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アジアタッグ王座

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アジアタッグ王座
詳細
現王者 安齊勇馬
ライジングHAYATO
獲得日 2024年10月13日
管理団体 全日本プロレス
創立 1955年11月16日
統計
最多保持者 ダグ・ファーナス
ダニー・クロファット
(5回)
初代王者 キング・コング
タイガー・ジョキンダー
(1955年11月16日)
最長保持者 秋山準
大森隆男
(2年11ヶ月)
最短所持者 フランク・バロア
ダン・ミラー
(5日)
最年長 大仁田厚
(66歳2ヶ月)
最年少 中嶋勝彦
(17歳4ヶ月)

アジアタッグ王座(アジアタッグおうざ)は、かつて日本プロレスが創設した王座。管理権が全日本プロレスに移行後、PWFの認定となった。正式名称はオールアジアタッグ王座。本項では1976年新日本プロレスが創設した新日本版王座についても記載している。

歴史

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日本プロレス版

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日本プロレス時代

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1955年11月に日本プロレスがアジアのシングル・タッグ両王者を決定するためのアジア選手権を開催し、そのタッグ部門で優勝したキングコング&タイガー・ジョキンダーをアジアタッグ王者として認定したのが始まりである。力道山&豊登が3代目の王者になって以来、日本プロレスの看板タッグタイトルとして幾多の名勝負が繰り広げられた。

日本プロレスがジャイアント馬場をエースとする時代に入り、インターナショナル・タッグ王座が日本に持ち込まれると二番手に降格された。とはいえ、当時の挑戦者チームには、ドリー・ファンク・ジュニア&ハーリー・レイスアブドーラ・ザ・ブッチャー&カリプス・ハリケーンクリス・マルコフ&ブル・ラモスジン・キニスキー&キラー・カール・コックスなどの強力チームも名を連ねている[1]ジ・アサシンズトム・レネスト&ジョディ・ハミルトン)、ブロンド・ボンバーズ(リップ・ホーク&スウェード・ハンセン)、ミネソタ・レッキング・クルージン・アンダーソン&オレイ・アンダーソン)、ジョニー・バレンド&マグニフィセント・モーリスの伊達男コンビ、ネルソン・ロイヤル&ポール・ジョーンズの牧童コンビ、ブラック・ゴールドマン&エル・ゴリアスの泥棒コンビ、アル・コステロ&ドン・ケントの2代目ファビュラス・カンガルーズなど、当時のアメリカン・プロレス界を代表する「タッグ屋」の挑戦も受けた[1]

当初、プロレス界でタッグ王者に授与されるのはトロフィーだったが、アジアタッグは1966年12月3日に第18代王者の吉村道明&大木金太郎からは、二頭の麒麟がデザインされたベルトとなった。

日本プロレス崩壊後は他のタイトルとともに全日本プロレスに受け継がれたが、全日本側は崩壊当時の王者チームであるグレート小鹿&松岡巌鉄組に防衛戦をさせる気がなく、一時的に王座は休眠状態となる。

全日本プロレス時代

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1976年新日本プロレスがアジアヘビー級王座・アジアタッグ王座の創設を表明(後述)すると、全日本は対抗策として日本プロレス時代のアジアヘビー級王座とアジアタッグ王座の復活を計画し、同団体崩壊時の社長だった芳の里NWAに申請する形で復活の許諾を得る。

この時の復活王者はグレート小鹿&大熊元司極道コンビで、これ以降、若手選手と中堅選手によるタイトルという性格となり、現在では主力選手への登龍門と化している。もうひとつのタッグ王座である世界タッグ王座と比較すると軽視されがちであるが(1980年代にはアジアタッグ王者が世界最強タッグ決定リーグ戦に出場できないことも珍しくなかった)、60年以上の歴史を持つ、日本最古のベルトである。

2019年8月15日、旧来のベルトの老朽化に伴い、チャンピオンベルトを新調。第108代王者のジェイク・リー&岩本煌史組が、8月24日の美幌町で行われた選手権試合より使用している[2]

