利用者‐会話:Sergei semenovich/20100506

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佐田繁理の件について[編集]

こんにちわ。佐田繁理の件ではお世話になりました。現在、ノートページにて掲示された方向性を元に最終的な調整を行っている段階なのですが、先月中旬から例のユーザーが活動を再開し、対話と呼ぶには程遠い挑発的な言動を繰り返している状態となっています。つきましては以前、お話しがあったように管理者伝言板への報告を検討してはいただけないでしょうか。よろしくお願いします。--強意 2009年10月10日 (土) 15:04 (UTC)

こんばんは。お伝えしていたことの意図を理解していただけなかったようで大変残念です。双方が互いの編集をリバートし合っている状況で片方のみを管理者伝言板に報告するということはあり得ません。もしするのなら双方ともに、ということになります。こざかなこだいらさんの要約欄での挑発的な文言は確かに望ましくないのですが、強意さんも出典つきの情報を削除するからにはノートでその理由を説明する必要があったはずです。まあともかく保護されましたのでノートで合意の形成を図ることにしましょう。--sergei 2009年10月11日 (日) 13:56 (UTC)
ノート:佐田繁理での発言を見てもらえれば分かるとおり、編集合戦を口実に私を個人攻撃することを目的にしていることは明白です。私の我慢や忍耐にも限度はあります。双方を報告という事で構いませんが管理者伝言板への報告を検討してはいただけないでしょうか。お願いします。--強意 2009年10月16日 (金) 16:08 (UTC)
強意さんが放送日が不明であることになお懸念をお持ちであることは承知しましたので、十分な合意形成が確認できるまでは保護解除依頼の提出は見合わせます。ですが現時点での管理者伝言板への報告はお二方のどちらについても考えていません。こざかなこだいらさんのこの度の発言は相変わらずいささか挑発的ではありますが、この項目の今後をどうするかということをこざかなこだいらさんなりに真摯に考えた結果の意見表明でもあると思います。これまでの経緯から平静さを保つのはなかなか難しいこととは思いますが、こざかなこだいらさんの言動をどのようにして抑止するかという観点からではなく、この項目を今後どのように編集していくのが最善かという問題に意識を集中して、できるだけ冷静に対処するようお願いします。
なお、私が管理者伝言板に報告したからといってそれですぐさま管理者の方が動いてくれるわけではなく、管理者の方それぞれが自身の見識に基づいて判断されることになります。たとえ管理者伝言板への報告がなくても、またあのような編集合戦や非難の応酬が行われれば、管理者の裁量によってクールダウンのためのブロックが行われることも十分あり得ます。そのことは承知しておいて下さい。--sergei 2009年10月16日 (金) 16:46 (UTC)

Change into Japanese[編集]

Hi Sergei! can you change this article's [1] Titel into Japanese characters please? I don't know how to do this. Thank you in advance! --Wangtheo 2009年10月28日 (水) 23:42 (UTC)

Sorry, I don't understand Georgian language, and so I don't know how to do that, too.--sergei 2009年10月29日 (木) 13:11 (UTC)

質問[編集]

はじめまして、Sergei semenovich様。Stella maris と申します。ところで、Sergei 様は、わたくしが個人攻撃を行ったとの発言を行っております。わたくしとしましては、個人攻撃などを行った覚えがないのですが、あるいはわたくしの表現にそのような印象を与える箇所があったかも知れず、またわたくし自身に自覚のない形で、個人攻撃となっていた可能性もあると考えます。そこで、お願いですが、どのような文言等が、「個人攻撃」に該当するのか、箇条書きにでもしてお教え願えないでしょうか。何か誤解があるようにも思えます。ご返答を戴いて、誤解されていると思える場合は、言葉や文言の背景や意図などについて説明させて頂きたくも考えております。宜しくお願い致します。--Stella maris 2009年11月18日 (水) 11:21 (UTC)

