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利用者:Broad-Sky/全国高等学校クイズ選手権

全国高等学校クイズ選手権ぜんこくこうとうがっこうクイズせんしゅけん)とは日本テレビ系列NNN)で毎年8月 - 9月ごろに放送されているクイズ番組である。英語表記は「ALL JAPAN HIGH SCHOOL QUIZ CHAMPIONSHIP」で、通称は「高校生クイズ」である。

概要[編集]

日本テレビの看板番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』(1977年 - 1992年1998年)のスペシャル版ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦1982年12月31日に開局30年記念特別番組として企画・放送された。これが好評だったことに加え、参加規定により『ウルトラクイズ』に出場できない高校生から番組宛に要望が強かったことから、『史上最大の敗者復活戦』のノウハウを生かして、「知力、体力、チームワーク」をキャッチフレーズに『ウルトラクイズ』の弟番組として『ウルトラスペシャル 全国高等学校クイズ選手権』が1年後の1983年12月31日に放送された。以降、1984年と翌1985年は夏と冬の年2回開催・放送(夏の大会は8月下旬、冬の大会は大晦日に放送)となり、1986年の第6回からは夏季の年1回の開催・放送となっている。独自の演出と壮大な規模で開催されており、「クイズの甲子園」として定着している。ギネスブックには「世界一参加人数の多いクイズ番組」として記載された。

テレビ放送は例年8月下旬 - 9月上旬で、現在は「金曜ロードショー」の枠(金曜ロードショーをネットしていないテレビ大分沖縄テレビは時差放送)で2時間30分放送している。

近年では第23回(2003年)と第24回(2004年)で番組の刷新を目指し、予選方法から演出まで方針を大きく改めた。しかし、従来の路線とかけ離れたこと(クイズよりもキャラクターが変わっている高校生を優先的に残そうとするなど)により、視聴者の批判が相次いだ。第25回(2005年)からは「都道府県代表制」を復活し、演出方針を見直したが、視聴率は9.7%であった。第26回(2006年)では高校生の喜怒哀楽や大会の規模を重視し、視聴率は13.6%を記録した。第27回(2007年)ではさらに規模の拡大やスーパーオリラジチャンスなどの試みを行ったものの、視聴率は8.6%であった。なお、第26回からはオリエンタルラジオをメインパーソナリティーに迎えている。

ここ数年ではクイズ形式も新形式だけでなく、かつての名作クイズや視聴者側から見ても面白いクイズ、さらに決勝戦を豪華客船で実施するなど、幅広い層を意識した番組作りがなされている。また、高校生の喜怒哀楽に着目し、誰でも気軽に参加できるように毎年試行錯誤が続いている。

福留がかつてTV情報誌『テレパル』で「局の都合で番組を終わらせたくない」と語っていたが、現在のところこの思いは守られていることになる。参加人数や視聴率の減少を指摘する声もあるが、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』『鳥人間コンテスト選手権大会』と同様に日本テレビの夏の名物番組・看板番組であること、筆頭スポンサーライオンにとっても販売・PR活動に強力なコンテンツであることから、今後も番組が継続される可能性が反対に高い。実際に2008年は高校生クイズが放送されて25周年になることや2010年に30回記念大会になる。

キャラクターにはスポンサーのライオンちゃんの他に、帽子をかぶって首をかしげる怪獣型オリジナルキャラクター「QUIZRA(クイズラ)」が存在する。当初の番組ロゴマークは冬の大会ではクイズラが、夏の大会ではライオンちゃんとクイズラが描かれたものだった。現在は「?」の中に「高校生クイズ」と書かれたロゴマーク(第16回(1996年)から登場)を使うのが主流である。しかし現在でも、折り畳み式解答テーブルなどで旧ロゴマークが使われており、地区大会でもクイズラのアドバルーンが使われる。また、参加者に送られる参加規定書には現在でもライオンとクイズラが描かれている。

毎年、地区予選の時期になると全国の高等学校に出場者募集告知のポスターが配布される。

なお、経済産業省日本立地センターの主催で2001年から2005年まで行われていた「高校生エネルギークイズ選手権大会」並びにNPO法人金融知力普及協会の主催で2007年から行われている「全国高校生金融経済クイズ選手権」はこの大会と一切関係がない(ただし、後者の第1回大会で優勝した人物が、同じ年に行われた高校生クイズでも優勝した)。