歴代王者

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歴代 王者 戴冠回数 防衛回数 日付 場所
初代 キングコング タイガー・ジョキンダー 1 0 1955年11月16日[† 1] 蔵前国技館
第2代 フランク・バロア ダン・ミラー 1 0 1960年6月2日 大阪府立体育館
第3代 力道山 豊登 1 12 1960年6月7日 名古屋市金山体育館
第4代 ルター・レンジ リッキー・ワルドー 1 0 1962年2月3日 日大講堂
第5代 力道山 豊登 2 0 1960年2月15日 日大講堂
第6代 バディ・オースチン マイク・シャープ 1 1 1960年6月4日 大阪府立体育館
第7代 力道山 豊登 3 2 1960年7月1日[† 2] 豊中市大門公園
第8代 力道山 豊登 4 6 1963年5月6日[† 3] 札幌中島スポーツセンター
第9代 豊登 吉村道明 1 1 1964年2月20日[† 4] 名古屋市金山体育館
第10代 ジン・キニスキー カリプス・ハリケーン 1 0 1964年5月14日 横浜文化体育館
第11代 豊登 ジャイアント馬場 1 7 1964年5月29日 札幌中島スポーツセンター
第12代 ザ・デストロイヤー ビリー・レッド・ライオン 1 1 1965年6月3日 札幌中島スポーツセンター
第13代 豊登 ジャイアント馬場 2 3 1965年7月15日[† 5] 駿府会館
第14代 キラー・カール・コックス ジョー・カロロ 1 0 1966年5月23日[† 6] 宮城県スポーツセンター
第15代 吉村道明 ヒロ・マツダ 1 1 1966年5月26日 札幌中島スポーツセンター
第16代 キラー・カール・コックス エディ・グラハム 1 1 1966年6月27日 名古屋市金山体育館
第17代 吉村道明 ジャイアント馬場 1 4 1966年7月1日[† 7] 広島県立総合体育館
第18代 吉村道明 大木金太郎 1 4 1966年12月3日[† 8] 日本武道館
第19代 吉村道明 アントニオ猪木 1 3 1967年5月26日[† 9] 札幌中島スポーツセンター
第20代 吉村道明 大木金太郎 2 0 1968年1月6日[† 10] 大阪府立体育館
第21代 スカル・マーフィー クロンダイク・ビル 1 0 1968年7月8日 東京スタジアム
第22代 吉村道明 大木金太郎 3 4 1968年7月30日[† 11] 札幌中島スポーツセンター
第23代 大木金太郎 アントニオ猪木 1 2 1969年2月3日[† 12] 札幌中島体育センター
第24代 吉村道明 アントニオ猪木 2 3 1969年8月9日[† 13] 愛知県体育館
第25代 吉村道明 アントニオ猪木 3 15 1969年10月30日[† 14] 岐阜市民センター
第26代 吉村道明 坂口征二 1 9 1971年12月12日[† 15] 東京都体育館
第27代 グレート小鹿 松岡巌鉄 1 1 1973年3月3日[† 16] 近大記念会館
第28代 グレート小鹿 大熊元司 1 3 1976年3月26日[† 17] ソウル特別市文化体育館
第29代 ジェリー・オーツ テッド・オーツ 1 0 1976年10月2日 後楽園ホール
第30代 高千穂明久 サムソン・クツワダ 1 2 1976年10月21日 福島県営体育館
第31代 グレート小鹿 大熊元司 2 2 1977年6月16日 後楽園ホール
第32代 マイティ井上 アニマル浜口 1 4 1977年11月6日 後楽園ホール
第33代 グレート小鹿 大熊元司 3 0 1978年2月22日[† 18] 岐阜市民センター
第34代 グレート小鹿 大熊元司 4 6 1979年5月31日[† 19] 能代市体育館
第35代 ケビン・フォン・エリック デビッド・フォン・エリック 1 0 1981年5月23日 後楽園ホール
第36代 佐藤昭雄 石川敬士 1 5 1981年6月11日[† 20] 後楽園ホール
第37代 マイティ井上 阿修羅・原 1 7 1983年2月23日[† 21] 大阪府立臨海スポーツセンター
第38代 阿修羅・原 石川敬士 1 2 1984年2月16日[† 22] 長崎国際体育館
