ノート:日本の地震年表/過去ログ1
このページは過去の議論を保存している過去ログページです。編集しないでください。新たな議論や話題は、ノート:日本の地震年表で行ってください。 |
編集基準について
[編集]地震の年表より分割しました。経緯は、ノート:地震の年表をご覧ください。また、編集基準、つまりは記載に足る基準についてですが、これについても、ノート:地震の年表にて先行議論があります。「地震の年表 (日本)」は新規項目のため、編集基準をそのまま継承するかどうか、私一人で決定することもできませんので、一時的に、本文においては継承しておりますが、すでに先行議論にみられますように、震度等の基準を下げるなどの提案がなされております。--西方 2011年6月5日 (日) 15:12 (UTC)
- 掲載の基準を下げることにはあまり賛同できできません。それこそ、21世紀以降の日本の地震を分割する事態になりかねないと思います。
- 近代の地震と、江戸時代以前では例えば同じM7であっても既に基準は異なると考えます。歴史地震では古文書から得られる震度分布を基にマグニチュードを推定しているため、記録が欠損している地域も少なからず存在し、結果、規模が小さく推定されマグニチュードが小さく出る傾向にあります。時代が古くなるにつれ大規模な地震も数が減少しているのがその証左です。--As6022014 2011年6月10日 (金) 09:20 (UTC)
- 「歴史地震と、計測が精度をあげた近現代とは、データの性格からいっても、いずれは別の項目にした方がより適切」と書きましたが、歴史地震への「分割」でなく、歴史地震を新規項目としてつくる、ということです。理由は、やはり現状の年表としての一覧性は保持すべきであるからです。
- なお、歴史地震とは、基準は1924年以前でしょうか?(20世紀の節への注に「 2003年9月17日に気象庁マグニチュードの算出方法が改訂され、これに伴い1924年以降に発生したほとんどの地震のマグニチュードも改訂」とある) それとも、ざっくばらんに明治以前でよいのでしょうか?まあ、ここはおいおい調査しますが、どなたかご存知のかたがおられましたら、お知らせください。--西方 2011年6月11日 (土) 15:38 (UTC)
- 歴史地震は日本では一般的に1884年以前のものを指します。1885年以降は
近代観測に観測網に基づく地震という事になります。1884年に地震計の観測網が整備されたようです。ただし震度は体感や被害の状況によるものでした。 [4] (PDF) p5, [5] (PDF) p208 - 『理科年表』でも1884年以前は宇佐美龍夫によるマグニチュードの推定値を引用しています。
- マグニチュードそのものは1930年代にRichterにより提唱されたものですが、日本でも1923年関東大地震辺りに遡り地震計による記録を基にマグニチュードを推定した経緯があったのではないかと思います。--As6022014 2011年6月13日 (月) 08:02 (UTC)修正--As6022014 2011年6月13日 (月) 09:38 (UTC)
- 歴史地震は日本では一般的に1884年以前のものを指します。1885年以降は
- 詳細な情報、ありがとうございました。今後の編集に反映させたいと思います。--西方 2011年6月18日 (土) 20:35 (UTC)
- 私の結論・・数字、場所、地震予知、津波高さにあまりこだわらない方がモア・ベターと思います。あくまでも「第一近似」ということで・・
- 今回の地震で、現代の機械を使っても、マグニチュードの厳密さを求めることの困難が理解されてきたのではないでしょうか。予想された地震と実際の地震ではマグニチュードで1-1.5違いました。エネルギー差は30-100倍です。発表ごとにマグニチュードが変化しましたが、エネルギー差は2-30倍です。そんなに大きかったのでしょうか?答えはノーです。*マグニチュードには気象庁、表面波、実体波などがあります。川角の公式は、墓の倒れ方などから(地盤はあまり気にしていない)おおざっぱに推定しています。特に昔使われた表面波マグニチュードは、エネルギー、揺れ、ずれに比例せず頭打ちになることが昔(30年以上)から知られており、今回の地震は昔の基準ではM8.5くらいではないでしょうか。
- たとえば江戸時代では慶長三陸地震は今村明恒博士からもM9程度ではないかという指摘がありましたが、1/30のM8程度にされています。最近纐纈教授はM9近いと推定しています。江戸時代でM1違うのなら、もっと古い時代は・・・
