立し、拡散していく過程において、二次元の「男の娘」が果たした役割とは何だったのだろうか。それは、「男の娘〔男性・男性の身体〕も性的に愛好される対象である」ことを示したことであった。
—吉本 2015, p. 221
樋口は、現代の男性たちの女性ジェンダー化が、彼らにとり他者への想像力を広げる契機になっているとし、#多様な他者との関係性が描かれる「男の娘」作品群にもそうした要素が明らかに見いだせると述べている[416]。
三次元
三次元の「男の娘」の出現は、二次元のイメージの具現化として注目を集めたと同時に[14]、女装者に対する世間の印象を動かした[418]。それ以前、日本人が女装男性と聞いて多く思い浮かべるイメージは、テレビ番組に出演する、ステレオタイプなオネエタレントの類いであった[418]。「男の娘」はそこへ、例えば大島・あしやまが「最初から個人個人で判断するべきじゃないかなと思うんです」[419]「純粋にありのままの思い」[420]などと語るように、「自分はあくまで自分」という主張とともに登場し、既成の構造に組み入れられない新しい存在となった[418]。従来の女装コミュニティは30代・40代が中核であったが、「男の娘」には若年層が多い[337]。10代から20代が多く、30代以降は少ないという[337]。また「男の娘」は、川本[30]・橘[31]のような包括的な立場もあるが、魔北[421]・佐伯[422]・西原[29]・あしやま[423]らが注意するように、またジェンダー・セクシュアリティ研究者の石井由香理が2017年に報告しているように[424]、その女装が身体改造を伴うことは少ないとされる。コスプレ女装のクオリティは「男の娘」ブームの到来で大きく変わった[425]。
映像外部リンク | |
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メーク女子高生のヒミツ - YouTube 2015年の資生堂のCM。女子高生たちがくつろいでいる教室の光景がリバースで再生される。化粧・ウィッグ・スカートを着ける前の姿が段々と浮かび上がってくる。最後は「だれでもカワイクしちゃいます。」というキャッチフレーズで締めくくられる[426]。 | |
メーク女子高生のヒミツ メイキング映像 - YouTube |
1960年代に始まった男性向け化粧品の市場は、2010年代に急速な拡大を遂げた[427]。リクルートライフスタイルが2018年におこなった調査によれば、10代・20代の男性の約10%が、日常的にファンデーションを購入するようになっている[428][429]。各種化粧品の使い方が解説された『完全女装マニュアル』(2014年、三和出版)が「男の娘」たちのバイブルになっているという報告があるように[427]、服装だけでなく化粧もまた重要な女装技術であり[430][427]、「男の娘」は化粧品各社がこの市場を開拓していった上で重要な役割を果たしていた[427]。Kinsellaは、2015年10月に放映された資生堂のウェブCMを、「男の娘」のジェンダー曖昧性の、商業利用における完璧な結晶と評している[427]。
三次元の「男の娘」を愛好するのは主に女性であるという。「NEWTYPE」の客層も女性が多い[188]。『セックスペディア』によれば、女性たちにとり「男の娘」は、①人形のように愛でてかわいがる対象であり、②気の合う同性の友人のような存在であるという[431]。彼らの魅力のひとつとされているのはやはりギャップである。大島が解説するには、女装のレベルを上げて、女性性を高めすぎてしまうと、「男の娘」ならではの魅力が損なわれてしまう。そこで言葉遣いを男らしくするなどの工夫が行われるという[432]。井戸によれば、大島の女性ファンの多くは腐女子であるという[433]。
タイプ | 説明 |
---|---|
フェティシズム型 | 女性の衣服や化粧に性的に執着している。 |
ナルシシズム型 | 自分の女装した姿に性的に興奮する。 |
女装ゲイ型 | 性的指向が同性愛であり、男性の気を引くために女装する。 |
性別違和感型 | 自分の性別に違和感を抱いており、一時的に女性としての自分を実体化する。 |
性同一性障害型 | 性同一性障害の診断を受けており、日常的に女装している。 |
タイプ | 説明 |
---|---|
性的欲求解消型女装 | 自らを女性だと思い込むことにより性的に興奮する(オートガイネフィリア)。 |
自己陶酔型女装 | ニコニコ生放送やTwitterなどで女装姿を公開する。 |
女装している自分が本当の自分だと感じる型 | トランスジェンダー女性の多くは、性転換をする前に女装を経験する。 |
自己表現型女装 | 自己表現のひとつの形・コスプレとして女装する(ドラァグクイーンなど)。 |
誰かのために女装をする型 | 一部のゲイは、パートナーの好みに合わせて女装する。 |
性別なんて糞喰らえ型 | Xジェンダーやトランスジェンダーの一部は、性自認に関係なく女装を楽しむ。 |