はじめまして。えーとまず、私は「個人攻撃」ではなく「人格に対する攻撃」と述べたのですが、まあそれはどちらでもいいです。このような質問をされるということは、あのコメントが良質な記事を選考する場で述べたものとして適切さに欠けていたという自覚はお持ちでない、ということでしょうか。Stella marisさんほどの経験豊かな参加者が今以てそのような認識でおられるのだとしたら、少し寂しい思いです。ですが、ご要望ですのでお答えしておきます。
  1. まず、良質な記事の認定基準はあくまでも記事の品質にあって、項目主題の特筆性とは全く関係ありません。この点を混同して項目で扱われている人物の特筆性に言及し、それを廉さんの人格に結び付けて「このような記事を『良質な記事』に自薦する人の平衡感覚というものに疑問を抱きます」と非難しているのがまず一点です。
  2. さらに廉さんの記事の執筆スタイル全般にまで話を広げてしまったのは、この項目に対する批評の場において許容されることではなかったと思います。中田厚仁とは全く関係のないテンポイントを持ち出したのが不適切だったということは、johncapistranoさんやにゃんこ10さんも指摘されている通りです。
  3. さらにいえば、テンポイントは複数の方によって執筆されており、Wikipedia:第2回秋の加筆コンクールWikipedia:秀逸な記事の選考/テンポイントでコミュニティーの査読を受けていますので、この項目の現在の状態に責任を負っているのは廉さんお一人ではありません。特にWikipedia:秀逸な記事の選考/テンポイントでは適正な手続きを経て秀逸な項目に選定されていますので、Stella marisさんご指摘の点は問題ないものとしてコミュニティーによって承認されていると考えることもできます(指摘を受けて廉さんが自主的に表現を修正し、それによって百科事典としてより相応しい表現になったと評価できるかも知れないとしても、それはまた別の話)。それを独断で「劇的表現」とか「印象操作的な執筆スタイル」と決めつけて、その責任を廉さんお一人に押し付けて「対象との距離が十分でなく、客観的な記述ができていないように思える」と結論づけているのも、不適切な人格攻撃だったと思います。
  4. そして、こうした中田厚仁とは直接関係のない事柄が「第一、第二の理由と密接に繋がっている」のだとすれば、そもそもこの反対票は中田厚仁の内容それ自体に理由があるのではなく、それを書いたのがStella marisさんが「記事の執筆スタイルには問題があると個人的に感じて来た」廉さんだったからだ、と受け取られても仕方ないのではないか、と思います。
要約して言うと、記事の内容への手厳しい批判は何ら非難されることではないが、それを「書いたのがこういう人だからだ」という形で執筆者の人格への攻撃として述べるのは許されない、ということです。Wikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃の例で「個人の性格や経験を決めつけて攻撃する」ことがやってはいけない例として挙げられているのは、こういうことを指しているのだと思います。こうしたことはWikipediaに限らず、私たちの言論活動一般における大切なルールといってもいいのではないでしょうか。
これは私一人が感じていることではなく、johncapistranoさんも個人攻撃だと指摘されていますし、テンポイントに言及したことはにゃんこ10さんも批判されています。私はjohncapistranoさんと異なり票の無効化には反対していますが、johncapistranoさんの2009年11月13日 (金) 16:01 (UTC) のコメントは、かなりの部分は私にも首肯できるものです。私は廉さんに対してご自分が執筆された記事への批判に謙虚に耳を傾けては、と申しましたが、Stella marisさんも同じようにご自身に寄せられた批判に謙虚に耳を傾けることが求められているのではないかと思います。
最後に、私にこうした質問をするのもいいですが、その前にWikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の選考/中田厚仁 20091030#Stella marisさんによる、2009年11月13日 (金) 15:14 (UTC)のコメントについてでの廉さんの問いかけにお答えになってはどうか、ということを老婆心ながら付け加えておきます。ご自身の信念や良心に照らし合わせて何ら恥じるところがないのであれば謝罪しろとは申しませんが、何らかの釈明はされておいた方がいいと思います。--sergei 2009年11月19日 (木) 09:25 (UTC)
こんにちは。ご回答ありがとうございます。仰られることを拝読させて頂きまして、自己の至りなさを再度痛感致しました。ただ、わたしの表現の拙さは仰られるとおりに受け取らせて頂きますが、少し誤解があるようにも思われます。以下に拙い意見を記させて頂きます。これに対する批判等がありましたら、是非ともお願い致します。
1) まず、この件についてですが、「項目主題の特筆性」とは関係がないというのは、その通りであると思います。しかし、わたしは文中で記していますが、これは「事件の記事」とすべきであったと述べていると思います。
人物記事は執筆するのがたいへん難しい面があります。何故難しいかというと、非常に特筆性のある人物であっても、タレント等を除くと、その人生について、詳細に書かれた資料がほとんどないというのが実情だからです。しかし、この記事においては、わたし個人の感想ですので批判は甘受しますが、「物語」を構成しているようにしか思えない部分があります。わたしは物語は、百科事典に記載する内容だとは考えません。事実をたんたんと記すことが重要で、潤色が入るのは避けるべきだとの意見です。
すでに、ノートにて記しましたので、「平衡」の話の説明はそこで見て頂くとします。なお、確かにこれは、廉氏の人格批判のように響きますし、そういう風に読めるのはわたしの不明です。しかし、わたしは、廉氏の人格批判を持って、反対票を入れたのではありませんし、記事人物に特筆性がないという理由が、反対票の理由でもありません。
(率直に記しますと、この記事を見て、最初にわたしが感じたのは、何故、近親者が著者の書籍が二冊も商業出版されているのか、という疑問です。この疑問に対するわたしなりの考えは、事件性と、それに結びついた商業主義です。そこから更に考えたことは、遺族の方達に失礼なので記しませんが、結論は、人物記事にするのは間違っているです)。
2) 第三の「廉氏の執筆スタイル」という話です。この場合、「廉氏がどういう人か」ということを問題にしているのではなく、「記事の執筆スタイル」の話です。
なお、わたしは廉氏の記事は、二つしか読んでいません。一つは、当該西田記事と、いま一つは、昨年の加筆コンクール時点での「テンポイント」です(現在のテンポイントの記事は、冒頭部は見ましたが、なかは読んでいません)。わたしが述べたことを、ここに正確に写しますと、次の通りです:
この傾向は実は、秀逸記事「テンポイント」の冒頭がまさに同じスタイルである。
「テンポイントの記事が同じスタイル」であるとは述べていません。また、冒頭部以外については、一切言及していません。わたしの迂闊さから「テンポイント」の記事批判に映ってしまったのかとも思います。決してそういうことはありません。