- 現代でも地震計の固有周期、地盤、岩盤、種類(強震計かどうか)、距離などでマグニチュードの正確な推定は困難です。東海地震の震源域も最近広がりました。3.11地震も主な地震動が3つあり、発表ごとに震源域が変化し、合計エネルギーの計算には誤差が入ります。発表される有効数字(±0.1)と、実際の有効数字(±1くらい)が違いすぎるのが原因です。気象庁では今年ある場所の最高気温が削除されたことがありました。測定器にツタが絡んだことが報道されたことが原因でした(気象庁は知らなかった)。
- 古い時代の震源地もこだわるべきではないと思います。特に軟弱地盤の被害地震は怪しいです(江戸時代の江戸地震は、被害地が埋め立て地の場合が多く、震源地付近で記録がない場合が想定される。江戸直下に震源地があると仮定すると矛盾する地震がいくつか。)江戸時代の海洋性地震でも、どのトラフが動いたかはっきりしていないものがいくつもあります。
- 最近10年くらい震源域とマグニチュードの推定にも使われていた「ゆっくり地震によるひずみの解放」「固着域」「震源域の境界」が揺らいでいます。今までの知見では、東北沖でM9は起こるはずがありませんでした。--58.0.91.25 2011年10月9日 (日) 03:42 (UTC)
- 大方、58.0.91.25さんの仰るとおりです。歴史地震というものは例えば宝永地震にしても推定にM8.4 - 9.3までの幅があるわけで。津波の高さも推定者により何倍もの開きがあり、詳細な調査の行われた東北地方太平洋沖地震と単純比較することは出来ません。また、震源域や震央が京都、奈良、鎌倉付近とされている中世以前の地震も東海・東南海・南海や関東地震である可能性も充分あります。
- ただし、今村明恒の時代はマグニチュードの数値が語られることはほとんどありませんでしたし、M9が登場したのは1977年の金森博雄の論文発表以降の事ですから、今村は慶長三陸地震の津波は貞観地震と共に激烈雄大なるものであったと語っているもののM9の数値が出てくるはずはありません。--As6022014 2011年10月24日 (月) 08:54 (UTC)
地震の計測が始まったのはいつか
[編集]20世紀以前の地震についてもマグニチュードが記載されていますが、実際に計測が始まったのはいつでしょうか?過去の地震と比較する場合に、実際の計測に基づくものと被害状況や文献などからの推定によるものでは(ある程度は参考になるとしても)意味合いが大きく異なります。その辺りの歴史的経緯を記事内(例えば「凡例」節内や各節の冒頭など)に明記したほうがいいように思います。--115.162.7.24 2011年7月17日 (日) 19:58 (UTC)
- マグニチュードそのものが考案されたのは1935年のRichterによるものですから、計測されたのはこれ以降となります。気象庁が地震が起こるたびに地震測定器による観測でマグニチュードを速報できるようになったのは1970年代後半のようです。それ以前は地震計の記録から推定したものと思われます。
- 理科年表では1926年以降は気象庁が採用している値、1885年-1925年は宇津徳治の『日本付近のM6.0以上の地震および被害地震の表』(1982)、1884年以前は宇佐美龍夫の『日本被害地震総覧』(2003)となっています。
- そもそも、観測所のなかった1884年以前の地震の規模は川角(1943)による震央距離100kmにおける平均推定震度を Mk と定義したことに始まり、これをリヒタースケールに換算するには M(K) = 0.5Mk + 4.85 の式を用いたわけです。ここで歴史地震の川角マグニチュードMkは精度の関係で整数で表され、Mk = 4, 5, 6, 7 ならばそれぞれ M(K) = 6.9, 7.4, 7.9, 8.4 となるわけで25年ぐらい前の理科年表ではこういった値が記されていました。
- CiNii [6] (PDF)
- その後、宇佐美龍夫により川角マグニチュードMkと気象庁マグニチュードMjの関係が検討され、現在の理科年表では宇佐美(2003)による推定値が記されています。まあ、古文書による推定震度は古くなればなるほど記録も断片的なものになりますから、全体の震度分布は得難くなり、例えば684年白鳳地震のような極めて荒い推定値となってしまうわけです。--As6022014 2011年7月22日 (金) 08:20 (UTC)
日時の書き方について
