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Wikipedia:コメント依頼/JapaneseA 20180828

利用者:JapaneseA会話 / 投稿記録 / 記録さん(以下、被依頼者)のノート:ガウス#改名提案における対話姿勢は正常な議論の進行の障害となっており、コミュニティを消耗させる利用者として看過できないものがあると判断いたします。投稿ブロック依頼を提出したいところですが、対立利用者の立場ですので、コメント依頼とさせていただきます。

詳細は以下に書きますが、発端は1か月以上前、記事「ガウス」が単位のガウスの記事になっているものを、「カール・フリードリヒ・ガウス」へのリダイレクトあるいは平等な曖昧さ回避に変更しようという提案です。被依頼者は、理由は存じませんけれども、単位のガウスに優先があると思われているらしく、C. F. ガウスへの転送にさせまいと躍起になっていらっしゃいます。都合の悪いコメントには«独自研究»と言って耳を貸さず(ルールの悪用)、対話拒否することも明言されていらっしゃり、既に手に負えない状態となっております。

なお、今回の依頼では、発言の引用に«»を使わせていただいております。

(抜けがあるかもしれません。)--新規作成 (利用者名) 会話2018年8月28日 (火) 09:06 (UTC)[返信]

詳細

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Wikipedia:曖昧さ回避#代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避によると、

その「項目名」で最も代表的だと考えられるトピックにその名前を割り当て、それ以外のものを「項目名 (分野)」にします。代表的なトピックとしては、その「項目名」の起源・語源となっているトピックや、他と比べて圧倒的に参照されることの多いトピックが選ばれます。

となっておりますことをはじめに申しあげておきます。

では、なるべく時系列順にまとめたいと思います。

まず、«Wikipedia:曖昧さ回避の「代表的なトピックとしては、その「項目名」の起源・語源となっているトピック」であれば、それに従う必要があるのかもしれませんが、レントゲンは、そうなっていないようです»(被依頼者、7月24日 (火) 04:08 (UTC))というコメントがありました。あまりにも例が特殊すぎたので、依頼者は«一般に普及しているレントゲン(撮影)は特殊でしょう»(7月25日 (水) 02:19 (UTC))と返したのですが、«レントゲンは一般的で、ガウスはそうではない、というのは根拠のない独自研究»(7月25日 (水) 16:59 (UTC))と返されてしまいました。一般常識で分かることであろうと思いますが、こんなことにさえ«独自研究»と言ってしまうところに被依頼者の問題を既に感じ取ります。

その後、第三者によるコメント«今回の提案に正当性はあるかなーと思いますが»(240B:253:44E0:DD00:2DB5:6468:4A86:2C2Bさん、7月25日 (水) 18:53 (UTC))、«ガウスに関しては関連記事の多さを考えてもカール・フリードリヒ・ガウスを代表トピックとして扱うのが妥当だと思います»(新幹線さん、7月26日 (木) 15:13 (UTC))、«提案の前者に従えば良いかと思います»(ARAKI Satoruさん、7月30日 (月) 07:29 (UTC))があります。また雛鳥さんに反対コメント(7月27日 (金) 04:16 (UTC))をいただいておりますが、直後の反論に対する反応はないようです。

さて依頼者は、次のコメントをしました。«高校生でも知っている C. F. ガウスと、大学生でも知っているとは限らない単位ガウスを比べて、前者が代表的なトピックではないというのは、無理があると思いますよ。リンク元の数にも大きな差があります。グーグル検索で優先されるのも C. F. ガウスの方です»(8月2日 (木) 11:53 (UTC))。ガウス記号が高校数学で出てくることは言うまでもないかと思います(最近の理系はガウス平面もですかね)。リンク元については標準名前空間に限って、単位のガウスが48件、C. F. ガウスが379件です(数え間違いがあったらすみません)。グーグル検索 (PC) では C. F. ガウスと(株)ガウスが右に出てきて単位のガウスは「こちらを検索しますか」の扱いとなっております。

このコメントに対する被依頼者の返答(8月3日 (金) 12:36 (UTC))(と依頼者の感想)は、以下のようでした。«「高校生でも知っている C. F. ガウスと、大学生でも知っているとは限らない単位ガウス」、それを教科書などの出典を以って提示して下さい»(出典を出すまでもないでしょう)、«私はコトバンクを提示しています»(一体何を提示したのか分からない)、«リンク先を見るにどちらかを代表的なトピックとする程に優劣はありません»(まあそういう人もいるだろう)、«google検索は根拠にはなりません»(なぜ?)。

