1954年ドイツグランプリ
レース詳細 | |||
---|---|---|---|
1954年F1世界選手権全9戦の第6戦 | |||
ニュルブルクリンク北コース (1927-1967) | |||
日程 | 1954年8月1日 | ||
正式名称 |
XVII Großer Preis von Deutschland a.k.a. Großer Preis von Europa [1] | ||
開催地 |
ニュルブルクリンク 西ドイツ ニュルブルク | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 22.810 km (14.173 mi) | ||
レース距離 | 22周 501.820 km (311.806 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | メルセデス | ||
タイム | 9:50.1 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | カール・クリング | メルセデス | |
タイム | 9:55.1 | ||
決勝順位 | |||
優勝 | メルセデス | ||
2位 | フェラーリ | ||
3位 | フェラーリ |
1954年ドイツグランプリ (1954 German Grand Prix) は、1954年のF1世界選手権第6戦として、1954年8月1日にニュルブルクリンクで開催された。
1926年の初開催以来17回目のドイツグランプリで、ニュルブルクリンクでのグランプリ開催は16回目である。当レースには「ヨーロッパグランプリ」の冠がかけられた[2]。
メルセデスのファン・マヌエル・ファンジオが優勝、フェラーリのホセ・フロイラン・ゴンザレスとマイク・ホーソーンが車両を共有して2位、同じくフェラーリのモーリス・トランティニアンが3位となった。
レース概要
[編集]周回数が前年の18周から22周に増やされ、レース距離は500kmを超えることになった。
前戦イギリスGPで思わぬ敗退を喫したメルセデスは、オープンホイール仕様のW196を持ち込み、ファン・マヌエル・ファンジオとカール・クリングに加え、戦前のエースドライバーであったヘルマン・ラング(当レースのみのスポット参戦)の3人にこの新車を与え、ハンス・ヘルマンには従来のストリームライン仕様のW196が与えられた[3]。
予選でマセラティのオノフレ・マリモンがクラッシュして死亡する惨事が起きてしまい、チームメイトのルイジ・ヴィッロレージ及びオーウェン・レーシング・オーガニゼーション[4]からエントリーされたケン・ウォートンは参加を取りやめた。マリモンの事故死はアルゼンチン人ドライバー(ファンジオ、ホセ・フロイラン・ゴンザレス、ロベルト・ミエレス)に深い影響を与えた[5]。なお、この事故はF1世界選手権が始まった1950年以来、最初の死亡事故である。
スタートではゴンザレスが飛び出したが、すぐにファンジオが抜き返す。緑色のマセラティ・250Fを走らせるスターリング・モスが3位に続いたがマシントラブルで脱落する。ゴンザレスも順位を落としていき、ラングが2位、クリングが3位にそれぞれ浮上し、メルセデス勢が上位を占める。ラングは久しぶりのグランプリで張り切りすぎたのか、コースオフを喫してリタイアした。ゴンザレスはマリモンの事故死で戦意を喪失してしまい、既にリタイアしたホーソーンに交代させられた。クリングは首位ファンジオを猛追し、15周目にはアルフレート・ノイバウアー監督の指示を無視してトップに立つ。ノイバウアー監督はチームオーダーを無視したクリングに対しピットストップを命じたことで4位に後退した。3時間45分45.8秒の長丁場[6]を制したファンジオはこの1戦を「最初から最後までずっとマリモンと一緒に走っている気分だった」と後に述懐している[7]。
エントリーリスト
[編集]No. | ドライバー | エントラント | コンストラクター | シャシー | エンジン | タイヤ |
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1 | ホセ・フロイラン・ゴンザレス | スクーデリア・フェラーリ | フェラーリ | 625 | フェラーリ Tipo625 2.5L L4 | P |
2 | モーリス・トランティニアン | |||||
3 | マイク・ホーソーン | |||||
4 | ピエロ・タルッフィ | |||||
5 | ルイジ・ヴィッロレージ | オフィシーネ・アルフィエリ・マセラティ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
6 | オノフレ・マリモン | |||||
7 | セルジオ・マントヴァーニ | |||||
8 | ロベルト・ミエレス | ロベルト・ミエレス | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
9 | ジャン・ベーラ | エキップ・ゴルディーニ | ゴルディーニ | T16 | ゴルディーニ 23 2.5L L6 | E |
10 | ポール・フレール | |||||
