2002年のCARTシーズン
2002年のCARTシーズン | |||
前年: | 2001 | 翌年: | 2003 |
2002年のCARTシーズンは、シリーズ24回目のシーズン。3月10日のメキシコ、モンテレイで開幕し、11月17日のメキシコシティが最終戦であった。シリーズチャンピオンはクリスチアーノ・ダ・マッタ、ルーキーオブザイヤーはマリオ・ドミンゲスが獲得した。
参加チームとドライバー
[編集]ファイアストンに代わってブリヂストンがタイヤの供給を行うこととなり、最後のシーズンとなった2007年まで続けられた[1]。2002年シーズンは複数のエンジンサプライヤーがエンジンを供給する最後のシーズンとなった。
チーム | シャシー | エンジン | No | ドライバー |
---|---|---|---|---|
ニューマン・ハース・レーシング | ローラ B2/00 | トヨタ | 1 | クリスチアーノ・ダ・マッタ |
6 | ||||
11 | クリスチャン・フィッティパルディ | |||
チーム・プレイヤーズ | レイナード 02i | フォード・コスワース | 32 | パトリック・カーペンティア |
33 | アレックス・タグリアーニ | |||
チームKOOLグリーン | レイナード 02i | ホンダ | 26 | ポール・トレーシー |
27 | ダリオ・フランキッティ | |||
チーム・レイホール | ローラ B2/00 | フォード・コスワース | 8 | ジミー・バッサー |
9 | ミチェル・ジョルディンJr. | |||
シグマ・オートスポート | ローラ B2/00 | フォード・コスワース | 22 | マックス・パピス |
ハーディス・コンペティション | ローラ B2/00 | フォード・コスワース | 16 | マリオ・ドミンゲス |
55 | ||||
パトリック・レーシング | レイナード 02i | トヨタ | 20 | タウンゼント・ベル オリオール・セルビア |
ウォーカー・レーシング | レイナード 02i | トヨタ | 5 | 高木虎之介 |
PWRチャンピオンシップ・レーシング | ローラ B2/00 | トヨタ | 7 | スコット・ディクソン |
17 | オリオール・セルビア | |||
ターゲット・チップ・ガナッシ | ローラ B2/00 | トヨタ | 4 | ブルーノ・ジュンケイラ |
12 | ケニー・ブラック | |||
44 | スコット・ディクソン | |||
モー・ナン・レーシング | レイナード 02i | ホンダ | 10 | トニー・カナーン |
フェルナンデス・レーシング | ローラ B2/00 | ホンダ | 51 | エイドリアン・フェルナンデス マックス・パピス ルイス・ディアス |
52 | 中野信治 | |||
チーム・モトローラ | レイナード 02i | ホンダ | 39 | マイケル・アンドレッティ |
チーム・セント・ジョージ デイル・コイン・レーシング |
ローラ B2/00 | フォード・コスワース | 19 | ダレン・マニング アンドレ・ロッテラー |
チームの変更
[編集]最も大きな変化は、チーム・ペンスキーのインディ・レーシング・リーグへの転向であった[2]。CART創成期からの主力チームであるペンスキーの離脱は、CARTとIRLの競争における大転換点の象徴であった。同じくブレア・レーシングもIRLへ転向したチームであった[3]。また他のいくつかの有力チームもIRLへの触手を動かし始め、チップ・ガナッシ・レーシングとモー・ナン・レーシングはCARTと平行してIRLにも参戦を開始し、うちモー・ナン・レーシングはIRL参戦に伴いCART側の参戦を1台へ縮小した。両チームとも2002年でCARTからは撤退した。パトリック・レーシングは参戦を1台へと縮小し、フォーサイス・レーシングはスポンサーの減少により参戦体制を縮小し、ブライアン・ハータはシートを失った[4]。
ドライバーの変更
[編集]ジル・ド・フェランがチーム・ペンスキーと共にIRLに転向したため、1996年にシリーズチャンピオンを獲得したジミー・バッサーのみが、2002年シーズンに参戦したチャンピオン獲得経験者となった。バッサーはパトリック・レーシングを離れチーム・レイホールからの参戦であった[5]。チーム・レイホールはバッサーと、ハーディス・コンペティションから移籍したミチェル・ジョルディンJr.の2名を擁しての参戦であった[6]。チーム・レイホールの昨年度のドライバーであったケニー・ブラックとマックス・パピスは、ブラックがターゲット・チップ・ガナッシへ[7]、パピスがシグマ・オートスポートへ移籍した[8]。パピスはオリオール・セルビアに代わってのシート獲得であった。セルビアはPWRチャンピオンシップ・レーシングを引退したマウリシオ・グージェルミンに代わってシートを得た。2002年シーズン開幕時点で参戦したルーキーは2名であった。2001年のインディライツ・チャンピオンであるタウンゼント・ベルがパトリック・レーシングから参戦した[9]。もう1名、マリオ・ドミンゲスはハーディス・コンペティションから参戦した[10]。
シーズン中の変更
[編集]- PWRチャンピオンシップ・レーシングはスポンサーの不足により、第3戦のツインリンクもてぎをもって撤退した。スコット・ディクソンはターゲット・チップ・ガナッシのサードカーのシートを得たが、一方でオリオール・セルビアはすんなり他チームのシートを得ることができなかった[11][12]。
