沖本泰幸
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沖本泰幸 おきもと やすゆき | |
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生年月日 | 1920年10月20日 |
出生地 | 広島県 |
没年月日 | 1985年6月14日(64歳没) |
出身校 | 日本大学大阪中学校(現大阪高等学校) |
前職 | 議員秘書 |
所属政党 |
(公明政治連盟→) 公明党 |
称号 |
正四位 勲二等旭日重光章 |
選挙区 | 大阪府第1選挙区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1967年1月29日 - 1983年11月28日 |
沖本 泰幸(おきもと やすゆき、1920年(大正9年)10月20日[1] - 1985年(昭和60年)6月14日[1][2])は、昭和期の政治家。衆議院議員(6期)。
経歴
[編集]広島県出身[1]。1937年(昭和12年)日本大学大阪中学校(現大阪高等学校)を卒業[1][注釈 1]。徴兵され陸軍衛生軍曹で除隊[2]。近畿運油常務を務めた[2]。
参議院議員白木義一郎の秘書[2]、大阪市会議員を経て[2]、1963年(昭和38年)4月17日、第5回統一地方選挙(大阪府議会議員選挙:西成区選挙区)に公明政治連盟公認で立候補し、初当選する。
1967年(昭和42年)1月29日、第31回衆議院議員総選挙に大阪府第1区から公明党公認で立候補し、初当選する[3](以降、連続6期[1][2])。衆議院科学技術振興対策特別委員長、同交通安全対策特別委員長などを務めた[2]。
1980年(昭和55年)第36回衆議院議員総選挙後、公明党会計監査委員に就任する。
1983年(昭和58年)12月、第37回衆議院議員総選挙に立候補せず[4]、選挙地盤を公明党公認候補の小谷輝二に譲り[4]、政界を引退する[1]。
1985年6月14日死去、64歳。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正四位に叙される[5]。
役職歴
[編集]- 公明党会計監査委員
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』152頁では、昭和13年、4年修了。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会 | ||
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先代 矢野絢也 |
衆議院科学技術振興対策特別委員長 1967年 - 1968年 |
次代 石田幸四郎 |