歴代総合司会[編集]

  • 初代・福留功男(第1回・1983年 - 第10回・1990年)「青春真っただ中、(みんな)燃えているか!!
    • 『ウルトラクイズ』の進行経験を活かしてこの番組でも第1回から支え、番組の爆発的人気を生んだ。
    • 第2回では北海道・中部・中国・四国・岡山大会に行かず、第3回ではその北海道・中部・中国・四国・岡山に加えて日程が北陸と重なった近畿大会にも行っていない。これらの大会は地元局のアナウンサーなどが代理司会を務めた。
    • 第21回で11年ぶりの再登場を果たし、東西に分けて行われた全国大会1回戦で東側の司会を担当した。「業界40年、高校生クイズ生みの親、クイズに24年の人生をかけた、人呼んで"留ジィ"とはオレのことだぁ!」との言葉で高校生の前に登場した。
  • 2代目・福澤朗(第11回・1991年 - 第20回・2000年)「ファイヤー!!」(時々「みんな、(青春の炎は)燃えているか!!」も)
    • 彼の本来の決まり文句は「ジャストミート」だが、番組スポンサーのライバル社である花王の洗剤に「ジャスト」が存在するため、最初の収録前に掛け声を変更した(『ウルトラクイズ』では放送枠の『木曜スペシャル』に花王が提供していたため「ジャストミート」を使った)。
    • 総合司会着任前には第10回の全国大会で体力コースの案内人を務めた(「日本テレビの明るい下積み」と自己紹介した)。
    • 第20回の全国大会は日程の都合のため、日野春駅での2回戦までと決勝戦のみを担当。他は羽鳥慎一アナウンサーが代理司会を務めた。
    • 総合司会降板後の第21回でも登場し、東西に分けて行われた全国大会1回戦で西側の司会を担当した。
  • 3代目・ラルフ鈴木(第21回・2001年 - 現在)「POWER!!
    • 総合司会着任前には第18回の事前番組「裏高校生クイズ」に出演し、運大王代表で上京した9チームに密着した。
    • 第21回の全国大会1回戦は2人の先輩司会者が担当したため出番がなく、敗者復活戦からの担当となった。
    • 第26回の沖縄大会はFIFAワールドカップの取材のため、菅谷大介アナウンサーが代理司会を務め、「根性!」という掛け声を披露した。
    • 第27回の中国大会と南東北大会は日程の都合のため、上重聡アナウンサーが代理司会を務め、「VICTORY!!」という掛け声を披露した。

歴代スタジオ司会・リポーター・ゲスト[編集]

歴代ナレーター[編集]

初期は司会者である福留が兼任していた。同様に第18 - 20回では福澤が、第21・22回では鈴木がそれぞれ全編もしくは大部分のナレーションを担当した。

メインテーマ曲[編集]

  1. 「Hollywood」(トランペット奏者メイナード・ファーガソン) ※第1回(1983年)、第3回(1984年)- 第15回(1995年)、第18回(1998年)、第19回(1999年)、第26回(2006年)
    • 2004年9月にはこの「Hollywood」を収録したファーガソンのLP『HOLLYWOOD』がCD化された。
    • ファーガソンは『アメリカ横断ウルトラクイズ』の『メインテーマ曲も演奏している。
    • また、同曲は男子プロゴルフ中日クラウンズ』のテレビ中継テーマ曲としても使われていた。
  2. 「Hollywood」(1.の番組オリジナルアレンジ版) ※第20回(2000年)- 第22回(2002年)、第25回(2005年)- 第27回(2006年)
    • メイナード・ファーガソンが逝去した2006年の第26回は、2.の前奏部分の後に1.の本編をつなげて放送した。
  3. 僕らだけの歌」(ロードオブメジャー) ※第23回(2003年)
  4. Happy Days」(大塚愛) ※第24回(2004年)

(オープニング曲として)[編集]

  1. 「アクセル」(吉川晃司) ※第16回(1996年)オープニングソング
  2. 「やってやろうじゃない」(佳苗) ※第17回(1997年)オープニングテーマ