「男の娘」と、ゲイやトランスジェンダーといった性的マイノリティの内面の違いはどのようなものだろうか。まず、女装者の分類としては、三橋(表5)[434]や、雑誌『季刊性癖』を発行している「水の人美」「まゐ」(表6)[435]によるものなどがある。三橋によれば、従来のコミュニティに集っていた女装者の大部分は「性別違和感型」に該当するという[436]。
一方佐伯は、上述したように「男の娘」が性別越境を目的としたものとは見ていない[437]。Kinsellaは、2015年の大島のインタビュー記事における「男の娘にはなんとなく女性的なかわいらしさを求める風潮があるわけですが〔……〕「かわいい」というのはあくまでも女性的であることになるのかどうなのかという問い返しをそこに見ることもできます。男の娘独自のかわいさというものはありうるのか、それはもしかすると男性のかわいさを逆照射しているのかもしれませんが」(大島 2015, p. 97)というインタビュアーの質問[注 29]を特に引用している(「男の娘」とは、必ずしも女性的ではない純粋な「かわいさ」への欲望なのではないか)[438][439]。あしやまは、秋葉原に主として集う女装者については、その有する傾向は「自己陶酔型(ナルシシズム型)」「自己表現型」、あるいは「フェティシズム型」「性的欲求解消型」ではないかと考察している[440]。
「男の娘」と新宿女装コミュニティの女装家が異なる社会的階層に属していることは、「女装家は金持ちです。彼らには仕事があります。」(2015年、埼玉県在住の「男の娘」)という、当事者の発言からもうかがえる[441]。Kinsellaは、三次元の「男の娘」に関するいくつかの資料や証言から、特に代替のキャリア・生計の手段として女装している人々の中には、起業家精神旺盛で挑戦的な大卒者だけでなく、社会的に明らかに恵まれていない層が多く含まれているように見えると報告している[442]。Kinsellaは、特にお嬢様的なコスチュームが「男の娘」たちの人気を集めているといい、その背後には彼らの贅沢願望があるのではないかと指摘している[443]。Kinsellaは、長引く不況、恋愛・結婚・育児という人生からの排除という文脈において、「男の娘」やその他のクィアな存在になることは、当事者たちの性的指向と必ずしも関係することなく、新たな将来へ踏み出すための現実的な選択肢のひとつになっているとし[42]、心理的な生存と経済的な生存を両立させることが重要であろうと論じている[444]。
複数の専門家が「男の娘」たちの承認欲求に言及している[229][29][445][304]。吉本は、三次元においても、「消費する男性>消費される「男の娘」」という不均衡の存在が無視しがたいであろうと述べているが[5]、井戸によれば、消費されることで承認欲求が満たされている当事者も少なくない[446][447]。田中は、三次元の女装には、それがコスプレによるものであっても、「かわいがられたい」という欲望の表出を見ることができるとし[448]、「フェミニスト的な立ち位置からすると〔一見〕アンビバレントな解決策であるように思え」ると評している[340][449]。佐伯は、三次元の「男の娘」を「男女平等のゆがんだ方向の一つ」と問題視しており[343]、女装してリラックスしたいという欲求の発露であろう「男の娘」の出現を、ジェンダーフリーな社会の到来として素直に喜ぶことはできないと警告を発している[230]。大島は、ギャップが魅力となる「男の娘」という言葉や概念自体が、男と女の「究極の性別二元論」なのではないかと語っている[450]。
「バ美肉」との類似性
2018年ごろ以降[7]、美少女キャラクターをアバターとして用い、ネット配信において少女を演じる男性たちが登場した[451]。彼らは二次元美少女キャラクターの「肉体」を得た「バーチャル美少女受肉」、略して「
新語・流行語大賞
「男の娘」は、2010年の新語・流行語大賞にノミネートされた[261][199]。なお、2014年には「女装子」もノミネートされている[web 3]。
商標問題
「男の娘」を自社商品・サービスの商標として登録しようとする動きがある。2010年7月に、電子書籍の販売などを手掛ける未来少年という企業が「男の娘」を商標出願していたことが判明し、登録されれば「男の娘」という語を名称に含んだ商品を他社が自由に出せなくなるという懸念の声があがった[web 7]。結果としてこの出願は拒絶されたものの(表7)、今度は2011年9月に[453]、「男の娘COS☆H」から改称した[203]「男の娘☆コンベンション」の関係者が、即売会イベントの名称である「男の娘☆」を商標登録していたことが判明する[453][49]。やはり「占有」であるとみなされ、批判を呼んだが[49]、「男の娘」そのものが登録されたわけではなかったことなどから、騒動は収束に向かった[375]。
