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瀬名清貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
瀬名清貞
時代 江戸時代
生誕 不詳
死没 延宝2年5月26日1674年6月29日
改名 範貞、政直→清貞
別名 源五郎、十右衛門、市左衛門、市郎左衛門(通称
戒名 自伝
墓所 天徳院
氏族 瀬名氏清和源氏足利氏今川氏支流)
父母 父:瀬名政勝、母:小出氏
兄弟 清貞吉久
松田貞平の娘
貞正氏貞氏国弌明加藤祐就貞長
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瀬名 清貞(せな きよさだ)は、江戸時代前期の旗本

生涯

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瀬名政勝の子。徳川家康御目見し、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに供奉した。元和2年(1616年)、父が没すると遺跡を継ぎ、大番に列した。

寛永10年(1633年)2月7日、下野国足利郡内に新恩として200石の知行を与えられる(のち切米に改める)。寛文11年(1671年)9月8日、切手御門の頭に転じる。延宝2年(1674年)5月26日没。葬地は牛込の天徳院。

系譜

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寛政重修諸家譜』には6男を載せる。

参考文献

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  • 『寛政重修諸家譜』巻第九十五

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