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第二次世界大戦の枢軸国指導者たち

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
昭和日本のプロパガンダポスター。1938年の三大枢軸国の政治的指導者であるアドルフ・ヒトラー近衛文麿ベニート・ムッソリーニを示している。

第二次世界大戦の枢軸国指導者たちは、大戦のあいだ政治的・軍事的に重要だった。1940年の日独伊三国同盟の調印によって設立された枢軸国は、強い軍国主義民族主義イデオロギーを追求しつつ反共産主義を方針としていた。戦争の初期には、占領された国々に傀儡政権が作られた。終戦時には、それらの多くが戦争犯罪の裁判にかけられた。主な指導者たちはドイツのアドルフ・ヒトラー、イタリアのベニート・ムッソリーニ、日本の裕仁〔昭和天皇〕だった[1][2]。連合国と異なり、枢軸国の主な政府首脳は合同会議をしなかったが、ムッソリーニとヒトラーは定期的に会っていた。

第三帝国ナチス・ドイツ

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アドルフ・ヒトラー:オーストリア出身で国民社会主義ドイツ労働者党の指導者

ファシスト・イタリア

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イタリア王国(1940–1943)・イタリア社会共和国(1943–1945)
ベニート・ムッソリーニ首相総帥ドゥーチェ〕、国家ファシスト党〔国家結束主義党〕指導者

大日本帝国

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裕仁日本天皇、1926年から1947年まで日本大元帥だった。
東條英機総司令部統制派〕の指導者、1941年~1944年まで日本首相
  • 裕仁(死後は昭和天皇として知られる)は、1926年から1989年に死亡するまで天皇であり、三大枢軸国(第三帝国、ファシスト・イタリア、大日本帝国)において最後まで生き残った最高指導者だった。彼は半神半人的な最高指導者現人神〕と見なされていた。1937年から1945年までの大本営司令官であり、1936年には石井四郎細菌研究部隊〔731部隊〕の増強を勅令で指定した[3]。一部の著者らによると、裕仁はその勅令と同時期に化学・細菌兵器の使用管理を担った[4]。裕仁の将軍たちが全責任を負い、連合国軍最高司令官総司令部(SCAP)により、裕仁および皇室全員が犯罪訴追を免除された。
  • 近衛文麿は1937年から1939年、1940年から1941年まで首相を務めた。『国体の本義』(1937年)、中国侵略〔日中戦争〕に際して軍部に協力し、国民精神総動員聖戦貫徹議員連盟大政翼賛会を開き、国家総力戦運動を推進した。近衛は西洋〔オクシデント〕列強との戦争に反対していた。GHQから戦争責任を追及されることをおそれ、1945年に自殺した。
  • 東條英機は1936年から1944年まで最高軍事指導者であり、1941年から1944年まで首相だった。日本・ドイツ・イタリア間における日独伊三国同盟の強力な支持者だった。彼は近衛文麿内閣の陸軍大臣を経て1941年10月、天皇により首相に選任された。西洋列強に対する主戦派だった東條は、一党独裁体制を作るために大政翼賛会を強化した。1944年7月、サイパンの戦いでの敗北責任をとって辞任し、東京裁判で死刑宣告され処刑された。
  • 小磯國昭は、1944年から1945年4月まで首相を務めた。中華民国との和平交渉に努めたが失敗し、総辞職を行った。
  • 鈴木貫太郎は、1945年4月から8月まで首相を務めた提督〔海軍大将〕。穏健派の重臣であったため、天皇の希望により就任した。ソ連等を介し、条件付き終戦を求めて対米交渉に努めたが、最終的に1945年8月15日の連合国に対する無条件降伏に同意した。

関連項目

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出典

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  1. ^ Ferro, Marc (February 15, 2007). Ils étaient sept hommes en guerre. Robert Laffont Group. ISBN 978-2221100943. https://books.google.com/books?id=V_wLxBnhWNIC 
  2. ^ Burleigh, Michael (January 1, 2010). Moral Combat: A History of World War II. Harper. ISBN 978-0007195763. https://books.google.com/books?id=RkveuqxhOfEC 
  3. ^ Daniel Barenblat, A plague upon humanity, 2004, p.37.
  4. ^ Yoshiaki Yoshimi, Dokugasusen Kankei Shiryō II, Kaisetsu(Materials on Poison Gas Warfare), 1997, pp.25–29., Herbert P. Bix, Hirohito and the Making of Modern Japan, 2001