今川範氏
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時代 | 鎌倉時代末期 - 南北朝時代前期 |
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生誕 | 正和5年(1316年) |
死没 | 正平20年/貞治4年4月30日(1365年5月21日) |
別名 | 五郎(通称) |
戒名 | 慶寿寺殿雲峰信慶大禅定門 |
墓所 | 静岡県島田市大草の慶寿寺 |
官位 | 従五位下、左馬助、上総介、左近将監、中務大輔 |
幕府 | 室町幕府駿河守護 |
主君 | 足利尊氏→義詮 |
氏族 | 駿河今川氏 |
父母 | 父:今川範国 |
兄弟 | 範氏、貞世、氏兼、仲秋 |
子 | 氏家、泰範 |
今川 範氏(いまがわ のりうじ)は、南北朝時代前期の守護大名。駿河今川氏の第2代当主。
生涯
[編集]文和2年(1353年)に父範国から家督を譲られて当主となる。しかし父が存命し、武将として弟の貞世の方が優れていたため、影が薄い存在であった。ただし、実際の家督は貞世が相続していた可能性もある。 貞治4年(1365年)4月に死去、享年50。長男の氏家は同年10月9日に足利義詮から正式に守護に任じられている[1][2]が、間もなく亡くなっているため、僧侶だった次男の泰範が還俗して後を継いだ。
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 『静岡県史』資料編6-727号文書
- ^ 大石泰史『城の政治戦略』KADOKAWA〈角川選書〉、2020年、34頁。ISBN 978-4-04-703676-5。