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ロマン・グロージャン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロマン・グロージャン
Romain Grosjean
2024年インディ第6戦 デトロイトGPにて
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
スイスの旗 スイス
生年月日 (1986-04-17) 1986年4月17日(38歳)
出身地 スイスの旗 スイス
同・ジュネーヴ
基本情報
略称表記 GRO
国籍 フランスの旗 フランス
F1での経歴
活動時期 2009,2012-2020
所属チーム '09 ルノー
'12-'15 ロータス
'16-'20 ハース
車番 8
出走回数 181 (179スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 10
通算獲得ポイント 391
ポールポジション 0
ファステストラップ 1
初戦 2009年ヨーロッパGP
最終戦 2020年バーレーンGP
テンプレートを表示
ル・マン24時間での経歴
2010
チームマテック・コンペティション
最高位DNF (2010)
クラス優勝0

ロマン・ダヴィド・ジェレミー・グロージャンRomain David Jeremie Grosjean, 1986年4月17日 - )は、スイスジュネーヴ生まれのレーシングドライバーフランスとスイスの二重国籍[1][2]を所有しているがモータースポーツにおいてはフランス国籍であることを明言している[3]。日本のマスメディアにおいては、「ロメイン・グロージャン」と表記する場合もある(英語の発音ではフランス人のアラン・プロスト (Alain) のようにロマンやロメンに近い)。

経歴

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フォーミュラ・ルノー

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2003年はスイス・フォーミュラ・ルノー1.6選手権に出場、全10戦に勝利し、全戦でファステストラップを獲得してチャンピオンとなり[2]、翌2004年にはフランス・フォーミュラ・ルノーユーロカップ・フォーミュラ・ルノーに移った[2]

2005年もフランス・フォーミュラ・ルノーとユーロカップ・フォーミュラ・ルノーに出場し、フランス・フォーミュラ・ルノーにおいてチャンピオンを獲得し[2]、ルノーの育成プログラムとなるルノー・ドライバー・デベロップメントに加わることとなった[4]

F3

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2005年にSignature-Plusチームでロイック・デュバルの代役としてマカオグランプリF3デビューを果たし9位だった[2]。 2006年はユーロF3に参戦したが、ランキング13位に終わった。イギリスF3にも出場し、フランスのポーで行われたレースでは2レースともポールポジションでスタートし両レースに優勝し、ファステストラップを獲得した[2]マスターズF3は5位。マカオグランプリは5位。

2007年はASM Formule 3に移籍しユーロF3に引き続き参戦しシリーズチャンピオンになった[2]。この年のマスターズF3においてポールポジションを獲得したが14位に終わった[5]。マカオグランプリは8位。

GP2

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F1デビュー以前のGP2

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2008年はこの年から始まったGP2アジアシリーズARTグランプリから出場しGP2アジアシリーズの初代チャンピオンになった。引き続きARTグランプリからGP2メインシリーズに出場[6]し4位だった。

2009年はGP2メインシリーズに元カンポス・グランプリだったバルワ・アダックスで参戦していた[7]がシーズン途中でルノーF1に移った。

F1デビュー後のGP2

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ルノーF1のシートを失った翌年の2010年、第6戦ホッケンハイムにDAMSからジェローム・ダンブロシオに代わって出走した。また、第7戦ブダペストで負傷したホーピン・タンに代わり、第8戦スパ・フランコルシャンから再びDAMSで出走している。

2011年のGP2アジアシリーズではDAMSから参戦。バーレーンでのレースが中止になるなどでわずか2戦のシリーズになったが、2戦ともポールポジションを獲得し1勝するなどの活躍を見せ2度目のチャンピオンになった。引き続きGP2メインシリーズにもDAMSから参戦、第8戦スパ・フランコルシャンの第1レースで最終戦を待たずにシリーズチャンピオンを獲得した。

F1における経歴

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ルノー時代

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2009年

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2008年にネルソン・ピケJr.がレースドライバーとなった為にグロージャンがルノーF1のテストドライバーとして起用され[8]、6月7日と8日にシルバーストーンで行われたワールド・シリーズ・バイ・ルノーにおいて前年度のマシンとなるルノー・R27でデモンストレーションを行った。2009年もルノーF1のテストドライバーを務め、シーズン途中でネルソン・ピケJr.と代わりレースドライバーとなるのではないかとの噂も立っていた中、8月18日にネルソン・ピケJr.に代わって2009年ヨーロッパグランプリからの出走が発表された[9]

デビュー戦のヨーロッパグランプリでは、予選14位と目標にしていたQ2進出を達成した。レースでは1周目で他車と接触し15位に沈んだが、ベストラップでは9位・1'39.428とチームメイトのフェルナンド・アロンソ(10位・1'39.494)よりも上回った。 そのまま最終戦アブダビまで参戦したが、ルノーF1は2010年のドライバーにロバート・クビサヴィタリー・ペトロフを起用したため、F1のシートを失うこととなった。

2010年 - 2011年

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2010年はどのF1チームにも所属せず、一時はモータースポーツからの引退も考えたが(#エピソード参照)、翌シーズンのF1に供給されるピレリタイヤのテストドライバーに、ニック・ハイドフェルドの後任として就任した[10]

