三谷駅 (山口県)
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三谷駅 | |
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駅舎(2010年7月) | |
みたに Mitani | |
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所在地 | 山口県山口市阿東生雲東分字三谷 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | ■山口線 |
キロ程 | 38.6 km(新山口起点) |
電報略号 | ミニ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
21人/日(降車客含まず) -2022年- |
開業年月日 | 1918年(大正7年)4月28日[1][2] |
備考 | 無人駅 |
三谷駅(みたにえき)は、山口県山口市阿東生雲東分字三谷にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山口線の駅である。
歴史
[編集]- 1918年(大正7年)
- 1971年(昭和46年)8月10日:貨物取扱廃止[3]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:荷物扱い廃止[2]、無人駅化[4]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、JR西日本に移管[2][5]。
- 2001年(平成13年)
- 2010年(平成22年):新駅舎完成。
- 2021年(令和3年)5月20日:簡易委託解除、終日無人駅化。
駅構造
[編集]新山口駅管理の無人駅。以前は簡易委託駅で乗車券(常備券のみ)が付近の商店で販売されていた(駅舎外発券)。
駅舎は2001年5月16日に漏電が原因と思われる火災で焼失したが、JR西日本が不採算を理由に再建を拒否した[7][8]。そのため、地元負担で設置されたプレハブ駅舎で営業していたが[8]、2010年に新駅舎が建てられた(CTC連動列車接近装置は新駅舎設置前後共に駅舎外設置となった)。その駅舎は上り線南側益田寄りに位置しており、その横にある構内踏切を通ってホームに入る形である。
のりば
[編集]ホーム | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
駅舎側(1) | ■山口線 | 上り | 山口・新山口方面 |
反対側(2) | 下り | 津和野・益田方面 |
※実際には上記ののりば番号は無い。上記番号は列車運転指令上の番線番号である。
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ホーム(2005年8月)
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駅名標(2009年7月)
利用状況
[編集]乗車人員推移 | |
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年度 | 1日平均人数 |
1999 | 123 |
2000 | |
2001 | 87 |
2002 | 83 |
2003 | 80 |
2004 | 71 |
2005 | 61 |
2006 | 57 |
2007 | 52 |
2008 | 50 |
2009 | 43 |
2010 | 45 |
2011 | 47 |
2012 | 44 |
2013 | 37 |
2014 | 39 |
2015 | 33 |
2016 | 26 |
2017 | 29 |
2018 | 24 |
2019 | 25 |
2020 | 21 |
2021 | 21 |
2022 | 21 |
駅周辺
[編集]- 三谷簡易郵便局
- 山口警察署三谷駐在所
- 国道9号
- 山口県道11号萩篠生線
- 山口県道311号篠目徳佐下線
- 阿武川
※阿東町立三谷小学校の最寄駅でもあったが、同校は2000年(平成12年)に廃校となった。
バス路線
[編集]隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 7号、12頁
- ^ a b c d 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、287頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 「山口線を大幅合理化 長門峡駅を無人化に」『中國新聞』昭和46年7月2日山口版.8面
- ^ 「通報 ●山口線大歳駅ほか76駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1984年1月30日、32面。
- ^ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 7号、15頁
- ^ “JR三谷駅焼ける 山口線無人駅 11本が部分運休、遅れ” 読売新聞 (読売新聞西部本社): p27. (2001年5月17日 朝刊)
- ^ a b “「赤字路線に投資ムリ」 焼失駅舎JRが再建拒否 山口・三谷駅” 西日本新聞(西日本新聞社): p33.(2001年8月18日 朝刊)
- ^ a b c “火事で駅舎焼失、JRは新設計画なし 町が簡易待合室 「冬は寒い」不満の声も 阿東の三谷駅” 中国新聞(中国新聞社): 一社防.(2001年8月29日 朝刊)
- ^ 山口県統計年鑑 - 山口県
参考文献
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 三谷駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道