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静岡鉄道掛川営業所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
静岡鉄道 > 掛川営業所

静岡鉄道掛川営業所(しずおかてつどうかけがわえいぎょうしょ)は、かつて静岡県掛川市に存在した静岡鉄道自動車部の事業所である。1990年(平成2年)に静岡鉄道の管轄していた掛川市内の路線の一部を掛川バスサービスに移管し、残る路線を静岡鉄道袋井営業所浜岡営業所に移管。さらに2002年(平成14年)に観光部門を静鉄グループの貸切バス事業会社である静鉄ジョイステップバス掛川営業所に移管し廃止となった。

所在地

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静岡県掛川市葛川字山崎452-1

1944年(昭和19年)1月に掛川駅北口駅前に静岡鉄道掛川自動車営業所を開設したが、1973年(昭和48年)から開始された掛川駅前土地区画整理事業によって掛川市葛川に車庫を移転。現在、掛川駅前の営業所跡地には、コンビニエンスストア予備校などが入居するビルが並んでいる。[1][2]掛川営業所廃止後は静鉄グループ掛川バスサービス本社営業所、静鉄ジョイステップバス掛川営業所が共用している。

概説

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沿革

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所管していた路線

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掛川営業所の路線バス管轄廃止の際に、掛川バスサービス、袋井営業所、浜岡営業所へ移管された路線は次の通り。

西部国道線

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森・掛川線

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桜木線

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  • 概説
  • 沿革
    • 1959年(昭和34年)-「森・掛川線」の桜木入口から分岐して坂下までの路線が開設された。なお、掛川市街地の運行経路は二瀬川東 - 掛川駅間が城西、緑町経由であった。同年の時刻表では次の経路を1日6往復運行されていた。[22]
      • 掛川駅前 - 連雀 - 緑町 - 掛川西高前 - 城西 - 保健所入口 - 二瀬川東 - 鳥居町 - 桜木入口 - 農協前 - 農協支所前 - 坂下
    • 1972年(昭和47年)11月現在の路線図では、掛川市内の区画整理事業により二瀬川東 - 緑町の経路が変更され、北門経由となっている。[23]
    • 1975年(昭和50年)の時刻表では1日11往復が運行されていた。[24]
    • 1984年(昭和59年)の路線図では次の経路を運行していた。[25]
      • 掛川駅前 - 仲町 - 北門 - 城西 - 二瀬川東 - 鳥居町 - 桜木入口 - 桜木農協前 - 田中 - 馬場 - 東側公会堂前 - 坂下
    • 1990年(平成2年)6月 - 掛川バスサービスに移管された。

居尻線

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  • 概説
  • 沿革
    • 1924年(大正13年)11月1日 - 掛川市長谷でそれまで乗合馬車を運行していた個人によって南西郷(掛川駅)と 原泉村丹間を結ぶ乗合自動車の営業が開始された。なお、上西郷から分岐して倉真への支線も同日開設されている。[26]
    • 1930年(昭和5年)1月現在の名古屋鉄道局調査では掛川自動車株式会社として運行していた。[27]
      • 掛川駅 - 西郷村 - 中ノ谷
    • 1958年(昭和33年)の時刻表では次の経路を運行していた。また、掛川駅前 - 石畑間は「倉真線」が併行していた。[28]
    • 1959年(昭和34年)の時刻表では「居尻線」には次の系統が存在した。[22]
      • 掛川駅前 - 連雀 - 仲町 - 北門 - 石畑 - 丹間 - 居尻
      • 掛川駅前 - 連雀 - 仲町 - 北門 - 石畑 - 丹間
      • 丹間 - 居尻
    • 1960年代 時期不詳 - 居尻から泉まで延伸した。
    • 1972年(昭和47年)11月現在の路線図では次の経路を運行していた。[23]
      • 掛川駅前 - 連雀 - 仲町 - 北門 - 石畑 - 丹間 - 原の谷ダム入口 - 居尻 - 泉
    • 1975年(昭和50年)の時刻表では掛川 - 和泉間が1日6往復、丹間までの区間便が1往復、居尻までが1.5往復の運行であった。[29]
    • 1990年(平成2年)6月 - 掛川バスサービスに移管された。