[編集]- 特にグレゴリオ暦やユリウス歴を区別して括弧書きにする必要はないと思います。2つの暦の日時の違いは数日以内に起こった場合に影響するだけです(これはほとんどの分野についていえると思います)。特に太陽暦の場合、ほとんど変わりません。それよりは当時使われた日時が大事で、原典はすべて旧暦で書かれています。旧暦(たとえば天正2年2月15日)が全部消去されてしまい、文献を参照するときにとても困っています。また日本史を研究する立場からは、「慶長」「貞観」で時代が浮かび上がります。だから名称も「貞観地震」「明治三陸地震津波」などとしています。中国でも「雍正帝6年」などがよくわかります。--58.0.91.25 2011年10月9日 (日) 03:42 (UTC)
- 西暦については1582年以前はユリウス暦に統一しても良いと思いますが、そこらへんの議論はノート:地震の年表、経緯については歴史地震をご覧ください。本記事は分離されて日本の事象となったことから日本歴を併記しても良いと思います、ただし和暦テンプレートやjdateテンプレートの使用は推奨されないと考えます。--As6022014 2011年10月18日 (火) 07:12 (UTC)
- 1582年以前に当時用いられたのはユリウス暦ですが、日本の歴史地震は慣例上グレゴリオ暦が用いられてきた経緯があり、その辺の事情をご存じない方が『理科年表』の日付と異なるからと書き換える編集をされる懸念があります。
- 貞観地震のみ和暦を併記し、西暦はグレゴリオ暦のみに書き換える編集をされていましたが、[7]これでは不釣合いであり、なぜ貞観地震だけなのかという疑問が生じます。
- そこで、全ての地震について和暦を併記した利用者:As6022014/地震の年表を作成しました。誤りなどがありましたら、ご指摘ください。--As6022014 2011年10月19日 (水) 03:17 (UTC)
- バチカンの1582年改暦より前の暦日に関しては、日本では、何年前のものであっても、西暦といえばすべてグレゴリオ暦に逆換算して理解する(紀元節算出方式)習慣が一部に存在していて、地震記録などでも、一部権威ある文献等に残っていますが、記述それ自体が、多くの言語に直接翻訳され得るシステムのwikipediaでは、この「換算グレゴリオ暦」は、日本語版においても、もはや不適切であるように思えます。ここは西欧各国語版と平仄を揃えて、天正10年9月18日以前の西暦期日に関しては、西暦は「年初を1月1日とするユリウス暦表記」で統一すべきではないでしょうか。この方式の暦による期日自体も、もともと西ヨーロッパで使われていた暦日それ自体ではなく、現代人にとってわかりやすく改変されているものです(ユリウス暦年初は、中世欧州を通じて1月1日とは限らない)。少なくとも、自然科学的事象の年表においては、「和暦年月日」と、上述「ユリウス/グレゴリオ暦年月日」の2本立てによる統一表記が、一番望ましいように思えます。理科年表等の問題については、冒頭で断りを入れておけば十分でしょう。--TommyCR(会話) 2013年11月8日 (金) 13:54 (UTC)
- 利用者‐会話:TommyCRにコメントを入れさせていただきました。仰ることは分かりますが、Wikipedia編集者の中で、こういったことを理解した上で編集されておられる方がどれだけいらっしゃるのでしょうか?誰しもが冒頭の断りを熟読の上で編集されるとは限りませんし、『理科年表』などの表記が最も一般的に流布している以上は両論併記が望ましいと考えます。
- 参考歴史地震の西暦表記について (PDF) --As6022014(会話) 2013年11月9日 (土) 07:32 (UTC)
- コメント 理科年表、宇津カタログ等の出典との突合せにおける検証可能性の低下を懸念します。もし、本ノートにサブページを設けて暦の対照の便宜を図るなどの措置により、検証可能性の低下を抑えられれば賛成できます。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2013年11月9日 (土) 20:33 (UTC)