その後2020年になり、「男の娘」が商標登録されたことが報じられた[web 8]。「NEWTYPE」の運営会社によるもので、商標区分は「飲食物の提供」であった[web 8]。2020年現在[update]、名称に「男の娘」を掲げる店舗が関東圏と大阪に複数存在しており、それらに影響が及ぶ可能性が指摘されている[web 8]。
出願番号 | 登録番号 | 商標 | 区分 | 出願/権利者 | 出願日 | 登録日 | 状態 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2010-033669 | — | 男の娘 | 電子コミックなど | 未来少年 | 2010年4月27日 | — | 拒絶 |
2010-043337 | 5437080 | 男の娘☆ | 同人誌即売会など | 旧・男の娘COS☆H | 2010年6月1日 | 2011年9月9日 | 満了 |
2018-090210 | 6202025 | 男の娘 | 飲食物の提供 | NEWTYPE | 2018年7月12日 | 2019年11月29日 | 存続 |
年表
年 | サブカルチャー | 社会 |
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1981年 |
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1986年 |
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1987年 |
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1988年 |
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1989年 |
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1991年 |
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1992年 |
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1994年 |
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1995年 |
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1996年 |
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1997年 |
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1998年 |
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1999年 |
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2000年 |
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2001年 | ||
2002年 |
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2003年 |
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2004年 |
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2005年 |
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2006年 |
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2007年 |
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2008年 |
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2009年 |
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2010年 |
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2011年 |
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代表的なキャラクター・人物
二次元のキャラクター
