細川利文
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細川 利文(ほそかわ としふみ、1865年9月15日〈慶応元年7月26日〉[1] - 1944年〈昭和19年〉3月10日[2])は、日本の宮内官僚、華族。爵位は子爵。御歌所参候。
経歴
[編集]1865年〈慶応元年〉7月、後に伯爵となる園基祥(羽林家)の二男として生まれる[2][3]。1889年(明治22年)8月には、熊本新田藩(高瀬藩)の藩主であった細川利永の婿養子となる形で、その長女である同子(なみこ)と結婚する[1]。なお、同子は元々子爵・戸田康泰と結婚していたが、康泰と離縁したため利文がその後釜として婚姻したものである。1901年(明治34年)4月29日には、養父である利永の死去に伴って子爵を襲爵した[1][2][4]。
学習院、次いで東京専門学校で学び、後には宮内官僚に転じて常宮周宮御用掛を仰付けられ、後には御歌所参候として活躍した[3]。1944年(昭和19年)3月10日に中野区文園町の自宅で死去し[5]、爵位は長男である利寿が継いだ。
親族
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
関連項目
[編集]日本の爵位 | ||
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先代 細川利永 |
子爵 (高瀬)細川家第2代 1901年 - 1944年 |
次代 細川利寿 |