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紋別駅

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紋別ターミナルから転送)
紋別駅
跡地に建つオホーツク氷紋の駅(2018年8月)
もんべつ
Mombetsu
潮見町 (1.2 km)
(4.6 km) 元紋別
所在地 北海道紋別市幸町4丁目
北緯44度21分9.5秒 東経143度21分7.8秒 / 北緯44.352639度 東経143.352167度 / 44.352639; 143.352167
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 93.1 km(名寄起点)
電報略号 モヘ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1921年大正10年)3月25日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日[1]
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
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1978年の紋別駅と周囲約1km範囲。下が遠軽方面。単式と島式の複合ホーム2面3線と外側にもう1本貨物用の側線、駅舎横の貨物ホームへ2本の引込み線を持つ。 鴻紋軌道は駅南にある跨線人道橋(連絡用歩道橋)の駅裏側辺り、現在の旭川地方法務局紋別支局の少し北側に駅を設けていたと思われるがはっきりしない。軌道はさらに駅裏南側のストックヤード内へ引きこまれていた。(国土地理院1948年4月米軍撮影航空写真 USA-R254-No2-52、1693dpiによる。)法務局前から南に下る道はかつての軌道跡である。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

紋別駅(もんべつえき)は、北海道網走支庁紋別市幸町4丁目にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線廃駅)である。事務管理コードは▲122118[2]

歴史

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名寄本線では最大規模の構内を有した駅で、同線の中間駅としては唯一、みどりの窓口も設置されていた。札幌駅から名寄駅経由で当駅まで直通する急行列車紋別」・網走駅 - 紋別 - 興部駅間の急行「天都」も設定されていたほか、渚滑線の列車の多くが当駅まで乗り入れていた。

また、1943年(昭和18年)から1948年(昭和23年)の短い期間であるが、南西方向の藻鼈川上流の鴻之舞鉱山から、簡易軌道鴻紋軌道が本駅裏に駅を設けて接続していて、人や物資を運んでいた。

駅名の由来

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市名より。

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム島式ホームを複合した計2面3線のホームと線路を有する地上駅であり、列車交換可能な交換駅であった[5]。互いのホームは、駅舎側ホーム北側と島式ホーム北側を結んだ跨線橋で連絡した[5]。駅舎側単式ホーム(東側)が下りの1番線、上屋を有した[6]島式ホーム駅舎側が上りの2番線、外側が1983年(昭和58年)時点では側線扱いの3番線となっていた[5]。3番線の外側(西側)に旧貨物側線を2線有し、そこから行き止まりの側線も南北に各1線有した[5]。そのほか、1番線の遠軽方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を2線有していた[5]

職員配置駅となっており、駅舎は構内の東側に位置し単式ホーム中央部分に接していた[5]。ホームの有効長は120mあった[5]士別駅と同規格のコンクリート製の駅舎であった。

「わたしの旅スタンプ」が設置されていた[5]

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1978年(昭和53年) 956 [7]

駅周辺

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駅跡地の再開発

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鴻紋軌道記念碑

廃止後も駅本屋ではJR紋別トラベルセンターが引き続き窓口営業を行った[9]ほか、夏季の観光シーズンには駅周辺の中心市街地商業者でつくる紋別朝市運営協議会が駅駐車場やホームを会場にした観光朝市「ガリンコ朝市」を開催した[10]。また1990年に紋別市は、中心市街地活性化をにらんだ大型ショッピングセンターやバスターミナル建設構想を盛り込んだ再開発計画を策定。翌1991年には通商産業省の商業集積整備プロジェクト道内第1号に指定され、事業主体の第三セクター「紋別ニューシティ開発公社」が発足した[11]

紋別市は駅跡地から南方の鉄道跡地を市道「メモリアル通り線」として再整備し、1995年には機関車の動輪を模した記念碑を建立。同年7月には、バスターミナルなどが入る紋別市交流センターがオープンした[12]。しかし駅跡地の大半を占めるショッピングセンター計画については、バブル崩壊後の景気低迷と見通しの甘さから方針が二転三転するなど迷走した揚げ句、市は1998年に建設断念を正式に決定した[13]

のちショッピングセンターの代替施設として2003年、観光商業施設と温浴施設を併設したオホーツク氷紋の駅が開業[14]。施設正面には鴻紋軌道の記念碑が設置され、同軌道をモチーフにヒット曲「銀色の道」を作曲した作曲家、宮川泰を招いて除幕式が行われた[15]

紋別市交流センター

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紋別市交流センター

紋別市交流センターにはバスターミナルが併設され、道北バス案内所では旭川・札幌方面の予約発券、紋別旅行(「ハートフルツアー」紋別旅行店)では旅行代理店業務[16]のほか、北紋バスの乗車券類を取り扱う。2階は紋別観光協会や紋別振興公社がテナントとして入居している。

隣の駅

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北海道旅客鉄道
名寄本線
潮見町駅 - 紋別駅 - 元紋別駅

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、911頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、242頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年3月21日閲覧 
  3. ^ 日本国有鉄道旭川鉄道管理局 編『旭川・鉄道八十八年の歩み』1987年3月。 
  4. ^ 「紋別駅の駅舎改築工事完成」『交通新聞』交通協力会、1971年9月4日、2面。
  5. ^ a b c d e f g h i j 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、211頁。ISBN 978-4093951012 
  6. ^ 工藤裕之『北海道廃止ローカル線写真集 追憶の鉄路』北海道新聞社、2011年12月、p.124,130,134頁。ISBN 978-4894536197 
  7. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、905頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  8. ^ a b c d e f g 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、35頁。 
  9. ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 90年版』ジェー・アール・アール、1990年8月1日、168頁。ISBN 4-88283-111-2 
  10. ^ 「新鮮な海産物で紋別観光の目玉作り-紋別朝市運営協議会会長 長尾正芳氏」北海道新聞朝刊全道版、1989年7月20日付
  11. ^ 「旧紋別駅跡に複合店舗、第3セクターが発足」北海道新聞朝刊全道版、1991年5月20日付
  12. ^ 「バスターミナル好評 紋別市の交流センター 第一号便が出発」北海道新聞夕刊北見版、1995年7月3日付
  13. ^ 「漂流するマチ 長大四線廃止から10年・1」北海道新聞朝刊全道版、1999年8月29日付
  14. ^ 「中心市街再生へ 海鮮+入浴施設 『氷紋の駅』が開業 紋別」北海道新聞朝刊全道版、2003年4月29日付
  15. ^ 「『銀色の道』記念碑除幕 1966年のヒット曲 ルーツの紋別・鴻之舞 作曲の宮川さん 感慨『込み上げた』」北海道新聞朝刊全道版、2003年7月21日付
  16. ^ 札幌・旭川方面からのJR利用者に対する紋別地区におけるJR乗車券の予約発券でマルス端末が常設されている

関連項目

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外部リンク

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