第203飛行隊 (航空自衛隊)
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第203飛行隊 | |
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第203飛行隊のF-15J | |
創設 | 1964年6月25日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 航空自衛隊 |
所在地 | 北海道千歳基地 |
編成地 | 北海道千歳基地 |
通称号/略称 | 203SQ |
愛称 |
シークレットイーグルス Secret Eagles |
上級単位 | 第2航空団 |
最終上級単位 | 北部航空方面隊 |
担当地域 | 北日本エリアの防空 |
第203飛行隊(だい203ひこうたい、JASDF 203rd Tactical Fighter Squadron)は、航空自衛隊第2航空団の戦闘機部隊である。千歳基地に所属し、F-15J/DJ戦闘機、連絡機としてT-4を運用する。
概要
[編集]第203飛行隊は1964年(昭和39年)6月25日に、F-104戦闘機の3番目の部隊として千歳基地第2航空団隷下の部隊として編成された。初期使用機種はF-104J/DJであった。
1980年代にはF-104の退役も進み、1984年(昭和59年)3月24日には、航空自衛隊F-15戦闘機2番目の部隊として機種改編。当時全国でも配備間もない最新鋭のF-15を運用する飛行隊として、同じ千歳基地に所属した第302飛行隊(昭和61年に那覇基地へ移駐)のF-4EJと共に、冷戦下で緊張状態にあった北国の防空任務に従事した。
第203飛行隊は航空自衛隊の戦闘機部隊で唯一、シェルター運用が行われており、司令部などの飛行隊施設の大半がシェルター地区内の地下に設けられている[1]。
部隊マークは赤い稲妻状のラインと熊をあわせたシルエットで「二〇三」を表すようデザインされている。なお熊の配色が白黒を基調にしているためパンダと認識されがちだが間違いである。 部隊章は国籍標識状の日の丸の中にF-15が描かれたデザインで、F-104運用時には同機が描かれていた。
沿革
[編集]- 1966年(昭和41年)10月4日 - 無事故飛行10,000時間達成[3]。
- 1967年(昭和42年)10月14日 - 航空総隊射撃演習ガン射撃部門優勝[4][3]。
- 1969年(昭和44年)8月29日 - ホットスクランブル900回達成[3]。
- 1970年(昭和45年)5月4日 - ホットスクランブル999回達成[3]。
- 1972年(昭和47年)4月28日 - F-104DJで無事故飛行10,000時間達成[3]。
- 1974年(昭和49年)6月22日 - 部隊創隊10周年記念式典を実施[3]。
- 1976年(昭和51年)9月1日 - 島松演習場で空対地射撃訓練中にF-104Jが墜落[5]。
- 1978年(昭和53年)5月12日 - 射撃及び要撃戦技競技会F-104部門優勝[3]。
- 1979年(昭和54年)10月17日 - 対戦闘機戦闘競技会F-104部門優勝(第204飛行隊と同点優勝)[6][3]。
- 1980年(昭和55年)11月9日 - 対戦闘機戦闘競技会F-104部門優勝[7][3]。
- 1981年(昭和56年)4月30日 - ホットスクランブル2,000回達成[3]。
- 1983年(昭和58年)4月13日 - F-15初配備[3]。
- 12月1日 - F-15Jによる対領空侵犯措置任務付与[8]。
- 1986年(昭和61年)11月4日 - 射爆撃戦技競技会第1部門F-15チーム優勝[10]。
- 1987年(昭和62年)11月10日 - 射爆撃戦技競技会F-15部門優勝(第204飛行隊と同点優勝)[11]。
- 1994年(平成 6年)6月13日 - 航空総隊戦技競技会組織戦闘部門優勝(第201飛行隊と同点優勝)[12]。
- 2001年(平成13年)5月21日 - 航空総隊戦技競技会対戦闘機戦闘部門優勝[4]。
歴代運用機
[編集]登場作品
[編集]- 映画
- 『BEST GUY』 - 第203飛行隊も撮影に協力。
脚注
[編集]- ^ イカロス出版 Jwing No.194 2014年10月号 36頁-41頁 「特集 空自創設60周年記念シリーズ企画第3弾!! 日本を守る主力戦闘機 やっぱり、F-15 航空自衛隊F-15部隊ガイド」松崎豊一
- ^ イカロス出版 JWing No.70 2004年6月号 4頁-13頁 「航空自衛隊50周年記念徳永克彦空撮シリーズ⑤ F-15J」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 大日本絵画 月刊モデルグラフィックス2月号別冊 戦競1988 航空自衛隊昭和63年度航空総隊戦技競技会 72頁 「昭和63年度戦技競技会参加部隊史」
- ^ a b イカロス出版 JWing No.184 2013年12月号 21頁 「戦競2013 戦競、偉大なるその軌跡」松崎豊一
- ^ (株)酣燈社 航空情報 1976年12月号 国内ニュース
- ^ 文林堂 航空ファン イラストレイテッド 94-10 No.78 26頁-33頁 「戦競 航空自衛隊戦技競技会の迷彩機(F-104,F-1,F-4EJ,F-15) '79戦競」
- ^ 文林堂 航空ファン イラストレイテッド 94-10 No.78 34頁-43頁 「戦競 航空自衛隊戦技競技会の迷彩機(F-104,F-1,F-4EJ,F-15) '80戦競」
- ^ a b c d イカロス出版 Jwing No.129 2009年5月号 22頁-25頁 「ニッポンの主力戦闘機、F-15イーグル 航空自衛隊F-15史」石原肇
- ^ 文林堂 航空ファン イラストレイテッド 94-10 No.78 76頁-81頁 「戦競 航空自衛隊戦技競技会の迷彩機(F-104,F-1,F-4EJ,F-15) '85戦競」
- ^ 文林堂 航空ファン イラストレイテッド 94-10 No.78 82頁-85頁 「戦競 航空自衛隊戦技競技会の迷彩機(F-104,F-1,F-4EJ,F-15) '86戦競」
- ^ 文林堂 航空ファン イラストレイテッド 94-10 No.78 86頁-91頁 「戦競 航空自衛隊戦技競技会の迷彩機(F-104,F-1,F-4EJ,F-15) '87戦競」
- ^ 文林堂 航空ファン イラストレイテッド 94-10 No.78 2頁-25頁 「戦競 航空自衛隊戦技競技会の迷彩機(F-104,F-1,F-4EJ,F-15) '94戦競」
- ^ イカロス出版 Jwing No.59 2003年7月号 4頁-13頁 「日の丸イーグル初めての空中給油」伊藤久巳
- ^ イカロス出版 Jwing No.83 2005年7月号 36頁-37頁 「今年も実施、空中給油訓練」中野耕志
- ^ イカロス出版 Jwing No.256 2019年12月号 4頁-7頁 「日豪共同訓練 武士道ガーディアン19」鈴木利治