佐竹義拠
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄16年(1703年) |
死没 | 宝暦6年1月28日(1756年2月27日)[1] |
改名 | 乙菊(幼名)→義富(初名)→義拠 |
別名 | 又四郎、主計、左衛門(通称) |
戒名 | 霊徳院殿寛雄知賢 |
主君 | 佐竹義峯→義真 |
藩 | 出羽国久保田藩角館所預 |
氏族 | 佐竹北家 |
父母 | 父:佐竹義命、母:佐竹義秀の娘 |
妻 | 佐竹義安の娘 |
子 |
娘(佐竹義邦室) 養子:義邦 |
佐竹 義拠(さたけ よしより)は、佐竹氏一門の佐竹北家第11代当主。佐竹北家角館第4代所預。
生涯
[編集]元禄16年(1703年)、佐竹義命の子として生まれる。正徳4年(1714年)に初出仕し、名を義拠と改める。享保11年(1726年)、父の死去により家督を相続し、久保田藩角館城代となる。寛延3年(1750年)に隠居して、家督を養子の義邦に譲った。宝暦6年(1756年)死去、享年54。
脚注
[編集]- ^ 『新編佐竹氏系図』(加賀谷書店、1973年)p.143
参考文献
[編集]- 林正崇『図説・角館城下町の歴史』無明舎出版、1982年