コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

藤森奈津子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中瀬奈津子から転送)
 藤森奈津子 女流四段
名前 藤森奈津子
生年月日 (1961-08-02) 1961年8月2日(63歳)
プロ入り年月日 1979年1月(17歳)
引退年月日 2010年3月31日(48歳)
LPSA番号 5
出身地 埼玉県志木市
所属 日本女子プロ将棋協会
師匠 大内延介九段
段位 女流四段
プロフィール LPSA所属女流棋士
テンプレートを表示

藤森 奈津子(ふじもり なつこ、1961年8月2日 - )は、LPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。2010年、引退。大内延介門下。LPSA棋士番号は5。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は旧13。日本将棋連盟女流棋士会会長(2003年 - 2007年)。埼玉県志木市出身。旧姓は中瀬(なかせ)。

人物

[編集]

「なっちゃん」の愛称で親しまれる。

1977年筑波大学附属坂戸高等学校在学中[1]に第13回高校選手権女子個人戦で優勝。その翌年、1978年には同大会の団体戦で優勝するとともに、第10回女流アマ名人戦でも優勝[2]

1979年に女流棋士2級(プロ)となる。当時最年少のデビュー記録であった。

三間飛車のスペシャリストで、デビュー以来ほとんど一貫して三間飛車(石田流相振り飛車も含む)を指す。

1983年からの5年間、NHK教育テレビの『将棋の時間』で『将棋講座』のアシスタントとして出演。その後も1990年 - 2002年3月に『NHK杯テレビ将棋トーナメント』の司会や棋譜読み上げ役、あるいは再度の講座アシスタントなどを務め、長期にわたる出演で『将棋の時間』の顔となる。

1984年に結婚して藤森姓となり、プロとしての活動名も中瀬から藤森に変更する。

1991年度、女流名人位戦B級で8勝2敗の成績を収め、次期のA級に昇格。

2003年より2007年まで日本将棋連盟女流棋士会の会長を務める。

2007年、LPSA(日本女子プロ将棋協会)の旗揚げに参加。理事(総務担当)を務め、教室事業などを担当する。

2007年7月、第2回1dayトーナメント(LPSA独自の棋戦)で優勝。

2010年、引退。

師匠の大内延介が1999年から新橋駅SL広場で行っている、春の名人戦・秋の竜王戦の大盤解説会では、毎回聞き手を務めている。

家族

[編集]

夫はアマ強豪[1]。長男の藤森哲也は2011年10月1日付で四段に昇段に伴いプロ入り。女流棋士の息子が棋士となったのは、将棋界では史上初のケース[3]

昇段履歴

[編集]
  • 1979年01月00日 - 女流2級(女流プロ入り)
    1980年02月00日 (女流1級、飛び級)
  • 1980年02月00日 - 女流初段
  • 1989年05月00日 - 女流二段
  • 2000年04月01日 - 女流三段(昇段規定改定による昇段[4][5]
  • 2010年03月31日 - 引退
  • 2010年04月01日 - 女流四段(LPSA理事会審議による)

主な成績

[編集]
  • 通算成績 186勝263敗
  • 第2回1dayトーナメント 優勝(2007年7月)
  • 第55回1dayトーナメント 優勝(2013年12月、団体戦リレー将棋)
  • 女流名人位戦A級昇格(1992年)

脚注

[編集]
  1. ^ a b 平成10年版「将棋年鑑」
  2. ^ 女流アマ名人戦歴代優勝者一覧(日本将棋連盟)
  3. ^ 逆の例(男性棋士の娘が女流棋士となった)は伊藤果(父)・明日香(娘)と飯野健二(父)・(娘)、塚田泰明(父)・恵梨花(娘)、久保利明(父)・翔子(娘)の4例がある。
  4. ^ 記録室より(日本将棋連盟)
  5. ^ 女流棋士昇段規定.(平成12年4月1日改定・補足)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]