わたしは、当該記事が物語あるいは劇的構成になっており、それは百科辞典的ではない、と述べたかったのです。昨年の加筆コンクールにおいて、審査員の Tantal 氏は、「すぐに秀逸候補」となれる記事を選考するとして、「テンポイント」を推されたので、わたしは、その当時の「テンポイント」の記事を読んでみて、物語を作っているというか、劇的な構成が好きだなと感じました。それ以降、廉氏とは関わりもなく、現在の「テンポイント」の記事もまったく知りません。この部分をもう一度読み返してください。現在の「テンポイント」の記事批判を行っているのではありません(「秀逸記事」と書いてしまったのがミスリードの原因で、ここは迂闊だったとしか言えません)。
3) 最後のご意見については、わたしの文章力や書き方の不明さから起こった誤解と考えます。わたしの文章のどこを読んでも、現在の「テンポイントの記事」についての批判はないと思います。当該記事が劇的構成であるということは、分かりにくいので、個人的に印象の深かった「テンポイント」冒頭を例として挙げただけです。わたしの文章をもう一度、ここに掲載します:
……これは冒頭の定義文であるが、競馬ファン向けの記事ではないのであり、「TTG時代」「一世を風靡」「流星の貴公子」等は、劇的表現にしか見えない。対象との距離が十分でなく、客観的な記述ができていないように思える。少なくとも百科辞典的な表現とは思えない
これは、「テンポイントの記事」を批判しているのだともし読めば、Sergei 氏の云われているような意味になるかも知れないとは思います。しかし、わたしとしては、テンポイントの冒頭の言葉・表現を分かりやすい例として取り上げたつもりで、中田氏の記事の文章スタイルが、このような劇的表現になっているという見解を述べているのです。
「対象との距離……」という文章は、「テンポイントの記事」に対する批判ではなく、これまでに書いてきたわたしの反対理由の総括として書いています。実際、この文章が「結び」に該当します。「結び」に来る文章は、それまでに書いていたことの総括です(「少なくとも百科辞典的な表現とは思えない」というのは、結局、当該記事(中田氏の記事)について述べていることで、また廉氏の文章スタイルのことですが、廉氏はまた違うスタイルで書いて頂きたいという趣旨で、これを人格攻撃とは言えないと思います)。
長文をお詫び致しますが、Sergei 氏は、誤解をされているように個人的に感じます。そういう誤解を招いたのはわたしの文章が拙劣であったということで、責任はわたしにあると思います。しかし、それは誤解なのだと記します。--Stella maris 2009年11月19日 (木) 14:48 (UTC)
追記)「平衡感覚」の部分は、読み返してみて、わたし自身、どうもうまく文脈が繋がらず、かなり複雑な構成になっているように思います。これは、廉氏が何度もわたに対し返答を要求し、わたしの利用者会話ページに何度もやって来て、ストーキング行為をしたことに対し、さすがに、わたしも感情的になった、ためではないかとも思います。この点を除けば、ほぼすべては誤解によるものだと考えます。--Stella maris 2009年11月19日 (木) 14:48 (UTC)
◆ご説明ありがとうございます。それからWikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の選考/中田厚仁 20091030へのコメント、拝読いたしました。長文の執筆、お疲れ様でした。
あのコメントが決して廉さんの人格を攻撃することを意図したものではない、とのご説明には、全てが腑に落ちる、というわけではありませんが、Stella marisさんがそう仰るのならそうなのでしょう。私の能力不足ゆえに誤読し誤解してしまった面も多かったのだと思います。しかし、少し弁解させていただきますと、あの文面からStella marisさんのそうした意図を正確に読み取ることは、余程優れた日本語読解能力の持ち主でなければ不可能だったと思います。あの文面を見れば、大抵の日本語話者はStella marisさんの反対票は廉さんへの個人的な嫌悪感に影響されているのだろう、という印象を強く抱くと思います。この度のWikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の選考/中田厚仁 20091030へのコメントにしても、私にはやはり依然として廉さんへの人格攻撃という要素が強いように感じました(これもきっと私の誤読であり誤解なのでしょう)。
Wikipediaは実に多様な人が集まっているところです。ですから私たちには出来る限り幅広い人に理解されやすい文章表現に務めることが求められているのだと思います。廉さんの人格を攻撃する意図が全くないにも関わらずあのようなコメントをしてしまったのだとすれば、Stella marisさんにはご自身の文章表現技術の向上に真剣に取り組んでいただく必要があるように思います。でないと人からあらぬ誤解を受けて、ご自身の立場が極めて危ういものになってしまうようなことも今後起こり得るのではないかと危惧します。
それと、もう一つ改善していただいた方がいいと思うのは、意見を表明する場所の適不適をよく弁える、ということです。Stella marisさんがWikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の選考/中田厚仁 20091030で述べられていた、廉さんの投票行動のダブル・スタンダードという点については、私も同じようなことを考えていました。それが私がこの件に介入しようと思い立った大きな要因でした。Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ハイデルベルク 20091025Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/中田厚仁 20091030を見比べていて、どうもこの「良質な記事」という制度はWikipediaを間違った方向に導くものになってしまうのではないか、という強い懸念を抱いたのです。
しかし、選考基準全般についてなにがしかの意見があればそれはWikipedia‐ノート:良質な記事あたりで述べるべきですし、廉さん個人の投票行動に疑問があればそれは廉さんの会話ページででも問い合わせてみるべきでしょう。そうしたことをWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/中田厚仁 20091030という個別の選考の場での投票行動という形で表明してしまったことによって、この選考過程は極めて見通しの悪いものになってしまいました(まあ私自身Wikipedia‐ノート:良質な記事/良質な記事の選考/中田厚仁 20091030で廉さんのWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/ハイデルベルク 20091025での反対票のことを持ち出してしまった身でもあり、あまり人のことはいえないのですが)。そうしたこともStella marisさんのお立場を悪くしてしまうことになりかねませんので、今後ぜひお気をつけいただければ、と思います。--sergei 2009年11月19日 (木) 16:23 (UTC)

