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トニー・カナーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トニー・カナーン
Tony Kanaan
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1974-12-31) 1974年12月31日(49歳)
出身地 バイーア州サルヴァドール
インディカー・シリーズでの経歴
デビュー 2002
所属 A.J.フォイト・エンター・プライズ
車番 14
過去所属 アンドレッティ・オートスポーツ
モー・ナン・レーシング
タスマン・モータースポーツ
KVレーシング・テクノロジー
チップ・ガナッシ・レーシング
出走回数 169
優勝回数 15
ポールポジション 11
ファステストラップ 14
シリーズ最高順位 1位 (2004)

アントワーニ・ヒズカラー・”トニー”・カナーン・フィーリョAntoine Rizkallah "Tony" Kanaan Filho, 1974年12月31日 - )は、アラブ系ブラジルバイーア州サルヴァドール出身のレーシングドライバー

アメリカ合衆国オープンホイールレースで活躍し、2004年のインディカー・シリーズ(IRL)チャンピオンである。CART、IRLというアメリカの二つのオープンホイール選手権の双方で優勝の経験がある。

2006年現在、ブラジルではサンパウロ、アメリカではマイアミに居住、既婚。愛称はイニシャルである"TK"で、自身のオリジナルグッズや公式ウェブサイトでもTKロゴが使用されている[1]

経歴

[編集]

初期の経歴

[編集]

1983年、8歳の時にレーシングカートを開始しコースで練習を重ねる。1985年に初めて公式な選手権に挑戦。以後1990年でカートを卒業するまでサンパウロ州選手権で各クラス合わせて8回に渡りチャンピオンを獲得し、ブラジル全国選手権でもチャンピオン獲得の実績を残した。この間、13歳の時に父親を亡くし、以後、母がカナーンのカートレース活動を支えた。

1991年にブラジル・フォーミュラ・フォードにステップアップし四輪レースデビュー、ランキング6位。翌1992年はブラジル・フォーミュラ・シボレーに参戦しランキング5位とジュニアフォーミュラレースで腕を磨いた。

ヨーロッパ

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1993年より18歳でヨーロッパに渡り、フォーミュラ・オペル・ユーロ選手権に参戦、ランキング7位となる。1994年はイタリアのフォーミュラ・アルファ・ボクサー選手権にカテゴリーを移し、シリーズチャンピオンとアンダー21部門チャンピオンのダブル・タイトルを獲得。

フォーミュラ3

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1995年よりイタリアF3選手権にステップアップし、Team Tatuusダラーラ・F395でフル参戦。9月17日に行われた第18戦イモラでF3初優勝、シーズン通算では表彰台を9回獲得し、ランキング5位を記録。同年5月のモナコグランプリF3にも出走しているが、このモナコF3での同世代ドライバーにラルフ・シューマッハトム・コロネルアレクサンダー・ヴルツノルベルト・フォンタナなども出走していた[2]

アメリカ

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1996年よりアメリカに渡り、タスマン・モータースポーツに加入。チームメイトはエリオ・カストロネベスホセ・ルイス・ディ・パルマ英語版の3台体制でインディ・ライツへの参戦を開始した。初年度に2勝を挙げてランキング2位、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。翌1997年はカストロネベスとクリスチアーノ・ダ・マッタの3人で繰り広げられたタイトル争いを制し、シリーズ・チャンピオンとなった。

CART

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折りしもこの時期は1996年に従来のインディカーレースと呼ばれていたシリーズであるCARTからインディ・レーシング・リーグ(IRL)が分裂し、北米ではCARTとIRLの2リーグが対立している状況だった。

この時期に有力だったのはCARTであり、1998年に上位カテゴリにステップアップすることになったカナーンもCARTを選んだ。この年は前年以前と同じくタスマンチームから参戦し、表彰台も2度獲得。ウォーカー・レーシングジル・ド・フェランニューマン・ハース・レーシングクリスチャン・フィッティパルディパックウェスト・レーシングマウリシオ・グージェルミンといった実力者を抑え、ブラジル人ドライバーの中で同年最高位となるランキング9位を記録し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。