- お二方コメント等ありがとうございます。この点に関して、歴史地震関連については、私の意見は、「将来に向けた一種の理想論の一提案」ということで、特に問題はございません。いくつかの記述で大胆な削除を行ったのは、Wikipedia:表記ガイドのセクション12に基づいて行ったものです。このガイドは、個人的には若干不満はありますが、特に深刻な論理的破綻はなく、(1月1日を年初とする暗黙の前提??も含めて)是認できると考えています。人文系の記事では、このガイドに綺麗に沿った記述が、最近大変よく浸透しているため、気づいた範囲で、各種記事に則った訂正を考えていたところ、地震関連の問題に踏み込んでしまったという次第です。日本では、(明治太陽暦(実質グレゴリオ暦)が、天保暦の後継暦法として理解されたためか)、人文歴史系のほうが、歴史的事象の記述における暦日の齟齬への関心が薄いようで、自然科学研究者のほうが、早くからこの齟齬に敏感であり、歴史地震に関しても西欧暦法に基づく表記を考えて、各種事典(年表)を編纂していたことが、逆に裏目に出ている感じですね。ジャコウネズミ氏の示唆を受け、J/G両暦法間の期日のずれは、原則1世紀ごとに1日ずつ広がることを用いて、「世紀」のセクション割を使って演繹的記述することも考えてみましたが、具体的に考えるとやはり繁雑なので、ここではこれも控えることにします。なお、やや余談に近くなりますが、その参考に掲げていただいた茅野論考は、「古い地震学者たちのグレゴリオ暦観」を知る上では興味深いものですが、今では、早川・小山ルールへの反論たりえず、説得力を失っているのではないでしょうか。1582年改暦前の西暦月日をユリウス暦で書くべき論拠は、グレゴリオ暦やユリウス暦の世界性とは関係がなく、ユリウス暦とグレゴリオ暦が、暦法として対立する2つの独立した暦ではなく、バージョンアップとしての前暦・後暦の関係にあるためです。(例えば、和暦の場合、織田信長の生涯年表を、天保暦で記述する人は誰もいないのと同じことです)--TommyCR(会話) 2013年11月11日 (月) 11:08 (UTC)
- コメントありがとうございました。いや、この重大な問題提起には感謝しなくてはなりません。私も日本の歴史地震日付表記のガラパゴス化には問題があると感じており、1582年以前にグレゴリオ暦がこの世に存在しなかったのは自明ですが、「理想論」の達成が困難な程にその業界?で伝統的なグレゴリオ暦換算表記が一般化してしまった事実も認めなければなりません。グレゴリオ暦ならば一貫して春分の日が3月20-21日頃になるとする大森房吉の合理主義がもたらした功罪と云えましょう。
- その問題の存在に対する注意喚起の意味として、敢えて冗長な表記としている事もご理解頂ければ幸いです。[古代・中世地震・噴火史料データベース(β版)]のように、両論併記が現実的で閲覧者に対して判断の選択の余地を提供していることから、より親切な態度であろうと考えています。参考21582年以前の火山噴火の日付をいかに記述するか--As6022014(会話) 2013年11月12日 (火) 03:08 (UTC)
- 重ねてありがとうございます。私としては、日本の慣行がガラパゴス化しているとは、必ずしも思っていないのです。問題は、日本ではなく欧米の側にあります。隋唐時代以降の中華系の暦と、19世紀以降のグレゴリオ暦に馴染んできた我々には、なかなか理解し難いことですが、ヨーロッパの暦法文化には「年初の決め方に対して、大変にルーズである(ローカルルールが氾濫する)」という歴史的な癖があり、これが16世紀以前のユリウス暦には顕現してしまいます。ユリウス暦において1月1日を年初とするというのは、ユリウス・カエサルの当初の趣旨ではありますが、その後一旦忘れ去られたものであって、そもそも、グレゴリウス13世の改暦勅書の原文の日付自体、これに従っていないのです。これは、本記事のような記述においては、大変に困った問題を惹起してしまいます。項目ごとに、しばしば年が1年ブレて確定が困難というのでは、年表は使いものになりません。その点に目を瞑って、ユリウス・グレゴリオ暦による期日表記に関しては1月1日年初で押し通しましょう、というのが、おそらく、少なくともWikipedia各国語版の暗黙の共通見解だろうと思っています。暦法は、メートル条約のような近代的整序に結局失敗した分野であって、不合理と文化的性癖の塊の中で、如何に現実的に使い物になるルールを考えるか、ということなのでしょう。そこで一つ提案があります。上述のような歴史地震に関する期日表記は、一般のWikipedia:表記ガイドに対する下位のローカルルールになります。もし、このルールを、本記事のみならず、歴史地震一般の記事における表記に適用するのならば、ルールを宣言する一定の手続きを踏むべきではないでしょうか。私自身、Wikipediaのルール策定に関しては、実体的なものも手続的なものも全く疎いので、無責任にも丸投げでお願いするほかはなく、大変に申し訳ないのですが、もし必要とお考えでしたら、よろしくお願いできればと思っております。(そこまでのことでもない、というのならば、それはそれだと思っています)--TommyCR(会話) 2013年11月12日 (火) 13:56 (UTC)