良質な記事の選考について[編集]

(ここでは)はじめまして、廉と申します。Wikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/中田厚仁 20091030ではコメントを頂き、ありがとうございました。選考では結果的に多くの賛成票を頂き、選出という結果となりましたが、賛成票を投じて頂いた方々には記事の抱える問題点をかなり大目に見て頂いたのだろうという感想を持っています。そのことを踏まえますと、sergeiさんご指摘の出典の示し方について方針を超えた厳しい基準を持ち出して反対票を投じると、今回頂いた賛成票および選出という結果との間に明らかな矛盾が生じてくることになるのは否めません。現在の基準の下で参考文献が示されている記事について出典の示し方を理由に反対票を投じることは、今後差し控えたいと思います。まだ頭の中が完全には整理しきれていないところもあるのですが、ひとまずこのことについてだけでもsergeiさんにご報告しておきたいと思いました。今回の選考ではお見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません。今回得た教訓を今後に活かしたいと思います。-- 2009年11月28日 (土) 12:29 (UTC)

こんにちは。わざわざのご挨拶、恐れ入ります。
Wikipedia:良質な記事については利用者の執筆意欲を促進するための企画としてなかなか有望だと思い、立ち上げられた頃から私もちょっと注目していました。Wikipedia:秀逸な記事の方は現状ではほとんどの利用者にとっては高過ぎるハードルとなっているので、こういう制度ができたのはとてもよかったと思っています。事前に明確な基準が制定されなかったのは、実際に運用していく中で大まかな指針が事後的に形成されていけばよい、という判断だったのだろうと推察しています。
ただ、“良質”ということに対して求めるものに利用者間の見解の相違が大き過ぎて、結果的に何人かの方が心情を害されたり、逆にそのことに責任を感じた方が一時的にですがWikipediaからの撤退を表明されたりと、選考基準の不統一が大きなトラブルを招いてしまったのは大変残念でした。これは決して誰に責任があるということでもなく、不特定多数の参加者による共同作業という方式が潜在的に有している困難さが、今回の件ではたまたま最も不幸な形で発露してしまったということなのだろう、と受け止めています。
しかしせっかく多くの方のご尽力によって立ち上げられた制度ですので、今回の経験を踏まえてよりよい運用に改められ、向上心のある利用者の方達にとって執筆への励みとなるようなものに育っていくことを願っています。私自身は趣味の延長で無理なく続けていける範囲で参加したいというスタンスなので、自分に過剰なプレッシャーをかけないためにも各種の賞ですとかこうした認定制度は敢えて目標として設定しないようにしてきました。そういう次第なので自分ではあまり積極的な貢献はできないと思いますが、陰ながらWikipedia:良質な記事を応援して参りたいと思っています。廉さんの今後のご活躍も楽しみにしております。--sergei 2009年11月29日 (日) 09:00 (UTC)
…というつもりだったのですが、ちょっと思い直して、自分の立てた項目のうち皆様の査定に何とか耐えられそうなものを選んでWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考/アイリーン・ジョイス 20091130を提出してみました。--sergei 2009年11月30日 (月) 14:56 (UTC)

管理者に就任おめでとうございます[編集]

Sergei semenovich さん
管理者に就任おめでとうございます。お祝いついでにひとつお伺いしたいことがありますがよろしいでしょうか。あなたはWikipedia:コメント依頼/塾生が出されたときに
>>多重アカウントのことはちょっとわからないけど、ノート:福澤諭吉の進行はまともとは思えなかったです。被依頼者はWikipedia:自分自身の記事を作らないと、必要ならWikipedia:児童・生徒の方々へを熟読して下さい。--sergei 2009年8月14日 (金) 12:51 (UTC)>>
と記されていますが、「Wikipedia:児童・生徒の方々へを熟読して下さい」と記されたのは、いかなる理由かご説明願えないでしょうか?つまりこのような記載は他者を意図してからかい、侮辱しているとしか思えないからです。そういった意図は全くないと弁明されるならば、それでもかまいませんがなぜこれを記したのか理由をお聞かせ願えれば幸いです。私はあなたの記載によって大変不愉快な感情を感じました。もしこの部分につき謝罪していただけるならばお願いいたします。他の部分については貴兄の主張に不満はありません。--塾生 2009年12月26日 (土) 05:56 (UTC)

こんにちは。ご存知かと思いますが、Wikipedia:児童・生徒の方々へは大学生をも対象として含んでいます。いくつかの事情から塾生さんは現在大学に在学中であることが推定され、しかもノート:福澤諭吉の状況を見るに塾生さんはどうも記事対象との距離を適切にとることができていないように見受けられましたので、中立性を旨とする百科事典の編纂に携わるにはいささか時期尚早なのではないかと感じ、そのように申しました。もちろん、いつでも誰でも編集することができるウィキというシステムを採用している以上、若年者であっても能力さえ十分にあれば参加は歓迎されるのであって、塾生さんご自身が自分はこの文書の対象となるような執筆者ではないと確信されているのであれば、その部分については受け流してもらえればいいと考えていました。「必要なら」という留保をつけたのはその意味です。私が該当の部分を述べた意図は以上の通りです。--sergei 2009年12月26日 (土) 13:03 (UTC)

