八木昇
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八木 昇(やぎ のぼる、1921年12月14日 - 2005年4月26日)は、佐賀県出身の政治家、元衆議院議員。日本社会党所属。
日本電気産業労働組合(電産)中央執行委員をはじめ、佐賀県総評初代議長、労働金庫初代理事長を務め、佐賀県労働運動や労働者福祉運動の礎を築いた。 衆議院議員は1955年の第27回衆議院議員総選挙で初当選、以来計9期(25年9ヶ月)を務めた。 2005年4月26日、肺炎のため死去。葬儀は佐賀市内で行われた[1]。
経歴、概説
[編集]1921年、佐賀郡富士町(現、佐賀市)で生まれる。福岡中学、早稲田大学を経て、1942年に九州配電(後の九州電力)に入社。1944年、歩兵第48連隊(久留米)入隊、フィリピン、モンテンルパ捕虜収容所より復員。
労働運動
[編集]- 1946年 九州配電労働組合佐賀支部青年部長、書記長。
- 1947年 日本電気産業労働組合(電産)中央執行委員(1955年まで)
- 1948年 電産九州地方本部副委員長。電産佐賀支部委員長。
- 1951年 佐賀県労働組合協議会議長。
- 1953年 佐賀県労働金庫理事長。佐賀県労働会館建設委員会委員長。
政治運動
[編集]- 1949年 日本社会党入党。同佐賀県本部書記長。
- 1955年 日本社会党中央本部労働部長。
- 1960年 同佐賀県本部書記長。(再任)
- 1973年 日本社会党中央本部教宣局長。
- 1975年 日本社会党衆議院国会対策副委員長。
- 1977年 同佐賀県本部執行委員長。
- 1982年 日本社会党中央本部国際局長。
- 1987年 同佐賀県本部顧問。(1996年に社会民主党に党名変更)
- 1987年 原水爆禁止佐賀県協議会会長。
- 1992年 核廃絶・平和と憲法を生かす佐賀県民の会会長。
選挙歴
[編集]- 1953年 第3回参議院議員通常選挙(地方区)、次点落選
- 1955年 第27回衆議院議員総選挙(佐賀県全県区、社会党左派)、2位当選
- 1958年 第28回衆議院議員総選挙、4位当選
- 1960年 第29回衆議院議員総選挙、次々落選
- 1962年 第6回参議院議員通常選挙(地方区)、次点落選
- 1963年 第30回衆議院議員総選挙、4位当選
- 1967年 第31回衆議院議員総選挙、3位当選
- 1969年 第32回衆議院議員総選挙、5位当選
- 1972年 第33回衆議院議員総選挙、2位当選
- 1976年 第34回衆議院議員総選挙、次点落選
- 1977年 第11回参議院議員通常選挙(地方区)、次点落選
- 1979年 第35回衆議院議員総選挙、2位当選
- 1980年 第36回衆議院議員総選挙、3位当選
- 1983年 第37回衆議院議員総選挙、1位当選
合計9期(25年9ヶ月)
脚注
[編集]- ^ 訃報欄『朝日新聞』2005年4月27日夕刊 4版 19面
関連項目
[編集]議会 | ||
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先代 安井吉典 |
衆議院科学技術振興対策特別委員長 1974年 - 1975年 |
次代 中村重光 |