- 暦法とは別の角度から附言させていただきます。TommyCR様がサブページでの歴の対照について「具体的に考えるとやはり繁雑なので、ここではこれも控えることにします。」と仰っていますが、私は、このことについては、mediawikiの持つ得手・不得手も関係していると考えています。例えば表計算ソフトのファイルとしてデータを集約して共有すれば、(和暦・ユリウス暦・換算グレゴリオ暦併記の)一覧表(class="wikitable")、Template:Location map、Template:座標一覧などが整備しやすくなるでしょう。ただ、本項(全地球版の地震の年表(日本語版)もそうですが)を一律に一覧表化すると、1)歯抜けの部分が多くなる、2)横幅の広い閲覧画面環境を必要とする、以外に、3)表計算ソフトなどmediawiki以外のツールを混在させた場合の(履歴ページなどの)ライセンス遵守を担保する仕組みが構築されていない、という致命的な問題があります。縮約すると、mediawikiはライセンスの管理は得意だがデータ処理にはあまり向かないと私は思う、ということです。本項に貼らせていただいている画像([[File:Japan earthquake map.png]])は表計算ソフトを援用しており、実質、私しか更新できないという、ウィキプロジェクト上「好ましくない」状況にありますが、これ故、表計算ファイルの公開は控えております。暦法のみならず、本項目の書式や、データの集約・管理も含めて、長期的な今後の課題としたいので、ここに附言いたしました。--ジャコウネズミ(会話 | 投稿記録) 2013年11月12日 (火) 16:56 (UTC)
- 重ねてありがとうございます。私としては、日本の慣行がガラパゴス化しているとは、必ずしも思っていないのです。問題は、日本ではなく欧米の側にあります。隋唐時代以降の中華系の暦と、19世紀以降のグレゴリオ暦に馴染んできた我々には、なかなか理解し難いことですが、ヨーロッパの暦法文化には「年初の決め方に対して、大変にルーズである(ローカルルールが氾濫する)」という歴史的な癖があり、これが16世紀以前のユリウス暦には顕現してしまいます。ユリウス暦において1月1日を年初とするというのは、ユリウス・カエサルの当初の趣旨ではありますが、その後一旦忘れ去られたものであって、そもそも、グレゴリウス13世の改暦勅書の原文の日付自体、これに従っていないのです。これは、本記事のような記述においては、大変に困った問題を惹起してしまいます。項目ごとに、しばしば年が1年ブレて確定が困難というのでは、年表は使いものになりません。その点に目を瞑って、ユリウス・グレゴリオ暦による期日表記に関しては1月1日年初で押し通しましょう、というのが、おそらく、少なくともWikipedia各国語版の暗黙の共通見解だろうと思っています。暦法は、メートル条約のような近代的整序に結局失敗した分野であって、不合理と文化的性癖の塊の中で、如何に現実的に使い物になるルールを考えるか、ということなのでしょう。そこで一つ提案があります。上述のような歴史地震に関する期日表記は、一般のWikipedia:表記ガイドに対する下位のローカルルールになります。もし、このルールを、本記事のみならず、歴史地震一般の記事における表記に適用するのならば、ルールを宣言する一定の手続きを踏むべきではないでしょうか。私自身、Wikipediaのルール策定に関しては、実体的なものも手続的なものも全く疎いので、無責任にも丸投げでお願いするほかはなく、大変に申し訳ないのですが、もし必要とお考えでしたら、よろしくお願いできればと思っております。(そこまでのことでもない、というのならば、それはそれだと思っています)--TommyCR(会話) 2013年11月12日 (火) 13:56 (UTC)
