佐竹義明 (北家)
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛永20年9月15日(1643年10月27日)[1] |
死没 | 元禄12年1月16日(1699年2月15日) |
別名 | 又四郎、左衛門(通称) |
戒名 | 法輪院殿無三乗公 |
主君 | 佐竹義処 |
藩 | 出羽国久保田藩角館所預 |
氏族 | 佐竹北家 |
父母 | 父:佐竹義隣、母:佐竹義直の娘 |
兄弟 | 義明、多賀谷隆経室、戸村義般室、伊達處宗室、義秀 |
妻 | 正室:西郊実号の娘 |
子 | 義命 |
佐竹 義明(さたけ よしあき)は、佐竹氏一門の佐竹北家第9代当主。佐竹北家角館第2代所預。
生涯
[編集]寛永20年(1643年)、佐竹義隣の長男として生まれる。寛文4年(1664年)、右大臣三条西実条の孫娘と結婚した。姫の母は娘が寂しくないようにと、嫁入り道具とともに京都の枝垂桜の苗木3本を持たせた。この桜は家臣の屋敷などにも植えて増やし、現在でもたくさんの枝垂桜が武家屋敷などに花を咲かせる。
天和元年(1681年)、父の隠居により家督を相続し、角館城代となった。貞享4年(1687年)、東山天皇の即位式の祝賀使を嫡男義命と共に務め上洛し、御所に参内する。元禄12年(1699年)1月16日死去。享年57。家督は嫡男義命が相続した。
脚注
[編集]- ^ 『新編佐竹氏系図』(加賀谷書店、1973年)p.142
参考文献
[編集]- 林正崇『図説・角館城下町の歴史』無明舎出版、1982年