11 | クレマール・ブッチ | |||||
12 | アンドレ・ピレット | |||||
14 | プリンス・ビラ | プリンス・ビラ | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
15 | ハリー・シェル | ハリー・シェル | マセラティ | A6GCM | マセラティ A6 2.0L L6 | P |
16 | スターリング・モス | スターリング・モス | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | P |
17 | ケン・ウォートン | オーウェン・レーシング・オーガニゼーション | マセラティ | 250F | マセラティ 250F1 2.5L L6 | D |
18 | ファン・マヌエル・ファンジオ | ダイムラー・ベンツ | メルセデス | W196 1 | メルセデス M196 2.5L L8 | C |
19 | カール・クリング | |||||
20 | ハンス・ヘルマン | W196 2 | ||||
21 | ヘルマン・ラング | W196 1 | ||||
22 | テオ・ヘルフリッヒ | H.クレンク | クレンク | メテオール | BMW 328 2.0L L6 | P |
24 | ロベール・マンヅォン | エキュリー・ロジェ | フェラーリ | 625 | フェラーリ Tipo625 2.5L L4 | P |
25 | ルイ・ロジェ | 500/625 | D | |||
ソース:[8] |
- 追記
結果
[編集]予選
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 18 | ファン・マヌエル・ファンジオ | メルセデス | 9:50.1 | — | |
2 | 3 | マイク・ホーソーン | フェラーリ | 9:53.3 | + 3.2 | |
3 | 16 | スターリング・モス | マセラティ | 10:00.7 | + 10.6 | |
4 | 20 | ハンス・ヘルマン | メルセデス | 10:01.5 | + 11.4 | |
5 | 1 | ホセ・フロイラン・ゴンザレス | フェラーリ | 10:01.8 | + 11.7 | |
6 | 10 | ポール・フレール | ゴルディーニ | 10:05.9 | + 15.8 | |
7 | 2 | モーリス・トランティニアン | フェラーリ | 10:07.5 | + 17.4 | |
8 | 6 | オノフレ・マリモン 1 | マセラティ | 10:11.3 | + 21.2 | |
9 | 9 | ジャン・ベーラ | ゴルディーニ | 10:11.9 | + 21.8 | |
10 | 5 | ルイジ・ヴィッロレージ | マセラティ | タイム不明 | — | |
11 | 21 | ヘルマン・ラング | メルセデス | 10:13.1 | + 23.0 | |
12 | 24 | ロベール・マンヅォン | フェラーリ | 10:16.1 | + 26.0 | |
13 | 4 | ピエロ・タルッフィ | フェラーリ | 10:23.0 | + 32.9 | |
14 | 15 | ハリー・シェル | マセラティ | 10:28.7 | + 38.6 | |
15 | 7 | セルジオ・マントヴァーニ | マセラティ | 10:39.1 | + 49.0 | |
16 | 11 | クレマール・ブッチ | ゴルディーニ | 10:43.7 | + 53.6 | |
17 | 8 | ロベルト・ミエレス | マセラティ | 10:47.0 | + 56.9 | |
18 | 25 | ルイ・ロジェ | フェラーリ | 11:04.3 | + 1:14.2 | |
19 | 14 | プリンス・ビラ | マセラティ | 11:10.3 | + 1:20.2 | |
20 | 12 | アンドレ・ピレット | ゴルディーニ | 11:13.4 | + 1:23.2 | |
21 | 22 | テオ・ヘルフリッヒ | クレンク-BMW | 11:18.3 | + 1:28.2 | |
22 | 17 | ケン・ウォートン | マセラティ | No time | — | |
23 | 19 | カール・クリング | メルセデス | No time | — | |
ソース:[9] |
- 追記
- ^1 - マリモンはアクシデントで死亡
決勝
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 18 | ファン・マヌエル・ファンジオ | メルセデス | 22 | 3:45:45.8 | 1 | 8 |
2 | 1 | ホセ・フロイラン・ゴンザレス マイク・ホーソーン |
フェラーリ | 22 | +1:36.5 | 5 | 3 3 |
3 | 2 | モーリス・トランティニアン | フェラーリ | 22 | +5:08.6 | 7 | 4 |
4 | 19 | カール・クリング | メルセデス | 22 | +6:06.5 | 23 | 4 |
