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サンデーお笑い生中継

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サンデーお笑い生中継
番組の生放送が行われていた毎日放送千里丘放送センター
ジャンル 演芸番組
出演者 斎藤努
横山やすし
タモリ
桂朝丸
製作
製作 毎日放送
TBS
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1978年8月6日 - 1979年3月25日
放送時間日曜 12:00 - 12:45
放送分45分
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サンデーお笑い生中継』(サンデーおわらいなまちゅうけい)は、1978年8月6日から1979年3月25日までTBS系列局で放送されていた演芸番組である[1]毎日放送 (MBS) とTBSの共同製作。放送時間は毎週日曜 12:00 - 12:45 (日本標準時)。

概要

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東西のお笑い芸人たちが数々の演芸を披露していた番組で、大阪のうめだ花月劇場、東京の浅草松竹演芸場大阪府吹田市毎日放送千里丘放送センター第1スタジオ(いずれも現存せず)の3か所を結んでの生放送を実施していた。

オーソドックスな演芸番組の面を出しつつも、生放送である利点を生かして、桂朝丸(後に「桂ざこば」を襲名)の冠コーナー「桂朝丸のお天気漫談」を千里丘放送センターから挿入。毎日放送と下記のネット局が放送対象地域内に常設しているお天気カメラからの配信映像や中継映像から毎週4局分の映像が流れるクロマキーをバックに、当時出演していた『テレビ三面記事 ウィークエンダー』(日本テレビ)と同じく漫談調の口調で中継先の気象情報を伝えていた(中継映像には「担当局の本社が所在する都市名+担当局の略称」を記した字幕を表示)。

日曜正午の寄席番組としては、番組がスタートした年の6月25日に終了した『大正テレビ寄席』(テレビ朝日)以来1か月のブランクを経ての復活となったが、毎日放送はTBS系列への加盟前(テレビ朝日の前身・日本教育テレビ系列の準基幹局)時代に「東京の笑いは関西では受けない」という理由で『テレビ寄席』のネットを打ち切って自社製作の『サモン日曜お笑い劇場』に差し替えた経緯があり[2](このため、同局は永六輔から異を唱えられた)[3]、東西折衷[4]ではあったが、同局にとっては東京の芸人が出演する日曜昼の寄席番組が事実上復活することになった。

東京からの中継では、タモリを中心に進行。ビジーフォーのライブを随時放送していたほか、若手精鋭の漫才師たち(星セントルイスツービートなど)が登場することもあった。

この番組はタモリとビートたけしの初期の共演番組でもある。東京側の演出はTBS桂邦彦、構成作家は高平哲郎が担当していた。

司会

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  • 斎藤努(放送期間中は毎日放送のアナウンサー) - 総合司会を担当。
  • 横山やすし - 大阪方の司会を担当。
  • タモリ - 東京方の司会を担当。
  • 桂朝丸(後の桂ざこば) - 「朝丸のお天気漫談」(千里丘放送センターからの気象情報コーナー)を担当。

放送局

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備考

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本番組の終了後、タモリはしばらく毎日放送製作番組への出演が無かったが、1994年4月放送開始の『ジャングルTV 〜タモリの法則〜』で再出演を果たした。

脚注

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  1. ^ 毎日放送40年史編纂室『毎日放送の40年 資料編』毎日放送、1991年、p.252
  2. ^ その後短期間、別スポンサーによる遅れネットで放送が再開されたことがあった。
  3. ^ 直ちに絶縁とはならず、司会を務める番組もあったが、1980年代以降は出演が減少していた。
  4. ^ 1990年代以降は、交通機関の発達により東西間での芸人の行き来が活発となり、演芸番組の出演者が東西折衷となることも珍しくないほか、毎日放送をはじめとした在阪局の制作であっても、全国ネット番組では東京都内で収録を行うことがある。
TBS系列 日曜12:00枠
前番組 番組名 次番組
爆笑!ナンチャッテ横丁
(1978年4月2日 - 1978年7月30日)
サンデーお笑い生中継
(1978年8月6日 - 1979年3月25日)
婚約診断スイッチON
(1979年4月1日 - 1979年9月30日)