(エンディング曲として)[編集]

  1. 「心のさざめき」(ピエール・ポルト・オーケストラ) ※第1回(1983年)、第3回(1984年)- 第11回(1995年)
  2. 「every little thing every precious thing」(LINDBERG) ※第16回(1996年)エンディングソング
  3. 「指でさようなら」(谷口崇) ※第17回(1997年)エンディングテーマ
  4. 「あの丘のむこうまで」(玉置浩二)※第20回(2000年)

(イメージソングとして)[編集]

  1. 「Standing on the Rainbow」(THE CHECKERS) ※第8回(1988年)
  2. 「未来はきみのもの」(熊谷幸子) ※第12回(1992年)
  3. Teenage dream」(DEEN) ※第15回(1995年)

(応援ソングとして)[編集]

  1. 「形なきもの」(GROUND COLOR STONE) ※第22回(2002年)
  2. 「ベイビーランニンワイルド」(Lead) ※第25回(2005年)
  3. "Q"」(AAA) ※第26回(2006年)
  4. 「真夏の地図」(redballoon) ※第27回(2007年)

BGM・SE[編集]

  • YES-NOクイズ(現・○×クイズ)で移動する時のBGMは第16回(1996年)まで同じだった(第2回のみ異なる)ものの、第17回(1997年)以降はほぼ毎回変わっている。ただし、第25回(2005年)は現場では別の曲が使われていたが、放送では第16回以前のBGMに変えていた。
  • 問題出題時のSEは第15回(1995年)以降いくつかの新しいSEが登場しており、近年では場面によって複数の種類のSEが使い分けられていることもある。早押しボタンSE、正誤判定のSEなどは当初のもののままで、現在までに至って使用されている。特に早押しと正誤判定のSEは『アメリカ横断ウルトラクイズ』の後期と共通のものである。日本テレビの番組で単発のクイズの企画をする時は必ずこの音を使うことになっているようで、収録時に別のチャイムを使っていながらアフレコでこのSEにしている例も多々見られる。

メインスポンサー[編集]

第2回と第4回(1984年・1985年 夏の大会)、そして第6回(1986年)から現在まで番組の冠スポンサーは大手生活用品メーカー・ライオンとライオングループ各社である。第11回(1991年)までは独占提供していた(第6 - 8回ごろには『いただきます』のものより豪華なアニメーションを使った当番組オリジナルのスポンサークレジットが使われていた)。なお、ライオンが冠スポンサーになったきっかけは、第1回の放送を見た当時の社長の妻の進言だったという。

冬の大会に関しては「ウルトラスペシャル」と題された。第1回(1983年)はレギュラー放送枠のスポンサーが中心(このときはライオンも提供)で、第3回(1984年)では日産自動車とレギュラー放送枠のスポンサーの一部、第5回(1985年)も日産自動車と日産グループを中心とする提供であった。年1回への統一にあたり、日本テレビは各地区ごとの景色が変わるため冬季開催を希望したが、メインスポンサーのライオンが夏季開催を希望したため、1986年以降は夏季開催のみとなった。

2007年(第27回)の提供スポンサー(ライオンを除く)[編集]

2007年は準筆頭スポンサーを設けず、ライオンと他のスポンサーでの放送になった。

全国大会放送時の過去のスポンサー(ライオンを除く)[編集]

1996年 - 2006年までは、ベネッセコーポレーション進研ゼミ高校講座として)・大塚製薬東洋水産が準筆頭スポンサーであった。地区大会では進研ゼミ高校講座がネットでコラボレーション企画を実施したり、大塚製薬東洋水産の商品を貰えるプレゼント大会が地方大会でよく実施された。

番組内容[編集]

同一高等学校に通う3人1組でチームを結成し、地区大会に参加する。同大会は全国各地で『ウルトラクイズ』の規模に引けをとらない人数の挑戦者を集めて行われる。そこで地方大会代表(都道府県代表チーム)を決定し、全国大会を実施させ、高校生のクイズの頂点を決める。

