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J.R.ヒルデブランド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
J.R.ヒルデブランド
J. R. Hildebrand
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1988-01-03) 1988年1月3日(36歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州サウサリート
インディカー・シリーズでの経歴
デビュー 2010
所属 エド・カーペンター・レーシング
車番 21
過去所属 ドレイヤー&レインボールド・レーシング
パンサー・レーシング
出走回数 19
優勝回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
シリーズ最高順位 14位 (2011)
過去参加シリーズ
2009
2008-09
2007
2005-2006
2005
2004
ファイアストン・インディ・ライツ
A1グランプリ
アトランティック・チャンピオンシップ
U.S. F2000
フォーミュラ・パーマー・アウディ・オータムトロフィー
SCCA フォーミュラ・ラッセル
選手権タイトル
2009
2006
2004
ファイアストン・インディ・ライツ
U.S. F2000
SCCA フォーミュラ・ラッセル
受賞
2005
2011
Team USA Scholarship
インディ500ルーキー・オブ・ザ・イヤー

ジョン・R・ヒルデブランド・ジュニア (John R. Hildebrand Jr.、1988年1月3日 - ) は、アメリカ合衆国レーシングドライバー。現在はIZOD インディカー・シリーズパンサー・レーシングより参戦している[1]。ニックネームは「キャプテン・アメリカ」。彼は2011年のインディ500において最終周までトップを快走したものの、ターン4で外壁に接触し、最後の200ヤードでダン・ウェルドンに抜かれ2位になったことでよく知られる。また、ちょうど一ヶ月後にダン・ウェルドンが死亡したラスベガス・モーター・スピードウェイの大クラッシュで負傷した。

経歴

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初期の経歴

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ヒルデブランドは14歳のときにカートを始め、インフィニオン・レースウェイでジム・ラッセル・アライヴ・アンド・ドライヴ・チャンピオンシップに参加、その年に最初のレースだけで無く選手権にも勝利した。2003年にはジュニア80ccシフタークラスに参加、シリーズ2位となり同年末にジム・ラッセル・グラデュエイト・ランオフズを獲得、カートから本格的な4輪に参戦、2004年はフォーミュラ・ラッセルに参戦した。彼は選手権シリーズに勝ち続け、レッドブル・ドライバー・サーチに参加した。2005年にはパシフィックF2000に参加し、シリーズ2位となりルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得、チームUSAスカラーシップに選ばれ、フォーミュラ・パーマー・アウディ・オータムトロフィーにも参加、3位となる。2006年にはU.S.F2000ナショナル・チャンピオンシップに参戦、14戦中12戦に勝利しシリーズを支配した。

2006年の印象的な戦績でヒルデブランドはゴースライン・スカラーシップを得、AARWBA オールアメリカン・オートレーシング・ファーストチームに選出された。

チームメイトのアンドリュー・プレンデヴィルと走行するヒルデブランド(イン側)。2008年のファイアストン・フリーダム100で

アトランティック・チャンピオンシップおよびインディ・ライツ

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2007年、ヒルデブランドはニューマン・ワックス・レーシングに加入、チャンプカー・アトランティックに参戦した。シーズンランキング7位となり、これはアメリカ人ルーキーで最上位であった。シーズン終盤にはRLR-アンダーセン・レーシングからインディ・プロ・シリーズの2戦に参戦した。翌2008年はRLR-アンダーセンからインディ・ライツへと改名した同シリーズにフル参戦する[2]。4戦目のカンザスで初勝利を挙げ、同年はランキング5位でシーズンを終えた。

2009年、彼はディフェンディングチャンピオンチームのAGR-AFSレーシングと契約を交わす[3]。シーズンでは5度のポールポジション、4勝を挙げ、結局14戦目のシカゴランドでタイトルを獲得した。同年彼はブランズ・ハッチで行われたA1グランプリの最終戦にA1チーム・アメリカから参戦し4位を得た。彼は再びAARWBA オールアメリカン・オートレーシング・ファーストチームに選出された。

アメリカン・ル・マン・シリーズ

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アメリカン・ル・マンシリーズに参戦しているジェノア・レーシングがヒルデブランドと契約、彼は2010年のアメリカン・ル・マン・シリーズ、LMPCクラスに同チームから出場した。彼はセブリング12時間とロングビーチ・グランプリに参戦した。

フォーミュラ1

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2009年12月、ヒルデブランドはヘレス・サーキットで行われたフォース・インディアの3日間のテストに参加した。このテストで彼はポール・ディ・レスタとマシンを分け合った[4][5][6]

インディカー

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ヒルデブランドは2010年インディカー・シリーズにデビュー、負傷したマイク・コンウェイの代役としてドレイヤー&レインボールド・レーシングから2戦に参加した。2010年12月14日、ヒルデブランドはパンサー・レーシングと複数年の契約を交わし、ナショナル・ガードのスポンサーを受けた4番車で2011年のインディカー・シリーズにフル参戦することが発表された[7]

ヒルデブランドのドライブするパンサー・レーシングの車両、2011年のインディジャパン

このシーズンのインディ500では、ファイナルラップのターン3までトップを快走しながら、ルーキー優勝の大偉業目前の最後のターン4でクラッシュを喫してしまう。惰性でチェッカーを受けるも2位に終わり、大偉業を逃した。このことや、その後のレースでまたしてもターン4でクラッシュしたことが切っ掛けでそれ以降「ミスター・ターン4」というありがたくない二つ名を頂戴することになってしまった。