以下に、専門家により「男の娘」と評されたキャラクターのいくつかを挙げる。ただし、前述したとおり、「男の娘」の厳密な定義・認識は論者により異なっている上、一部では「用語自体はここ10年ほどの間に広まった比較的新しいものだが、指示対象となる存在自体は、マンガ史的にはもっと遡ることができる。〔……〕「男の娘」という概念を拡張し、過去の作品をも遡及的に含み込んでいくことは適切ではない。」(日高 2015, p. 158)・「時代で区切るならば「ゼロ年代以降」」(永山 2015, p. 153)といったように、登場年代も判断の材料となっている。
キャラクター | 作品名 | 作品種別 | 発表年 | 論者 |
---|---|---|---|---|
大空ひばり | ストップ!! ひばりくん! | 漫画 | 1981年 | |
有栖川桜 | バーコードファイター | 漫画 | 1992年 | |
ブリジット | GUILTY GEAR XX | ゲーム | 2002年 | |
二鳥修一 | 放浪息子 | 漫画 | 2002年 | |
綾崎ハヤテ | ハヤテのごとく! | 漫画 | 2004年 | |
宮小路瑞穂 | 処女はお姉さまに恋してる | アダルトゲーム | 2005年 | |
渡良瀬準 | はぴねす! | アダルトゲーム | 2005年 | |
衹堂鞠也 | まりあ†ほりっく | 漫画 | 2006年 |
|
木下秀吉 | バカとテストと召喚獣 | ライトノベル | 2007年 | |
白姫彼方 | おと×まほ | ライトノベル | 2007年 | |
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オトコのコはメイド服がお好き!? | メディアミックス | 2008年 |
|
藍川絆 | プラナス・ガール | 漫画 | 2009年 | |
秋月涼 | THE IDOLM@STER Dearly Stars | ゲーム | 2009年 | |
漆原るか | STEINS;GATE | ゲーム | 2009年 | |
國崎出雲 | 國崎出雲の事情 | 漫画 | 2010年 |
|
有川ひめ | ひめゴト | 漫画 | 2011年 |
専門誌『わぁい!』(2010年4月24日 - 2014年2月25日)では、読者アンケートに対する回答に基づき、「男の娘」キャラクターの人気ランキングを作成していた。設問は「好きなオトコの娘キャラクターを一人お書き下さい」であり、読者が任意に記入して回答する方式であった[471]。全15回中、第1回から第10回(2010年4月24日 - 2012年8月25日実施分)までの回答の総集計がなされており、次のような結果になっている[472]。
順位 | キャラクター | 作品(※印は同誌掲載作) | ポイント |
---|---|---|---|
1 | 木下秀吉 | バカとテストと召喚獣 | 2,648 |
2 | 藍川絆 | プラナス・ガール | 2,524 |
3 | 渡良瀬準 | はぴねす! | 2,104 |
4 | 宮小路瑞穂 | 処女はお姉さまに恋してる | 1,760 |
5 | 秋月涼 | THE IDOLM@STER Dearly Stars | 1,543 |
6 | 海堂愁 | リバーシブル! ※ | 1,367 |
7 | 綾崎ハヤテ | ハヤテのごとく! | 1,139 |
8 | 泥門小紅 | ひみつの悪魔ちゃん ※ | 1,022 |
9 | 國崎出雲 | 國崎出雲の事情 | 862 |
10 | 白姫彼方 | おと×まほ | 851 |
11 | リオ | オトコのコはメイド服がお好き!? | 782 |
12 | 妃宮千早 | 処女はお姉さまに恋してる 2人のエルダー | 635 |
13 | 衹堂鞠也 | まりあ†ほりっく | 617 |
14 | トモ | オトコのコはメイド服がお好き!? | 599 |
15 | 二鳥修一 | 放浪息子 | 575 |
16 | 漆原るか | STEINS;GATE | 533 |
17 | 有川ひめ | ひめゴト ※ | 511 |
18 | ユキ | オトコのコはメイド服がお好き!? | 499 |
19 | ことりちゃん | WORKING!! | 457 |
20 | 月宮林檎 | うたの☆プリンスさまっ♪ | 347 |
三次元の人物
公の場で最初に「男の娘」を名乗った三次元の存在はいがらし奈波と目されている[219]。三橋は2012年の時点で、モカ・佐藤かよ・井上魅夜らを三次元の「男の娘」として挙げている[473]。田中は、2015年時点における代表例として大島薫や加茂碧唯の名前を挙げている[311]。堀・Kinsellaも、大島が「男の娘」の代表例であるとしている[474][475]。あしやまひろこは、筑波大学学園祭の男女合同ミスコン「TSUKUBAN BEAUTY 2011」に初音ミクのコスプレで出場して優勝し、一躍有名になった人物である[223]。2015年の論稿において、普段は女装者を名乗っているものの、マーケティングの都合で自身を「男の娘」と称することがあると述べている[476]。