- お二方コメント等ありがとうございます。この点に関して、歴史地震関連については、私の意見は、「将来に向けた一種の理想論の一提案」ということで、特に問題はございません。いくつかの記述で大胆な削除を行ったのは、Wikipedia:表記ガイドのセクション12に基づいて行ったものです。このガイドは、個人的には若干不満はありますが、特に深刻な論理的破綻はなく、(1月1日を年初とする暗黙の前提??も含めて)是認できると考えています。人文系の記事では、このガイドに綺麗に沿った記述が、最近大変よく浸透しているため、気づいた範囲で、各種記事に則った訂正を考えていたところ、地震関連の問題に踏み込んでしまったという次第です。日本では、(明治太陽暦(実質グレゴリオ暦)が、天保暦の後継暦法として理解されたためか)、人文歴史系のほうが、歴史的事象の記述における暦日の齟齬への関心が薄いようで、自然科学研究者のほうが、早くからこの齟齬に敏感であり、歴史地震に関しても西欧暦法に基づく表記を考えて、各種事典(年表)を編纂していたことが、逆に裏目に出ている感じですね。ジャコウネズミ氏の示唆を受け、J/G両暦法間の期日のずれは、原則1世紀ごとに1日ずつ広がることを用いて、「世紀」のセクション割を使って演繹的記述することも考えてみましたが、具体的に考えるとやはり繁雑なので、ここではこれも控えることにします。なお、やや余談に近くなりますが、その参考に掲げていただいた茅野論考は、「古い地震学者たちのグレゴリオ暦観」を知る上では興味深いものですが、今では、早川・小山ルールへの反論たりえず、説得力を失っているのではないでしょうか。1582年改暦前の西暦月日をユリウス暦で書くべき論拠は、グレゴリオ暦やユリウス暦の世界性とは関係がなく、ユリウス暦とグレゴリオ暦が、暦法として対立する2つの独立した暦ではなく、バージョンアップとしての前暦・後暦の関係にあるためです。(例えば、和暦の場合、織田信長の生涯年表を、天保暦で記述する人は誰もいないのと同じことです)--TommyCR(会話) 2013年11月11日 (月) 11:08 (UTC)
- 歴史地震記事もユリウス暦を表記している以上、一応Wikipedia:表記ガイドに沿っていると考えます。検証可能な多くの書籍( 『大日本地震史料』、『新収 日本地震史料』 、宇佐見『日本の歴史地震史料』 、『日本被害地震総覧』、『地震の事典』、『理科年表』、寒川旭『地震の日本史』など)でグレゴリオ暦換算が用いられている事実を鑑みて付帯的に併記しており、仮に併記しない場合は閲覧者が日本の歴史地震の日付問題の存在という重要な情報を得る機会を失うことになります。地震調査研究推進本部による南海トラフの地震の長期評価 (PDF) もグレゴリオ暦(ユリウス暦)の形で併記しており、「ここでは発生年の間隔を計算する上での便宜を考えて、グレゴリオ暦で示したものの、ユリウス暦による月日を括弧に入れて示した。」と註釈を入れ、災害発生の日時という事の重大さに対しての措置だと考えられます。
- しかし、このような併記を行うに至った経緯を周知しているのは極一部の編集者のみですから、テンプレートの作成、あるいはローカルルールの形でプロジェクトとして説明は必要だとは考えます。
- 「地震の年表」の変遷を追っていくと
- 2008年6月14日 (土) 05:39の版:1582年以前は原則としてユリウス暦で表記するとの註釈が加えられるが、日本の地震については、依然として「1498年6月30日 南海地震」・相模・武蔵地震を除きグレゴリオ暦表記のまま。[8]
- 2011年3月28日 (月) 09:07の版:貞観地震のみユリウス暦に書き換えられる。他の地震は殆どが依然としてグレゴリオ暦表記。調査により相模・武蔵地震もユリウス暦表記であることが判明。[9], ノート:地震の年表#ユリウス暦も参照。
- 2011年5月26日 (木) 10:05の版:日本の地震について従来のグレゴリオ暦表記に、これを削除せずユリウス暦表記を併記することとした。[10]
- 2011年6月5日 (日) 14:41の版:分割提案の合意により地震の年表から地震の年表 (日本)が分割される。[11]
- 2011年10月31日 (月) 08:18の版:和暦を併記する。[12]
- 2011年3月28日 (月) 09:07の版では調査により日本の地震は2地震がユリウス暦表記、残りはすべてグレゴリオ暦表記と混在していることが判明し、その註釈も無く記事の正確性を担保出来ない状態でした。編集で新たに地震を追加された場合、これが『理科年表』等の出典に基づく場合はグレゴリオ暦表記ですから追加される度にメインテナンスが必要となります。さらに当時の版では同日の地震の筈であるものが「1498年6月30日 南海地震 - 日向地震との混同との意見も有る。」と「7月9日 日向地震 - M 7.0〜7.5、死者多数。」と、あたかも別の日の如く記述になっているものがあった。これらは区別が曖昧であったために生じた混乱です。現時点ではユリウス暦に一本化することの弊害が大きいと考えます。
