瀬名清貞
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 延宝2年5月26日(1674年6月29日) |
改名 | 範貞、政直→清貞 |
別名 | 源五郎、十右衛門、市左衛門、市郎左衛門(通称) |
戒名 | 自伝 |
墓所 | 天徳院 |
氏族 | 瀬名氏(清和源氏足利氏流今川氏支流) |
父母 | 父:瀬名政勝、母:小出氏 |
兄弟 | 清貞、吉久 |
妻 | 松田貞平の娘 |
子 | 貞正、氏貞、氏国、弌明、加藤祐就、貞長 |
生涯
[編集]瀬名政勝の子。徳川家康に御目見し、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに供奉した。元和2年(1616年)、父が没すると遺跡を継ぎ、大番に列した。
寛永10年(1633年)2月7日、下野国足利郡内に新恩として200石の知行を与えられる(のち切米に改める)。寛文11年(1671年)9月8日、切手御門の頭に転じる。延宝2年(1674年)5月26日没。葬地は牛込の天徳院。
系譜
[編集]『寛政重修諸家譜』には6男を載せる。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第九十五