日本以外の国・地域における「男の娘」
欧米
「男の娘」は欧米[19]へも波及し、永山の報告するところによれば「男の娘」ファッション「Blolita」などというジャンルが新たに作られた[330]。魔北は、従来外国(欧米)に三次元の「男の娘」に相当する概念は存在しなかったと語っている。
多分日本の男の娘が向こう行くとハアッ!? とか言われますよ。シシーボーイでもトランスベスタイトでもシーメールでもない、じゃあ何なの? って言われても男の娘としか言いようがないんですよ。綺麗な少女としての自分になりたい、でも男という性は捨てたくない、ということでかなり特殊なんですよね。 — 魔北 2011, p. 163
二次元では、女性のように見える男性キャラクターについて「Trap」という英語があり、日本の「男の娘」を「Japanese Trap」と呼ぶ動きがあった[web 9]。異性愛者にとってそういうキャラは罠で、それにハマってしまったいうニュアンスがある[web 10]。『女装山脈』の後継作『女装神社』(2019年、の〜すとらいく)は、日本語版と同時に英語版・中国語版も発売されており[web 11]、英題は『Trap Shrine』となっている[web 10]。
一方で、この言葉には現実のトランスジェンダーやジェンダーが一致しない人々の心情を傷つけている(トランスフォビア)のではないかという懸念がつきまとっていた[web 9]。2020年8月、アメリカの掲示板サイト・Redditのアニメコミュニティのひとつは、その反差別規定に基づき「Trap」の使用を禁止するとし、コミュニティに対し、Femboy、Tomgirl、Crossdresser、Josou(女装)、Cutieのほか、Otokonokoなどで代替するよう通告した[web 9]。
2022年8月、GUILTY GEARシリーズの新作『GUILTY GEAR -STRIVE-』(2021年)にブリジットが登場し、各国で再び話題を呼んだ[web 12]。新たなブリジットはトランスジェンダーの女性とも受け取れるように描き直されており、欧米では「彼女」が「Trap」のような差別的呼称から解放されたというような論調で取り上げられた[web 12]。これに対し日本からは、「LGBT云々って枠組みがあるせいで、逆に自由を失ってる感じはある」などと、アーク社がポリティカル・コレクトネスに配慮したために「男の娘」の表現の幅が狭まってしまうといった懸念の声があがっている[web 13](詳細は「ブリジット (GUILTY GEAR)」を参照)。
中国
中国語で「男の娘」に相当する言葉は「
ところが「偽娘」は広く知られるにつれ、「男らしさ」の中国文化を揺るがすものとして警戒されるようになった。当初好奇の目を向けていたメディアも批判的に報じるようになり[479]、中国当局は映像作品における男性出演者の「偽娘」化の傾向を問題視するようになった[web 14]。2021年9月、国家ラジオテレビ総局は芸能界の管理統制を強化する通達を発表し、男子のジェンダーレスなイメージの発信を禁止する方針(限娘令)を明確にした[web 15]。同月、当局の要請を受けた中国出版工作者協会遊戯工作委員会(GPC)と、テンセントやNetEaseを含む213の同国オンラインゲーム事業者は、「娘炮(女性的な男性)」や「耽美(ボーイズラブ)」などを自主規制の対象とするガイドラインを発表した[web 16]。当局が教育やエンターテインメント業界への規制を進めていることには、国内外から「文化大革命の再来」との批判が上がっている[web 17]。
脚注
注釈
- ^ 例えば、つむらちたの漫画作品『僕男のコだよ?』(2016年、ミリオン出版)。
- ^ 例えば、ぽむの漫画作品『先輩はおとこのこ』(2019年、LINEマンガ)。
- ^ 例えば『迷elleオトコノ娘』というオリジナルアニメの企画が存在した[1]。
- ^ 例えば、ショタアンソロジー『男娘の子 HEAVEN』(2007年、司書房)。
- ^ 「おとこのむすめ」と読む場合もあるとされる[web 1]。
- ^ a b 調査対象は、朝日新聞・読売新聞・Web OYA-Bunko(2006年 - 2014年)[5]。
- ^ 例えば、川本直『「男の娘」たち』(2014年)のまえがきには次のように記されている。敢えて本書を『「男の娘」たち』と名づけた。さもなければ、あの忌まわしい「オカマ」という差別用語を使わざるをえなくなる。言わば、苦肉の策である。〔……〕また、本書では、必要に迫られない限り、ニューハーフという言葉の使用を控えた。〔……〕今では蔑称に成り代わっているからだ。 — 川本 2014, p. 3
- ^ 『オトコの娘のための変身ガイド』『わが輩は「男の娘」である!』『男の娘☆ちゃんねる』および(2012年時点の)ウィキペディアの本項目[32]。
