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利用者:Bdbfg/sandbox


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* 年齢は離脱時の数え年[4]

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宮家 読み 身位 年齢 備考
伏見宮 博明 16 第26代当主。博義王第1男子。
朝子 王妃 46 一条実輝公爵女子。博明の母。
光子 女王 19 博義王の第1女子。
章子 女王 14 博義王の第2女子。
閑院宮 春仁 46 第7代当主。載仁親王第2皇子。
直子 王妃 40 春仁王妃。一条実輝公爵
山階宮 武彦 50 3代当主。
北白川宮 道久 11 5代当主。
房子 内親王
王妃
58 3代当主の成久王妃。
明治天皇第7皇女。
祥子 王妃 32 4代当主の永久王妃。
肇子 女王 9 故永久王第1女子。
梨本宮 守正 74 第2代当主。
伊都子 王妃 66 守正王妃。鍋島直大侯爵女子。
久邇宮 朝融 47 久邇宮第3代当主。
俔子 王妃 69 邦彦王妃。
静子 王妃 64 多嘉王妃。
朝子 女王 21 朝融王第2女子。
邦昭 19 朝融王第1皇子。
通子 女王 15 朝融王第3女子。
英子 女王 11 朝融王第4女子。
朝建 8 朝融王第2皇子。
典子 女王 7 朝融王第5女子。
朝宏 4 朝融王第3皇子。
賀陽宮 恒憲 48 第2代当主
敏子 王妃 45 恒憲王の妃
邦寿 26 恒憲王第1男子
治憲 22 恒憲王第2男子。
章憲 19 恒憲王第3男子。
文憲 17 恒憲王第4男子。
宗憲 16 恒憲王第5男子。
健憲 6 恒憲王第6男子。
東伏見宮 周子 王妃 72 依仁親王妃。
竹田宮 恒徳 39 第2代当主。
光子 王妃 33 恒徳王妃。三条公輝公爵次女。
恒正 8 恒徳王第1男子。
恒治 4 恒徳王第2男子。
素子 女王 6 恒徳王第1女子。
紀子 女王 5 恒徳王第2女子。
朝香宮 鳩彦 61 初代当主。久邇宮朝彦親王第8皇子。
孚彦 36 鳩彦王第1皇子。
千賀子 王妃 27 孚彦王妃。
富久子 女王 7 孚彦王第1女子。
誠彦 5 孚彦王第1皇子。
美乃子 女王 3 孚彦王第2女子。
東久邇宮 稔彦 61 初代当主。久邇宮朝彦親王第9皇子。
聡子 内親王
王妃
52 稔彦王妃。
明治天皇第9皇女。
盛厚 32 稔彦王第1男子
成子 内親王
王妃
23 盛厚王妃。
昭和天皇第1皇女。
信彦 3 盛厚王第1男子。
文子 女王 2 盛厚王第1女子。
俊彦 19 稔彦王第4男子。

明治天皇所生

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読み 身位 誕生 崩御・薨去 続柄 宮家 御称号 世数
睦仁 むつひと 親王 1852年11月3日 1912年7月30日〈満59歳) 0/孝明天皇第2皇子 明治天皇 祐宮 1世
稚瑞照
彦尊
[5] 親王 1873年9月18日 1873年9月18日死産 1/明治天皇第1皇子 内廷 1世
敬仁 ゆきひと 親王 1877年9月23日 1878年7月26日(満0歳) 1/明治天皇第2皇子 内廷 建宮 1世
嘉仁 よしひと 親王 1879年8月31日 1926年12月25日(満47歳) 1/明治天皇第3皇子 大正天皇 明宮 1世
猷仁 みちひと 親王 1887年8月22日 1888年11月12日(満1歳) 1/明治天皇第4皇子 内廷 昭宮 1世
輝仁 てるひと 親王 1893年11月30日 1894年8月17日(満0歳) 1/明治天皇第5皇子 内廷 満宮 1世
裕仁 ひろひと 親王 1901年4月29日 1989年1月7日(満87歳) 2/大正天皇第1皇子 昭和天皇 迪宮 1世
雍仁 やすひと 親王 1902年6月25日 1953年1月4日(満50歳) 2/大正天皇第2皇子 秩父宮 淳宮 1世
宣仁 のぶひと 親王 1905年1月3日 1987年2月3日(満82歳) 2/大正天皇第3皇子 高松宮 光宮 1世
崇仁 たかひと 親王 1915年12月2日 2016年10月27日(満100歳) 2/大正天皇第4男子 三笠宮 澄宮 1世
明仁 あきひと 親王 (1933-12-23) 1933年12月23日(90歳) 存命/ 3/昭和天皇第1皇子 今上天皇 継宮 1世
正仁 まさひと 親王 (1935-11-28) 1935年11月28日(89歳) 存命/ 3/昭和天皇第2皇子 常陸宮 義宮 1世
寛仁 ともひと 親王 1946年1月5日 2012年6月6日(満66歳) 三笠宮崇仁親王1/第1男子 三笠宮 2世
宜仁 よしひと 親王 1948年2月11日 2014年6月8日(満66歳) 三笠宮崇仁親王2/第2男子 桂宮 2世
憲仁 のりひと 親王 1954年12月29日 2002年11月21日(満47歳) 三笠宮崇仁親王3/第3男子 高円宮 2世
徳仁 なるひと 親王 (1960-02-23) 1960年2月23日(64歳) 存命/ 4/今上天皇第1皇子 皇太子 浩宮 1世
文仁 ふみひと 親王 (1965-11-30) 1965年11月30日(59歳) 存命/ 4/今上天皇第2皇子 秋篠宮 礼宮 1世
悠仁 ひさひと 親王 (2006-09-06) 2006年9月6日(18歳) 存命/ 秋篠宮文仁親王第1男子 秋篠宮 2世

開催

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摂政設置に関する皇族会議(大正10年11月25日 )

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皇族会議員
皇太子裕仁親王 議長
貞愛親王
載仁親王
依仁親王
博恭王
博義王
武彦王
恒憲王
邦彦王
守正王
多嘉王
鳩彦王
成久王
参列員 役職
松方正義 内大臣
大木遠吉 司法大臣
牧野伸顕 宮内大臣
平沼騏一郎 大審院長
倉富勇三郎 宗秩寮総裁事務取扱
関屋貞三郎 宮内次官
南部光臣 宮内省参事官
松平慶民 宮内事務官
巻芳男 宮内事務官

1921年(大正10年)11月25日大正天皇疾病による摂政設置に関する皇族会議。議長は皇太子。全議員賛成により摂政設置が議決される。その後枢密院会議でも全会一致にて可決され皇太子裕仁親王は摂政に就任した。[6]

脚注

[編集]
  1. ^ 『皇位継承のあり方』 所功 PHP新書 2006年 p51
  2. ^ 『皇位継承』高橋紘 所功 文春新書 平成10年
  3. ^ 『語られなかった皇族たちの真実』竹田恒泰 小学館 2006年
  4. ^ 『皇族 天皇家の近現代史』 小田部雄次 中公新書 2009 p300
  5. ^ わかみずてるひこのみこ
  6. ^ 『昭和天皇実録 第三』宮内庁 2015年 p524