- チーム体制が変更となったため、ベッテンハウゼン・レーシングはハーディス・コンペティションへと名称を変更し、さらに第5戦のラグナ・セカから車番を16から55へと変更した。#16は長い間、トニー・ベッテンハウゼンJr.と彼のチームが付けていたナンバーであった。
- シグマ・オートスポートは第5戦のラグナ・セカをもって撤退した[13]。
- 期待はずれの成績と危険走行によりスチュワードから執行猶予つきの2戦へのペナルティが出たことに伴い、タウンゼント・ベルは第9戦クリーブランドの後パトリック・レーシングを解雇された。シーズンの残りはオリオール・セルビアが20号車をドライブした[14]。
- エイドリアン・フェルナンデスは第10戦のバンクーバーのクラッシュで尾骨を骨折し、ミッドオハイオ戦には出場しなかった。マックス・パピスが代わって出場した[15]。
- 資金不足により前年同様をフルシーズン参戦を見送っていたデイル・コイン・レーシングは第15戦ロッキンガムでは「オールイギリス」チームとするため「チーム・セント・ジョージ」の名称で参戦した。同レースではダレン・マニングが起用された。チームはコイン・レーシングの伝統的な番号である19を使用した[16]。
- クリスチアーノ・ダ・マッタは第16戦のマイアミでシリーズチャンピオンを確定させた後、シーズンの残りを1番を付けて出走した。
- エイドリアン・フェルナンデスは第17戦のサーファーズ・パラダイスでクラッシュし、肋骨2本を骨折した。そのため最終2戦には出場しなかった。代わりにマックス・パピスがフォンタナ戦、ルイス・ディアスがメキシコシティ戦に出場した[17][18]。
- デイル・コイン・レーシングは最終戦メキシコシティでチーム名を元の名称に戻し、アンドレ・ロッテラーを起用した[19]。
レース
[編集]シリーズ結果
[編集]レース結果
[編集]Rd | レース | ポールポジション | ファステストラップ | 優勝者 | 優勝チーム | レポート |
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1 | Tecate/Telmex Monterrey Grand Prix | エイドリアン・フェルナンデス | クリスチアーノ・ダ・マッタ | クリスチアーノ・ダ・マッタ | ニューマン・ハース・レーシング | Report |
2 | Toyota Grand Prix of Long Beach | ジミー・バッサー | ブルーノ・ジュンケイラ | マイケル・アンドレッティ | チーム・モトローラ | Report |
3 | Bridgestone Potenza 500 | ブルーノ・ジュンケイラ | トニー・カナーン | ブルーノ・ジュンケイラ | ターゲット・チップ・ガナッシ | Report |
4 | Miller Lite 250 | エイドリアン・フェルナンデス | ケニー・ブラック | ポール・トレーシー | チームKOOLグリーン | Report |
5 | Bridgestone Grand Prix of Monterey | クリスチアーノ・ダ・マッタ | クリスチアーノ・ダ・マッタ | クリスチアーノ・ダ・マッタ | ニューマン・ハース・レーシング | Report |
6 | G.I. Joe's 200 | クリスチアーノ・ダ・マッタ | ブルーノ・ジュンケイラ | クリスチアーノ・ダ・マッタ | ニューマン・ハース・レーシング | Report |
7 | CART Grand Prix of Chicago | ダリオ・フランキッティ | ポール・トレーシー | クリスチアーノ・ダ・マッタ | ニューマン・ハース・レーシング | Report |
8 | Molson Indy Toronto | クリスチアーノ・ダ・マッタ | クリスチアーノ・ダ・マッタ | クリスチアーノ・ダ・マッタ | ニューマン・ハース・レーシング | Report |
9 | Marconi Grand Prix of Cleveland | クリスチアーノ・ダ・マッタ | ポール・トレーシー | パトリック・カーペンティア | チーム・プレイヤーズ | Report |
10 | Molson Indy Vancouver | クリスチアーノ・ダ・マッタ | クリスチアーノ・ダ・マッタ | ダリオ・フランキッティ | チームKOOLグリーン | Report |
11 | CART Grand Prix of Mid-Ohio | パトリック・カーペンティア | クリスチアーノ・ダ・マッタ | パトリック・カーペンティア | チーム・プレイヤーズ | Report |
12 | Grand Prix at Road America | ブルーノ・ジュンケイラ | ブルーノ・ジュンケイラ | クリスチアーノ・ダ・マッタ | ニューマン・ハース・レーシング | Report |
13 | Molson Indy Montreal | クリスチアーノ・ダ・マッタ | ダリオ・フランキッティ | ダリオ・フランキッティ | チームKOOLグリーン | Report |
14 | Shell Grand Prix of Denver | ブルーノ・ジュンケイラ | ケニー・ブラック | ブルーノ・ジュンケイラ | ターゲット・チップ・ガナッシ | Report |