出場資格は同一高校又は高専(高等専門学校)に通う3人1組(男女・学年・学科混成可)である。同一校からは何チームでも出場可能であり、部活動などにも原則的には関係なく参加できる。全日制と通信制は18歳までで、定時制は年齢上限がない。また、修業年限5年の高専生については3年生まで出場可能。公式サイトの「参加の流れ」には、定時制高校の年齢上限がないことが書かれているのみで、他の高校の年齢の上限は書かれていないが、定時制以外の高校生については上限がある。この規定に則り、当時東京都内の定時制高校に通っていた元プロレスラー・大仁田厚が中年高校生らと共に予選に出場したことがある。第23回では定時制で初めて高知県立中村高等学校が全国大会進出を果たした。第27回では北東北大会の岩手県立杜陵高等学校の定時制のメンバーに25歳の母親がおり、子持ちの女性初の全国大会出場となった。また、第2回では日本語がほとんど話せない外国人留学生のいるチームが全国大会に進出した。

地区大会[編集]

全国大会[編集]

概要[編集]

地区大会を勝ち抜いたチームによって全国大会が行われる。主として東京で開催される(全国大会出場校数は地区大会を参照されたい)。

日程[編集]

全国大会は例年、お盆で都内があまり混まない時期に収録が行われる。日数は4日 - 7日くらいが多い。

形式[編集]