第39代 佐藤昭雄 石川敬士 1 0 1985年4月15日[† 23] 長崎国際体育館
第40代 アニマル浜口 寺西勇 1 0 1985年7月18日 後楽園ホール
第41代 寺西勇 保永昇男 1 1 1985年7月18日[† 24] 後楽園ホール
第42代 マイティ井上 石川敬士 1 2 1985年10月31日 鶴岡市体育館
第43代 阿修羅・原 スーパー・ストロング・マシーン 1 0 1986年10月30日[† 25] 青森県営体育館
第44代 マイティ井上 石川敬士 2 3 1987年7月30日[† 26] 東村山市民スポーツセンター
第45代 サムソン冬木 川田利明 1 2 1988年3月9日 横浜文化体育館
第46代 仲野信市 高野俊二 1 0 1988年9月9日 千葉公園体育館
第47代 サムソン冬木 川田利明 2 3 1988年9月15日 後楽園ホール
第48代 ダグ・ファーナス ダニー・クロファット 1 2 1989年6月5日 日本武道館
第49代 サムソン冬木 川田利明 3 1 1989年10月20日 愛知県体育館
第50代 ダグ・ファーナス ダニー・クロファット 2 1 1990年3月2日 露橋スポーツセンター
第51代 タイガーマスク(2代目) 小橋健太 1 3 1990年4月9日[† 27] 岡山武道館
第52代 仲野信市 田上明 1 0 1990年6月5日[† 28] 千葉公園体育館
第53代 小橋健太 ジョニー・エース 1 2 1990年9月7日[† 29] 福井市体育館
第54代 ダイナマイト・キッド ジョニー・スミス 1 0 1991年4月6日[† 30] 大阪府立体育会館
第55代 ダグ・ファーナス ダニー・クロファット 3 2 1991年4月20日 後楽園ホール
第56代 小橋健太 ジョニー・エース 2 3 1991年7月8日 大阪府立体育会館
第57代 ジョー・ディートン ビリー・ブラック 1 0 1991年7月18日 後楽園ホール
第58代 ダグ・ファーナス ダニー・クロファット 4 4 1991年7月26日 松戸市運動公園体育館
第59代 小橋健太 菊地毅 1 3 1992年5月25日 宮城県スポーツセンター
第60代 パトリオット ジ・イーグル 1 0 1993年6月2日 小山ゆうえんちスケートセンター
第61代 ダグ・ファーナス ダニー・クロファット 5 4 1993年9月9日 大宮市民体育館
第62代 秋山準 大森隆男 1 12 1995年1月29日 後楽園ホール
第63代 ウルフ・ホークフィールド ジョニー・スミス 1 3 1998年1月9日 鹿児島県立体育館
第64代 本田多聞 泉田純 1 1 1998年10月6日 新潟市体育館
第65代 ハヤブサ 新崎人生 1 1 1999年2月13日 後楽園ホール
第66代 大森隆男 高山善廣 1 0 1999年6月4日 札幌中島スポーツセンター
第67代 三沢光晴 小川良成 1 0 1999年8月25日 広島市東区スポーツセンター
第68代 本田多聞 井上雅央 1 3 1999年10月25日 長岡市厚生会館
第69代 垣原賢人 長井満也 1 0 2001年6月8日 日本武道館
第70代 北原光騎 1 2 2001年9月8日 日本武道館
第71代 荒谷信孝 1 3 2002年4月13日 日本武道館
第72代 佐藤耕平 横井宏考 1 3 2003年7月29日 日本武道館
第73代 金村キンタロー 黒田哲広 1 0 2003年10月10日 後楽園ホール
第74代 ミスター雁之助 黒田哲広 1 0 2003年12月25日 後楽園ホール
第75代 グレート・コスケ 獅龍 1 4 2004年1月2日 後楽園ホール
第76代 天龍源一郎 渕正信 1 3 2004年5月22日 後楽園ホール
第77代 長井満也 成瀬昌由 1 2 2004年11月3日 両国国技館
第78代 ブキャナン リコ 1 0 2005年2月2日 後楽園ホール
第79代 近藤修司 "brother"YASSHI 1 1 2005年6月19日 後楽園ホール
第80代 佐々木健介 中嶋勝彦 1 4 2005年7月20日 国立代々木競技場第二体育館