2011年はロータス・ルノーGPのテストドライバーに就任し、最終2戦のアブダビグランプリとブラジルグランプリでは金曜フリー走行1回目に出走した。

ロータス時代

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2012年

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前年度のGP2においてチャンピオンを獲得した功績から、前年にテストドライバーを務めていたロータス・ルノーGPからレギュラードライバーとして再びF1に返り咲いた事が発表された[10] 。チームメイトは2007年F1ワールドチャンピオンである、キミ・ライコネン。 初戦のオーストラリアグランプリではレッドブルメルセデスを抑え予選で3番手グリッドを獲得したもののリタイヤ。続くマレーシアグランプリでも早々にリタイアを喫し、2グランプリの決勝で僅か5周しか走行できなかった。だが第3戦中国グランプリでは6位でF1初入賞を果たして流れを掴み、第4戦バーレーングランプリではチームメイトのライコネンと共に力走し、3位表彰台を獲得した。さらに第5戦スペイングランプリでは優勝争いにこそ絡めなかったものの、安定した好走を見せ4位に入り、自身初のファステストラップを記録した。しかしその後のレースもスタート時にクラッシュを引き起こすなど問題行動を重ねた。ついには第12戦ベルギーグランプリではスタート直後に起きた多重クラッシュの原因を作ったとして、1レースの出場停止と5万ユーロの罰金が科せられた[11]2012年日本グランプリでも1周目にウェバーへ追突しペナルティを受けた[12]

2013年

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前年に引き続きライコネンとのタッグでロータスF1チームから参戦した。前年に数多くの批判を受けた他者との接触は明らかに減ったものの、新仕様のピレリタイヤを使いこなすことに苦労しライコネンに比べて成績は見劣りした。しかしピレリタイヤの仕様が前年のものに戻った後半戦は競争力を発揮し、予選・決勝で度々ライコネンを上回った。 前年1周目に接触事故を起こした、2013年日本グランプリでは、抜群のスタートでフロントローのレッドブル2台をかわしトップへ。2回目のピットストップ後にベッテルに先行されるまで、安定した走りでラップリーダーの座を守り続けた。
シーズン後半に手のつけようの無い競争力を発揮したレッドブルに対する1番のチャレンジャーと呼ばれ、自身の評価を高めるシーズンとなった。来シーズンも同チームから参戦することが発表された。

2014年

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チームメイトはパストール・マルドナド。2年前に他車との接触事故を繰り返した2大問題児コンビとして話題となる。しかし成績はルノー製パワーユニットの完成度不足も影響し、最高位は8位が限度と苦戦した。

2015年

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この年よりパワーユニットがメルセデスに変更され、パフォーマンス向上が期待された。ベルギーGPでは、タイヤバーストに見舞われたセバスチャン・ベッテルをオーバーテイクして3位へ浮上、そのままフィニッシュし久しぶりに表彰台に上がる。 日本GP後の9月29日、2016年より参戦する新チームハースF1へ移籍することが発表された。先述した活躍もあってか、いわゆるエース待遇での加入でありドライバーとしての評価向上を伺わせた[13]。またグロージャンの移籍に伴い、彼と関係が深いレースエンジニアの小松礼雄もハースに移籍している[14]

ハース時代

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2016年

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ハースの初レースである開幕戦で6位に入賞、新規参戦チームは初戦で初入賞を達成した。第2戦バーレーンGPでも終始アグレッシブな走りで5位入賞を果たした。その後は苦戦を強いられたが、最終的には前述の5位を筆頭に入賞5回の計29ポイントを獲得し、この年のチームの全ポイントを獲得した。

2017年

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引き続きハースから参戦。開幕戦で予選6位を獲得し、好調なスタートを切ったかと思われたが、その決勝はリタイア。第9戦オーストリアGPの6位を筆頭に入賞8回の計28ポイントを記録したが、レース自体が1戦減っているうえ、前年よりも1ポイント減かつ最高順位も下回るなど、入賞回数は増えたが成績自体はわずかながらに低下した。前年に続きブレーキの問題に悩まされていた影響もあるが、ハマれば強いがハマらなければ最下位やレース中に入賞圏内にも入れずフィニッシュという、極端に浮き沈みが激しいシーズンを過ごした。

2018年

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ハースでの3年目を迎える。この年のマシンVF-18の性能は高くシーズン前テストの結果から活躍を期待されていたが、マシントラブルが自らの方に頻発したうえ、自身・チーム共にミスが重なり、第8戦までノーポイントであった。特に第5戦スペインGPではスタート後の3コーナーで単独スピン、その後もアクセルを踏み続けてニコ・ヒュルケンベルグピエール・ガスリーを巻き込んでクラッシュするという大事故を起こした。これによりペナルティポイント2点と3グリッド降格のペナルティを受けただけでなく、かつての「問題児」ぶりを思わせるクラッシュで批判を受けた。チームメイトのケビン・マグヌッセンが何度かトップ3チームの後ろでフィニッシュしランキング中盤に位置しているのに対し、下位チームのドライバーが散発的にポイントを獲得していることもあって自身はランキング最下位を争う厳しい状況に置かれていた。そんな中第9戦オーストリアGPではメルセデス勢のトラブルやコース特性にも助けられ4位入賞。ハース加入以後の最高成績かつチームの最高順位更新をマークした。これをきっかけに調子を取り戻し、以後チームメイトを上回る成績をマークするようになり、同年のロシアGP開催中にチームが2019年も続投させることを発表した。その後も3度の入賞を記録、一時はランキング最下位も危ぶまれた状況から盛り返してドライバーズランキング14位で終えた。また、不調はあったがポイント面では前年を上回っている。

