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今川範高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
今川範高
時代 江戸時代中期
生誕 元禄7年(1694年
死没 正徳2年2月15日1712年3月21日
別名 豊五郎、刑部(通称
戒名 乾功院殿仁岳宗寛大居士[1]
墓所 東京都杉並区和田の長延寺
幕府 江戸幕府高家
主君 徳川綱吉家宣
氏族 品川家[注釈 1]今川家
父母 父:品川伊氏 母:蒔田定行の娘
養父:今川氏睦
兄弟 横瀬貞国室、範高範主品川範増
正室:畠山義寧の次女[注釈 2]
娘(山岡景之室)
養子:範主
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今川 範高(いまがわ のりたか)は、江戸時代前期の高家旗本今川家16代当主[注釈 3]

生涯

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高家品川伊氏の長男として生まれる。元禄12年(1699年)、今川氏睦末期養子となり、6歳で家督を相続して表高家衆に列した。宝永元年(1704年)12月11日、将軍徳川綱吉御目見する。宝永7年(1710年)12月1日[2]、高家畠山義寧の次女と婚姻する。

正徳2年(1712年)2月15日死去、享年19。

男子はなく、弟の範主を末期養子に迎えた。長男・次男と宗家に送り出した品川家は、三男範増の夭折により一時断絶することになる。

参考文献

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  • 寛政重修諸家譜』巻第九十四
  • 観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)

脚注

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注釈

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  1. ^ 範高の実父伊氏は、外祖父品川高如の養子になっている。範高の養父氏睦の実父品川高寛は高如の弟であるため、氏睦と範高は系譜上は従兄弟に当たる。
  2. ^ 範高の死後実家に戻り、のち三河奥殿藩松平乗真に継室として再嫁した。
  3. ^ 家祖・国氏から数えた代数。ただし、14代氏堯以降直系の子孫ではない。

出典

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  1. ^ 『今川氏と観泉寺』p.74、「近世今川家歴代法号一覧表」。
  2. ^ 『今川氏と観泉寺』p.48