第81代 鈴木みのる NOSAWA論外 1 2 2009年1月3日 後楽園ホール
第82代 浜亮太 1 3 2009年9月23日 後楽園ホール
第83代 TARU ビッグ・ダディ・ブードゥー 1 1 2010年4月29日 後楽園ホール
第84代 真田聖也 征矢学 1 2 2010年8月29日 両国国技館
第85代 関本大介 岡林裕二 1 2 2011年3月21日 両国国技館
第86代 真田聖也 征矢学 2 1 2011年6月19日 両国国技館
第87代 関本大介 岡林裕二 2 6 2011年10月23日 両国国技館
第88代 浜亮太 2 1 2012年7月1日 両国国技館
第89代 金本浩二 田中稔 1 2 2012年10月21日 名古屋国際会議場イベントホール
第90代 大和ヒロシ 佐藤光留 1 0 2013年1月26日 大田区総合体育館
第91代 田中稔 金本浩二 2 1 2013年2月10日 博多スターレーン
第92代 鈴木鼓太郎 青木篤志 1 4 2013年4月25日 名古屋国際会議場イベントホール
第93代 秋山準 金丸義信 1 3 2014年1月26日 神戸サンボーホール
第94代 入江茂弘 石井慧介 1 4 2014年4月29日 後楽園ホール
第95代 鈴木鼓太郎 宮原健斗 1 1 2014年8月16日 後楽園ホール
第96代 長井満也 南野タケシ 1 1 2015年1月3日 後楽園ホール
第97代 ウルティモ・ドラゴン 金丸義信 1 0 2015年3月22日 博多スターレーン
第98代 木高イサミ 宮本裕向 1 7 2015年11月15日 八王子市総合体育館
第99代 青木篤志 佐藤光留 1 4 2016年7月24日 両国国技館
第100代 大仁田厚 渕正信 1 1 2016年11月27日 両国国技館
第101代 青木篤志 佐藤光留 2 2 2017年6月20日 帯広市総合体育館
第102代 ブラック・タイガーVII TAKAみちのく 1 0 2017年8月27日 両国国技館
第103代 野村直矢 青柳優馬 1 4 2017年9月30日 グリーンドーム前橋
第104代 秋山準 永田裕志 1 2 2018年2月3日 横浜文化体育館
第105代 野村直矢 青柳優馬 2 3 2018年7月29日 大阪府立体育会館
第106代 ジェイク・リー 岩本煌史 1 0 2019年3月21日 名古屋国際会議場イベントホール
第107代 河上隆一 菊田一美 1 1 2019年5月5日 横浜文化体育館
第108代 ジェイク・リー 岩本煌史 2 4 2019年6月18日 後楽園ホール
第109代 木高イサミ 宮本裕向 2 3 2020年3月23日 後楽園ホール
第110代 ゼウス イザナギ 1 6 2020年8月15日 後楽園ホール
第111代 T-Hawk エル・リンダマン 1 2 2021年9月7日 後楽園ホール
第112代 大森北斗 児玉裕輔 1 6 2022年1月2日 後楽園ホール
第113代 歳三 1 2 2022年7月14日 後楽園ホール
第114代 佐藤光留 田村男児 1 1 2022年9月18日 日本武道館
第115代 ヨシタツ TAJIRI 1 1 2022年10月30日 新木場1stRING
第116代 児玉裕輔 花畑正男 1 0 2022年11月27日 湘南藤沢市場
第117代 大森隆男 井上雅央 1 0 2022年12月7日 後楽園ホール
第118代 NOSAWA論外 ケンドー・カシン 1 0 2023年1月3日 後楽園ホール
第119代 大仁田厚 ヨシタツ 1 5 2023年2月4日 八王子市総合体育館サブアリーナ
第120代 秋山準 鈴木鼓太郎 1 1 2023年9月18日 名古屋国際会議場イベントホール
第121代 坂口征夫 岡谷英樹 1 1 2023年11月3日 新宿FACE
第122代 大仁田厚 小嶋斗偉[† 31] 1 0 2024年1月14日 鶴見青果市場
第123代 佐藤光留 田村男児 2 1 2024年3月30日 大田区総合体育館
第124代 吉岡世起 MUSASHI 1 4 2024年6月24日[3] 後楽園ホール
第125代 安齊勇馬 ライジングHAYATO 1 0 2024年10月13日 キラメッセぬまづ