2019年

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ハースで4年目を迎える。前年の活躍から注目を集めていたチームだったが、シーズン前テストの段階でマシンの戦闘力は良いとは言えず、不安を抱えたまま開幕戦に臨んだ。結果的に見れば、この年のマシン開発が失敗し、チーム全体で苦戦。自身のほうはそれにのまれ精彩を欠くシーズンとなった。チームメイトが時折気を吐いて結果を残したのに対し、自身は見せ場を作ることができなかったため、心機一転という意味でチームはグロージャンを解任するのではという噂[15]が絶えなかった。そんななか、第15戦前にチームは両ドライバーの続投(グロージャン残留)を発表。チームがドライバーの継続性[16]を重視したため、F1のキャリア終了はいったん回避された。

2020年

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ハースで5年目を迎える。記録上の最高位の関係[17]で第10戦までドライバーズランキング最下位だったが、第11戦アイフェルGPで唯一1ストップ作戦を成功させ9位入賞し[18]、最下位から脱出した。10月22日、チームはケビン・マグヌッセンと共に今季で契約を終了することを発表した[19]

そんな中、第15戦バーレーンGPでは、スタート直後にダニール・クビアトと接触しその弾みでガードレールに衝突。衝撃でグロージャンのマシンは前後に真っ二つになったうえにガードレールを突き破り激しく炎上する大事故が発生してしまう。 この時マシンには67Gもの負荷がかかっており、最悪の事態も考えられる事故だったが、グロージャンの体は頭部・頸部支持システム(HANS)頭部保護システム(Halo)などの年々進化した安全装置により、生存スペースと本人の意識が確保されていた。挟まった状態であった左足も速やかに引き抜き[20]。 燃え上がるマシンから自力で脱出に成功。軽度の火傷を負い2日間の入院を強いられたものの骨折などもなくこの事故から生還した[21]

火傷の治療など大事を取って、翌週開催の第16戦サクヒールGPは欠場することとなり[22]、さらにサクヒールGPの開催中にアブダビGPも欠場して火傷の治療に専念することを発表し、バーレーンGPがハースでの最後のレースとなることとなった[23]。この事故はフジテレビ以外の普段F1を扱わない日本の放送局のニュースでも映像付きで報道されたほどの規模だった。また、これほどの大規模な事故で軽傷で済んだのは、Haloなどの保護デバイスや耐火レーシングスーツなどの成果であると言われている。[24]

不本意な形で予定より数戦早くF1を去ることになったグロージャンに対し、2020年のチャンピオンチームであるメルセデスは、グロージャンに対して2019年のマシンを使用したプライベートテスト、および2021年のフランスGPにおいてのデモランを計画した。しかし新型コロナウイルスによるフランスGPの日程変更により、参戦しているインディカーのレースと重なってしまいデモランは中止。プライベートテストもアメリカからの渡航制限の影響などにより延期となっている[25]

その他の経歴

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GT1
2010年はマテック・コンペティションのフォード・GTを駆って、FIA GT1世界選手権に参戦することになり、4月17日の開幕戦アブダビで、バースデイウインとなる初優勝を飾った(パートナーはトーマス・ムテシュ)。第3戦チェコでもトーマス・ムテシュとのコンビで優勝した。
Auto GP
2010年の第3戦スパ・フランコルシャンよりDAMSからAuto GPに参戦。デビュー戦では予選でポールポジションを獲得すると、第1レースで優勝。続く第4戦マニクールでもポールポジションからスタートし第1レースを優勝、2戦連続でポール・トゥ・ウィンを決めた。第5戦ナバラの第2レースでも優勝し、最終戦となった第6戦モンツァの第1レースでは今季3度目となるポール・トゥ・ウィンで優勝した。この結果、グロージャンはシリーズ6戦中4戦の出場ながらシリーズチャンピオンに輝いた。
インディカー
2021年のインディカー・シリーズデイル・コイン・レーシングから参戦する事を発表[26]。当初は2020年のF1での事故の影響から、ロード/ストリートコースでのレースのみに参戦しインディ500を含むオーバルコースでのレースは辞退していたものの、インディ500のレースを見たことをきっかけにオーバルコースでのレースの参戦も開始することとなった[27]。2022年にはトップチームのアンドレッティ・オートスポーツに移籍[28]。しかし成績は低迷し、2023年シーズン終了と共にアンドレッティを離脱したほか、同チームを相手に法的な仲裁手続を進めていることを明らかにしている[29]
WEC/IMSA
2024年よりFIA 世界耐久選手権(WEC)及びIMSA スポーツカー選手権に参戦するランボルギーニが、ワークスドライバーの一人としてグロージャンと契約することを明らかにしており、2023年10月にはテストに参加しランボルギーニ・SC63の実車を走らせた[30]。2024年は基本的にIMSAのみの参戦となる予定。
開発ドライバー
2022年チェコの自動車メーカー・プラガが発表したハイパーカー「ボヘマ」では、開発がスタートした2019年からアドバイザーを務め、自ら開発ドライバーとしてテスト走行を担当した[31]

