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佐竹義履

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐竹義履
さたけ よしふみ
生年月日 1896年1月25日
没年月日 (1958-03-02) 1958年3月2日(62歳没)
出身校 東京農業大学大学部卒業
前職 帝室林野局技師
所属政党 公正会
称号 従三位
配偶者 佐竹保枝

在任期間 1944年3月30日 - 1947年5月2日
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佐竹 義履(さたけ よしふみ、1896年明治29年)1月25日[1] - 1958年昭和33年)3月2日[1][2][3])は、昭和期の技官政治家華族貴族院男爵議員佐竹氏一門の佐竹西家20代当主。旧名・竹田良治[1]

経歴

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秋田県士族・竹田富之助[注釈 1]の二男として生まれる[1][5]。佐竹西家の当主で兄・佐竹義度(富之助長男)の死跡を相続し、1914年(大正3年)4月23日、男爵を襲爵[1][5][6]。その後、義履と改名した[5]

1924年(大正13年)東京農業大学大学部を卒業[2][5]1929年(昭和4年)帝室林野局技手に就任[2][5]。その後、1944年(昭和19年)3月10日に同技師に就任した[7]

同月30日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[8]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した[2]

栄典

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位階等

親族

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  • 妻:保枝(やすえ)。川上操六の長男・川上素一の長女[1]
  • 長男:義信[1]
  • 長女:典子(叔父・川上邦良〔素一長男〕養子)[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ 佐竹義幹の子・冨治の子[4]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 上巻』678-679頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』72頁。
  3. ^ a b 激動の日本政治史 : 明治・大正・昭和歴代国会議員史録 上』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  4. ^ 大館郷土博物館「大館佐竹西家 寄託資料より―大館佐竹と狩野親子ー」『火内』第13巻、大館郷土博物館、2017年、62-98頁、CRID 1390852637335192064doi:10.50884/hinai.13.0_62ISSN 2436-0074 
  5. ^ a b c d e 『人事興信録 第14版 上』サ23頁。
  6. ^ 『官報』第519号、大正3年4月24日。
  7. ^ 官報 1944年03月11日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、52頁。
  9. ^ 官報 1922年02月13日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ 官報 1937年03月02日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
佐竹義度
男爵
佐竹家(西家)第4代
1914年 - 1947年
次代
華族制度廃止