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生田勉 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
生田 勉
2014年4月29日
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県玖珠郡玖珠町
生年月日 (1966-08-06) 1966年8月6日(58歳)
身長
体重
178 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • 亜細亜大学
  • 大学野球日本代表

生田 勉(いくた つとむ、1966年8月16日 - )は、大分県玖珠郡玖珠町出身の大学野球指導者。亜細亜大学職員・硬式野球部元監督。

経歴

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大分県の柳ヶ浦高校から1985年亜細亜大学に進学。大学では捕手として1年後輩の弓長起浩、2年後輩の小池秀郎高津臣吾川尻哲郎らの投手陣とバッテリーを組む。2年上に阿波野秀幸投手、佐藤和弘が、1年上に与田剛投手らがいた。4年時は主将。同期に中本浩北口正光らがいる。

1989年に大学卒業後、NTT東京でプレー。1年先輩与田剛とは大学以来社会人でも同じチームでプレーする関係が続いた。

1992年から母校の亜細亜大学硬式野球部のコーチを務めたのち、2004年から前任の内田俊雄に代わり監督に就任。

東都大学野球では6連覇を含む9回の優勝、明治神宮大会では3回、大学選手権1回の優勝がある[注 1][1]

2018年2019年日米大学野球選手権大会において日本代表監督を務めた[2]

教え子に松田宣浩東浜巨九里亜蓮嶺井博希薮田和樹山﨑康晃藤岡裕大木浪聖也頓宮裕真など多くのプロ野球選手がいる[1]

2023年春季リーグ戦後に体調不良にて辞任を表明した[3][4]

人物

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大学では「野球だけしていれば就職できる時代ではない」との考えのもと、部員たちには毎日日記を付けさせ、月に1冊の読書感想文を書かせるなど、野球以外の指導も行っている[5]

プライベートではDEEN池森秀一と親交がある[6]

脚注

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注釈

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  1. ^ 優勝回数はいずれも2022年春終了現在。

出典

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  1. ^ a b 我慢を学んだ1年間/亜大・生田勉監督2”. 日刊スポーツ (2018年10月25日). 2019年10月18日閲覧。
  2. ^ 大学野球・日本代表監督に生田勉氏”. 毎日新聞 (2018年1月19日). 2019年10月18日閲覧。
  3. ^ 亜大・生田勉監督が退任 「精神的にも体力的にも限界に近い状態」…大学が発表」『Full-Count』2023年6月14日。2023年6月14日閲覧。
  4. ^ 硬式野球部生田勉監督の退任について”. 亜細亜大学 (2023年6月14日). 2024年9月18日閲覧。
  5. ^ 選手の自主性を重んじる全力疾走野球で"戦国東都"を制覇”. 季刊むさしの ナンバー97 2011年冬号. 武蔵野市 (2011年). 2019年10月18日閲覧。
  6. ^ 【東都】亜大・小山翔吾が異例の転身…DEEN池森プロデュースで歌手デビュー”. スポーツ報知 (2017年12月29日). 2022年2月20日閲覧。