評価

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F1参戦以降のクラッシュや他車との接触事故は以下の通り。2009年ヨーロッパグランプリルカ・バドエルイタリアグランプリでフロントウィング損傷、ベルギーグランプリジェンソン・バトン2012年オーストラリアグランプリで2周目にパストール・マルドナドマレーシアグランプリミハエル・シューマッハスペイングランプリセルジオ・ペレスモナコグランプリでは再びシューマッハ、イギリスグランプリポール・ディ・レスタドイツグランプリではコースアウトし自滅、上記のベルギーグランプリ・日本グランプリも合わせればキャリア20戦中11戦でスタート1周目に接触・自滅事故を引き起こしている[12][32]。特にベルギーグランプリの事故はタイトル争い中のフェルナンド・アロンソのリタイアを招く形となったため、タイトル争いに大きく影響した。そのため、他のドライバーやチーム関係者からは「問題児」「オープニングラップの狂人」「サーキットの通り魔」と称された[11][12]

2013年もモナコグランプリでダニエル・リカルドに追突する事故を起こしたが、その後は問題を起こすこともなく、落ち着いたレース運びをみせて結果を残した。グロージャンのことを「オープニングラップの狂人」と呼んだウェバーも「今年彼はすごくいい仕事をしている」と評価した[33]。担当エンジニアの小松礼雄も「今年のグロージャンは大きく成長した」「今の彼は本当にミスをしない」と語った[34]。日本GPでも前半をトップで走行するなど見せ場を残した。

2016年には新規参戦のハースに1stドライバーとして迎えられるまでに評価を高め、新規ゆえにマシン性能の(相対的な)低さもあり下位グループでの戦いとなりながらも5度の入賞を記録、この年のハースのポイントを1人で稼ぎコンストラクターズ8位に貢献した。

2018年にはアゼルバイジャンGPにおいて6位でセーフティカー導入中、ステアリングホイールのスイッチを誤操作して単独クラッシュを喫した。ちなみに、グロージャンのエンジニアは勘違いから『(マーカス・)エリクソンがぶつけたんだと思うね[35]』と関係のないドライバーに責任を転嫁してしまった。「ルーキーでもしないミス」と評されたほか[36]、次戦スペインGPではスタート後の3コーナーで単独スピンからコース上を横切ったためニコ・ヒュルケンベルグピエール・ガスリーを巻き込んでクラッシュした[37]。来季のシート喪失の噂が出てくる状況であったが[38]、同年オーストリアGPでQ3進出の4位入賞により、チーム残留候補まで評価を回復[39]。その結果、2019年のシートを確保することに成功した。

彼の評価が分かれることとなった2018年だが、アゼルバイジャンGPやイギリスGPにて運転ミスが原因のリタイア、ペナルティポイントを受けた4戦のうち3戦が接触事故が原因のペナルティなため、批判されるのも無理はなかった。だが、1度に受けた点数は2点以下(2点が3回と1点が1回)にとどまっており、オーストリアGPで青旗無視で3点を受けたランス・ストロールに対し、シンガポールGPで同様のことをしてしまったグロージャンだが、公道コースという特性を考慮して2点にとどまっており、全てがグロージャン側の過失というわけではなかった。接触・自滅事故が目立ったシーズンだが、批判が先行している面もあり、スペインGPの件ではハース代表が「全ての原因をグロージャンに負わせるのは酷だ」[40]と反論している。

そのため、ハース加入前は極端に浮き沈みが激しい傾向であったが、加入後はスランプに陥っている間は成績が低迷するが、それを克服しているときのレースでは速さを見せるという傾向が強くなっている。

ちなみに、この類のうっかりクラッシュはGP2時代からパストール・マルドナドと並んで有名で、マルドナドもF1参入直後のクラッシュが目立っていたため、GP2の仕様そのものに問題があるのではないかとまで言われる始末であった。ちなみにグロージャンとマルドナド同士の凡ミスもGP2ホッケンハイムグランプリで起きている。

グロージャンと長きに渡りコンビを組んだ小松礼雄は、「天性の一発の速さ」「どんなサーキット行ってもすぐに速いタイムを出せる」点を長所として挙げつつも、精神面に課題が有り「ミスをした時に、自分が他人から見られていると思っているからこそ「自分のせいじゃない」ということを言わないと気が済まない」「最後まで精神的な弱さを克服できなかった」と語っている[41]

エピソード

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  • 三児の父[42]
  • 同時期にF1に参戦していたポール・ディ・レスタとは生年月日が1日違いである。
  • 2017年にはジェンソン・バトンに代わり、グランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)の理事に就任した[43]
  • 2010年にルノーF1のシートを失った際、一時シェフへの転身を考えていたことを後に明らかにしている。実際パリのとある料理学校に入学しようと実際に学校まで出向いたものの、その学校の入学時の年齢制限を上回っていたため申し込みすらできず、結局レーシングドライバー業を継続することになった[44]
  • 小松礼雄とは非常に縁が深く、2011年にロータスで初コンビを組み、ハース移籍時も共に移籍したこともあり、2020年にグロージャンがハースを離脱するまで仕事仲間としての関係が続いていた。信頼も厚く、グロージャン自ら「僕はアヤオと非常に強い関係を築いてきた」と語るほどである[45]

