倶知安厚生病院
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倶知安厚生病院 | |
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情報 | |
正式名称 | 北海道厚生農業協同組合連合会(JA北海道厚生連)倶知安厚生病院 |
英語名称 | Hokkaido P.W.F.A.C. Kutchan-Kosei General Hospital |
前身 | 北農倶知安厚生病院 |
標榜診療科 |
内科 消化器科 循環器科 小児科 外科 整形外科 産婦人科 皮膚科 泌尿器科 耳鼻咽喉科 眼科 精神神経科 麻酔科 リハビリテーション科 脳神経外科 |
許可病床数 |
234床 一般病床:172床 精神病床:60床 感染症病床:2床 |
開設者 |
北海道厚生農業協同組合連合会 (JA北海道厚生連) |
管理者 | 九津見圭司(院長) |
開設年月日 | 1945年4月5日[1] |
所在地 |
〒044-0004 |
位置 | 北緯42度54分17秒 東経140度45分17秒 / 北緯42.90472度 東経140.75472度座標: 北緯42度54分17秒 東経140度45分17秒 / 北緯42.90472度 東経140.75472度 |
二次医療圏 | 後志 |
PJ 医療機関 |
倶知安厚生病院(くっちゃんこうせいびょういん)は、北海道虻田郡倶知安町にある病院。
沿革
[編集]- 1942年(昭和17年):倶知安町が経営を譲り受け、町立病院開設[2]。
- 1945年(昭和20年):倶知安町から北海道農業会に経営移管し、「北農倶知安厚生病院」として開設[2]。
- 1948年(昭和23年):北海道農業会解散し、北海道厚生農業協同組合連合会(JA北海道厚生連)に事業継承[2]。
- 1955年(昭和30年):本館増築工事竣工[2]。結核病棟新設[2]。
- 1960年(昭和35年):倶知安町伝染隔離病棟併設[2]。
- 1961年(昭和36年):精神神経科病棟新設[2]。
- 1964年(昭和39年):一般(現在の北棟)増築工事竣工[2]。
- 1970年(昭和45年):倶知安厚生准看護学院(後の倶知安厚生看護高等専修学校)設立(2002年3月閉校)[2]。増築工事竣工(現在の西棟)。
- 1971年(昭和46年):総合病院の名称許可。
- 1973年(昭和48年):院内保育所開設[2]。「地域センター病院」指定[2]。
- 1974年(昭和49年):「救急病院」(救急指定病院)告示[2]。増改築工事竣工(現在の中央棟)[2]。
- 1977年(昭和52年):精神科病棟増築工事竣工[2]。
- 1984年(昭和59年):増改築工事竣工(現在の東棟)[2]。
- 1991年(平成 3年):中央棟増築[2]。
- 1998年(平成10年):増改築整備工事(精神病棟・作業療法施設完成移転)[2]。隔離病舎完成移転[2]。
- 1999年(平成11年):増改築工事(中央診察棟完成移転)[2]。ようてい訪問看護ステーション開設[2]。
- 2000年(平成12年):増改築整備工事(内部改修工事)完了[2]。
- 2009年(平成21年):療養病棟廃止[2]。
- 2010年(平成22年):外来化学療法室開設[2]。
- 2011年(平成23年):こころの総合支援センター開設[2]。
- 2013年(平成25年):「初期被ばく医療機関」指定[2]。
- 2015年(平成27年):地域包括ケア病棟開設[2]。
機関指定
[編集]- 地域センター病院(へき地中核病院)
- 救急告示病院(救急指定病院)・二次救急応需病院(病院郡輪番制)
- 第二種感染症指定医療機関(2床)
- 災害拠点病院[3]
診療科等
[編集]診療科
部門
- 看護部
- 薬剤科
- 医療技術部
- 放射線技術科
- リハビリテーション部門
- 栄養科
- 事務部
- 診療支援センター
認定施設
[編集]日本内分泌学会内分泌代謝科専門医認定教育施設 | 日本外科学会専門医制度関連施設 |
日本消化器外科学会専門医制度関連施設 | 日本整形外科学会専門医制度研修認定施設 |
日本眼科学会専門医制度研修認定施設 | 日本精神神経学会精神科専門医制度研修施設 |
日本消化器内視鏡学会専門医制度指導施設 |
関連施設
[編集]- 倶知安厚生病院院内保育所(院内保育)
- ようてい訪問看護ステーション
- ニセコステーション
- 蘭越ステーション
- 喜茂別ステーション
- 倶知安厚生指定居宅介護支援事業所
アクセス・駐車場
[編集]- 道南バス「厚生病院前」バス停から徒歩約1分[4]
- ニセコバス「厚生病院前」バス停から徒歩約3分[4]
- 北海道中央バス「倶知安十字街」バス停から徒歩約5〜6分[4]
- 北海道旅客鉄道(JR北海道)倶知安駅から徒歩約15分[4]
- 駐車場:150台[4]