クイズは東京都内を中心に第1回戦→第2回戦…と勝ち残り方式で行われる。大会の内容は毎回異なるため、下記の項目を参照。

各回の全国大会の概要[編集]
  • 第1回(1983年冬) - 100問ペーパークイズ(37→12)→コース別クイズ(夜の東京コース・東京下町コース・東京新名所コースの計3ブロックで各4→1、12→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第2回(1984年夏) - 100問ペーパークイズ(37→20)→準々決勝・20チーム早押しクイズ(20→10)→準決勝・学校指名チャンスクイズ(10→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第3回(1984年冬) - 120人早押しクイズ(40→20)→ジャンル別早押しクイズ(20→9)→大東京空中散歩クイズ(ヘリコプターに乗ってペーパークイズ)(9→5)→学校指名クイズ(5→3)→決勝戦(7分間タイムレースクイズ)
  • 第4回(1985年夏) - 上京ペーパークイズ→準々決勝・七転び八起き20対1早押しクイズ(ペーパークイズの上位20チームがまず早押しクイズを行い、正解したチームが下位20チームと対決で通過クイズ、正解すれば準決勝進出。下位20チームは阻止した回数が最も多かった1チームが敗者復活、40→5+1)→準決勝・オンライン電話クイズ(6→4)→大東京空中散歩クイズ(オリエンテーリング)(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第5回(1985年冬) - 猫の手も借りたい宅Q便ペーパークイズ&東京お泊まり300問ペーパークイズ(40→10)→オーケストラ音楽クイズ(10→4)→日本列島グーニーズ宝探しクイズ(バラマキ)(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第6回(1986年) - 究極のジャンル早押し通過クイズ[敗者復活・カラオケのど自慢(41→2)→決戦アミダクジ(2→1)](49→8+1)→富士山おじゃま無視!新バラマキクイズ(9→4)→近似値クイズ+一問必答YES・NOクイズ(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第7回(1987年) - 3人バラバラ東京迷子クイズ(ペーパー・減量・自動販売機による抽選)(49→15)→1問勝ち抜け早押しクイズ(1チーム抜ける毎に抽選で敗者復活のチームが参加)(15→9)→つぶし合いクイズ(早押し封鎖クイズ)(9→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第8回(1988年) - 上京戦 東西対決1vs1(ペーパー&早押し)[敗者復活](50→10+5)→ホップ・ステップ・ジャンプクイズ(早押し)(15→4)→富士山9合7勺 YES・NOクイズ(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第9回(1989年) - アメリカン激写ペーパークイズ[敗者復活・伊豆大島観光3択クイズ](49→24+3)→ウォーターフロント・アドバンテージクイズ(早押し)(27→8)→アメリカンカートクイズ(連想クイズ)(8→4)→YES-NOクイズ(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第10回(1990年) - 3人バラバラお宿ペーパークイズ(49→30)→知力・体力・運トライアングルクイズ(新聞校正・減量・ジュークボックスによる抽選)(30→10)→早押し連想クイズ(10→5)→ドロンコクイズ(5→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第11回(1991年) - 7チーム分割・早押し通過クイズ[敗者復活・名前ビンゴ](49→10+1)→10,000本!ビデオショック 観まくり連想クイズ(11→4)→準決勝・個人別YES/NOクイズ(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第12回(1992年) - 上京YES-NOクイズ(一発勝負YES・NOクイズ)[敗者復活・タイムアップ3択クイズ](49→22+18)→対決2チームクイズ(40→10)→大東京見物ビデオクイズ(10→9→8)→ジャンル多答大逆転マシンガンクイズ(早押し+多答)(8→4)→準決勝・勝負の1分間クイズ(タイムショック&早押しクイズ)(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第13回(1993年) - Qッキングクイズ(料理&YES・NOクイズ)[敗者復活・ボウリング](49→40+1)→満場一致YES-NOクイズ(41→16)→クイズ スーパーへ行こう!(16→4)→準決勝・勝負の1分間クイズ(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第14回(1994年) - クイズスター誕生&音楽YES・NOクイズ(替え歌制作&YES・NOクイズ)(49→23+17)→運命のルーレットクイズ[敗者復活・逆ババ抜き](40→10+1)→サスペンスクイズ(11→4)→準決勝・勝負の1分間クイズ(4→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第15回(1995年) - 48問限定早押しクイズ(49→48)→VISUAL2択クイズ&共食い地獄(3択)(48→39+5)→VISUAL3択クイズ&フライング地獄(早押し)(44→34+2)→VISUAL4択クイズ&電話ラッシュ地獄(電話早がけ)(36→16+12)→成績発表[敗者復活・YES・NO地獄](28→19+6)→王様クイズ(早押し+連想)[敗者復活(放送されず、また全国大会放送では敗者復活がなかったことにされている)](25→12+1)→1vs1対決クイズ(ペーパー、タイムショックなど)(13→6)→1vs1サドンデス筆記クイズ(6→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第16回(1996年) - BATTLE LAND(48問限定早押しクイズ、49→43)→TIME LAND(一問多答早押し問題・時間制限を設けたさまざまなクイズ)(43→15)→SUSPENSE LAND(サスペンスクイズ、15→6)→SUPER SHOCK LAND(単独最下位脱落リレークイズ、6→3)→決勝(早押し・10ポイント先取)