なおこのあたりで«前者の提案にも反対はいたしません»とのコメント(Assemblykinematicsさん、8月3日 (金) 21:31 (UTC))をいただいております。この時点でもう議論は終わりかと思いましたが、結果的には、被依頼者はいつまでも納得しませんでした。

あとはまあノートを見ての通り泥沼です。被依頼者は、意図的にか無意識的にか、議論と関係のないコメントや、誤った推論を頻繁に行うため、適切な対応の仕方が依頼者には分かりませんでした。

例えば被依頼者は唐突にこのようなコメントをしました。«「ガウス記号」や「カール・フリードリヒ・ガウスにちなんで名づけられたものの一覧」の中で「ガウス」と略されるものを出典を以って証明して下さい»(8月14日 (火) 06:50 (UTC))。全く意図の分からないこのコメントですが、この後約一週間に亘って続くことになります。«「「ガウス」と略されるものは「カール・フリードリヒ・ガウス」その人です。」、そんな事は知っています。私が聞いているのは、「「ガウス記号」や「カール・フリードリヒ・ガウスにちなんで名づけられたものの一覧」の中で「ガウス」と略されるもの」です。»(8月15日 (水) 13:10 (UTC))、«「ガウス記号」や「カール・フリードリヒ・ガウスにちなんで名づけられたものの一覧」の中で「ガウス」と略されるものを提示して下さい»(8月18日 (土) 09:51 (UTC))、«「ガウス」と略さないのであればダメと言っています»(8月19日 (日) 09:02 (UTC))といった具合です。

「一覧」に基づくコメントは、依頼者だけでなく上記新幹線さんや、Assemblykinematicsさんのもの«ガウスの名を冠した用語、数式は大変多く、分野も電磁気学、ベクトル解析、数値計算、確率統計と多岐に渡ります»(8月1日 (水) 20:24 (UTC))があります。依頼者も«C. F. ガウスは単位のガウスを使う分野を含む広大な分野に名前を残している»(8月14日 (火) 04:22 (UTC))とコメントしますが、«ガウス記号が高校数学で出て来ようが、人物を優先させる理由にはなりません»(8月14日 (火) 06:50 (UTC))、«優先を決める候補は「ガウス」と略されるべきものであり、判断基準は功績ではなく知名度です。どうにも貴方は数学分野だけで判断しているように思えますが、他の分野に目を向けて下さい。»(8月18日 (土) 09:51 (UTC))、と続きます。

ちょうどこの頃、被依頼者は«他者のコメントを見ていないようですが、人物優先に納得していないのは私だけではありません»(8月14日 (火) 06:50 (UTC))ともコメントしていて、依頼者は«「私だけではありません」とは言っても根拠を述べていない雛鳥さんだけではないですか»(8月15日 (水) 02:38 (UTC))と返すのですが、«雛鳥様の事を指したつもりはなく、Assemblykinematics様が平等な曖昧さ回避に賛成のように見えるという事を述べたのです»(8月15日 (水) 13:10 (UTC))というコメントが来て、自分のコメントを覚えていないのかと突っ込みたくなりました。

また、辞書等において見出しの配列が機械的に定まっていることは常識だと思っていたのですが、被依頼者は«先に私が提示した出典(単位優先5:人名優先2)と相反する出典を貴方は複数提示しなければならないのですよ»(8月14日 (火) 06:50 (UTC))と言い出しました。«一体全体どこがどうふざけているのですか!?私は真面目なコメントしかしていません!!»、«複数のWP:RSを提示し、真面目にコメントしている»(8月15日 (水) 13:10 (UTC))とのことで、上記と合わせて、空いた口が塞がりませんでした。«出典»ことコトバンクの初出は7月25日 (水) 16:59 (UTC)(被依頼者)でしたが、このあたりになって初めて、被依頼者のコメント«リンク先を見れば、ガウスの第一義は人名ではありません(一方、第一義が単位とも断定できないので、平等な曖昧さ回避には反対していません)»(7月27日 (金) 09:27 (UTC))の意味が半分分かることになります。被依頼者に影響を受けてか、«「デジタル大辞泉の解説」や「世界大百科事典 第2版の解説」のように、単位のガウスがC.F.ガウスよりも先に出てきている場合があります。知名度で「C.F.ガウス」が優勢であったとしても、「圧倒的」言えなさそうです。»(Assemblykinematicsさん、8月9日 (木) 18:21 (UTC))や«コトバンクで単位のガウスを第一義にしている辞書が一定数見られるのも、こうした背景があると思われます。»(新幹線さん、8月16日 (木) 01:16 (UTC))とのコメントもつき、さらに別の提案(新幹線さん、8月16日 (木) 01:45 (UTC))にまで影響してしまったようです。