翌年はタスマンチームを吸収したフォーサイスで参戦し、この年はミシガン・スピードウェイで開催された第12戦US500で初優勝を飾った。 2000年はモー・ナン・レーシングに移籍したが、この年はイルモアメルセデスエンジンの不調と、シーズン中盤のデトロイトにおけるクラッシュにより負傷し、4戦を欠場したためランキングとしては19位に沈む結果となった。

翌2001年は再びホンダエンジンを搭載してモー・ナン・レーシングから参戦し、CARTに復帰したアレックス・ザナルディとのコンビとなったが、9月にドイツラウジッツリンクで開催された第16戦の事故で重傷を負ったザナルディが離脱を余儀なくされたため、第18戦からはケイシー・メアーズを同僚とした。カナーン自身はこの第16戦を含め第12戦から第19戦まで8戦連続入賞を続けるなどした結果、最終的にランキング9位に着けた。結果的にCARTでは3年に渡って参戦したが、優勝は1勝にとどまった。

この時期からCARTとIRLの力関係には変化が生じ、2002年途中でモー・ナン・レーシングがIRLへ移る決断をしたため、この年、カナーンはインディ500に初めて参加した(開催権をIRLが所有していたため、CART所属のカナーンはそれまでインディ500に参戦したことがなかった)。

インディカー・シリーズ

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2003年にアンドレッティ・グリーン・レーシングに移籍し、シリーズフル参戦初年度を迎えた。この年はオーナー兼ドライバーのマイケル・アンドレッティ、チームグリーン時代からの古参ダリオ・フランキッティ、カナーンと同年に移籍してきたブライアン・ハータのチームメイトとなったが、強力なチームのバックアップを得たことで一気にスターダムに伸し上がり、1勝、ランキング4位という、チーム内の最上位で終えた。

翌2004年はシーズン3勝を挙げ、8位でフィニッシュだった開幕戦以外全てのレースを上位5位以内で終えるという安定感を見せる。前年限りでドライバーから引退したアンドレッティに代わってチームメイトとなり、この年ランキング2位を記録したダン・ウェルドンに80ポイント以上の大差をつけてのシリーズチャンピオンを獲得した。

連覇に挑んだ2005年はウェルドンと立場が逆となり、独走したウェルドンに対して80ポイント差をつけられてランキング2位となった。同年はインディ500でのポールポジション獲得がハイライトであった。

2006年は先行するチップ・ガナッシペンスキー勢に付け入ることはできず、表彰台に上がることも難しいシーズンとなったが、7月にウィスコンシン州で開催された第10戦A・J・フォイト225レースでは終始レースをリード。アンドレッティ・グリーンチームのシーズン初優勝を挙げ、一矢報いた。カナーンにとって前年8月のカリフォルニア以来、実に11ヶ月振りの優勝であった。シリーズランキングは6位。

2007年は全ドライバー最多となる5勝をあげ、ランキング3位。雨で赤旗中断となったこの年のインディ500では最多リードラップを獲得したが、最終結果は12位であった。

2008年はシーズン1勝でランキング3位に入ったが、2009年はこの年の2強となったチップ・ガナッシ、ペンスキー勢にアンドレッティASは遅れを取り、フル参戦7年目にして初のシーズン未勝利に終わる。シリーズランキングは6位だった。

2010年もチップ・ガナッシ、ペンスキー勢が速さを見せ、ランキングは前年と同じ6位であったが、第8戦アイオワで自身2年ぶりの優勝。シーズン終了後の10月29日にアンドレッティ・オートスポーツが、カナーンとの複数年契約を解除することで合意達したと発表し、8年間所属した同チームから離脱する。

2011年に向けてド・フェラン・ドラゴン・レーシングから参戦することが発表されたが、世界金融危機によるスポンサー不足などから急遽同チームが撤退。開幕直前になってKVレーシング・テクノロジーと契約し参戦した。ランキングは5位と前年を上回ったが、最高位は2位で2009年以来の未勝利だった。

インディ500では初参戦以来優勝がなかったが、2013年に初優勝。また、ツインリンクもてぎで開催されたCART/インディカーのレースに全て出走した唯一のドライバーでもある。