- ^ 「男の娘」を自称する女装者も存在する。そのような場合は、「自身の「目」を外側に移動させた「自己評価」」ということになろうと泉は補足している[36]。
- ^ ぶどううり・くすこの説[94]。
- ^ 吉本 2015, p. 222で提示されたURLを参照し、タイトルの一部に修正を加えた。
- ^ 「鰤」は同人誌コミュニティにおけるブリジットの愛称[120]。「計画」の由来はファッションブランド「PINK HOUSE」の愛好者が集う「ピンクハウス計画」である[121]。
- ^ 例えば、後述する『オンナノコになりたい!』の著者・三葉と、編集者・土方敏良は、ともに「計画」で女装をしていた。2人の出会いが同書の出版に繋がった[125]。
- ^ a b 久米 2013, p. 77によれば2004年。
- ^ なお吉本は「ただしこれは一つの例であり、他にも多数の「男の娘」のあり方が存在する」と括弧書きで断っている[156]。
- ^ 同時期には、女装ファン向け専門ブランドCatear・CAGEなども作品を発表しており、宮本はこれらが女装ものの人気を側面から支えていたと分析している[110]。
- ^ 続編の『オンナノコになりたい! コスプレ編』と合わせ、2010年時点で5万部以上を売り上げた[179](三葉 & 土方 2010, pp. 182–184なども参照のこと)。
- ^ 売り上げは1万5千部以上、シリーズ全4冊で6万部[181]。
- ^ 井戸 2015, p. 184によれば1万数千部。川本 2014, p. 76によれば1万部以上。マニア誌の増刷というのは当時はほぼなかったという[202]。
- ^ 写真集には『女々男子〜綺麗な男の娘は好きですか〜』『女々男子∞』『ゆりだんし』など[212]。『ゆりだんし』は1万部弱が発行された[17](Kinsella 2019, p. 442なども参照のこと)。DVDには『男の娘DVD〜実は私達、男の娘なのです。〜』『男の娘DVD2〜男の娘×男の娘〜』など[212]。来栖は、ブームにおけるそのほかの現象として「男の娘向けメイク講座」「男の娘向けグッズネットショップ」などがあったと報告している[199]。
- ^ 雑誌メディアの初出は、例えば月刊誌『サイゾー』(2009年10月)など、新聞よりも早い[230]。
- ^ 佐伯 2015, p. 80は2010年4月1日付けとしているが、誤記である。
- ^ 隣接する領域、特に性転換ものも活性化した。吉本は少年画報社のアンソロジー『チェンジH』(2009年 - 2014年)を例に挙げている[108]。
- ^ 東浩紀は、永山が「男の娘」ブームを予言していたと述べている。ロリコンマンガの読者がじつは犯す男性ではなく犯される幼女に同一化しているのではないかとの指摘〔永山 2014〕は、のちの「男の娘」ブームを予告するものとも言え重要である。 — 東浩紀、同書の解説(pp. 367-368)
- ^ 吉本の本文は2009年を42本としているが、吉本の調査方法に則って検討し、吉本のグラフの数値を採用した。
- ^ 椿は2011年を35本と報告しているが、同年半ばに発行された資料であるため記載を省略した。
- ^ 吉本のグラフの横軸は2008夏と同冬の順序が入れ替わっており、グラフの数値と共に修正した。
- ^ 水野も、女性の「男の娘」ファンが存在する点に関しては検討を要するとしている[404]。
- ^ Kinsellaは大島の発言として紹介している[438]。ただし大島は肯定的な趣旨の回答をしている[432]。
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- Rössler, Patrick, ed (2017-03-06). The International Encyclopedia of Media Effects. John Wiley & Sons, Inc.. ISBN 978-1118784044
- 宮本直穀『エロゲー文化研究概論』(増補改訂版)総合科学出版、2017年4月25日。ISBN 978-4881818596。
- 石岡良治『現代アニメ「超」講義』PLANETS/第二次惑星開発委員会、2019年6月21日。ISBN 978-4905325130。
- 『マンガで振り返るオトコノコ10年史』三和出版〈三和ムック〉、2020年9月17日。ISBN 978-4776923350。
- 井戸隆明(聞き手:編集部)「『オトコノコ倶楽部』創刊編集長・井戸隆明に聞く」、11-46頁。
- 「女装美少年たちが美少女化した時代背景」、47-65頁。
- Wong, Irwin, ed (2022-05-03). The Obsessed: Otaku, Tribes, and Subcultures of Japan. Die Gestalten Verlag. ISBN 978-3967040081
- Kinsella, Sharon. “OTOKO NO KO(オトコの娘)”. 190-195.