被依頼者は依頼者を、«対話不能と判断します。少しクールダウンしてください。»(8月19日 (日) 06:37 (UTC))、«議論で熱くなりすぎており、対話不能です»と投稿ブロックの報告を行いますが(8月19日 (日) 06:44 (UTC))、一晩おいてコメントを返している依頼者と、すぐにコメントを返す被依頼者とで、どちらが冷静でないかは自明だと思います。一応ノートからコメントを抽出して冷静であることをアピールしたのですが、«話がかみ合っていないのは全てJapaneseAだけの責任であり己に非はない、そして己に非はないのだから「ふざけた」は許容される、そういう考えなのですね。よくわかりました。»というよくわからないコメントをいただきました。

被依頼者は«百歩譲って»«知名度順ではない»ことを受け入れたようですが(8月16日 (木) 09:17 (UTC))、その後完全に聞く耳をもたなくなり、当コメント依頼に至ります。特筆すべきことも1つしかないので(後述)、いくつかコメントを抜き出すと、被依頼者:«人名優先に知名度があることを示していない時点で、平等な曖昧さ回避になります»(8月19日 (日) 06:37 (UTC))、«「C. F. ガウスに知名度がある」の根拠が「ガウス記号とエポニム一覧」であれば、それは記事を優先する根拠に全くなりません»«「~という功績があるから知名度がある」というのは独自研究»(8月20日 (月) 04:21 (UTC))、依頼者:«単に功績があるだけではなく»«広範に名前を残しています»(8月21日 (火) 03:15 (UTC))、被依頼者:«語源というのは優先する根拠の1つにはなります»«ただし、それも踏まえて»«平等な曖昧さ回避という意見に、コミュニティは傾いているようです»(8月21日 (火) 12:36 (UTC))、依頼者:«あなたの虚偽の出典が原因であることをお忘れですか»(8月22日 (水) 02:40 (UTC))、被依頼者:«虚偽?「平等な曖昧さ回避」とする分には十二分な出典ですが。»8月22日 (水) 08:45 (UTC)、依頼者:«平等な曖昧さ回避に賛成よりのコメントを残した人は皆辞書順を知名度順か何かと勘違いした人たちです(かつ C. F. ガウスを代表とすることに賛成もしています)»(8月23日 (木) 02:37 (UTC))、被依頼者:«ほとんどの出典には単位と人名の両方記載がある=「C. F. ガウスを代表とすることを否定する出典」には十二分です!!勘違いしたかどうかは、各自に聞いて下さい。私は他者の考えはわかりませんので。もう、いい加減で人名を優先する根拠となる出典を出して下さい。出典を出せないのであれば議論は終わりです。»(8月23日 (木) 07:59 (UTC))、«出典を出すor建設的なコメントをする、としない場合は相手にしません。勿論、私が納得していない事を貴方が強行した場合は、Rv、投稿ブロック依頼などで対処します。»(8月24日 (金) 08:17 (UTC))、«「知名度も上」という根拠が貴方の独自研究のみ。»(8月26日 (日) 10:22 (UTC))、«終了。»«人名優先とする出典を出して、議論を継続・再会する事は妨げませんが、それも出さずに主張を続けると「いつまでも納得しない」と判断し、無視します。勿論、記事の編集を強行した場合は、ブロック依頼とします。»(8月27日 (月) 05:08 (UTC))といった感じです。

