霊雲寺
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霊雲寺 | |
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山門 | |
所在地 | 東京都文京区湯島二丁目21番6号 |
位置 | 北緯35度42分20.56秒 東経139度45分56.87秒 / 北緯35.7057111度 東経139.7657972度座標: 北緯35度42分20.56秒 東経139度45分56.87秒 / 北緯35.7057111度 東経139.7657972度 |
山号 | 宝林山[1] |
院号 | 大悲心院[1] |
宗派 | 真言宗霊雲寺派 |
寺格 | 総本山 |
本尊 | 胎蔵界・金剛界大日如来 |
創建年 | 元禄4年(1691年)[2] |
開基 | 浄厳[2] |
正式名 | 宝林山 大悲心院 霊雲寺 |
札所等 | 御府内八十八箇所 28番 |
文化財 |
絹本著色弥勒曼荼羅図、絹本著色十六羅漢像16幅ほか(国の重要文化財・東京国立博物館寄託) 絹本著色薬師三尊像・絹本著色五秘密像ほか(区文化財) |
公式サイト | 霊雲寺 |
法人番号 | 4010005000511 |
霊雲寺(れいうんじ)は、東京都文京区湯島にある真言宗霊雲寺派総本山の寺院。山号は宝林山。院号は大悲心院。本尊は胎蔵界・金剛界大日如来。
歴史
[編集]元禄4年(1691年)、浄厳律師覚彦により創建された寺である。浄厳は寛永16年(1639年)、河内の生まれ[2]。10歳の時、高野山で得度し、後に河内の教興寺(飛鳥時代、秦河勝の開基と伝える。大阪府八尾市)、延命寺(空海の開基と伝える。大阪府河内長野市)などを再興した。浄厳は柳沢吉保の帰依を受け、時の江戸幕府将軍徳川綱吉から現寺地を得て、霊雲寺を開創した。元禄6年(1693年)には多摩郡上図師村(東京都町田市)に百石の寺領を得、元禄7年(1694年)には関八州の真言律宗の総本寺[1]とされた。
江戸幕府から朱印状を受けるなど幕府の保護を受け、関東における真言律宗の中心的な寺院であった。関東大震災、第二次世界大戦の戦災で堂宇を焼失し、現在の堂宇は戦後復興されたものである。昭和22年(1947年)に真言宗霊雲寺派を公称して真言律宗から独立した。
伽藍
[編集]鉄筋コンクリート造2階建ての大本堂(灌頂堂)は、総門、庫裏とともに昭和51年(1976年)に落成したものである。大本堂は正面階段を上がった2階部分に仏壇を構え、両部(金剛界・胎蔵界)の大日如来像2躯を本尊として安置する。1階には寺務所、書院などがある。
文化財
[編集]- 絹本著色弥勒曼荼羅図 - 鎌倉時代
- 絹本著色十六羅漢像 16幅 - 鎌倉時代
- 絹本著色諸尊集会図(しょそんしゅうえず) - 鎌倉時代
- 絹本著色日吉山王曼荼羅図 - 鎌倉時代
- 絹本著色天帝図 - 中国・元時代
以上の重要文化財指定絵画は東京国立博物館に寄託されている。
- 文京区指定有形文化財
- 絹本著色薬師三尊像
- 絹本著色五秘密像
- 絹本著色大威徳明王像
- 絹本著色愛染明王像
- 絹本著色不動明王二童子像
所在地
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 江戸名所図会 1927, p. 196.
- ^ a b c 江戸名所図会 1927, p. 200.
参考文献
[編集]- 霊雲寺再建事務局編・霊雲寺発行『霊雲寺』、1976
関連文献
[編集]- 斎藤長秋 編「卷之五 玉衡之部 寳林山霊雲寺」『江戸名所図会』 3巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、196,198-204頁。NDLJP:1174157/103。
外部リンク
[編集]- 霊雲寺(れいうんじ) - 文京区ホームページ