佐竹義尚 (北家)
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時代 | 江戸時代末期(幕末) - 明治時代 |
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生誕 | 嘉永元年11月17日(1848年12月12日) |
死没 | 明治42年(1909年)10月15日[1] |
改名 | 竹之助(幼名)→義尚 |
別名 | 河内(通称) |
官位 | 従五位、男爵 |
主君 | 佐竹義堯 |
藩 | 出羽国久保田藩角館所預 |
氏族 | 根来氏→佐竹北家 |
父母 | 父:根来盛実、養父:佐竹義倫 |
兄弟 | 栄三郎、義尚 |
子 | 義敬、敬治郎 |
佐竹 義尚(さたけ よしなお)は、佐竹氏一門の佐竹北家第18代当主。佐竹北家角館第11代所預。曾孫に秋田県知事の佐竹敬久がいる。男爵に列し、華族であった。
生涯
[編集]嘉永元年(1848年)11月17日、旗本・根来盛実(陸奥中村藩10代藩主・相馬樹胤の三男)の次男として生まれる。幼名は竹之助。万延元年(1860年)8月4日従兄弟の出羽久保田藩角舘所預・佐竹義倫が死去したため、文久2年(1862年)8月29日佐竹北家の家督を相続する。
慶応4年(1868年)、久保田藩が奥羽越列藩同盟から離脱し新政府軍に付いたため、仙台藩と庄内藩から攻撃を受け、角館を防衛する。明治5年(1872年)に秋田県権典事となり、明治33年(1900年)、戊辰戦争の功績により従五位男爵に叙される。明治42年(1909年)10月15日死去、享年61。家督は嫡男の義敬が相続した。
栄典
[編集]脚注
[編集]- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)p.676
- ^ 『官報』号外「授爵叙任及辞令」1900年5月9日。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 佐竹家(北家)初代 1900年 - 1909年 |
次代 佐竹義敬 |