非常に不思議なことに、被依頼者は辞書について、次のようにコメントしています。«片方のみ記載:記載されているものを優先とする出典に+1、両方記載:平等な曖昧さ回避とする出典に+1、両方記載かつ記載順が優先順位の場合:優先とする出典に+1、となると思います。»(8月27日 (月) 07:20 (UTC))上の«十二分»の時も思いましたが、両方記載されているだけでは知名度や参照の度合いの差は分かりません。人名に弱い辞書を持ってきて単位優先に見せかけることも容易です。自分のコメントはなぜ«独自研究»でないのか、また«独自研究»に依らずに(一般に)曖昧さ回避の扱いを決めることができているのか、是非とも聞いてみたいところです。

長くなってしまいましたが、以上のような被依頼者の態度についてコメントを求めます。--新規作成 (利用者名) 会話2018年8月28日 (火) 09:06 (UTC)[返信]

依頼者コメント

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依頼者を含め人名サイドの人たちはいくつもの理由を提示している一方で、被依頼者は「俺は人名優位とは認めない、だから曖昧さ回避にすべきだ」というレベルの主張しかできておらず、出典がー独自研究がーと騒いでいるのも被依頼者のみなので、ノートでも述べましたが、被依頼者個人を相手に説得させる必要があるとは思っておりません。新規作成 (利用者名) 会話2018年9月6日 (木) 03:07 (UTC)[返信]

被依頼者コメント

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  • コメント ブロック依頼を出したいのはこちらの方です。出典を出さずに「人名が優先だ」と主張し続ける事こそ「いつまでも納得しないコミュニティを疲弊する利用者」以外の何者でもないでしょう。私と論争していたぽてから様やはるみエリー様は、どんな時でも出典を出していました。なお、依頼者の誤解か意図的なものか知りませんが、私は「単位優先」から「平等な曖昧さ回避」に意見を変更しています。--JapaneseA会話2018年8月28日 (火) 09:15 (UTC)[返信]
  • コメント 早めですけど、複数コメントを頂いたので、コメントします。私は当議論において、当初は単位優先という考えでした。依頼者(改名提起者)に出典での並び順は関係ないと言われ、それを認め(少なくともコトバンクには何順かは明記されていないので)、曖昧さ回避へと考えを変えました。また、依頼者(改名提起者)の「単位のガウスの語源であることもお忘れなく。」というコメントに対し、「一方、語源というのは優先する根拠の1つにはなります」と申しています。これについては、ニュートン(後述しますが、他ならぬ依頼者により単位優先から平等な曖昧さ回避に変更されました)など語源優先ではない例もあり、一方キリンやライオンのような語源優先の例もあり、です。なので、語源優先については頑なに否定する気はなく(ノート:悲しみよこんにちは)、皆様で決めて下さい というスタンスです。にも関らず議論が紛糾したのは、何の証明・根拠の提示もなく「人物のガウスが知名度が高い」という主張に対してのものです。
Ashtray様、いつも御心配・御迷惑をおかけし、申し訳ありません。
新幹線様のキリンやライオンの件ですが、反対しないだけであり、賛成も提起もするつもりはありません。私は、富士山のように、これを誤リンクする方がおかしい、というレベルのもの以外は、基本的に平等な曖昧さ回避とすべきだと思っています。スズキの議論では反対票を入れれないのが残念です(意見は違えど、新幹線様の出典を以って根拠を提示されている議論姿勢には深く賛同しますので)。
むよむよ様の「地球上」に対しては、通常は「日本語圏が全て」ですが、ガウスはGaussの直訳だから、単位と人物を比較する際の参考意見とはできるかもしれません。一方、他言語版のWikipediaもWP:RSではありませんが、それは置いときます。「俺が反対してる、つまり揉めてる、だから曖昧さ回避じゃん?」ですが、3人以上参加で私だけが反対している場合にはこんな事は言いませんので(そこまでひどいヤツではないつもりです)。票をまとめると以下でしょうか?(違っていたら何方様でも御指摘下さい)
人物優先 賛成 :240b:253:44e0:dd00:2db5:6468:4a86:2c2b様、ARAKI Satoru様、新幹線様(曖昧さ回避も可)、改名提起者
人物優先に 反対 :Hinadori様、私(単位優先改め、曖昧さ回避)
曖昧さ回避:Assemblykinematics様
意見表明なし:むよむよ様(人物優先?)
依頼者が当議論より撤退するのであれば、私も撤退して構いません。その場合は、他の皆様に一任します。
さて、別に悪い事ではありませんが、ノート:ニュートンで平等な曖昧さ回避を提案しているのに、ノート:ガウスで人物優先とするのは矛盾しています。小学校か中学校でニュートンという人物を習い、中学か高校でガウスは人物そのものではなく氏が考案した法則などを習うはずです(教科書・地域・年代によって差があるかもしれませんが)。もう1つ不思議に思うのは、aki42006様が御指摘の通り、私は誰より先に「平等な曖昧さ回避にするのも良いと思います。」とコメントし、案その2の「平等な曖昧さ回避にする」に賛成しています。私のコメントを見て「単位優先以外は認めない」と誤解されたのであれば残念です(以前にハイフンマイナスで論争した相手なので、今回は賛成できる内容で良かったと内心思ったのですが)。
なお、私は新規作成氏の出典を出さない事を問題視しているのであり、それ以外は特にブロック依頼にする程の話とは考えていません(暴言があれば都度、管理者伝言板に報告はしますが、数日ブロックで十分でしょう)。それさえも記事に対し、何かしない限りは(つまりノートで何か言っている分には)ブロック依頼を提出する気も賛成票を入れる気もありませんし、場合によっては反対票とするでしょう。
--JapaneseA会話2018年8月29日 (水) 02:48 (UTC)[返信]