倉真線

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  • 概説
  • 沿革
    • 1924年(大正13年)11月1日 - それまで乗合馬車を営業していた個人によって南西郷(掛川駅)と 原泉村丹間を結ぶ乗合自動車の営業が開始され、あわせて上西郷から倉真村戸澤までの支線が開設された。[26]
    • 1930年(昭和5年)1月現在の名古屋鉄道局調査では掛川自動車株式会社として運行していた。[27]
      • 掛川駅 - 石畑 - 大宮
    • 1953年(昭和28年)静岡鉄道の時刻表では「倉真線」として1日4往復が運行されていた。[30]
    • 1954年(昭和29年)2月11日 - 運輸審議会に倉真温泉までの延伸(倉真村戸倉 - 真砂間)が申請された。[31]
    • 1959年(昭和34年)の時刻表では倉真温泉まで1日8往復が運行されていた。[22]
    • 1975年(昭和50年)の時刻表では平日12.5往復(内、谷川発掛川行1本)日祝日12往復が運行されていた。[32]
    • 1990年(平成2年)6月 - 掛川バスサービスに移管された。

大坂線

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掛川市立病院線

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  • 系統および主要停留所
    • 掛川駅前 - 東名掛川平安閣前 - 掛川市立病院
  • 概説
  • 沿革
    • 1984年(昭和59年)- 掛川市立病院の開院に伴って「大坂線」の支線として誕生した。
    • 1985年(昭和60年)の時刻表では、7時から18時代の間、ほぼ毎時20分間隔の頻度で運行していた。[33]
    • 1993年(平成5年)の時刻表では「大坂線・掛川市立病院線」として統一の時刻表となり、実質的に「大坂線」の病院止まり系統という扱いであった。[34]
    • 1998年(平成10年)- 静岡鉄道から事業者単独では維持できない路線として掛川市に廃止意向が伝達された。
    • 1999年(平成11年)4月1日 - 掛川市による欠損補助により「大坂線」の市立病院経由として系統が維持された。
    • 2003年(平成15年) - 掛川バスサービスが運行を受託する掛川市自主運行バスが、掛川市立病院を経由する「掛川市街地循環線南まわり」を開設したため、「大坂線」の市立病院経由は廃止された。

葛川南線

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休廃止路線

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国道本線

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西部国道本線

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法多線

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  • 運行系統および主要停留所
  • 概説
  • 沿革
    • 1954年(昭和29年)時期不詳 掛川駅 - 法多間に路線が開設された。
    • 1959年(昭和34年)の時刻表では次の経路を平日6往復、日曜祭日春、秋(3月1日から5月31日及び9月1日~11月30日)の平日季節運行で1日9往復が運行されていた。[22]
    • 1961年(昭和36年)の時刻表では平日1日6往復に加え、日曜祭日と春、秋(3月1日から5月31日及び9月1日~10月31日)の平日季節運行で1日9往復が運行されていた。
    • 1972年(昭和47年)の路線図では都市計画道路(駅前通り線、現 市道掛川梅橋線)の開通によって十王 - 掛川駅間の経路が変更されている。[23]
    • 1973年(昭和48年)の時刻表では愛野までの区間便が増加しており、法多 - 掛川駅間が平日2往復、愛野 -掛川駅間が平日5.5往復で内15時代の1往復が、 日曜祭日および季節運行で法多 - 掛川駅間の運行となっていた。
    • 1975年(昭和50年)の時刻表では愛野系統はさらに梅橋まで区間が短縮されており、法多 - 掛川駅間は平日2往復、梅橋 -掛川駅間が平日6往復の運行で内15時代の1往復が、 日曜祭日および季節運行で法多 - 掛川駅間の運行となっていた。[38]
    • 1977年(昭和52年)2月現在の路線図では法多山までの系統が廃止され「梅橋線」となっている。[39]

梅橋線

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  • 運行系統および主要停留所
  • 概説
    • 1970年代後半に「法多線」の区間縮小によって開設された路線であり、「西部国道線」十王経由の和光橋から分岐し、現在の愛野駅東側の梅橋地区を結ぶ路線であった。
    • 1980年代後半 - 1990年頃 利用者減少により廃止された。(廃止時期不詳)

掛川嬬恋線

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急行静岡掛川線

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急行静岡浜松線

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掛川浜松線(準急)

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原泉循環線

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  • 運行系統および主要停留所
  • 概説
    • 戦後、車両数が少ないなか掛川市北部(上西郷(石畑)、原泉(丹間)、原田、本郷、細谷)を網羅する形で循環路線が開設された。
    • 車両の増強が進んだ1950年代後半に「居尻線」と「原野谷線」に分離され、循環路線としては消滅した。
  • 沿革
    • 1950年(昭和25年)の時刻表では丹間経由と原谷経由が其々1日3本づつ運行されていた。
    • 1953年(昭和28年)の時刻表では石畑・丹間廻りと本郷・原田廻りが其々1日4本づつ運行されていた。 [30]
    • 1956年(昭和31年)の袋井地区バス時刻表では、石畑・丹間廻りが1日5本、本郷・原田廻りが4本運行されていた。[14]
    • 1958年(昭和33年)の時刻表では「居尻線」と「原野谷線」に分離され消滅している。[28]
      • 居尻線 :掛川 - 石畑 - 丹間 - 居尻
      • 原野谷線:丹間 - 本郷 - 掛川

