品川高久
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天正4年(1576年) |
死没 | 寛永16年8月4日(1639年9月1日) |
別名 | 新六郎(通称) |
戒名 | 文青 |
墓所 | 万昌院 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
氏族 | 清和源氏足利氏流今川氏庶流品川家 |
父母 | 父:今川氏真、母:早川殿(北条氏康女) |
兄弟 | 今川範以、高久、西尾安信、澄存、女(吉良義定室) |
妻 | 鷲尾筑後の娘 |
子 | 高如、女(八木九郎右衛門室)、高寛、女(岡山弥清室) |
品川 高久(しながわ たかひさ)は、江戸時代初期の旗本。今川氏真の次男。高家品川家の祖である。
生涯
[編集]慶長3年(1598年)、徳川秀忠に初めて御目見した。このとき、「物加波」という馬を下賜されている。慶長6年(1601年)、上野国碓氷郡内において1000石を与えられた。高久は当初は今川姓を称していたが、数代前の先祖の今川範忠が室町幕府将軍の足利義教から与えられた「今川姓は範忠の子孫かつ嫡家に限り、分家庶家は今川姓を許されない(天下一苗字)」という由緒を重んじた秀忠の意向により、別家である高久は江戸の屋敷地の地名にちなんで苗字を「品川」に改めた。
寛永16年(1639年)8月4日死去、享年64。江戸市谷の万昌院に葬られた。以後代々の葬地となった。
正妻は鷲尾筑後の娘。2男2女あり。長男高如は高家旗本、次男高寛は一般の旗本になった。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第九十四