ちなみに私は現在大学生ではありません。
「中立性を旨とする百科事典の編纂に携わるにはいささか時期尚早なのではないかと感じ、そのように申しました。」と記されましたが相手の属性(年齢)を一方的に推し量り、パターナリスティックな対応をすることは相手に対して非礼だと思いますがいかがでしょうか?
「記事対象との距離を適切にとることができていないように」については、私個人、福沢先生に対する思い入れがあり、不適切と思われる書き込みをされた相手とのやり取りの過程でヒートアップした点は当方も認めます。ただし私が問題として提起したのは繰り返しますが、「Wikipedia:児童・生徒の方々へを熟読して下さい」というリンク先の設定方法についてです。
「Wikipedia:児童・生徒の方々へ」は文面を見れば明らかに児童・生徒、その保護者を対象とした記述であり、sergei さんの「大学生をも対象として含んでいます」という言い訳は苦しいものです。
この手のことを書き込んでくるやからはざらにおり、いちいち腹を立てていてはウィキへの投稿は出来ないと考え看過してきました。ただし今回sergei さんは管理者という立場になられたのですから、今後このような相手に誤解を招くような表現で対応することは控えていただきたいのです。今回sergei さんが管理者に立候補されたときこの問題を提起しようかと考えましたが、書き込みをされたのは数ヶ月前で、その時点では管理者になりたいという覚悟や心構えが出来ていない時期であったのだと解釈し、控えさせていただきました。
管理者は建前上は一般の投稿者と違いはないと言うことになっていますが、一般の投稿者と異なり一定限度のパワーを行使できる特別の立場であることは否めないでしょう。そうならば管理者には感情中立的で公平な対応を一般投稿者に対してしていただく資質が求められています。 そういった意味で今後誤解を受けるような表現は極力差し控えていただきたいと願っています。貴兄がその努力を示されるならば、貴兄の管理者就任を心より支持します。どうか良い管理者になってください。--塾生 2009年12月26日 (土) 22:02 (UTC)

苦しいも何も、Wikipedia:児童・生徒の方々へには冒頭に「小学生から大学生くらいまでの若い人たちに」と明記してありますし、Wikipedia‐ノート:児童・生徒の方々へ#対象年齢についてでは大学生を対象から外す提案がされましたが、反対意見が多く実現に至っていません。そもそもウィキペディアは利用者登録の際に何の認証も行っていませんので、利用者の属性については編集や意見の内容から推測で判断するしかありません。たとえ利用者ページで小学生と自称していても、実際の行動が真っ当なものである限りWikipedia:児童・生徒の方々へを読めと言われることはありませんし、たとえ実年齢が二十を大きく越えていても、やっていることがあまりに子供じみていれば、この文書を提示されてしまうのは仕方のないことです。
塾生さんが当時私のコメントを不愉快に感じ、今またこのように私の会話ページに申し入れているということは、ご自身はこの文書の対象となるような未熟な執筆者ではないとお考えだということですよね? だとしたら、あなたがまずしなければならなかったのは、Wikipedia:コメント依頼/Chichiii 2009年8月14日を自分の責任において終了させ、ノート:福澤諭吉に感情的な言葉を撒き散らして議論の円滑な進行を妨げてしまったことを、議論参加者のみなさんにお詫びすることだったのではないでしょうか。申し訳ありませんが、現在のところ、Wikipedia:児童・生徒の方々へを提示した当時の私の判断はやはり間違っていなかった、と確信を深めていることを申し上げるよりほかはありません。--sergei 2009年12月27日 (日) 09:40 (UTC)

今回sergei さんが管理者に立候補されたときこの問題を提起しようかと考えましたが、それを差し控えた私の判断は正しかったのか、あなたが管理者としての資質を備えていると判断した自分が正しかったのか自信がもてない状況にあります
福沢諭吉先生のノートでの議論は私とChichiii氏との双方のやり取りであり、これに対するあなたの態度は一投稿者としては容認できますが、管理者になろうとする者としては疑問を持たざるを得ません。 今後どのような状況においてあなたがWikipedia:児童・生徒の方々へを出していくのか注視させていただきます。どうか良い管理者になってください。多少きつい物言いになってしまったことをお詫びいたします。--塾生 2009年12月27日 (日) 13:38 (UTC)

うーん、塾生さんは管理者を何か特別な存在だと思い込んでいるのではないでしょうか。管理者なんてコミュニティの総意に基づいてボタンを押すだけの、単なる実務係ですよ?
まあ自分が管理者になるということについては、かなり以前から「自分でも役に立てるなら」という思いと、「自分のような者はやらない方が」という思いとがずっと交錯していました。こうして就任した今となってさえ、本当は数さえ足りていれば私のような者はやらない方がいいんだけどな、という思いは消えていません。ですが、申し訳ないけれどWikipedia:コメント依頼/塾生の一件はその要因には入っていません。
Wikipedia:児童・生徒の方々へを提示することで塾生さんがそれなりに気分を害するだろう、ということは当然念頭にありました。しかし同時に、この文書を提示されて傷つくだけの矜持が塾生さんにあるのなら、自分の仕出かした不始末の後処理を自分の責任で片付けるくらいのことはしてくれるだろう、という期待もありました。それが「必要なら」という文言に込めた含意です。
一般に人を評価するということは諸刃の剣なのであって、その評価が不当なものである場合には、投げかけた言葉は評価した人の方に帰ってきます。Wikipedia:児童・生徒の方々へを提示されたことを不愉快に感じたのなら、ウィキペディアの利用者として立派な実績を積み上げていって、そんな評価をした人の方に恥をかかせてやればいいのですよ。今後塾生さんがもしコミュニティの誰からも一目置かれるような立派な利用者になって、あんなコメントをした私の名誉が傷つくことになるとしたら、私はその不名誉を喜んでお引き受けします。そういう私の真意も汲み取って活動していっていただけたら、と思います。--sergei 2009年12月27日 (日) 16:39 (UTC)

Sergeiさんの管理者としての資質について[編集]