2023年2月、アロー・マクラーレンと第107回インディ500のみのスポット参戦契約を発表し、この出走を最後にインディカーレースから引退すると表明した。なお、フォーミュラカーからは退くが、IMSA スポーツカー選手権WECにはまだ参戦する意向であり、レーシングドライバーとしての引退ではないと語った[3]

その他

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2007年フォーミュラ・ニッポン第9戦鈴鹿サーキットに、ゲストドライバーとして参戦し決勝では6位入賞を果たした(ゲスト参戦のためポイントはなし。)。

2015年デイトナ24時間レースで優勝を果たした。

2023年5月にアロー・マクラーレンからインディ500にスポット出走した後もアドバイザーの役職でチームに携わり、同年11月にマクラーレンの計らいにより母国の英雄であり、カナーン自身にとっても少年時からのヒーローであるアイルトン・セナが乗った1991年のF1マシン「マクラーレン・ホンダ MP4/6」をソノマ・レースウェイで走行させた。走行後のカナーンは「こんなことが実現したなんてまだ信じられない。マクラーレンと、提案してくれたザク・ブラウンには一生に一度の願いをかなえてもらった気持ちで感謝してもしきれないよ。」と感動に浸った[4]

交友関係

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尊敬する人物にはエマーソン・フィッティパルディアイルトン・セナとホンダ陣営所属時2002年の質問で回答している[5]

その気さくな性格からほとんどのブラジル人ドライバーと交流があり、公式サイトには友人らからのコメント欄すら設けられている[1]。中でも、元F1ドライバーのルーベンス・バリチェロとは「兄弟のようなもの」というほど仲が良く、2012年にはF1からインディカーに転向したバリチェロをチームメイトに迎え入れた。

2006年、F1モナコGPでバリチェロがカナーンのカラーリングのヘルメットを、決勝日が同日だったインディ500ではカナーンがバリチェロのカラーリングのヘルメットを着用して参戦した。これは同年1月にバリチェロが思いついたお遊びがきっかけで、「カナーンがF1で一番走ってみたいレース」と言ったモナコで、カナーンのヘルメットカラーで走って友人を驚かせるために考えたものであったが、バリチェロの企みを知ったカナーンは、ならば自分は同じ日のインディ500をバリチェロのヘルメットカラーで走るよと提案し実現した。開催される当日までこの企みは2人だけの秘密だった。

ブラジル人の友人、特にバリチェロからはカナーン(Kanaan)をもじって「アナォン(anão)」の愛称で呼ばれている(「ビッグイヤー」という意味の他、「能無し」という意味もある)。

ブラジル人以外では2005年までアンドレッティ・グリーン・レーシングのチームメイトだったイギリス人ダン・ウェルドンと付き合いが深く、ウェルドンはブラジルで毎年年末に行われているカートレース「グランジャ・ヴィアナ500マイルレース」にて2004年、2005年、さらにはウェルドン自身がチップ・ガナッシへ移籍し、カナーンとのチームメイト関係がなくなった2006年も、カナーンチームの一員として参戦するためにブラジルを訪れていた。この大会はもっぱらブラジル人ドライバーによる祭典であるため、他国のプロドライバーの参加は珍しいことであった。この大会においてカナーンは、バリチェロ、ウェルドン、同じくIRLに参戦しているブラジル人フェリペ・ジアフォーネとの4人組で参戦した。

レース戦績

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アメリカン・オープンホイール

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インディ・ライツ

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チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位 ポイント
1996年 タスマン・モータースポーツ MIA
10
LBH
2
NAZ
12
MIS
17
MIL
7
DET
1
POR
5
CLE
19
TOR
24
TRO
2
VAN
2
LS
1
2位 113
1997年 MIA
6
LBH
5
NAZ
5
SAV
23
STL
10
MIL
3
DET
1
POR
3
TOR
2
TRO
1
VAN
2
LS
2
FON
9
1位 156