記録

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アメリカン・オープンホイール

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アトランティック・チャンピオンシップ

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チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
2006年 ニューマン・ワックス・レーシング LBH HOU MTY POR CLE1 CLE2 TOR EDM SJO DEN MTL ROA
Ret
43位 2
2007年 ニューマン・ワックス・レーシング LVG
Ret
LBH
Ret
HOU
7
POR1
6
POR2
9
CLE
2
MTT
9
TOR
Ret
EDM1
Ret
EDM2
5
SJO
15
ROA
9
7位 140
2008年 ジェノア・レーシング LBH LS MTT EDM1 EDM2 ROA1 ROA2 TRR NJ UTA ATL
Ret
26位 7

インディ・ライツ

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チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 順位 ポイント
2007年 RLR/アンダーセン・レーシング HMS STP1 STP2 INDY MIL IMS1 IMS2 IOW WGL1 WGL2 NSH MDO KTY SNM1
Ret
SNM2
Ret
CHI 37位 18
2008年 RLR/アンダーセン・レーシング HMS
10
STP1
5
STP2
2
KAN
1
INDY
24
MIL
5
IOW
8
WGL1
Ret
WGL2
9
NSH
4
MDO1
5
MDO2
6
KTY
18
SNM1
4
SNM2
4
CHI
Ret
5位 409
2009年 AGR-AFSレーシング STP1
3
STP2
Ret
LBH
1
KAN
14
INDY
2
MIL
2
IOW
6
WGL
1
TOR
2
EDM
1
KTY
Ret
MDO
3
SNM
1
CHI
5
HMS
2
1位 545

インディカー・シリーズ

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント
2010年 ドレイヤー&レインボールド・レーシング ダラーラ ホンダ SAO
STP
ALA
LBH
KAN
INDY
TXS
IOW
WGL
TOR
EDM
MDO
16
SNM
24
CHI
KTY
MOT
HMS
35位 26
2011年 パンサー・レーシング STP
11
ALA
13
LBH
17
SAO
10
INDY
2
TXS1
23
TXS2
18
MIL
21
IOW
4
TOR
8
EDM
11
MDO
25
NHM
21
SNM
23
BAL
19
MOT
7
KTY
20
LVS
C
14位 216
2012年 ダラーラ・DW12 シボレー STP
19
ALA
15
LBH
5
SAO
7
INDY
14
DET
14
TXS
5
MIL
22
IOW
22
TOR
7
EDM
21
MDO
9
SNM
8
BAL
12
FON
11
12位 119
2013年 STP
19
ALA
17
LBH
5
SAO
15
INDY
33
DET1 DET2 TXS MIL IOW POC TOR1 TOR2 MDO 25位 112
バラクーダ・レーシング ホンダ SNM
16
BAL HOU1 HOU2 FON
11
2014年 エド・カーペンター・レーシング シボレー STP LBH ALA IMS INDY
10
DET1 DET2 TXS HOU1 HOU2 POC IOW TOR1 TOR2 MDO MIL SNM FON 26位 66
2015年 CFHレーシング STP NLA LBH ALA IMS
21
INDY
8
DET1
DET2
TXS
TOR
FON
MIL
IOW
MDO
POC
SNM
31位 57
2016年 エド・カーペンター・レーシング STP
PHX
LBH
ALA
IMS
22
INDY
6
DET1
DET2
RDA
IOW
TOR
MDO
POC
TXS
WGL
SNM
23位 84
2017年 STP
13
LBH
11
ALA
PHX
3
IMS
14
INDY
16
DET1
17
DET2
18
TXS
12
ROA
16
IOW
2
TOR
13
MDO
17
POC
19
GMP
18
WGL
15
SNM
14
15位 347
1 同日に開催された
2 ノンタイトル戦
チーム 出走数 ポールポジション 勝利数 表彰台
(勝利以外)**
トップ10
(表彰台以外)***
インディ500勝利数 チャンピオン獲得数
6 5 44 0 0 1 14 0 0
** 表彰台(勝利以外):2位または3位
*** トップ10(表彰台以外):4位から10位まで

インディ500

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シャシー エンジン スタート フィニッシュ チーム
2011年 ダラーラ ホンダ 12 2 パンサー・レーシング
2012年 ダラーラ シボレー 18 14 パンサー・レーシング
2013年 ダラーラ シボレー 10 33 パンサー・レーシング
2014年 ダラーラ シボレー 9 10 エド・カーペンター・レーシング
2015年 ダラーラ シボレー 18 8 CFHレーシング
2016年 ダラーラ シボレー 15 6 パンサー・レーシング
2017年 ダラーラ シボレー 6 16 エド・カーペンター・レーシング

A1グランプリ

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(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 DC ポイント
2008年-09年 A1チーム・アメリカ NED
SPR

NED
FEA

CHN
SPR

CHN
FEA

MYS
SPR

MYS
FEA

NZL
SPR

NZL
FEA

RSA
SPR

RSA
FEA

POR
SPR

POR
FEA

GBR
SPR

4
GBR
SPR

14
11位 24

アメリカン・ル・マン・シリーズ

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エントラント クラス シャシー エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
2010年 ジェノア・レーシング LMPC オレカ・FLM09 シボレー 6.2L V8 M SEB
ovr:25
cls:2
LNB
ovr:7
cls:3
MON UTA LIM MID AME MOS PET 17位 36

参照

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外部リンク

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タイトル
先代
ラファエル・マトス
ファイアストン・インディ・ライツ
チャンピオン

2009
次代
ジャン=カール・ヴァーネイ
受賞や功績
先代
シモーナ・デ・シルベストロ
インディ500
ルーキー・オブ・ザ・イヤー

2011
次代
ルーベンス・バリチェロ