- 岡田斗司夫 編『国際おたく大学:1998年 最前線からの研究報告』光文社、1998年7月1日。ISBN 978-4334971823。
- (雑誌)
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- 「第29回アニメグランプリ 結果発表!」『アニメージュ』2007年6月号、徳間書店、2007年5月10日、7-31頁、全国書誌番号:00031922。
- 森瀬繚「エロゲー人の基礎知識 Vol.13 “男の娘パラダイス!?”」『メガストア』2010年6月号、コアマガジン、2010年4月17日、73-78頁、全国書誌番号:01013812。
- 『わぁい!』Vol.1 - 16、一迅社、2010年4月24日 - 2014年2月25日、全国書誌番号:01027249。
- 「4月4日は男の娘の節句!?」『娘TYPE』2011年5月号、角川書店、2011年3月30日、57-61頁、全国書誌番号:01024078。
- 吉田博高、茶漬け「「萌え系」業界の“鬼才” 吉田博高(虎の穴社長)のアキバ見・聞・録⑨アキバの「カリスマ」突撃対談(4の巻 上)“男の娘”カフェ&バー NEWTYPEオーナー 茶漬けさん」『経済界』2011年10月4日号、経済界、2011年9月20日、82-83頁、NAID 40018963352、全国書誌番号:00006373。
- 「輝く!萌えゲーアワード2013」『BugBug』2014年7月号、マガジン・マガジン、2014年6月3日、147-153頁、全国書誌番号:01019126。
- 「ensemble×Navel×ぱれっとクオリア 女装主人公ヒミツの座談会」『BugBug』2016年12月号、富士見出版、2016年11月2日、149-155頁、全国書誌番号:01019126。
- (論文)
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- 岩井阿礼「性表現の主体としての女性:女性向け男性同性愛ファンタジーに見られる性役割葛藤と性役割多元化の試み」『Sociology today』第6号、お茶の水社会学研究会、1995年12月20日、1-12頁、NAID 40005205006。
- 三橋順子「「男の娘(おとこのこ)」なるもの:その今と昔・性別認識を考える」『日本文化研究』第10号、駒沢女子大学日本文化研究所、2013年3月、61-83頁、NAID 40019759731。
- 石井由香理「トランスジェンダーとクロスドレッサーの性の商業化と現状について」『人文学報』第513巻第1号、首都大学東京人文科学研究科、2017年3月17日、11-34頁、NAID 120006328055。
- Kinsella, Sharon (2019-11-27). “Cuteness, josō, and the need to appeal: otoko no ko in male subculture in 2010s Japan”. Japan Forum (British Association for Japanese Studies) 32 (3): 432-458. doi:10.1080/09555803.2019.1676289.
- Kinsella, Sharon (Fall 2020). “Otoko no ko Manga and New Wave Crossdressing in the 2000s: A Two-Dimensional to Three-Dimensional Male Subculture”. Mechademia Second arc (University of Minnesota Press) 13 (1): 40-56. doi:10.5749/mech.13.1.0040.
- Bredikhina, Liudmila; Giard, Agnès (2022-03-10). “Becoming a Virtual Cutie: Digital Cross-Dressing in Japan”. Convergence: The International Journal of Research into New Media Technologies (SAGE Publishing): 1-19. doi:10.1177/13548565221074812.
- (同人誌)
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- 吉本たいまつ『おとこの娘を考える。』みるく☆きゃらめる、2009年10月25日。全国書誌番号:21716596。
- 『『少女』文化の友』第5号、「少女」文化研究会、2011年、ISSN 1883-2776、全国書誌番号:01022566。
- 水野麗「「男の娘」好きの男の子についての考察」、31-45頁。NAID 40018735562。
- 『女装と思想』Vol.1、テクノコスプレ研究会、2013年8月11日、全国書誌番号:23173749。
- 水の人美、まゐ「「季刊性癖」出張版」、24-25頁。
- 吉本たいまつ『ショタアンソロジーを考える 1994-1999』みるく☆きゃらめる、2014年8月27日。全国書誌番号:22464221。
- 吉本たいまつ『Another Side of ショタアンソロジーを考える 1994-1999』みるく☆きゃらめる、2014年12月30日。全国書誌番号:22514617。
- 新野安、氷上絢一 編『〈エロマンガの読み方〉がわかる本5 特集:男の娘』夜話.zip、2022年8月13日。
- 七松建司(聞き手:新野安、氷上絢一)「七松建司 ロングインタビュー」、37-58頁。
- 新野安「男の娘に目覚めるためのブックガイド」、59-85頁。
- (新聞記事)
- (ウェブページ)
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- 脚注に記載した。
関連項目
外部リンク
- 女装&女体化キャラオンリーイベント「計画」公式サイト
- 「男の娘☆コンベンション」公式サイト
- 「男の娘カフェ&バー NEWTYPE」公式サイト
- 女装ニューハーフイベント「プロパガンダ」公式サイト - ウェイバックマシン(2015年7月8日アーカイブ分)
- TJTV -Trans Japan TV-(旧・男の娘☆ちゃんねる) - ニコニコチャンネル