レース戦績

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略歴

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シリーズ チーム レース 勝利 PP FL 表彰台 ポイント 順位
2003 フォーミュラ・リスタ・ジュニア1.6 アドヴァンス・レーシング 10 10 ? ? 10 ? 1位
2004 フランス・フォーミュラ・ルノー SG・フォーミュラ ? 1 ? ? 4 ? 7位
フォーミュラ・ルノー2000 ユーロカップ 9 0 0 0 0 32 14位
2005 フランス・フォーミュラ・ルノー 16 10 10 0 13 211 1位
ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0 7 0 0 0 2 28 12位
マカオグランプリ シグナチュール=プラス 1 0 0 0 0 N/A 9位
2006 フォーミュラ3・ユーロシリーズ 20 0 0 0 1 19 13位
イギリス・フォーミュラ3選手権 2 2 1 2 2 0 NC
マカオグランプリ 1 0 0 0 0 N/A 5位
2007 フォーミュラ3・ユーロシリーズ ASM・フォーミュレ3 20 6 4 7 13 106 1位
マスターズ・オブ・フォーミュラ3 1 0 1 0 0 N/A 14位
マカオグランプリ 1 0 0 0 0 N/A 8位
2008 GP2シリーズ ARTグランプリ 20 2 1 2 6 62 4位
GP2アジアシリーズ 10 4 4 3 5 61 1位
フォーミュラ1 ING・ルノーF1チーム テストドライバー
2009 GP2シリーズ バルワ・アダックス・チーム 12 2 3 2 3 45 4位
フォーミュラ1 ING・ルノーF1チーム
ルノーF1チーム
7 0 0 0 0 0 23位
2010 GP2シリーズ DAMS 8 0 0 0 2 14 14位
Auto GP 8 4 3 4 7 58 1位
FIA GT1世界選手権 マテック・コンペティション 10 2 0 0 3 62 11位
ル・マン24時間レース - LMGT1 1 0 0 0 0 N/A DNF
スパ24時間レース グラビティ・インターナショナル 1 0 0 0 0 N/A 16位
2011 GP2シリーズ DAMS 18 5 1 6 10 89 1位
GP2アジアシリーズ 4 1 2 2 2 24 1位
フォーミュラ1 ロータスルノーGP テストドライバー
2012 ロータスF1チーム 19 0 0 1 3 96 8位
2013 19 0 0 0 6 132 7位
2014 19 0 0 0 0 8 14位
2015 19 0 0 0 1 51 11位
2016 ハースF1チーム 21 0 0 0 0 29 13位
2016-17 アンドロス・トロフィー - エリート・プロ・クラス DA レーシング 2 1 1 1 1 106 14位
2017 フォーミュラ1 ハースF1チーム 20 0 0 0 0 28 13位
2018 21 0 0 0 0 37 14位
2019 リッチ・エナジー・ハースF1チーム
ハースF1チーム
21 0 0 0 0 8 18位
2020 ハースF1チーム 15 0 0 0 0 2 19位
2021 インディカー・シリーズ デイル・コイン・レーシング ウィズ リック・ウェアー・レーシング 13 0 1 1 3 272 15位
2021–22 アンドロス・トロフィー - エリート・プロ・クラス DA レーシング 4 0 0 0 0 174 14位
2022 インディカー・シリーズ アンドレッティ・オートスポーツ 17 0 0 0 1 328 13位
2023 17 0 2 0 2 296 13位
ウェザーテック・スポーツカー選手権 - GTD Pro アイロン・リンクス 2 0 0 0 0 612 14位
  •  : ゲストドライバーとしての出走であるため、ポイントは加算されない。
  • * : 今シーズンの順位。(現時点)

フォーミュラ3・ユーロシリーズ

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チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 DC ポイント
2006年 シグナチュール=プラス ダラーラ F305/029 メルセデス HOC
1

21
HOC
2

13
LAU
1

6
LAU
2

4
OSC
1

3
OSC
2

6
BRH
1

9
BRH
2

6
NOR
1

12
NOR
2

8
NÜR
1

18
NÜR
2

10
ZAN
1

4
ZAN
2

11
CAT
1

Ret
CAT
2

9
BUG
1

20
BUG
2

12
HOC
1

DSQ
HOC
2

DSQ
13位 19
2007年 ASM・フォーミュレ3 ダラーラ F305/059 HOC
1

5
HOC
2

1
BRH
1

1
BRH
2

Ret
NOR
1

1
NOR
2

Ret
MAG
1

2
MAG
2

7
MUG
1

1
MUG
2

2
ZAN
1

1
ZAN
2

3
NÜR
1

5
NÜR
2

2
CAT
1

8
CAT
2

DSQ
NOG
1

1
NOG
2

3
HOC
1

2
HOC
2

3
1位 106

GP2シリーズ

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エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 DC ポイント
2008年 ARTグランプリ CAT
FEA

