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佐竹義拠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
佐竹 義拠
時代 江戸時代中期
生誕 元禄16年(1703年
死没 宝暦6年1月28日1756年2月27日[1]
改名 乙菊(幼名)→義富(初名)→義拠
別名 又四郎、主計、左衛門(通称)
戒名 霊徳院殿寛雄知賢
主君 佐竹義峯義真
出羽国久保田藩角館所預
氏族 佐竹北家
父母 父:佐竹義命、母:佐竹義秀の娘
佐竹義安の娘
娘(佐竹義邦室)
養子:義邦
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佐竹 義拠(さたけ よしより)は、佐竹氏一門の佐竹北家第11代当主。佐竹北家角館第4代所預。

生涯

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元禄16年(1703年)、佐竹義命の子として生まれる。正徳4年(1714年)に初出仕し、名を義拠と改める。享保11年(1726年)、父の死去により家督を相続し、久保田藩角館城代となる。寛延3年(1750年)に隠居して、家督を養子の義邦に譲った。宝暦6年(1756年)死去、享年54。

脚注

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  1. ^ 『新編佐竹氏系図』(加賀谷書店、1973年)p.143

参考文献

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  • 林正崇『図説・角館城下町の歴史』無明舎出版、1982年