原野谷線、原之谷線、原の谷線

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  • 概説
  • 沿革
    • 1958年(昭和33年)の時刻表では「原野谷線」として記載されている。[28]
    • 1959年(昭和34年)の時刻表では「原野谷線」と記載されているが、路線図は「原之谷線」となっている。1日5往復が運行されていた。[22]
      • 丹間 - 板ヶ谷 - 本郷 - 富部 - 鳥居町 - 二瀬川東 - 十王 - 仲町 - 連雀 - 掛川駅前
    • 1972年(昭和47年)11月現在の路線図では「原の谷線」として次の経路で運行されていた。[23]
      • 丹間 - 板ヶ谷 - 本郷 - 富部 - 鳥居町 - 二瀬川東 - 十王 - 中電前 - 掛川駅前
    • 1975年(昭和50年)の時刻表では1日7往復運行されており、うち朝のみ1往復が「居尻線」に乗り入れ居尻まで運行されていた。[45]
      • (居尻 - )丹間 - 平島 - 寺島 - 板ヶ谷 - 本郷 - 細谷 - 富部 - 鳥居町 - 掛川駅前
    • 1984年(昭和59年)の路線図でも系統は維持されている。[25]
    • 1980年代後半 - 1990年代初頭 時期不詳 - 丹間 - 板ヶ谷間が廃止となり、板ヶ谷 - 掛川駅間は「森・掛川線」に整理され、路線は消滅した。

掛川市内線、掛川市内循環線

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  • 概説
  • 沿革
    • 1956年(昭和31年)市内循環線の認可を申請した。[46]
    • 1958年(昭和33年)の時刻表では「掛川市内線」として掲載されている。[28]
    • 1959年(昭和34年)の時刻表では葛川廻り、十王廻り共に1日7本の運行であった。[22]
      • 掛川駅前 - 連雀 - 仁藤 - 葛川 - 市立病院前 - 東中学校前 - 北門 - 城西 - 保健所入口 - 二瀬川東 - 十王 - 仲町 - 掛川駅前
    • 1972年(昭和47年)の路線図では路線名が「掛川市内循環線」となっている。[23]
    • 1975年(昭和50年)の時刻表では葛川廻りが1日13本、十王廻りが11本運行されていた。[47]
    • 1977年(昭和52年)2月現在の路線図では次の経路を運行しており、掛川駅前土地区画整理事業と都市計画道路の整備により十王 - 掛川駅間が仲町経由から中電前を経由する運行経路に変更されている。[39]
      • 掛川駅前 -(→ 神代地 → ・ ← 連雀 ← )- 仁藤 - 葛川 - 市立病院前 - 東中学校入口 - 北門 - 城西 - 保健所入口 - 二瀬川東 - 十王 - 中電前 - 掛川駅前
    • 1984年(昭和59年)の路線図では掛川市立病院の移転により、市立病院前停留所が宮脇停留所となっている。[25]
    • 1980年代後半頃 - 掛川バスサービスに承継されることなく廃止された。
    • 2003年(平成15年)5月20日 - 掛川市自主運行バス「市街地循環線」が開設された。

掛川平田線

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中遠工高線

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  • 運行系統および主要停留所
    • 掛川駅前 - 神代地 - 上張 - 中遠工高前
  • 概説

脚注

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注釈

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  1. ^ 1956年(昭和31年)の袋井地区バス時刻表の営業案内所一覧には、袋井営業所以下に菊川営業区、掛川営業区、森町営業区の電話番号が掲載されている。