CART

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 順位 ポイント
1998年 タスマン・モータースポーツ レイナード・98i ホンダ MIA
Ret
MOT
6
LBH
5
NZR
9
RIO
Ret
STL
Ret
MIL
17
DET
8
POR
4
CLE
14
TOR
Ret
MIS
11
MDO
8
ROA
4
VAN
Ret
LS
3
HOU
3
SRF
7
FON
Ret
9位 92
1999年 フォーサイス・レーシング レイナード・99i MIA
Ret
MOT
6
LBH
Ret*
NZR
Ret
RIO
5
STL
7
MIL
18
POR
15
CLE
Ret
ROA
6
TOR
Ret
MIS
1
DET
6
MDO
Ret
CHI
11
VAN
9
LS
Ret
HOU
9
SRF
6
FON
9
11位 85
2000年 モー・ナン・レーシング レイナード・2Ki メルセデス・ベンツ MIA
10
LBH
Ret
RIO
Ret
MOT
Ret
NZR
8
MIL
10
DET
DNS
POR
CLE
TOR
MIS
Ret
CHI
Ret
MDO
13
ROA
8
VAN
14
LS
Ret
STL
13
HOU
10
SRF
8
FON
Ret
19位 24
2001年 レイナード・01i ホンダ MTY
7
LBH
7
TXS
NH
NZR
16
MOT
3
MIL
6
DET
DNS
POR
Ret
CLE
16
TOR
Ret
MIS
Ret
CHI
8
MDO
5
ROA
12
VAN
4
LAU
7
ROC
8
HOU
12
LS
8
SRF
17
FON
5
9位 93
2002年 レイナード・02i MTY
16
LBH
20
MOT
15*
12位 99
ローラ・B02/00 MIL
16
LS
12
POR
8
CHI
8
TOR
17
CLE
8
VAN
3
MDO
14
ROA
4
MTL
3
DEN
6
ROC
15
MIA
9
SRF
5
FON
4
MXC
8*