- 最近気付いたのですが、Portal:災害/今日は何の日/9月では明応地震が9月11日と9月20日の2回発生していますね。それ以外では、2月の康和地震、7月の貞観地震、8月の仁和地震、11月の白鳳地震、12月の永長地震はグレゴリオ暦、9月の摂津・河内地震はユリウス暦と混在しているようです。その他、西暦年、日付、元号など年表関連の記事も一通り確認が必要そうです。このような状況なら改めてローカルルールの策定も必要かと考えます。
- 1582年以前の日本の個別の歴史地震記事では、
- 允恭地震, 推古地震, 筑紫地震, 白鳳地震, 大宝地震, 畿内七道地震, 天平地震, 貞観地震, 相模・武蔵地震, 仁和地震, 万寿地震, 永長地震, 康和地震, 文治地震, 正平地震, 享徳地震, 日向灘地震 (1498年), 明応地震, 永正地震はユリウス暦とグレゴリオ暦を併記、鎌倉大地震はユリウス暦のみとなっていますが特に断りは入れていません。
- 允恭天皇5年7月14日の「允恭地震」は、「表記ガイド」に沿えば原則西暦を表記しないとなりますが、検証可能な出典に基づいて西暦換算を表記し、それには諸説あって必ずしも正確とは云えない旨記しています。--As6022014(会話) 2013年11月13日 (水) 08:01 (UTC)
元号併記について
[編集]ノート:地震の年表でも議論がありましたが、上の58.0.91.25さんのご提案にもあるように、元号を併記してもよろしいのではないでしょうか。--As6022014 2011年10月24日 (月) 08:54 (UTC)
沖縄県(とその海域)の地震の特筆性の有無についてご見解をご教授ください
[編集]日本における地震について造詣が深く関心が高い編集者がこのページに集まっていると考え、ここでご意見を伺いたいと思います。
template:日本近代地震を編集する中で感じたのですが、沖縄県はその海域が広く、プレート境界にも近く、M7.0以上の大地震や主な被害地震が、1664年、(1667年規模不詳)、(1768年規模不詳)、1771年、(1842年規模不詳)、1909年、1926年(2回)、1938年、1947年、1958年、1966年、1998年、2001年、2010年、2011年に起きています(本記事、理科年表及び気象庁震源データベースによる)。また1992年には最大震度5の群発地震が起きています。海域が広いためかマグニチュードが大きい地震の数の割に被害や最大震度が比較的小さいものが多く、単独記事になっている地震はこのうち、1771年八重山地震と2010年沖縄本島近海地震の2項目です。1926年以降のデータでは沖縄県内で最大震度4以上を観測した地震は103回、うち震度5弱以上は13回で最大震度6弱以上はありません。概略このような状況ですが、マグニチュードが大きい地震地震が観測されているが本項目以外に記事がなく、これらの地震をあわせて1つの記事として立項できないだろうか、と考えているところです。地震学(地学)の分野からは外れますが、建築基準法に定められた構造計算用の地震力が日本国内で最も小さく設定されている(地域係数 Z=0.7)ということも特徴かと考えます。
特筆性についてどう考えるか、または立項してもサブスタブになるだけではないか、など、ご意見をお伺いできれば幸いです。--ジャコウネズミ(会話) 2012年4月20日 (金) 14:25 (UTC)
南西諸島近海で発生する地震を全てまとめて一つの記事(たとえば鳥島近海地震のように)として立項する、という理解でよろしいでしょうか?だとすればいい構想だと思います。南西諸島近海ではプレート境界型以外にも深発地震や、1992年の西表島付近の群発地震のように火山との関連が疑われるような特徴ある地震が発生しています。深発地震の被害がとりわけ多いようにも感じますし、琉球トラフでの地震の再評価を政府の地震調査委員会が行うなど、記事を立てるのに十分な特筆性があると思います。--窓家(会話) 2012年5月1日 (火) 09:01 (UTC)
- コメント窓家様、ご見解ありがとうございます。沖縄県の領土及び排他的経済水域(凡そ)を震央とした主な地震を記事鳥島近海地震のような形で一つの記事に纏めるという意味です。地震学的には「沖縄」よりも「南西諸島」の括りの方が良いかと思いますが、出典を収集する中で、どちらの括りになるか決まってこようかと思います。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月1日 (火) 09:43 (UTC)