>>「自分のような者はやらない方が」という思いとがずっと交錯していました。こうして就任した今となってさえ、本当は数さえ足りていれば私のような者はやらない方がいいんだけどな、という思いは消えていません。>>
それでしたならば、今でも遅くありません。管理者を辞退されてはいかがでしょうか
私がsergeiさんの管理者としての資質に疑問を持つことは、まず第一に論理に一貫性が見られないことです。
Wikipedia:児童・生徒の方々への選択の理由として
>>冒頭に「小学生から大学生くらいまでの若い人たちに」と明記してありますし>>
と感情中立的な意図で行ったといっていながら、私の批判に感情を乱され
>>「提示することで塾生さんがそれなりに気分を害するだろう、ということは当然念頭にありました」>>
とつい本音の部分をさらけ出されています(むしろこれに対しては私はこれはあなたの優柔不断さや精神的幼稚さというよりはあなたが誠実さをお持ちのであることの査証として正評価しますが)。これが管理者としての資質に疑問を持たざるを得ない理由のひとつです。
第二に「管理者を何か特別な存在だと思い込んでいるのではないでしょうか。」と仰りながら、もう上から目線でものを言い始めていることです。
Wikipedia:コメント依頼/Chichiii 2009年8月14日、およびWikipedia:コメント依頼/塾生については私とChichiii氏との双方の意見のやり取りであり、コメント依頼が提出されたことを一方的に私の瑕疵として判断していますが、これはコメント依頼の意味をご理解されておられないように思います、これは視線の位置とともに管理者として必要な情報・知識の欠如であると申し上げざろうえません。
Wikipedia:コメント依頼/Chichiii 2009年8月14日とノート:福澤諭吉でのこと問題とするならば率直にその旨記されればすむことで、Wikipedia:児童・生徒の方々へを記すことで無用に相手を挑発し議論の収束を妨げているようにしか思えません。これは管理者の資質としては決定的に問題だと考えます
もし私の主張に納得いかないならば例えばWikipedia:コメント依頼/塾生において公正な判断をされた利用者:Call Tenderasさんなどに助言を仰いでみてはいかがでしょうか。彼らの記述態度は管理者としての資質のモデルになるものです。
最後に私の方もsergei さんから頂いたご意見を次の様にそのまま貴殿にお返ししたいと思います。「今後sergei さんがもしコミュニティの誰からも一目置かれるような立派な管理者になって、あんなコメントをした私の名誉が傷つくことになるとしたら、私はその不名誉を喜んでお引き受けします。そういう私の真意も汲み取って活動していっていただけたら、と思います。」。どうですか、自分がこのように記されて初めて受け手の気持ちが憶測できると思います。
本来は上記しましたように管理者の辞任をお勧めしますが、おそらくその勇気はおありにはならないでしょう。せめてどうか良い管理者になる(贅沢は申しません。少なくとも管理者としての最小限の能力と資質をお持ちになる)努力は続けてください。その誠意を示している限りsergei さんを支持しします。どうかあなたが私に記されたように「その不名誉を喜んで引き受けさせる」様な立派な管理者になってください。年末押し迫っております、どうか良いお年をお迎えください。ご返事はご無用です。--塾生 2009年12月28日 (月) 10:52 (UTC)

こういう感情的なコメントを脊髄反射のように書き込んでしまうところが子供じみていると言っているのですよ。このような稚拙なコメントを受けたからといって、32名もの方から賛同をいただいてお預かりしている責務を簡単に放棄してしまうほど、私は幼稚ではありません。必要ならWikipedia:コメント依頼でも提出してコミュニティの意向を伺ってみて下さい。--sergei 2009年12月28日 (月) 13:17 (UTC)

横から失礼します。sergeiさんがWikipedia:児童・生徒の方々へを提示していただいたときに、あっこれは結構ためになることかいてあるなぁって思いました。大人が読んでもためになりますよ。(参考:大学受験生を対象にした英単語の本など大学卒業者でも読んでいますよね。誰も出版社に馬鹿にすんなよっていいませんよね。)塾生さん、名称について疑問を感じられるならば改名提案を出されればよいと思いますよ。それだけのことではないでしょうか?--Chichiii 2009年12月29日 (火) 09:58 (UTC)

ご意見をお願いします。[編集]

Template‐ノート:Infobox Singleにてテンプレートに関する提案を行っておりますのでよろしければご意見をよろしくおねがいいたします。—以上の署名の無いコメントは、Storytales会話履歴)さんが 2010年1月9日 (土) 12:24 (UTC) に投稿したものです(sergeiによる付記)。

ご案内ありがとうございます。ただ…、私はテンプレートの機能だとか運用の仕方についてはよくわかってなくて、自分で使う際には他の項目の例を見よう見まねでやっているだけなんですよね。該当のノートへは、日本語版の実状を無視して無理に英語版に合わせようとする提案がなされたのでちょっと釘をさすコメントをしたのですが、Storytalesさんの提起された件については有意義なコメントをできそうにありません。お役に立てなくてごめんなさい。--sergei 2010年1月9日 (土) 14:41 (UTC)

お返事ありがとうございます。署名を忘れており申し訳ございません。もし、少しでも思うことがありましたら、ご意見をお願いいたします。--Storytales 2010年1月9日 (土) 14:52 (UTC)

ありがとうございます[編集]

あまりに粘着されているので「自分の感性がおかしいのか?」とすら思ってしまっておりましたが、時々ご指摘くださる皆様のお陰でどうにかバランス感覚を失わないでおります。ありがとうございます。--Kinno Angel 2010年1月15日 (金) 16:35 (UTC)