インディカー・シリーズ

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント
2002年 モー・ナン・レーシング Gフォース シボレー HMS PHX FON NZR INDY
28
TXS PPIR RIR KAN NSH MIS KTY STL CHI TX2 50位 2
2003年 アンドレッティ・グリーン・レーシング ダラーラ ホンダ HMS
4
PHX
1
MOT
14
INDY
3
TXS
2
PPIR
2
RIR
5
KAN
4
NSH
9
MIS
16
STL
2
KTY
6
NZR
18
CHI
6
FON
3
TX2
14
4位 476
2004年 HMS
8
PHX
1
MOT
2
INDY
2
TXS
1
RIR
5
KAN
3
NSH
1
MIL
4
MIS
2
KTY
5
PPIR
5
NZR
2
CHI
3
FON
2
TX2
2
1位 618
2005年 HMS
3
PHX
3
STP
2
MOT
6
INDY
8
TXS
3
RIR
19
KAN
1
NSH
19
MIL
4
MIS
4
KTY
20
PPIR
3
SNM
1
CHI
5
WGL
2
FON
2
2位 548
2006年 HMS
11
STP
3
MOT
3
INDY
5
WGL
11
TXS
7
RIR
18
KAN
5
NSH
12
MIL
1
MIS
4
KTY
5
SNM
11
CHI
7
6位 384
2007年 HMS
5
STP
3
MOT
1
KAN
15
INDY
12
MIL
1
TXS
2
IOW
16
RIR
4
WGL
4
NSH
18
MDO
4
MIS
1
KTY
1
SNM
4
DET
1
CHI
6
3位 576
2008年 HMS
8
STP
3
MOT1
5
LBH1
DNP
KAN
2
INDY
29
MIL
3
TXS
5
IOW
18
RIR
1
WGL
3
NSH
4
MDO
7
EDM
9
KTY
8
SNM
3
DET
3
CHI
4
SRF2
21
3位 513
2009年 STP
5
LBH
3
KAN
3
INDY
27
MIL
19
TXS
8
IOW
14
RIR
6
WGL
8
TOR
17
EDM
21
KTY
3
MDO
10
SNM
8
CHI
13
MOT
11
HMS
4
6位 386
2010年 アンドレッティ・オートスポーツ SAO
10
STP
10
ALA
8
LBH
5
KAN
3
INDY
11
TXS
6
IOW
1
WGL
21
TOR
4
EDM
12
MDO
17
SNM
7
CHI
5
KTY
4
MOT
7
HMS
3
6位 453
2011年 KVレーシング・テクノロジー STP
3
ALA
6
LBH
8
SAO
22
INDY
4
TXS1
11
TXS2
5
MIL
19
IOW
2
TOR
26
EDM
4
MDO
5
NHM
22
SNM
28
BAL
3
MOT
17
KTY
17
LVS
C
5位 366
2012年 ダラーラ・DW12 シボレー STP
25
ALA
21
LBH
4
SAO
13
INDY
3
DET
6
TXS
11
MIL
2
IOW
3
TOR
4
EDM
18
MDO
6
SNM
10
BAL
20
FON
18
9位 351
2013年 STP
4
ALA
13
LBH
20
SAO
21
INDY
1
DET1
13
DET2
12
TXS
3
MIL
10
IOW
3
POC
13
TOR1
5
TOR2
24
MDO
24
SNM
13
BAL
15
HOU1
21
HOU2
24
FON
3
11位 397
2014年 チップ・ガナッシ・レーシング STP
6
LBH
18
ALA
9
IMS
10
INDY
26
DET1
3
DET2
9
TXS
6
HOU1
13
HOU2
10
POC
11
IOW
3
TOR1
3
TOR2
2
MDO
21
MIL
3
SNM
13
FON
1
7位 544
2015年 STP
3
NLA
6
LBH
5
ALA
13
IMS
7
INDY
26
DET1
20
DET2
13
TXS
2
TOR
6
FON
2
MIL
6
IOW
21
MDO
5
POC
19
SNM
4
8位 431
2016年 STP
9
PHX
4
LBH
6
ALA
8
IMS
25
INDY
4
DET1
9
DET2
7
RDA
2
IOW
7
TOR
4
MDO
12
POC
9
TXS
3
WGL
19
SNM
13
7位 461
2017年 ホンダ STP
12
LBH
15
ALA
7
PHX
6
IMS
20
INDY
5
DET1
15
DET2
10
TXS
2
ROA
21
IOW
9
TOR
19
MDO
16
POC
5
GMP
16
WGL
20
SNM
16
10位 403
2018年 A.J.フォイト・エンタープライズ シボレー STP
11
PHX
8
LBH
8
ALA
18
IMS
14
INDY
25
DET
14
DET
7
TXS
21
ROA
14
IOW
17
TOR
6
MDO
18
POC
17
GTW
13
POR
11
SNM
12
16位 312
2019年

STP
15

COTA
12

ALA
18

LBH
19

IMS
20

INDY
9

DET1
15

DET2
22

TXS
16

ROA
21

TOR
17

IOW
10

MDO
20

POC
8

GTW
3

POR
12

LGS
16

16位 304
2020年

TXS
10

IMS ROD1 ROD2

IOW1
18

IOW2
11

INDY
19

GTW1
9

GTW2
19

MDO1 MDO2 IMS1 IMS2 STP 24位 104
2021年 チップ・ガナッシ・レーシング ホンダ ALA STP TXS
11
TXS
15
IMS
INDY
10
DET
DET
ROA
MDO
TOR
NSH
IMS
GTW
13
POR
LAG
LBH
28位 96
2022年 STP
TXS
LBH
ALA
IMS
INDY
3
DET ROA MDO TOR IOW IOW IMS NSH GTW POR LAG 26位 78
2023年 アロー・マクラーレン シボレー STP
TXS
LBH
ALA
IMS
INDY
16
DET
ROA
MDO
TOR
IOW
IOW
NSH
IMS
GTW
POR
LAG
32位 18
1 同日に開催された
2 ポイント非加算のレース
チーム 出走数 ポールポジション 勝利数 表彰台
(勝利以外)**
トップ10
(表彰台以外)***
インディ500勝利数 チャンピオン獲得数
14 4 206 11 16 104 141 1 1 (2004)
** 表彰台(勝利以外):2位または3位
*** トップ10(表彰台以外):4位から10位まで

