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トロイ・グロース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トロイ・グラースから転送)
トロイ・グロース
Troy Glaus
セントルイス・カージナルス時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ターザナTarzana
生年月日 (1976-08-03) 1976年8月3日(48歳)
身長
体重
6' 5" =約195.6 cm
245 lb =約111.1 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 1997年 ドラフト1巡目
初出場 1998年7月31日
最終出場 2010年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
五輪 1996年
オリンピック
野球
1996 野球

トロイ・エドワード・グロース(Troy Edward Glaus, 1976年8月3日 - )はカリフォルニア州ターザナ出身の元プロ野球選手(三塁手)。右投右打。

メディアによってはグラースグロス、グラウスなどと表記されることがある。

経歴

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1976年8月3日カリフォルニア州ロサンゼルス市ターザナで生まれ、2歳のとき両親は離婚し、母子家庭で育った。3歳のときTボールを始め、5歳で野球を本格的に始めた[1]

高校では1年生からレギュラーで出場し、2年生のときチームをアボカド・リーグ優勝へ導き、MVPに選出された[1]。最終学年の1994年6月にサンディエゴ・パドレスからドラフト2巡目で指名された。契約金25万ドルという球団側にとっては破格の条件を提示したが、「正直言って、まだ自宅から遠く離れたところで仕事をする自信がなかったんだ。それにアトランタオリンピックが控えていたから、一生に一度のことだし、国代表として出場してみたかった。」と指名を拒否し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校へ進学した[1]

高校までは遊撃手だったが、大学時代は三塁と遊撃の両方を守るようになり、次第に三塁を守る機会が増えていった[1]。大学2年生の1996年アトランタオリンピック野球アメリカ合衆国代表として出場。準決勝で日本に11対2で敗れたが、銅メダルを獲得した。3年時には67試合に出場し、打率.409、34本塁打、91打点を記録し、マーク・マグワイアの同大学のシーズン記録を13年ぶりに2本更新した[1]。オリンピックの経験により、アマチュア球界でやり残したことはなくなり、1997年のドラフトで指名されたらどこの球団でも入団するつもりでいた[1]

ドラフト1位(全米3番目)指名を受け、アナハイム・エンゼルスへ入団。契約金は225万ドルで、メジャーでは三塁に絞ると決断した[1]。大学を中退し、ベネズエラウィンターリーグに参加し、迎えた1998年のスプリングトレーニングでは打率.423を記録したが、レギュラー三塁手デーブ・ホリンズが好調だったため、開幕をAAで迎えた[1]。AA級では50試合に出場し、5月にはAAA級に昇格。ここで59試合に出場し、打率.306、16本塁打、42打点を記録し、7月31日にメジャーデビューした。その年は打率.218 、1本塁打に終わった。

1999年は開幕からレギュラーだったが三振が多く、守備の粗さが目についたが首脳陣は辛抱強く起用し続けた[1]。154試合に出場し、打率.240ながらモー・ボーンに次ぐチーム2位の29本塁打を記録した[2]

2000年にはオールスターゲームに選出され、三塁手として1980年にマイク・シュミットの記録した48本塁打に次ぐ46本塁打を放ち、指名打者として1本塁打を記録し計47本塁打を記録し、本塁打王を獲得した。

2001年は打率.250だったが、41本塁打を記録し、2年連続でシルバースラッガー賞を受賞した。

2002年9月15日から16日にかけて大リーグタイ記録となる4打数連続で本塁打を放った[1]。チームがワールドシリーズを制覇し、自身もワールドシリーズで7試合で打率.385、3本塁打、8打点を記録し、MVPを受賞した。

2003年、2年ぶり3回目のオールスターゲームに出場したが、怪我のため7月21日以降は欠場した。

2004年も怪我のためシーズン途中欠場した。FAとなったグロースは4年総額4,500万ドルでアリゾナ・ダイヤモンドバックスに移籍した[1]

2005年、37本塁打、97打点を記録し、打棒が復活。

2006年にはトロント・ブルージェイズへトレードで移籍し、38本塁打、104打点と昨シーズンを上回る成績を残した。

2007年には、チームにフランク・トーマスが加わり、バーノン・ウェルズアレックス・リオスらとともに強力クリーンナップを形成した。グロースは開幕してすぐに左足の故障により故障者リスト入りとなった。休みながら出場し続けたが、チームがプレーオフ進出の可能性がなくなると手術を決断した[3]

2008年1月14日、同じ三塁手のスコット・ローレンとの交換トレードでセントルイス・カージナルスへ移籍した。

選手としての特徴

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マイク・シュミットの再来」と言われ[1]、ボールを見極めるスタイルで三振、四球ともに多い。足に不安があるため走らなくてもいいようにアッパースイングで本塁打を打とうとしている[3]。若いころは三振が多く、毎年のように150三振前後を記録していたが、選手生活後半には三振が減りBB/Kが向上している。

ポジションは主に三塁手だが、大学時代は遊撃手を守っていたこともあり、メジャーでは、2000年に6試合、2001年2002年に2試合ずつ、2006年に8試合遊撃手として出場している。

薬物使用疑惑のある選手の調査結果であるミッチェル報告書に名前が載った。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1998 ANA 48 182 165 19 36 9 0 1 48 23 1 0 0 2 15 0 0 51 3 .218 .280 .291 .571
1999 154 631 551 85 132 29 0 29 248 79 5 1 0 3 71 1 6 143 9 .240 .331 .450 .781
2000 159 678 563 120 160 37 1 47 340 102 14 11 0 1 112 6 2 163 14 .284 .404 .604 1.008
2001 161 708 588 100 147 38 2 41 312 108 10 3 0 7 107 7 6 158 16 .250 .367 .531 .898
2002 156 671 569 99 142 24 1 30 258 111 10 3 0 8 88 4 6 144 12 .250 .352 .453 .805
2003 91 367 319 53 79 17 2 16 148 50 7 2 0 1 46 4 1 73 8 .248 .343 .464 .807
2004 58 242 207 47 52 11 1 18 119 42 2 3 0 1 31 3 3 52 6 .251 .355 .575 .930
2005 ARI 149 634 538 78 139 29 1 37 281 97 4 2 0 5 84 2 7 145 7 .258 .363 .522 .885
2006 TOR 153 634 540 105 136 27 0 38 277 104 3 2 0 5 86 6 3 134 25 .252 .355 .513 .868
2007 115 456 385 60 101 19 1 20 182 62 0 1 0 5 61 2 5 102 7 .262 .366 .473 .839
2008 STL 151 637 544 69 147 33 1 27 263 99 0 1 0 3 87 3 3 104 14 .270 .372 .483 .855
2009 14 32 29 2 5 2 0 0 32 2 0 0 0 0 3 0 0 8 1 .172 .250 .241 .491
2010 ATL 128 483 412 52 99 18 0 16 165 71 0 0 0 4 63 2 4 100 16 .240 .344 .400 .744
通算:12年 1537 6355 5410 889 1375 293 10 320 2648 950 56 29 0 45 854 40 46 1377 138 .254 .358 .489 .847
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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表彰

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記録

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代表歴

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 梅田香子「スーパースター列伝/トロイ・グラウス」『月刊メジャー・リーグ』2006年1月号、ベースボールマガジン社、2006年、雑誌 08625-1、57頁 - 61頁。
  2. ^ 1999 Anaheim Angels Statistics and Roster - Baseball-Reference.com” (英語). 2008年1月29日閲覧。
  3. ^ a b 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、353頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2 

関連項目

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外部リンク

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