5
CAT
SPR

13
IST
FEA

2
IST
SPR

1
MON
FEA

Ret
MON
SPR

10
MAG
FEA

Ret
MAG
SPR

Ret
SIL
FEA

5
SIL
SPR

8
HOC
FEA

2
HOC
SPR

4
HUN
FEA

17
HUN
SPR

12
VAL
FEA

3
VAL
SPR

Ret
SPA
FEA

1
SPA
SPR

9
MNZ
FEA

4
MNZ
SPR

3
4位 62
2009年 バルワ・アダックス CAT
FEA

1
CAT
SPR

2
MON
FEA

1
MON
SPR

17
IST
FEA

Ret
IST
SPR

12
SIL
FEA

5
SIL
SPR

4
NÜR
FEA

18
NÜR
SPR

5
HUN
FEA

10
HUN
SPR

4
VAL
FEA
VAL
SPR
SPA
FEA
SPA
SPR
MNZ
FEA
MNZ
SPR
ALG
FEA
ALG
SPR
4位 45
2010年 DAMS CAT
FEA
CAT
SPR
MON
FEA
MON
SPR
IST
FEA
IST
SPR
VAL
FEA
VAL
SPR
SIL
FEA
SIL
SPR
HOC
FEA

20
HOC
SPR

19
HUN
FEA
HUN
SPR
SPA
FEA

3
SPA
SPR

6
MNZ
FEA

13
MNZ
SPR

17
YMC
FEA

6
YMC
SPR

3
14位 14
2011年 IST
FEA

1
IST
SPR

10
CAT
FEA

DSQ
CAT
SPR

9
MON
FEA

4
MON
SPR

3
VAL
FEA

1
VAL
SPR

Ret
SIL
FEA

4
SIL
SPR

1
NÜR
FEA

3
NÜR
SPR

1
HUN
FEA

1
HUN
SPR

3
SPA
FEA

3
SPA
SPR

4
MNZ
FEA

3
MNZ
SPR

21
1位 89

GP2アジアシリーズ

[編集]
エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 DC ポイント
2008年 ARTグランプリ DUB1
FEA

1
DUB1
SPR

1
SEN
FEA

4
SEN
SPR

4
SEP
FEA

9
SEP
SPR

2
BHR
FEA

1
BHR
SPR

Ret
DUB2
FEA

1
DUB2
SPR

Ret
1位 61
2011年 DAMS YMC
FEA

2
YMC
SPR

Ret
IMO
FEA

1
IMO
SPR

7
1位 24

F1

[編集]
エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 WDC ポイント
2009年 ルノー R29 ルノー RS27 2.4 V8 AUS MAL CHN BHR ESP MON TUR GBR GER HUN EUR
15
BEL
Ret
ITA
15
SIN
Ret
JPN
16
BRA
13
ABU
18
23位 0
2011年 ロータス・ルノーGP R31 ルノー RS27-2011 2.4 V8 AUS MAL CHN TUR ESP MON CAN EUR GBR GER HUN
BEL
ITA
SIN
JPN
KOR
IND
ABU
TD
BRA
TD
- -
2012年 ロータス E20 ルノー RS27-2012 2.4 V8 AUS
Ret
MAL
Ret
CHN
6
BHR
3
ESP
4
MON
Ret
CAN
2
EUR
Ret
GBR
6
GER
18
HUN
3
BEL
Ret
ITA
EX
SIN
7
JPN
19
KOR
7
IND
9
ABU
Ret
USA
7
BRA
Ret
8位 96
2013年 E21 ルノー RS27-2013 2.4 V8 AUS
10
MAL
6
CHN
9
BHR
3
ESP
Ret
MON
Ret
CAN
13
GBR
19
GER
3
HUN
6
BEL
8
ITA
8
SIN
Ret
KOR
3
JPN
3
IND
3
ABU
4
USA
2
BRA
Ret
7位 132
2014年 E22 ルノー Energy F1-2014 1.6 V6 t AUS
Ret
MAL
11
BHR
12
CHN
Ret
ESP
8
MON
8
CAN
Ret
AUT
14
GBR
12
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
Ret
ITA
16
SIN
13
JPN
15
RUS
17
USA
11
BRA
17
ABU
13
14位 8
2015年 E23 Hybrid メルセデス PU106B Hybrid 1.6 V6 t AUS
Ret
MAL
11
CHN
7
BHR
7
ESP
8
MON
12
CAN
10
AUT
Ret
GBR
Ret
HUN
7
BEL
3
ITA
Ret
SIN
13
JPN
7
RUS
Ret
USA
Ret
MEX
10
BRA
8
ABU
9
11位 51
2016年 ハース VF-16 フェラーリ 061 1.6 V6 t AUS
6
BHR
5
CHN
19
RUS
8
ESP
Ret
MON
13
CAN
14
EUR
13
AUT
7
GBR
Ret
HUN
14
GER
13
BEL
13
ITA
11
SIN
DNS
MAL
Ret
JPN
11
USA
10
MEX
20
BRA
DNS
ABU
11
13位 29
2017年 VF-17 フェラーリ 062 1.6 V6 t AUS
Ret
CHN
11
BHR
8
RUS
Ret
ESP
10
MON
8
CAN
10
AZE
13
AUT
6
GBR
13
HUN
Ret
BEL
7
ITA
15
SIN
9
MAL
13
JPN
9
USA
14
MEX
15
BRA
15
ABU
11
13位 28
2018年 VF-18 フェラーリ 062 EVO 1.6 V6 t AUS
Ret
BHR
13
CHN
17
AZE
Ret
ESP
Ret
MON
15
CAN
12
FRA
11
AUT
4
GBR
Ret
GER
6
HUN
10
BEL
7
ITA
DSQ
SIN
15
RUS
11
JPN
8
USA
Ret
MEX
16
BRA
8
ABU
9
14位 37
2019年 VF-19 フェラーリ 064 1.6 V6 t AUS
Ret
BHR
Ret
CHN
11
AZE
Ret
ESP
10
MON
10
CAN
14
FRA
Ret
AUT
16
GBR
Ret
GER
7
HUN
Ret
BEL
13
ITA
16
SIN
11
RUS
Ret
JPN
13
MEX
17
USA
15
BRA
13
ABU
15
18位 8
2020年 VF-20 フェラーリ 065 1.6 V6 t AUT
Ret
STY
13
HUN
16
GBR
16
70A
16
ESP
19
BEL
15
ITA
12
TUS
12
RUS
17
EIF
9
POR
17
EMI
14
TUR
Ret
BHR
Ret
SKH ABU 19位 2