こんばんは。いつも精力的な執筆活動お疲れ様です。私などは専ら趣味の分野でしか活動していないのですが、宗教や民族など論争の絶えない分野でのご活動は、さぞかし大変なご心労とお察しします。残念ながら知識不足ゆえにあまりお役には立てないのですが、ウクライナ関係の項目の編集作業が平穏な環境で進められるようになることを、切に願っております。--sergei 2010年1月15日 (金) 16:58 (UTC)

ご参考までに[編集]

「表記の統一」についてのMidz案に対しKs aka 98氏がどんな考えをお持ちだったかに興味がありましたので、先日、同氏の会話ページにお伺いを立て、回答を得て、さらに私のコメントを加えておきました。sergeiさんは時々奇妙な発言もしますが、根は真面目で、真面目に調べて考えてきちんとした記事をお書きになる方ですので、きっと参考になると思います。一度お読みになって下さい。--Midz 2010年1月23日 (土) 11:36 (UTC)

幽霊男 (漫画)についてご意見お願いします。[編集]

はじめまして。

私は編集を始めたのはごくごく最近になってからなのですが、記事自体はいろいろ読んでいました。 その中で、手塚治虫の漫画の幽霊男 (漫画)という作品があったのですが、この記事は何やらブロックユーザーが作ったらしく、強制的にリダイレクトとなっていました。しかし、私がみたところ、その編集者がブロックユーザーと判断した版ではどうしてもそれに至る確証が得られませんでした。それ以外にも、記事としてある程度内容がそろっていたものをリダイレクトにすることが果たして正しい編集行為なのかという疑問も湧いてきました。もしよろしければ、当該記事のノートページにご意見お願いします。なお、残念ながら私ではブロックユーザーと判断した編集者のノートページへの書き込みが不可能でした。それからこんなことを提案しておきながら非常に申し訳なく思うのですが、自分は夜勤と日勤のサイクルが早い段階で切り替わる交代勤に就いているため、次いつ編集に参加できるかわかりません。今回はたまたま土日が休みとなったので編集に参加できましたが、こればかりはこの後眠りをとらなければ次の勤務に耐えられず、身体がもたないためどうしようもないのです。本当に申し訳ないです。暇なときにでもいいので、何か意見をくださればと思います。

なお、誤解を招く恐れがあるので、言っておきますが、私は記事を作った本人ではないし、リダイレクト状態を発見したのはたまたま手塚作品の記事を暇つぶしで読んでいたからです。これで仮にブロックユーザーと同一扱いされたのであれば私はもう編集に参加しない意向であります。それでは次の勤務のために睡眠をとらなければならない時間なので、今回はこれにて失礼させていただきます。言葉足らずながら、無礼を詫びさせて頂きます。--123.254.49.29 2010年2月7日 (日) 18:16 (UTC)

利用者:Master Johnny会話 / 投稿記録 / 記録LTA:HAYAKUWAとしてブロックされたようです。あなた自身もブロックされているアカウントユーザーのブロック破りとしてブロックされましたが、ブロック破りでの編集を強行するのではなく、堂々と本アカウントで解除申請をして、コミュニティの賛同を得て解除されてから編集に参加して下さい。--sergei 2010年2月8日 (月) 10:10 (UTC)

特筆性に拘束力があるとのご見解について[編集]

がっかりなお返事に失望しました。もうなんども主張しているので繰り返すのもいい加減疲れてきたので私のお返事はすでに書いたコメントを読んで下さい、自説に凝り固まっているようなのでここで新たに何かを言っても無駄でしょうから。追加で質問ですが、「草案だからといって全く拘束力がないというわけではなく」とはどこに記載があるのでしょうか、逆に「拘束力がありません」は明記されているようですが・・・。方針を守されているようですので感覚や独自解釈で仰っている訳ではないはずですのでご回答のほどお願い致します。なお、複数回に及ぶ礼を失した言辞への謝罪をもう一度求めます(こちらの方針を参照ください)。(謝罪の要求もございましたのでこちらの会話ページにて回答させていただきました。)--BadSurprise 2010年4月23日 (金) 14:21 (UTC)