5 | 7 | セルジオ・マントヴァーニ | マセラティ | 22 | +8:50.5 | 15 | 2 |
6 | 4 | ピエロ・タルッフィ | フェラーリ | 21 | +1 lap | 13 | |
7 | 15 | ハリー・シェル | マセラティ | 21 | +1 lap | 14 | |
8 | 25 | ルイ・ロジェ | フェラーリ | 21 | +1 lap | 11 | |
9 | 24 | ロベール・マンヅォン | フェラーリ | 20 | +2 laps | 12 | |
10 | 9 | ジャン・ベーラ | ゴルディーニ | 20 | +2 laps | 9 | |
Ret | 14 | プリンス・ビラ | マセラティ | 18 | ステアリング | 19 | |
Ret | 21 | ヘルマン・ラング | メルセデス | 10 | スピンオフ | 13 | |
Ret | 11 | クレマール・ブッチ | ゴルディーニ | 8 | ホイール | 16 | |
Ret | 22 | テオ・ヘルフリッヒ | クレンク-BMW | 8 | エンジン | 21 | |
Ret | 20 | ハンス・ヘルマン | メルセデス | 7 | 燃料漏れ | 4 | |
Ret | 10 | ポール・フレール | ゴルディーニ | 4 | ホイール | 6 | |
Ret | 3 | マイク・ホーソーン | フェラーリ | 3 | トランスミッション | 2 | |
Ret | 8 | ロベルト・ミエレス | マセラティ | 2 | 燃料漏れ | 17 | |
Ret | 16 | スターリング・モス | マセラティ | 1 | ホイールベアリング | 3 | |
Ret | 12 | アンドレ・ピレット | ゴルディーニ | 0 | サスペンション | 20 | |
DNS | 6 | オノフレ・マリモン | マセラティ | - | 予選で事故死 | 8 | |
DNS | 5 | ルイジ・ヴィッロレージ | マセラティ | - | 撤退 | 10 | |
DNS | 17 | ケン・ウォートン | マセラティ | - | 撤退 | 22 | |
ソース:[10]
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注記
[編集]- 車両共有 – 1号車: ゴンザレス(16周)、ホーソーン(6周)
第6戦終了時点でのランキング
[編集]- ドライバーズ・チャンピオンシップ
順位 | ドライバー | ポイント | |
---|---|---|---|
1 | ファン・マヌエル・ファンジオ | 36 1⁄7 | |
2 | ホセ・フロイラン・ゴンザレス | 17 9⁄14 | |
3 | モーリス・トランティニアン | 15 | |
1 | 4 | マイク・ホーソーン | 10 9⁄14 |
3 | 5 | カール・クリング | 10 |
- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。
注釈
[編集]- ^ “Tragedy At the ‘Ring: The 1954 German GP”. gpevolved.com. 30 June 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。9 January 2016閲覧。
- ^ 当時は毎年各国の持ち回りにより、その年の最も権威のあるレースに対して「ヨーロッパGP」の冠がかけられていた。
- ^ (林信次 2000, p. 100)
- ^ のちにBRMチームのオーナーとなる
- ^ (林信次 2000, p. 100-101)
- ^ 2011年カナダグランプリ(4時間4分39.537秒)まで、F1(1950-1960年のインディ500を除く)におけるレース時間最長記録であった。ただし、このレースは大雨により2時間の赤旗中断があったため、中断を含まない場合は現在も当レースが最長記録となる。
- ^ (林信次 2000, p. 101)
- ^ “Germany 1954 - Race entrants”. statsf1.com. 2017年10月15日閲覧。
- ^ “Germany 1954 - Qualifications”. statsf1.com. 2017年10月15日閲覧。
- ^ “1954 German Grand Prix”. formula1.com. 4 November 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。9 August 2015閲覧。
参照文献
[編集]- 林信次『F1全史 1950-1955』ニューズ出版、2000年。ISBN 4-89107-019-6。
外部リンク
[編集]前戦 1954年イギリスグランプリ |
FIA F1世界選手権 1954年シーズン |
次戦 1954年スイスグランプリ |
前回開催 1953年ドイツグランプリ |
ドイツグランプリ | 次回開催 1956年ドイツグランプリ |
前回開催 1952年ベルギーグランプリ |
ヨーロッパグランプリ (冠大会時代) |
次回開催 1955年モナコグランプリ |