第三者コメント

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  • ノート:ガウス#改名提案で、依頼者の新規作成 (利用者名) さんと被依頼者のJapaneseAさんの双方が、最初から≪平等な曖昧さ回避にする≫という案を出していて、なぜ対立するのか不思議です。--aki42006会話2018年8月28日 (火) 09:56 (UTC)[返信]
  • 正直なところ依頼者である新規作成さんの議論姿勢にも首を傾げる部分があり、JapaneseAさんのみを対象とするのではなく新規作成さん・JapaneseAさんの両者を対象とするコメント依頼にするべきだったのではないかと思います。新規作成さんの方にもWikipedia:投稿ブロック依頼/新規作成 延長 20161111という前歴があります(奇しくもJapaneseAさんのコメントもあります)。この時は依頼者Hmanさんの議論姿勢や依頼提出のタイミングに問題があったのもありブロック見送りとはなりましたが、決して新規作成さんに問題がないわけではありません。それで今回、暴言やいつまでも納得しないといった、以前指摘された問題が再発したので、無期限ブロックも検討されるべき状況にあると思います。
    なお、JapaneseAさんの議論姿勢で気になる点として、WP:Dの解釈の仕方についてです。WP:D#代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避には『「項目名」の起源・語源となっているトピック』(条件1)と書いてあり、その点でカール・フリードリヒ・ガウスを代表トピックとして扱う十分条件を満たしています。もちろんWP:D#平等な曖昧さ回避には『よく参照される項目とそれ以外の項目とであまり差があると考えられない場合に向いています。 』(条件2)と書かれていますが、これらは互いに優劣があるわけではなく、両方の条件を満たす場合は個別の事情によりどちらの曖昧さ回避を採用するか決めるものだと思います。しかしどうもJapaneseAさんは『他と比べて圧倒的に参照されることの多いトピック』であることが示されない限り平等な曖昧さ回避を採用すべき(すなわち条件2は条件1に優越する)という持論をお持ちのようで、出典の数を競争するという流れにも至っているのが気になります。あと、ノート:スズキ (魚) における「もし、これら(注:ライオンキリンのこと)を平等にするのであれば、反対はしません。」という発言を見たときはびっくりしました。このような議論姿勢が続くと今後も曖昧さ回避関連で問題が起きる懸念があります。
    今後の対処に関しては状況を見てまた後日コメントします。--新幹線会話2018年8月28日 (火) 11:26 (UTC)[返信]
  • 依頼者 新規作成 氏・被依頼者JapaneseA氏、いずれに対してもブロック依頼には発展してほしくない、という大前提の下で述べさせていただきます。
数ある改名提案の中でも、今回のような曖昧回避をめぐる改名は、記事そのものにとっては1バイトの貢献にもならず、ある意味で無駄無駄無駄です。強いて言えば、閲覧者の視点で多少は検索の利便が向上するかもしれない、という程度です。しかしそれすらも、現状「ガウス」の冒頭に{{Otheruse}}があるのですから、C.F.ガウスへワンクッション挟むことには変わりありません。むしろガウス単位への直リンクが失われ、曖昧回避を挟むことを不便と捉える方がいるかもしれません。
私から御二人に申し上げたいのですが、この手の議論はもう少し優先順位を下げられないでしょうか。「どっちでも良い」「誰かが何とかしてくれる」くらいの軽い気持ちでいないと、余計な軋轢を生みますし、何よりご自身が疲れますよ。
