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霊雲寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
霊雲寺

山門
所在地 東京都文京区湯島二丁目21番6号
位置 北緯35度42分20.56秒 東経139度45分56.87秒 / 北緯35.7057111度 東経139.7657972度 / 35.7057111; 139.7657972 (霊雲寺)座標: 北緯35度42分20.56秒 東経139度45分56.87秒 / 北緯35.7057111度 東経139.7657972度 / 35.7057111; 139.7657972 (霊雲寺)
山号 宝林山[1]
院号 大悲心院[1]
宗派 真言宗霊雲寺派
寺格 総本山
本尊 胎蔵界金剛界大日如来
創建年 元禄4年(1691年[2]
開基 浄厳[2]
正式名 宝林山 大悲心院 霊雲寺
札所等 御府内八十八箇所 28番
文化財 絹本著色弥勒曼荼羅図、絹本著色十六羅漢像16幅ほか(国の重要文化財・東京国立博物館寄託)
絹本著色薬師三尊像・絹本著色五秘密像ほか(区文化財)
公式サイト 霊雲寺
法人番号 4010005000511 ウィキデータを編集
霊雲寺の位置(東京都区部内)
霊雲寺
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霊雲寺(れいうんじ)は、東京都文京区湯島にある真言宗霊雲寺派総本山の寺院。山号は宝林山。院号は大悲心院。本尊は胎蔵界金剛界大日如来

歴史

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元禄4年(1691年)、浄厳律師覚彦により創建された寺である。浄厳は寛永16年(1639年)、河内の生まれ[2]。10歳の時、高野山で得度し、後に河内の教興寺(飛鳥時代、秦河勝の開基と伝える。大阪府八尾市)、延命寺(空海の開基と伝える。大阪府河内長野市)などを再興した。浄厳は柳沢吉保の帰依を受け、時の江戸幕府将軍徳川綱吉から現寺地を得て、霊雲寺を開創した。元禄6年(1693年)には多摩郡上図師村(東京都町田市)に百石の寺領を得、元禄7年(1694年)には関八州の真言律宗の総本寺[1]とされた。

江戸幕府から朱印状を受けるなど幕府の保護を受け、関東における真言律宗の中心的な寺院であった。関東大震災第二次世界大戦の戦災で堂宇を焼失し、現在の堂宇は戦後復興されたものである。昭和22年(1947年)に真言宗霊雲寺派を公称して真言律宗から独立した。

伽藍

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鉄筋コンクリート造2階建ての大本堂(灌頂堂)は、総門、庫裏とともに昭和51年(1976年)に落成したものである。大本堂は正面階段を上がった2階部分に仏壇を構え、両部(金剛界・胎蔵界)の大日如来像2躯を本尊として安置する。1階には寺務所、書院などがある。

文化財

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重要文化財
  • 絹本著色弥勒曼荼羅図 - 鎌倉時代
  • 絹本著色十六羅漢像 16幅 - 鎌倉時代
  • 絹本著色諸尊集会図(しょそんしゅうえず) - 鎌倉時代
  • 絹本著色日吉山王曼荼羅図 - 鎌倉時代
  • 絹本著色天帝図 - 中国・元時代

以上の重要文化財指定絵画は東京国立博物館に寄託されている。

文京区指定有形文化財
  • 絹本著色薬師三尊像
  • 絹本著色五秘密像
  • 絹本著色大威徳明王像
  • 絹本著色愛染明王像
  • 絹本著色不動明王二童子像

所在地

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脚注

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出典

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参考文献

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  • 霊雲寺再建事務局編・霊雲寺発行『霊雲寺』、1976

関連文献

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  • 斎藤長秋 編「卷之五 玉衡之部 寳林山霊雲寺」『江戸名所図会』 3巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、196,198-204頁。NDLJP:1174157/103 

外部リンク

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