新日本プロレス版

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1976年2月、新日本プロレスが「アジア王者がいないのはおかしい」との理由で独自にアジアヘビー級王座とアジアタッグ王座の新設を発表。王座決定リーグ戦を経て、初代アジアタッグ王者チームに坂口征二&ストロング小林を認定[4]。その後、タイガー・ジェット・シン&上田馬之助にタイトルは移動したが[4]、定着することのないまま短期間で休眠状態になった。なお、アントニオ猪木は初代アジアヘビー級王者を決めるアジアリーグ戦の参加を辞退して、シンを相手にNWFヘビー級選手権試合を行なっている[† 32]

新日本プロレス版歴代王者

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歴代 王者 防衛回数 日付 場所
初代 坂口征二 ストロング小林 0 1976年8月4日 宮城県スポーツセンター
第2代 タイガー・ジェット・シン 上田馬之助 0 1977年7月15日 札幌中島体育センター

備考

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脚注

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注釈

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  1. ^ 王座決定リーグ戦で力道山&ハロルド坂田を破り獲得。
  2. ^ 1963年1月、豊登負傷のため返上。
  3. ^ キラー・コワルスキー&フレッド・アトキンスを破り獲得。1963年12月15日、力道山死去により王座空位。
  4. ^ プリンス・イヤウケア&ドン・マノキャンを破り獲得。
  5. ^ 1966年1月5日、豊登退団のため王座空位。
  6. ^ 吉村&馬場を破り獲得。
  7. ^ 1966年11月5日、馬場がインターナショナル・ヘビー級王座を獲得のため返上。
  8. ^ ターザン・ゾロ&エディ・モロー(ジャック・クレインボーン)を破り獲得。1967年4月、大木が負傷のため返上。
  9. ^ ワルドー・フォン・エリック&アイク・アーキンスを破り獲得。1967年10月31日、猪木がインターナショナル・タッグ王座を獲得のため返上。
  10. ^ ビル・ミラー&リック・ハンターを破り獲得。
  11. ^ 1969年1月21日、吉村が渡米のため返上。
  12. ^ バスター・ロイド&トム・ジョーンズを破り獲得。1969年7月3日、大木がアジアヘビー級王座に専念するため返上。
  13. ^ クラッシャー・リソワスキー&アート・マハリックを破り獲得。1969年10月9日、山形でのオースチン&ミスター・アトミック戦後、王座預かり。
  14. ^ オースチン&アトミックとの再戦で勝利。1971年12月、猪木除名のため王座空位。
  15. ^ ドリー・ファンク・ジュニアディック・マードックを破り獲得。1973年1月30日、吉村の引退により返上。
  16. ^ キラー・カール・クラップ&カール・フォン・スタイガーを破り獲得。1973年4月20日、日本プロレスの活動停止により一時封印。
  17. ^ 復活王座決定戦で洪武雄(ハン・ウースン)&呉大均(オー・テーキュン)を破り獲得。
  18. ^ その後6ヶ月以上防衛戦が行われず、防衛期限切れのため王座預かり。
  19. ^ ザ・キウィズボブ・ミラー&スウィート・ウィリアムス)を破り獲得。
  20. ^ 1983年1月、佐藤の負傷のため返上。
  21. ^ 極道コンビを破り獲得。1984年2月、井上がインターナショナルジュニアヘビー級王座に専念するため返上。
  22. ^ ジェリー・モロー&トーマス・アイビーを破り獲得。1984年10月22日、原の失踪のため王座空位。
  23. ^ 浜口&栗栖正伸を破り獲得。
  24. ^ 王座奪取時の試合で浜口が負傷したため、寺西のパートナーが保永に交代。
  25. ^ 1987年3月、マシーンの離脱(新日本プロレス復帰)のため王座空位。
  26. ^ 寺西&栗栖を破り獲得。
  27. ^ 1990年5月17日、タイガーマスクが王座返上。
  28. ^ デイビーボーイ・スミス&ジョニー・スミスを破り獲得。1990年7月、仲野のSWS移籍のため王座空位。
  29. ^ ザ・ファンタスティックストミー・ロジャース&ボビー・フルトン)を破り獲得。1991年、エースの負傷のため返上。
  30. ^ 小橋&菊地毅を破り獲得。
  31. ^ 戴冠中の2月14日にリングネームを「To-y」に改名。
  32. ^ 後に、新日本プロレスは第1回「IWGPリーグ戦」が開催される直前に「世界統一の前にアジア統一を」とIWGPの下部王座という形での新日本プロレス版アジア王座の復活構想をぶち上げたことがあった。ゆくゆくは全日本プロレス版アジア王座との統一も狙うとしていたが、この構想はいつの間にか立ち消えになっている。
  33. ^ 2017年11月5日発行の『Gスピリッツ Vol.45』73ページで1992年5月4日に韓国の李王杓が、日本には殆ど報道されないまま大木が保持していた王座を獲得していることが明らかになっているが、この件については管理団体である全日本プロレスや管理組織であるPWFは認定していない。

出典

[編集]
  1. ^ a b 『1945-1985 激動のスポーツ40年史 (6) プロレス 秘蔵写真で綴る激動史』P155-157(1986年、ベースボール・マガジン社
  2. ^ 8/15【全日本】老朽化に伴いアジアタッグチャンピオンベルト新調”. プロレス格闘技DX (2019年8月15日). 2019年8月18日閲覧。
  3. ^ 千葉修宏 (2024年6月24日). “【全日本】むーちゃん&せーちゃんがアジアタッグ初戴冠も、MUSASHIはまたも発言ゼロ - プロレス : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2024年6月25日閲覧。
  4. ^ a b Asia Tag Team Title [New Japan]”. Wrestling-Titles.com. 2023年8月9日閲覧。

外部リンク

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