特筆性の欠如を理由に削除された実例なら削除依頼のログを端から見ていくだけでたくさん見つかると教えておいたはずです。Wikipedia:削除依頼/ログ/先週とかWikipedia:削除依頼/ログ/先々週に対処済みの実例があるはずですから探してみて下さい。比較的最近のもので大きな議論に発展したものとして、例えばWikipedia:削除依頼/日本近代刀剣研究会を挙げておきます。
それからこれは別の文書の例ですが、Wikipedia:投稿ブロックの方針という文書の場合、現在のところまだ正式採用されていない改定案も合わせて運用されています。そのことは{{Blockeduser}}の文面にもあらわている通りです。草案だから、とか正式採用されたものでないから拘束力がない、というような短絡的な思考をするのでなく、その文書がプロジェクトの運用の中で担っている役割りといったものも斟酌して考慮するようにして下さい。
Wikipedia:特筆性に関しては、これはそもそもウィキペディアが百科事典を作るためのプロジェクトであるという、目的そのものと直結した文書です。草案段階ではあっても実用上はすでに効力を持っているということは、コミュニティの成員の多くがプロジェクトの目的のためにこの文書が必要であることを認めている、ということにほかなりません。
ウィキペディアは多くの利用者との共同作業によるプロジェクトです。「草案を簡単に無視するか、尊守するかは個々人の判断にゆだねられている」とか「私個人の判断では(中略)Wikipedia:特筆性には賛成できません」とか勝手に言い放てばいいというものでなく、反対するのなら、それまでに重ねられてきたコミュニティの判断の蓄積に反駁できるだけの根拠を示す責任があるということです。
この文書はウィキペディアが宣伝・広告の媒体として利用されることを防ぐのに役立ってきたという実績があるわけで、これに反対するのであれば、そのようなことを防止するためにほかにどのような方策があるのかを自分で示してみて下さい。そうやってコミュニティの成員を十分に納得させることができるのであれば、この文書が廃案になるということもあり得るでしょう。しかし、それができないのであれば、それまでのコミュニティの判断の蓄積を尊重するべきです。
謝罪については、その必要性を全く理解できませんので謝罪のしようがありません。こちらからは特に積極的に要求するものではありませんが、今後は議論に誠実に対応して下さい。--sergei 2010年4月23日 (金) 15:21 (UTC)少し修正。--sergei 2010年4月23日 (金) 15:24 (UTC)
つまりそれはWikipedia:特筆性は公式な方針であり、それがコミュニティの総意であると仰っているのですね?--BadSurprise 2010年4月23日 (金) 15:35 (UTC)
そのようなことは上のコメントのどこにも書いてありません。漢字の誤りごときには目を瞑るにしても、そのような文章読解力しかないのだとすると、BadSurpriseさんは百科事典の編纂に携わるのは時期尚早なのだと思います。--sergei 2010年4月25日 (日) 15:46 (UTC)
えーと失礼ですが私がどの漢字を間違えましたでしょうか。あと、そのようなことは書いてないと仰せですが実質的にあなたが主張していることはそういうことでしょ。違うなら簡単に要約してもらえますか?真実を語るのに多くの言葉は要りません。--BadSurprise 2010年4月25日 (日) 15:59 (UTC)
このコメントでの「尊守」というのは何かの書き間違いではなかったのですか? ウィキペディアは人に何かを教えてもらうためのサイトではありません。理解できるまで何度でも読み返して下さい。それでも理解できないなら、あなたには百科事典の編纂に携わるのは時期尚早だということです。--sergei 2010年4月25日 (日) 16:24 (UTC)

(インデント戻し)「尊守」は普通につかわれてますよ。(あなたがお好きじゃないみたいでしたので上の私のコメントでは遵守に訂正しておいてあげただけです。)こんなことも知らないで上のようなコメントを書けるあなたってある意味凄いですね。それとケンカ腰の態度はそろそろ改めていただけませんかね。--BadSurprise 2010年4月25日 (日) 16:49 (UTC)末文追記--BadSurprise 2010年4月25日 (日) 16:51 (UTC)

「尊守」なんて言葉があるんですか? 初めて聞きました。goo辞書でもYahoo!辞書でも出てこないんですけどね。そういう言葉が載っている辞書があるのでしたらぜひ教えて下さい。別に喧嘩腰のつもりはないんですが、公式な方針の話をしているのに「草案は草案です」などというふざけた回答をするのさえやめてもらえればいくらでも丁寧な対応をして上げますよ。--sergei 2010年4月25日 (日) 17:04 (UTC)
横槍失礼。「尊守」をはじめて聞く言葉とは驚きです。法や規則に関してよく使われる言葉ですがね。例、総務省が指導した際に使用それなりに信頼ある報道機関も使用。--Dondokken 2010年4月25日 (日) 17:41 (UTC)
「尊守」などという言葉は広辞苑にも載っていません。ATOKで「そんしゅ」と入力して変換しようとすると「遵守《じゅんしゅ》の誤り」と出てきます。ウィキペディア的には信頼できる情報源には該当しませんがこのページなどもご覧下さい(中央省庁の役人までもがこのような誤りを仕出かすとは嘆かわしいことです!)。ウィキペディアでならこんなことをしてもちょっと恥をかく程度のことで済みますが、実生活で「尊守」なんて言葉を使えば社会的な信用にも関わってきますのでご注意下さい(要は上に紹介したページの相談者さんの会社の弁護士みたいな目に遭いますよ、ということです)。ちなみに「順守」なら「遵守」と同じ意味・読み方で使用されます。--sergei 2010年4月26日 (月) 08:54 (UTC)
誤りというか新語の類だと思いますけどね。いずれにせよ、ここでは意味ある対話、意見交換が不可能のようですのでこれで打ち切らせていただきます。--BadSurprise 2010年4月28日 (水) 16:37 (UTC)

四国攻め改名投票へのCU依頼[編集]

どうもお世話様です。Sergeiさんも投票権を行使したノート:四国攻め/Log1の投票では「四国征伐」から「四国攻め」への改名が実施されました。その後、Wikipedia:コメント依頼/Machine gun他で多重アカウントによる不正投票が疑われたことにより、Wikipedia:チェックユーザーの方針#日本語版でのチェックユーザー情報公開規定の第3項を基礎とするチェックユーザー依頼を提出したいと思います。これを告知すると共に、ご協力を願えるのであれば賛同を表明していただきたいと思います。
私もですが、自分自身を含めた多人数のCUは気持ちよいものではありませんが、今後も議論や利用者がターゲティングを受けて5アカウント(あるいはそれ以下、あるいはそれ以上)による議論撹乱や不正投票による工作が疑われるような環境で健全な議論をすることは難しいように思えます。
また、対象が安全に分離された多重アカウントであればCUが徒労の終わる場合も考えられますし、無論無罪である場合も考えられます。それでもなおかつ、疑惑に対する健全性を向上させる手段としてCUを依頼したいと考えます。ご考慮をお願いします。--Yasumi 2010年5月5日 (水) 03:23 (UTC)
ご連絡ありがとうございました。遅くなりましたが意見表明しておきました。--sergei 2010年5月6日 (木) 14:42 (UTC)