15 | Sure For Men Rockingham 500 | ケニー・ブラック | ジミー・バッサー | ダリオ・フランキッティ | チームKOOLグリーン | Report |
16 | Grand Prix Americas | トニー・カナーン | クリスチャン・フィッティパルディ | クリスチアーノ・ダ・マッタ | ニューマン・ハース・レーシング | Report |
17 | Honda Indy 300 | クリスチアーノ・ダ・マッタ | クリスチアーノ・ダ・マッタ | マリオ・ドミンゲス | ハーディス・コンペティション | Report |
18 | The 500 | トニー・カナーン | オリオール・セルビア | ジミー・バッサー | チーム・レイホール | Report |
19 | Gran Premio Telmex-Gigante | ブルーノ・ジュンケイラ | 中野信治 | ケニー・ブラック | ターゲット・チップ・ガナッシ | Report |
ポイントシステム
[編集]順位 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
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ポイント | 20 | 16 | 14 | 12 | 10 | 8 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
ボーナスポイント
- 1 point to fastest driver in a qualification session (2 sessions on road and street course events, 1 session for oval events).
- 1 point to driver who leads the most laps.
ドライバー
[編集]
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|
ネイションズカップ
[編集]順位 | 国名 | MTY | LBH | MOT | MIL | LAG | POR | CHI | TOR | CLE | VAN | MDO | ROA | MTL | DEN | ROC | MIA | SUR | FON | MEX | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ブラジル | 1 | 8 | 1 | 4 | 1 | 1 | 1 | 1 | 8 | 3 | 2 | 1 | 2 | 1 | 2 | 1 | 5 | 4 | 2 | 325 |
2 | カナダ | 5 | 7 | 2 | 1 | 5 | 5 | 7 | 7 | 1 | 2 | 1 | 2 | 4 | 8 | 3 | 4 | 2 | 3 | 4 | 247 |
3 | アメリカ合衆国 | 12 | 1 | 14 | 7 | 7 | 4 | 12 | 6 | 2 | 6 | 3 | 5 | 5 | 10 | 7 | 3 | 9 | 1 | 11 | 164 |
4 | スコットランド | 2 | 9 | 3 | 12 | 19 | 3 | 3 | 13 | 14 | 1 | 17 | 12 | 1 | 18 | 1 | 10 | 7 | 10 | 5 | 148 |
5 | メキシコ | 4 | 4 | 5 | 2 | 9 | 6 | 10 | 9 | 9 | 4 | 11 | 8 | 6 | 4 | 11 | 6 | 1 | 13 | 13 | 142 |
6 | スウェーデン | 18 | 5 | 17 | 8 | 3 | 15 | 18 | 2 | 4 | 18 | 6 | 14 | 18 | 7 | 8 | 13 | 4 | 12 | 1 | 113 |
7 | ニュージーランド | 6 | 18 | 9 | 6 | 6 | 7 | 6 | 5 | 15 | 16 | 5 | 17 | 10 | 2 | 12 | 18 | 15 | 6 | 7 | 96 |
8 | 日本 | 14 | 6 | 8 | 14 | 14 | 11 | 4 | 4 | 7 | 11 | 9 | 11 | 9 | 15 | 6 | 14 | 13 | 15 | 6 | 73 |
9 | スペイン | 10 | 11 | 6 | 14 | 10 | 16 | 16 | 11 | 4 | 17 | 16 | 5 | 9 | 44 | ||||||
10 | イタリア | 9 | 3 | 18 | 3 | 13 | 15 | 14 | 32 | ||||||||||||
11 | イギリス | 9 | 4 | ||||||||||||||||||
12 | ドイツ | 12 | 1 | ||||||||||||||||||
順位 | 国名 | MTY | LBH | MOT | MIL | LAG | POR | CHI | TOR | CLE | VAN | MDO | ROA | MTL | DEN | ROC | MIA | SUR | FON | MEX | ポイント |
ドライバーズポイント
[編集]参照
[編集]- ^ “"Bridgestone set as tire for 2002"”. motorsport.com. (2001年10月31日) 2010年1月23日閲覧。