GT1世界選手権

[編集]
チーム 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
2010年 マテック・コンペティション フォード・GT1 ABU
QR

2
ABU
CR

1
SIL
QR

21
SIL
CR

Ret
BRN
QR

6
BRN
CR

1
PRI
QR

7
PRI
CR

7
SPA
QR

20
SPA
CR

14
NÜR
QR
NÜR
CR
ALG
QR
ALG
CR
NAV
QR
NAV
CR
INT
QR
INT
CR
SAN
QR
SAN
CR
11位 62

ル・マン24時間レース

[編集]
チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回数 順位 クラス順位
2010年 スイスの旗 マテック・コンペティション ドイツの旗 トーマス・ムテシュ
スイスの旗 ジョナサン・ヒルシ
フォード・GT1 GT1 171 DNF DNF

Auto GP

[編集]
エントラント 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
2010年 DAMS BRN
1
BRN
2
IMO
1
IMO
2
SPA
1

1
SPA
2

2
MAG
1

1
MAG
2

Ret
NAV
1

3
NAV
2

1
MNZ
1

1
MNZ
2

3
1位 58

インディカー・シリーズ

[編集]
チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
2021年 デイル・コイン・レーシング ダラーラ・DW12 ホンダ ALA
10
STP
13
TXS TXS IMS
2
INDY DET
23
DET
24
ROA
5
MDO
7
NSH
16
IMS
2
GTW
14
POR
22
LAG
3
LBH
24
15位 272
2022年 アンドレッティ・オートスポーツ STP
5
TXS
26
LBH
2
ALA
7
IMS
17
INDY
31
DET
17
ROA
4
MDO
21
TOR
16
IOW
7
IOW
9
IMS
16
NSH
16
GTW
13
POR
19
LAG
7
13位 328
2023年 STP
18
TXS
14
LBH
2
ALA
2
IMS
11
INDY
30
DET
24
ROA
25
MDO
13
TOR
22
IOW
11
IOW
12
NSH
6
IMS
18
GTW
12
POR
27
LAG
11
13位 296
2024年 ユンコス・ホリンジャー・レーシング シボレー STP
22
THE
DNQ
LBH
8
ALA
12
IMS
12
INDY
19
DET
23
ROA
7
LAG
4
MDO
23
IOW
24
IOW
10
TOR
9
GTW
16
POR
27
MIL
24
MIL
9
NSH
16
17位 260