私はかつて、2009年10月に「アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ヤコヴレフ」という人名記事を作成しました。本来は父性(ロシア人のミドルネーム)は外すルールなのですが、その当時「アレクサンドル・ヤコヴレフ」という記事が存在していたため、重複しないように同記事名を選択しました。で、別に後者記事をどうこうする気はなく、そのまま放置していました。2017年1月、第三者により「アレクサンドル・ヤコブレフ (政治家)」に改名され、さらに2018年5月に「アレクサンドル・ニコラエヴィチ・ヤコヴレフ」に移動され、現在の「アレクサンドル・ヤコヴレフ」は曖昧回避ページとなっています。まぁ、そんなものです。
今後、御二方が実りある議論をなさるつもりならば止めるつもりはありません。しかしブロック依頼にまで発展して、この私が「クールダウンのため、依頼者・被依頼者ともに等しく●ヵ月のブロック」といった票を投じる羽目にならないよう、切に願います。--Ashtray (talk) 2018年8月28日 (火) 14:51 (UTC)[返信]
  • 当該議論は当初から見ていましたが、双方ともヤバイという印象です。議論姿勢についてはむしろ依頼者さんが大いに問題あり、改名に関する独自の考えを貫き通す点については被依頼者さんに問題あり、という感じです。
(依頼者さんについて)しょっぱなから異常な喧嘩腰で冷静な議論が成り立たず、第三者が参加することを躊躇する状態を作ってしまっています。あのような対話姿勢ではJapaneseAさんも頑なになるでしょう。以前よりあんな調子で議論されているようですが、そろそろ改めないと長期ブロックも現実味を帯びてくるのではないでしょうか?
(被依頼者さんについて)それほど頻度が高いわけではありませんが、自分の考えを頑なに押し通そうとするケースが見受けられます。この手の議論で知名度を明確に出典で示すのは難しいはずです。依頼者さんや新幹線さんがおっしゃるように、内部リンク数や、人物が単位の命名由来となっているという事実でも、リダイレクトになりうる客観的な根拠となるはずです。その点についてはもう少し柔軟な姿勢を見せるべきではなかったでしょうか?そもそも、知名度出典としてコトバンクの並び順を出していた時点で、出典で知名度を表すことの困難さを自身が証明しちゃっていませんか。いまだにJapaneseAさんはあの並び順を知名度の出典として使えるとお考えですか?カレーをご参照ください。
最終的に主張されている「揉めたら曖昧さ回避にする」っていうのは、確かに着地点としては尤もらしいですね。でもJapaneseAさんご自身が主張するのはどうなんでしょう。だって当初「単位の方が代表的」と主張されてた人ですよ。それは異端過ぎませんか。主要他言語版での「ガウス」は8割が人物へのリダイレクト、2割が曖昧さ回避です。単位の方が代表的と考える人は地球上を見渡しても非常に少ないでしょう。そんな人が「俺が反対してる、つまり揉めてる、だから曖昧さ回避じゃん?」ってのはモヤモヤします。
ようするに結論としては、当該議論においてはどっちもヤバイ感じ(語彙力なくてすんません)。どちらかと言えば依頼者側にそろそろ何かしらのアクションが無いとまずいのではという思いを抱いています。--むよむよ会話2018年8月28日 (火) 16:03 (UTC)[返信]
  • 意見が分かれている場合は、淡々と自説の根拠となる出典と論理を双方積み重ねていく作業はwikipedia参加者の義務です。そこで双方なぜこれでわからないんだ!!とかなぜもっと主張わかる根拠、出典を示せないんだと双方が感情的に疲弊するのはアホらしいので双方が自制して下さい。見方が異なっているスタートから議論を重ねて話し合いを進める作業はwikipediaの本質であり、非常に価値が高い作業です。それを双方自覚の上、大変だけど淡々とやるしかない。ある程度双方が譲らない状況の中で、議題について双方やその他から判断材料や見方が沢山提供されるのは好ましい事で、そこが非常に価値が高いプロセス。様々な後進や読者にとってはそういうプロセスにより沢山の情報が蓄積されていくこと、そのプロセス自体が大変有意義なんです。なぜそのように記述となったかの証拠としても非常に勉強になる。