インディ500

[編集]
シャシー エンジン スタート フィニッシュ チーム
2002年 Gフォース シボレー 5 28 モー・ナン・レーシング
2003年 ダラーラ ホンダ 2 3 アンドレッティ・グリーン・レーシング
2004年 ダラーラ ホンダ 5 2 アンドレッティ・グリーン・レーシング
2005年 ダラーラ ホンダ 1 8 アンドレッティ・グリーン・レーシング
2006年 ダラーラ ホンダ 5 5 アンドレッティ・グリーン・レーシング
2007年 ダラーラ ホンダ 2 12 アンドレッティ・グリーン・レーシング
2008年 ダラーラ ホンダ 6 29 アンドレッティ・グリーン・レーシング
2009年 ダラーラ ホンダ 6 27 アンドレッティ・グリーン・レーシング
2010年 ダラーラ ホンダ 33* 11 アンドレッティ・オートスポーツ
2011年 ダラーラ ホンダ 22 4 KVレーシング・テクノロジー
2012年 ダラーラ シボレー 8 3 KVレーシング・テクノロジー
2013年 ダラーラ シボレー 12 1 KVレーシング・テクノロジー
2014年 ダラーラ シボレー 16 26 チップ・ガナッシ・レーシング
2015年 ダラーラ シボレー 4 26 チップ・ガナッシ・レーシング
2016年 ダラーラ シボレー 18 4 チップ・ガナッシ・レーシング
2017年 ダラーラ ホンダ 7 5 チップ・ガナッシ・レーシング
2018年 ダラーラ シボレー 10 25 A.J.フォイト・エンタープライズ
2019年 ダラーラ シボレー 16 9 A.J.フォイト・エンタープライズ
2020年 ダラーラ シボレー 10 25 A.J.フォイト・エンタープライズ
2021年 ダラーラ ホンダ 5 10 チップ・ガナッシ・レーシング
2022年 ダラーラ ホンダ 6 3 チップ・ガナッシ・レーシング
2023年 ダラーラ シボレー 9 16 アロー・マクラーレン
*カナーンはバックアップカーで予選32位であったが、レースではメインカーを使用することに決めた。これによりスタート位置は33番グリッドに降格した。

アメリカン・ル・マン・シリーズ

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チーム シャシー クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
2007年 アンドレッティ・グリーン・レーシング アキュラ・ARX-01a LMP2 SEB
1
STP LNB TEX UTA LIM MID AME MOS DET PET
Ret
MON
4
17位 39
2008年 アキュラ・ARX-01b LMP2 SEB STP LNB UTA LIM MID AME MOS DET PET
7
MON
1
22位 39

ル・マン24時間レース

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チーム パートナー 使用車両 クラス ラップ 総合順位 クラス順位
2017年 アメリカ合衆国の旗 フォード・チップ・ガナッシ・チームUSA アメリカ合衆国の旗 ジョーイ・ハンド
ドイツの旗 ディルク・ミュラー
フォード・GT GTE
Pro
339 22位 6位
2018年 アメリカ合衆国の旗 フォード・チップ・ガナッシ・チームUK イギリスの旗 アンディ・プリオール
イギリスの旗 ハリー・ティンクネル
GTE
Pro
332 36位 12位

参照

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外部リンク

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タイトル
先代
デヴィッド・エフリンガム
インディ・ライツ チャンピオン
1997
次代
クリスチアーノ・ダ・マッタ
先代
パトリック・カーペンティア
CART ルーキー・オブ・ザ・イヤー
1998
次代
ファン・パブロ・モントーヤ
先代
スコット・ディクソン
IRL インディカー・シリーズ チャンピオン
2004
次代
ダン・ウェルドン
先代
ダリオ・フランキッティ
インディ500勝者
2013
次代
ライアン・ハンター=レイ
受賞
先代
サム・ホーニッシュ・ジュニア
スコット・ブレイトン アウォード
2007
次代
ヴィトール・メイラ