出典

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  1. ^ a b 関 七郎『写真集・明治大正昭和・掛川』国書刊行会、1979年4月1日、33頁。 
  2. ^ 『写真アルバム 磐周・小笠の昭和』いき出版、2019年8月11日、134頁。 
  3. ^ a b c 遠州鉄道社史編纂委員会 編『遠州鉄道40年史』遠州鉄道、1984年12月1日、142頁。 
  4. ^ 鉄道省編纂 編『全国乗合自動車総覧 静岡県』鉄道公論社、1934年12月29日、27頁。 
  5. ^ 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道、2020年3月。 
  6. ^ 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道、2020年3月、289頁。 
  7. ^ 『浜岡町史 通史編』御前崎市、2011年3月、757頁。 
  8. ^ 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道、2020年3月、46-47頁。 
  9. ^ 『写真アルバム 磐周・小笠の昭和』いき出版、2019年8月11日、135頁。 
  10. ^ 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道、2020年3月、58-63頁。 
  11. ^ 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道、2020年3月、65-70頁。 
  12. ^ 掛川市史編纂委員会 編『掛川市史 下巻』掛川市、1992年3月30日、1228頁。 
  13. ^ 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道、2020年3月、85頁。 
  14. ^ a b 『袋井地区バス時刻表』静岡鉄道、1956年。 
  15. ^ 『写真で綴る静岡鉄道70年の歩み』静岡鉄道、1989年4月、162頁。 
  16. ^ 『増補資料 静岡県榛原郡誌』静岡県榛原郡町村会、1973年11月3日、431 - 432頁。 
  17. ^ 『写真で綴る静岡鉄道70年の歩み』静岡鉄道、1989年4月、163頁。 
  18. ^ 総理府統計局 編『会社企業名鑑 昭和43年版』日本統計協会。 
  19. ^ 『写真で綴る静岡鉄道70年の歩み』静岡鉄道、1989年4月。 
  20. ^ a b 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道、2020年3月、137頁。 
  21. ^ 『静鉄グループ百年史 過去から未来へのメッセージ』静岡鉄道、2020年3月、165頁。 
  22. ^ a b c d e f 『バス時刻表 1959.10.16現在 静鉄バス』静岡鉄道。 
  23. ^ a b c d e f g 『バス路線図 静岡鉄道[全地区] 47.11現在』静岡鉄道、1972年。 
  24. ^ 『静鉄バス時刻表 No.19 桜木線 50.11.1現在』静岡鉄道、1975年。 
  25. ^ a b c d e 『静岡鉄道バス全区間路線図 1984年4月現在』静岡鉄道。 
  26. ^ a b 鉄道省編纂 編『全国乗合自動車総覧 静岡県』鉄道公論社、1934年12月29日、16頁。 
  27. ^ a b 『中部日本の自動車運輸』名古屋鉄道局、1930年1月、91頁。 
  28. ^ a b c d 『バス時刻表 附国鉄線 並 静鉄各鉄道線 1958.12.5改正』静岡鉄道、1958年。 
  29. ^ 『静鉄バス時刻表 No.19 居尻線 50.11.1現在』静岡鉄道、1975年。 
  30. ^ a b 『バス時刻表』静岡鉄道、1953年9月。 
  31. ^ 『運輸審議会半年報 昭和29年1-6月』運輸大臣官房審理官室、1955年、103頁。 
  32. ^ 『静鉄バス時刻表 No.19 倉真線 50.11.1現在』静岡鉄道、1975年。 
  33. ^ 『静鉄バス時刻表 No.41 掛川市立病院線 60.3.14現在』静岡鉄道、1985年。 
  34. ^ 『静鉄バス時刻表 No.41 大坂線・掛川市立病院線 93.4.1現在』静岡鉄道、1993年。 
  35. ^ 『静鉄バス全路線ガイド BUS STOP GUIDE』静岡鉄道、1990年8月、61頁。 
  36. ^ 『静鉄バス時刻表 No.39 92.4.1現在』静岡鉄道、1992年4月1日。 
  37. ^ 『西部地区 バス路線図 1993.4現在』静岡鉄道、1993年。 
  38. ^ 『静鉄バス時刻表 No.19 法多線 50.11.1現在』静岡鉄道、1975年。 
  39. ^ a b c 『静岡鉄道バス全区間路線図 1977年2月現在』静岡鉄道。 
  40. ^ 榛原郡誌増補委員会 編『静岡県榛原郡誌 : 増補資料』静岡県榛原郡町村会、1973年11月3日、432頁。 
  41. ^ 『時刻表 中部国道線(静岡~金谷) 急行バス(静岡~金谷・掛川)静鉄バス』静岡鉄道、1963年9月15日。 
  42. ^ 『<ポケット社史>静岡鉄道』ダイヤモンド社、1969年4月10日、127頁。 
  43. ^ 遠州鉄道社史編纂委員会 編『遠州鉄道40年史』遠州鉄道、1984年12月1日、152頁。 
  44. ^ 遠州鉄道社史編纂委員会 編『遠州鉄道40年史』遠州鉄道、1984年12月1日、148頁。 
  45. ^ 『静鉄バス時刻表 No.19 原の谷線 50.11.1現在』静岡鉄道、1975年。 
  46. ^ 掛川市誌編纂委員会 編『掛川市史 下巻』掛川市、1992年3月30日、1364頁。 
  47. ^ 『静鉄バス時刻表 NO.19 掛川市内循環線 50.11.1現在』静岡鉄道、1975年。 
  48. ^ 『静鉄バス時刻表 No.19 掛川・平田線 50.11.1現在』静岡鉄道、1975年。