知識をただ手に入れるだけならgoogleで充分なわけで、wikipedia価値は知がどのように形成されるかのプロセスにあるんですよ。議論の双方がなぜこんな簡単な事が通じないんだと怒り無駄だと思って発生するそのやり取りや経緯にある。相手だけを見るのでなく、自分の行っている作業の意義について視座を一段高めて頂きたい。情報でなくプロセスの価値を理解しましょう。分からず屋とも思える相手に馬鹿馬鹿しいとすら思われる当たり前の説明、非常に自明であると思われるような事を理解するための馬鹿みたいな基本的出典や根拠の提示やその要求。これらが双方で対立するのは百科事典の目的である知の啓蒙の根幹をなす最も本質的な作業です。非常に大事な事なので、相手に対しては立場は違えど最後まで敬意を払って議論をお願いします。双方の見方が違っているからこそ知の集積に意味があるのですから。問題に思っているこの事象と議論によるそれぞれの異なる判断と根拠の集積は実は最も価値の高い部分です。人工知能は一瞬で情報の擦り合わせを行い答えを出せますが、そのプロセスを人間に見せて理解させる事は出来ません。誰がどうだという個としての矮小な視点から脱却し、自分達の行っている議論や対立のプロセスそのものの重大な価値に気がついて下さい。そこに気がついた利用者が増えていくのがwikipediaの次のバージョン2です。人工知能の時代では人工知能に任せれば答えは一瞬で出ます。大事なのは答えそのものでなく答えの正誤ではなく、答えが出るまでのプロセスの共有です。自分達の行っている事の真の価値に気がついて下さい。--110.132.255.176 2018年8月30日 (木) 03:03 (UTC)[返信]
皆様へ。既に述べた通り、「ブロック依頼します発言」は金輪際使いませんが、」というコメントは、コメント依頼/JapaneseA 20160612でのJapaneseAさんの発言です。ブロックをちらつかせることに対して多くの意見が寄せられたからです。
この過去の延長線上に見えるようなこの度も、JapaneseAさんは依頼者に対して、«対話不能と判断します。少しクールダウンしてください。»«議論で熱くなりすぎており、対話不能です»と投稿ブロックの報告をしたとのことですが、«勿論、記事の編集を強行した場合は、ブロック依頼とします。»、このコメント依頼でのJapaneseAさんは最初のコメントが「ブロック依頼を出したいのはこちらの方です。」 ウィキペディアは戦場ではありませんを軽視しているJapaneseAさんへのコメント依頼はやむことはないとも言えます。むよむよさんが、「どっちもヤバイ感じ」(どちらかと言えば依頼者側)としていますが、JapaneseAさんのコメント依頼の提出状況を鑑みると、「投稿ブロックをちらつかせる」ことや、この度のような「説明不足のまま編集妨害を続行する」ことは繰り返されてきたものです。Ashtray さんのいう「クールダウン」の必要性は、今回でなかったとしてもいつか必要になるものです。それまでは問題の原因であるJapaneseAさんではない、その意見対立者の方への過剰な投稿ブロックが繰り返されてしまうでしょう。このような状況はいつしか清算せねばならないため、JapaneseAさんに対して問題を繰り返すごとに加算的な投稿ブロックを考えていった方がいいものだと思います。こうした考えを早々に導入していかなかったため、JapaneseAさんの負の側面が是正されていかず2年で10回以上もコメント依頼が繰り返されているように見えます。--202.214.125.21 2018年9月2日 (日) 04:54 (UTC)[返信]
  • ノート:中村太地で改名提案に反対する意見を述べたら、JapaneseA氏に「愚かで失礼」と断罪された者です。JapaneseA氏は「独自ルールの押し付け」「反対者を徹底的に断罪しないと気が済まない」など独善的な態度が目にあまります。新規作成氏が怒るのも無理はないでしょう。--ビギナー雷太会話2018年9月10日 (月) 14:50 (UTC)[返信]