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ Romain Grosjean en route vers la F1
  2. ^ a b c d e f g Romain Grosjean (Meet the rookies)
  3. ^ F1-live.com 2009年8月20日
  4. ^ romain-grosjean.com
  5. ^ Hülkenberg wins F3 Masters as Grosjean stalls
  6. ^ Grosjean to race for ART in 2008
  7. ^ Maldonado signs for ART
  8. ^ Alonso, Piquet, Grosjean with Renault...
  9. ^ Grosjean replaces Piquet at Renault
  10. ^ a b ロマン・グロージャン(Romain Grosjean)”. auto sport Web. 2022年8月9日閲覧。
  11. ^ a b 多重事故を誘発したグロージャンに出場停止処分、ベルギーGP”. MODE PRESS (2012年9月3日). 2022年8月9日閲覧。
  12. ^ a b c 【注目ドライバー】かつては壊し屋の異名も…ベテランとなったロマン・グロージャン|ハース|F1”. DAZN NEWS (2020年7月8日). 2022年8月9日閲覧。
  13. ^ [1]
  14. ^ [2]
  15. ^ グロージャン残留かヒュルケンベルグ加入か……ハース代表、来季について言及jp.motorsport.com(2019年8月30日)2020年2月28日閲覧
  16. ^ ハース残留の決め手は“継続性”。在籍5年目迎えるグロージャン「本当に嬉しい」jp.motorsport.com(2019年9月19日)2020年2月28日閲覧
  17. ^ アルファロメオ・レーシングの2人は入賞。ウィリアムズの2人は11位完走を記録しており、第10戦まで自身の最高位は12位であったためである。
  18. ^ グロージャン今季初入賞「リスクを取って1ストップ作戦に賭けた」ハース【F1第11戦決勝】www.as-web.jp(2020年10月12日)2020年10月23日閲覧。
  19. ^ グロージャンとマグヌッセン、2020年限りでのハースF1離脱を正式発表formula1-data.com(2020年10月22日)2020年10月23日閲覧。
  20. ^ グロージャンの大クラッシュは「重要な教訓」 FIA”. AFP (2021年3月6日). 2021年3月6日閲覧。
  21. ^ 病院搬送のロマン・グロージャン、衝突速度は時速221km…事故直後は激しく動揺も検査の結果骨折なしの朗報formula1-data.com(2020年11月30日)2020年11月30日閲覧。
  22. ^ ハースF1、サクヒールGPで代役にピエトロ・フィッティパルディを起用…事故のグロージャンは火曜に退院へformula1-data.com(2020年11月30日)2020年11月30日閲覧。
  23. ^ ハースF1のロマン・グロージャン、来週末の最終戦アブダビGPを欠場へ。やけどの治療に専念 www.as-web.jp(2020年12月6日)2020年12月6日閲覧。
  24. ^ F1技術解説バーレーンGP編(1):グロージャンを救ったヘイロー。53Gの衝撃もコクピット内を守る | F1 | autosport web”. AUTO SPORT web (2020年12月3日). 2020年12月5日閲覧。
  25. ^ ロマン・グロージャン、メルセデスとのポール・リカールF1テストが延期にformula1-data.com(2021年6月17日)2023年1月27日閲覧。
  26. ^ グロージャンがF1からインディカーへ。デイル・コイン・レーシングからロード/ストリートコースに参戦as-web.jp.com(2021年2月4日)2021年2月5日閲覧。
  27. ^ ロマン・グロージャン、インディ500に触発され今季参戦計画にオーバルを追加 f1-data.com(2021年6月10日)2021年12月14日閲覧。
  28. ^ グロージャン、強豪アンドレッティ移籍で合意との報道…インディカーデビューから僅か10戦 f1-data.com(2021年8月31日)2023年1月27日閲覧。
  29. ^ ロマン・グロージャン、アンドレッティを相手に「権利を守るため」仲裁手続きを申し立て - motorsport.com 2023年10月6日
  30. ^ ロマン・グロージャンもSC63で初走行。ランボルギーニ、スペインでの3日間のテストを完了 - オートスポーツ・2023年10月17日
  31. ^ 作ったのは商用車メーカー! GT-Rのエンジン搭載! 元F1ドライバーもべた褒めの1億円超ハイパーカー「プラガ・ボヘマ」って何もの? - WEB CARTOP・2022年12月25日
  32. ^ オートスポーツ
  33. ^ "グロージャンは変わったとウェバー". ESPN F1.(2013年10月16日)2013年11月28日閲覧。
  34. ^ "【F1】王者ベッテルを唯一苦しめたグロージャンと小松礼雄 page2/4". Web Sprtiva.(2013年11月5日)2013年11月28日閲覧。
  35. ^ GROSJEAN: I THINK ERICSSON HIT US”. www.grandprix247.com (2018年4月29日). 2018年12月8日閲覧。
  36. ^ グロージャンのクラッシュをハースF1代表が批判「ルーキーでもしないミス」”. auto sport Web (2018年5月7日). 2022年8月9日閲覧。
  37. ^ クラッシュ引き起こしたグロージャン、「最善を尽くした」と主張も、グリッド降格ペナルティが確定”. auto sport Web (2018年5月14日). 2022年8月9日閲覧。
  38. ^ マグヌッセンの残留は濃厚か。グロージャンの去就は「サマーブレイク後に判断」とハースF1代表”. auto sport Web (2018年8月8日). 2022年8月9日閲覧。
  39. ^ “F1 Topic:引退確定と思われたグロージャン、後半戦からの大活躍で2019年も残留濃厚”. as-web.jp. (2018年9月16日). https://www.as-web.jp/f1/410632/2 
  40. ^ ハースF1代表がグロージャンを擁護。「ペナルティは彼に追い打ちをかけてしまう」”. AUTO SPORT web (2018年5月17日). 2019年4月1日閲覧。
  41. ^ グロージャンとの10年間を回顧。F1デビュー戦で示した才能と精神面の課題/小松礼雄コラム番外編 - オートスポーツ・2021年2月15日
  42. ^ ロマン・グロージャン、家族同伴でオーバル初テスト!ゲートウェイでの初陣に向け”前向き”な手応え。一方ジョンソンも…”. Fomula1-Data (2021年7月29日). 2022年8月9日閲覧。
  43. ^ バトンがGPDA理事を辞任、後任はグロージャン - TopNews・2017年5月6日
  44. ^ 2010年にF1シートを失ったグロージャン。シェフへの転身を考えていたと明かす - オートスポーツ・2018年12月18日
  45. ^ ハースF1躍進の重要なピース。グロージャン、”相棒”小松礼雄エンジニアのスカウトを誇るjp.motorsport.com・2018年12月27日

外部リンク

[編集]