- ^ “"Penske, a driving force behind the launch of CART leaves for IRL"”. motorsport.com. (2001年12月6日) 2010年1月30日閲覧。
- ^ “"Blair Racing forms new team"”. motorsport.com. (2002年1月9日) 2010年1月30日閲覧。
- ^ “"Forsythe Hilliard shop to shutdown, Herta out of ride"”. motorsport.com. (2001年11月13日) 2010年1月30日閲覧。
- ^ “"Vasser signs with Team Rahal for 2002"”. motorsport.com. (2001年10月12日) 2010年1月30日閲覧。
- ^ “"Michel Jourdain Jr., Gigante sign with Team Rahal"”. motorsport.com. (2002年1月30日) 2010年1月30日閲覧。
- ^ “"Kenny Brack signs with Ganassi Racing for 2002"”. motorsport.com. (2001年8月16日) 2010年1月30日閲覧。
- ^ “"Papis signs with Sigma for 2002 season"”. motorsport.com. (2002年1月21日) 2010年1月30日閲覧。
- ^ “"Patrick Racing signs Townsend Bell"”. motorsport.com. (2002年12月20日) 2010年1月30日閲覧。
- ^ “"Team Herdez names Dominguez as 2002 driver"”. motorsport.com. (2002年12月6日) 2010年1月30日閲覧。
- ^ “"Dixon moves to Ganassi Racing"”. motorsport.com. (2002年5月29日) 2010年2月5日閲覧。
- ^ “"PWR suspends operation of Servia's No. 17"”. motorsport.com. (2002年5月16日) 2010年2月5日閲覧。
- ^ “"Portland: Sigma Autosport withdraws from event"”. motorsport.com. (2002年6月15日) 2010年2月5日閲覧。
- ^ “"Servia replaces Bell at Patrick Racing"”. motorsport.com. (2002年7月23日) 2010年2月5日閲覧。
- ^ “"Mid-Ohio: Papis to replace injured Fernandez"”. motorsport.com. (2002年8月5日) 2010年2月5日閲覧。
- ^ “"Manning named Team St. George Rockingham driver"”. motorsport.com. (2002年9月6日) 2010年2月5日閲覧。
- ^ “"Papis to substitute for Fernandez at Fontana"”. motorsport.com. (2002年10月29日) 2010年2月5日閲覧。
- ^ “"Fernandez to sit out Mexico GP"”. motorsport.com. (2002年11月14日) 2010年2月5日閲覧。
- ^ “"Dale Coyne to field car at Mexico City"”. motorsport.com. (2002年11月8日) 2010年2月5日閲覧。
外部リンク
[編集]- Aberg, Andreas. “CART FedEx Champ Car World Series 2002”. Driver Database. 2009年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年5月19日閲覧。
- “2002 CART FedEx Champ Car World Series”. Champ Car Stats. 2009年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年5月19日閲覧。
- "FedEx Renews Title Sponsorship Agreement with Championship Auto Racing Teams; FedEx Championship Series Roars into 2002" (Press release). FedEx Corporation. 2001年11月7日. 2009年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年5月20日閲覧。
- “Standings after Mexico City”. Champ Car World Series. 2009年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年5月19日閲覧。