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1970年のオールスターゲーム (日本プロ野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
NPB 1970年のNPBオールスターゲーム
ゲームデータ
セ監督 川上哲治
パ監督 西本幸雄
セ投票最多 長嶋茂雄
パ投票最多 野村克也
第1戦
日程 7月18日
開催地 明治神宮野球場
スコア パリーグ 13-9 セリーグ
MVP 長池徳二
第2戦
日程 7月19日
開催地 大阪スタヂアム
スコア セリーグ 4-1 パリーグ
MVP 江夏豊
第3戦
日程 7月21日
開催地 広島市民球場
スコア パリーグ 6-8 セリーグ
MVP 遠井吾郎
« 1969
1971 »

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1970年のオールスターゲームは、1970年7月に行われた日本プロ野球オールスターゲーム

概要

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前年、連続5回目の日本一に輝いた読売ジャイアンツ(巨人)の川上哲治監督が全セ(オールセントラル・リーグ)を率い、パ・リーグ3連覇を達成した阪急ブレーブス西本幸雄監督が全パ(オールパシフィック・リーグ)を率いたオールスターゲーム。

前年夏の甲子園の決勝再試合を一人で投げ抜き、一躍アイドルになった太田幸司近鉄)がファン投票1位でオールスターに初出場。第1戦全パの3番手で登場し、0回1/3を投げたが2安打2四球という内容だった。第2戦は全セ・江夏豊阪神)の8奪三振が光った。この8奪三振を超える球宴9者連続奪三振翌年誕生する。第3戦、同じ阪神のお世辞にも俊足とは言えない遠井吾郎がランニング本塁打を打った。

選出選手

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セントラル・リーグ[1] パシフィック・リーグ[1]
監督 川上哲治 巨人 監督 西本幸雄 阪急
コーチ 村山実 阪神 コーチ 三原脩 近鉄
別当薫 大洋 濃人渉 ロッテ
投手 堀内恒夫 巨人 4 投手 太田幸司 近鉄
高橋一三 巨人 2 小山正明 ロッテ 12
渡辺秀武 巨人 木樽正明 ロッテ 2
上田二朗 阪神 成田文男 ロッテ 5
江夏豊 阪神 4 金田留広 東映 2
平松政次 大洋 2 皆川睦男 南海 8
小野正一 中日 7 佐藤道郎 南海
浅野啓司 ヤクルト 鈴木啓示 近鉄 5
大石弥太郎 広島 2 清俊彦 近鉄 2
白石静生 広島 米田哲也 阪急 12
外木場義郎 広島 3 三輪悟 西鉄
鬼頭洋 大洋
捕手 田淵幸一 阪神 2 捕手 野村克也 南海 14
森昌彦 巨人 11 辻佳紀 近鉄 4
木俣達彦 中日 岡村浩二 阪急 5
一塁手 王貞治 巨人 11 一塁手 大杉勝男 東映 3
二塁手 武上四郎 ヤクルト 3 二塁手 山崎裕之 ロッテ 2
三塁手 長嶋茂雄 巨人 13 三塁手 富田勝 南海
遊撃手 藤田平 阪神 3 遊撃手 阪本敏三 阪急 3
内野手 安藤統夫 阪神 内野手 大下剛史 東映 2
遠井吾郎 阪神 3 大橋穣 東映
松原誠 大洋 5 有藤通世 ロッテ
三村敏之 広島
外野手 高田繁 巨人 3 外野手 張本勲 東映 11
谷沢健一 中日 長池徳二 阪急 4
柴田勲 巨人 7 ロペス ロッテ 2
江尻亮 大洋 アルトマン ロッテ
中塚政幸 大洋 池辺巌 ロッテ 3
中暁生 中日 6 白仁天 東映 2
山内一弘 広島 16 福本豊 阪急
永淵洋三 近鉄 2
  • 太字はファン投票で選ばれた選手。▲は出場辞退選手発生による補充選手。

試合結果

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第1戦

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  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
全パ 8 0 0 4 1 0 0 0 0 13 17 2
全セ 0 3 2 0 1 2 1 0 1 9 12 4
  1. パ:成田)、○鈴木啓()、太田(近)、金田)、佐藤)-野村(南)、辻佳(近)
  2. セ:●渡辺秀)、鬼頭)、大石)、上田二)、高橋一(巨)、外木場(広)、堀内(巨)-田淵(神)
  3. 勝利鈴木啓(1勝)  
  4. 敗戦渡辺秀(1敗)  
  5. 本塁打
    パ:山崎(ロ)1号(2ラン・鬼頭)、 有藤(ロ)1号(ソロ・鬼頭)、長池)1号(2ラン・鬼頭)、張本(映)1号(ソロ・高橋一)
    セ:田淵1号(2ラン・成田)、(巨)1号(ソロ・鈴木啓)
  6. 審判
    [球審]大野(パ)
    [塁審]松橋(セ)・斎田(パ)・原田(セ)
    [外審]露崎(パ)・丸山(セ)
  7. 試合時間:2時間15分