報告 記事 南西諸島近海地震 を起稿しました。--ジャコウネズミ(会話) 2012年5月11日 (金) 02:21 (UTC)
冒頭のテンプレート
[編集]ちょっとした疑問なのですが、Template:現在進行は必要でしょうか?冒頭のAmbox(閲覧・編集に関する注意)に書かれている内容でほぼ「現在進行」の内容はカバーされているように思いますし、「2011年6月」と書かれた「現在進行」テンプレートを未来永劫表示したままというのは違和感を覚えます。そもそも、現在進行中のできごとは記事中最後の数%だけで、ほとんどは世紀単位で過去の出来事です。--朝彦(会話) 2012年11月17日 (土) 07:59 (UTC)
- 報告 除去しました。ご意見ございましたらお寄せください。--朝彦(会話) 2012年11月23日 (金) 03:36 (UTC)
2014年3月14日に発生した伊予灘の地震について
[編集]WP:3RR に相当しなくても Wikipedia:編集合戦 とみなされる場合があります。さて、ノートページの最初を読んでいただきたいのですが、2014年3月14日に発生した伊予灘の地震については、「新しく地震を追加するときの基準」を満たしていません(本文にも同様の文面があると思います)。従って、この地震を本文に追加する場合には、付則にある通り、ノートページで合意を得てから編集するようにしてください。よろしくお願いします。--Frozen-mikan(会話) 2014年3月14日 (金) 12:55 (UTC)
「震度7」と「震度 7」
[編集]「震度」の後のスペースの有無が混在していて、検索が微妙にやり辛いのですが…無しに統一できないでしょうか。--Moone(会話) 2015年1月17日 (土) 16:46 (UTC)
- 報告 半角スペース有りの記述が多かったので、冒頭テンプレート部以外を有りに統一しました。--Apple2000(会話) 2015年1月19日 (月) 02:01 (UTC)
出典差し替えの理由
[編集]地震の年表 (日本)の2012年8月15日 (水) 00:32 (UTC) の編集(差分)と2012年8月15日 (水) 04:29 (UTC) の編集(差分)で追加された出典「高知県土佐市で2000年前のM9級超巨大地震の津波跡(50cm堆積物)を発見.300年前の宝永地震の津波でも高さ25m(15cm堆積物)と高知大学岡村眞教授 / つくば研究学園都市への2011年東日本大震災の影響」(urlは省略)を除去しました。理由は、現在はリンク切れとなっているこの記事のアーカイブを確認したところ、記事の前半は「M9級・超巨大地震! 2000年前、巨大津波か」(読売新聞、2011年4月25日14時47分。アーカイブ)に、後半は「研究拠点節電ショック つくば・学園都市」(東京新聞、2011年4月2日)に酷似しているにもかかわらず、サイト内にこれらの記事が出典として明記されていないことから無断転載だと思われたためです。著作権上の問題があり出典としては不適切だと考えて除去しました。代わりに、転載元と推定される読売新聞記事(アーカイブ)を出典として提示しました。--Æskja(会話) 2015年12月5日 (土) 14:21 (UTC)
外部リンク修正
[編集]編集者の皆さんこんにちは、
「地震の年表 (日本)」上の2個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。
- http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110425-OYT1T00737.htmの書式設定/使用方法を修正
- http://www.seis.nagoya-u.ac.jp/INFO/tohoku20110311/yuhatsu.htmlにアーカイブ(https://web.archive.org/web/20110411235724/http://www.seis.nagoya-u.ac.jp/INFO/tohoku20110311/yuhatsu.html)を追加
編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。
ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月29日 (金) 14:37 (UTC)