オーダー

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パシフィック
打順守備選手
1[右]長池徳二
2[中]張本勲
3[左]アルトマン
4[一]大杉勝男
5[捕]野村克也
6[二]山崎裕之
7[三]有藤通世
8[遊]阪本敏三
9[投]成田文男
セントラル
打順守備選手
1[左]高田繁
2[中]中暁生
3[一]王貞治
4[三]長嶋茂雄
5[遊]松原誠
6[右]柴田勲
7[二]武上四郎
8[捕]田淵幸一
9[投]渡辺秀武

第2戦

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  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
全セ 3 0 0 1 0 0 0 0 0 4 13 0
全パ 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 4 0
  1. セ:○江夏(神)、平松(洋)、小野)-田淵、(巨)
  2. パ:●皆川(南)、米田(急)、小山(ロ)、太田、佐藤-野村
  3. 勝利江夏(1勝)  
  4. 敗戦皆川(1敗)  
  5. 本塁打
    セ:中塚(洋)1号(初回先頭打者ソロ・皆川)
  6. 審判
    [球審]竹元(セ)
    [塁審]道仏(パ)・松橋(セ)・露崎(パ)
    [外審]原田(セ)・斎田(パ)
  7. 試合時間:2時間9分

オーダー

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セントラル
打順守備選手
1[中]中塚政幸
2[左]中暁生
3[右]王貞治
4[遊]長嶋茂雄
5[一]遠井吾郎
6[三]松原誠
7[二]武上四郎
8[捕]田淵幸一
9[投]江夏豊
パシフィック
打順守備選手
1[右]長池徳二
2[中]池辺巌
3[左]張本勲
4[捕]野村克也
5[一]大杉勝男
6[三]富田勝
7[二]山崎裕之
8[遊]大下剛史
9[投]皆川睦男

第3戦

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  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
全パ 0 4 0 2 0 0 0 0 0 6 5 0
全セ 0 0 1 4 0 3 0 0 X 8 10 0
  1. パ:木樽(ロ)、(近)、●佐藤、太田、三輪西)-野村、岡村浩(急)
  2. セ:外木場、白石(広)、渡辺秀、○高橋一、上田二-木俣(中)、森、田淵
  3. 勝利:高橋一(1勝)  
  4. 敗戦:佐藤(1敗)  
  5. 本塁打
    セ:三村(広)1号(ソロ・木樽)、遠井(神)1号(ランニング3ラン・清)
  6. 審判
    [球審]斎田(パ)
    [塁審]丸山(セ)・道仏(パ)・竹元(セ)
    [外審]大野(パ)・原田(セ)
  7. 試合時間:2時間24分

オーダー

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パシフィック
打順守備選手
1[中]永淵洋三[注 1]
2[左]張本勲
3[右]アルトマン
4[一]大杉勝男
5[捕]野村克也
6[二]山崎裕之
7[三]有藤通世
8[遊]阪本敏三
9[投]木樽正明
セントラル
打順守備選手
1[左]高田繁
2[中]中塚政幸
3[一]王貞治
4[三]長嶋茂雄
5[右]柴田勲
6[捕]木俣達彦
7[二]安藤統夫
8[遊]三村敏之
9[投]外木場義郎

テレビ・ラジオ中継

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テレビ中継

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通常、神宮球場からの中継は主管球団のヤクルト本社の資本が入ったフジテレビ(または、この当時は他球団主催との放映権交換によって中継していたTBSテレビNETテレビ東京12チャンネルも)に放映権が与えられるが、この試合に関しては日本テレビ系列が放映権を獲得した。
広島テレビは1975年9月30日まで日本テレビ系列(NNN/NNS)とフジテレビ系列(FNN/FNS)のクロスネットだった。またこの年12月開局の広島ホームテレビは当時開局していなかったので、広テレが2系列のライン(自社主導制作のフジテレビ系列向けと、日本テレビ主導制作の実質裏送り分)を全て製作する形となっていた。この事象は1966年第3戦(7月21日)も同じケースだった。

ラジオ中継

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中国放送がJRN向けとNRN向けの2本のラジオ中継番組を製作したが、自社ではJRN向けを放送した。周辺県では山陽放送南海放送四国放送ではJRN系列番組を、山口放送西日本放送ではNRN系列番組を放送した(出典:読売新聞・岡山版、1970年7月21日、10ページ、ラジオ欄)。

脚注

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注釈

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  1. ^ 偵察メンバーの小山正明と交代。

出典

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  1. ^ a b 『オールスターゲームの軌跡 DREAM GAMES HISTORY since 1951』(2001年、ベースボール・マガジン社)、P.123

関連項目

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外部リンク

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