  • 第17回(1997年) - BATTLE LAND(40問限定早押しクイズ、49→36、運大王7→6)→SHOCK LAND(地雷クイズ(早押しクイズ・一問多答クイズ)、36→10、運大王6→4)→SUSPENSE LAND(サスペンスクイズ、10→6、運大王4→1)→準決勝・単独最下位脱落リレークイズ(7→4)→出発直前サドンデスYES・NOクイズ(4→3)→決勝戦(香港市内観光クイズ+早押し・10ポイント先取)
    • 地区大会で勝ち残った「運大王」のチームは、まず全国大会の1回戦終了後に49チームの中からスロットマシーンでランダムに1チームを指名(1回戦敗退チームを引き当てたらその時点で脱落)。2回戦以降は、そのチームが勝ち残っていた場合は同時に勝ち残れるという一蓮托生的なルールで、準々決勝は指名チームが最も早く抜けた1チームのみが勝ち抜けられた。そして最後まで残った運大王1チームは準決勝から正式に全国大会代表と合流してクイズに挑んだ。
  • 第18回(1998年) - 運大王実力試し(サドンデスボード)(運大王10→1)→(関東大会のYES・NOクイズによりクイズ形式決定)→クイズ結婚式(結婚式でのマナーテスト)[敗者復活・ご祝儀早押しクイズ](40→8+4)・クイズお葬式(式場の様子から、誰の葬式か当てる推理クイズ)(10→3)→誤答脱落サバイバルクイズ(サドンデスボード)(15→4)→準決勝・15ポイント先制シャッタークイズ(4→2)→決勝(ホーム&アウェー早押し・合計20ポイント先取)
    • 第18回も「運大王」の制度があったが、全国大会で1チームに絞られ、その後は各都道府県代表49チームに合流、都道府県代表と同等の扱いで参加した。
  • 第19回(1999年) - 面接クイズ石原都知事と語る会(知事への企画提案)&3人バラバラ面接クイズ(早押しで通過したチームが自己PR・豆つかみ・即興ダジャレに分かれて面接)[敗者復活ペーパークイズ](51→1+14+10)→15人斬りクイズ(多答地雷&対決クイズ)(25→4)→準決勝・5ポイント先取UP DOWNオールリセットクイズ(口答クイズ)(4→2)→決勝(ホーム&アウェイ早押し・合計20ポイント先取)
  • 第20回(2000年) - (前日にくじ引きによるカバン決め)→品川駅出発→昼食弁当 記憶力クイズ(50→48)(放送されず)→特Qファイヤー号 どっち!どっち?クイズ(2択クイズ)(48→46)→日野春駅・3人バラバラ勝ち抜け出会い!発車まで1時間ちょっとよクイズ!(早押し)[敗者復活・絵画展](46→24+6)→新井駅 - おはようございます どっち!どっち?クイズ(2択クイズ)(30→26)→鯨波駅・サバイバル綱引きクイズ(綱引きクイズ+一問三答)[敗者復活・魚釣り](26→9+1)→浦佐駅・(宿舎探し→お宝捜し→中島誠之助による鑑定会→)ザ・越後・魚沼産 おむすび当てクイズ[敗者復活・家族を早く笑わせた方が勝ち(放送されず。また放送では敗者復活がなかったことになっている)](10→5+1)→土合駅・ドキドキドッキン心拍数クイズ(6→4)→準決勝・爆走700km思い出パノラマクイズ&1分間タイムショック(4→3)→決勝(早押し・10ポイント先取)
  • 第21回(2001年) - 東軍・西軍(各25)に分かれて決勝を目指す。東軍・未来遺産フォトバトル(富山県の相倉合掌集落・1枚の写真と五七五で表現)西軍・鳥取砂丘バラマキクイズ(1チーム1人正解で次のメンバーと交代、3人正解で2回戦進出)(東西各25→15)→東軍・西軍キーワードクイズ(○×・早押しクイズ+キーワード当ての団体戦)→[西軍勝利、東軍敗者復活](30→西15+東3)→準々決勝・QUIZどっちの料理!(空席待ち早押しクイズ・料理2択問題)(18→6)→準決勝・1対1大筆記クイズ(対決ボード)(6→3)→決勝(10ポイント+1(タイブレーク・後述)先取)
  • 第22回(2002年) - 天国地獄カットライン変動サバイバルクイズ(早押し・○×)[敗者復活・?](50→17+3)→成田山新勝寺・盛り沢山隠れ文字厄をおとしてオーストラリアへ行こうクイズ(早押し+キーワード当て)[敗者復活・1,000枚大神経衰弱](20→7+1)→(成田空港・組分けジャンケン)→準々決勝・団体戦ゲレンデばらまきクイズ[敗者復活・羊の数数え](8→4+1)→準決勝・ワイルドLIFEゲストクイズ(ペンギンの生態に関する三択+早押しクイズ)(5→3)→決勝(英語問題の早押し+通常早押し・10ポイント先取)
  • 第23回(2003年) - 歴史グルメクイズ(早押し・ペーパークイズ)[敗者復活・料理対決](30→20+1)→江戸幕府400周年 斬り捨て御免クイズ(21→12)→ドンジャラ神輿クイズ[敗者復活・鯉のつかみ取り合戦](12→8+1)→アトム誕生記念ロボットクイズ(○×・ボード→早押し)(9→5)→アナウンサークイズ(文章穴埋め+α)(5→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第24回(2004年) - バカの壁3択クイズ(3択問題・10ポイント先取)[敗者復活・パズル問題](30→20+1)→クイズコロシアム(早押し・2択・バラマキ)(21→得点上位10)→2ndステージ(パイプスライダー&クイズ・ペーパー・紙飛行機制作)(10→得点上位5)→インタビュークイズ(文章穴埋め+α)(5→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第25回(2005年) - スリーアンサークイズ(早押し・一問三答問題)[敗者復活・ボウリング](49→15+1)→3人バラバラクイズ(知床・東京・京都の三方に分かれ、日本の自然・文化を体験し、その問題にも答える)100問ペーパークイズ(移動中・個人)(16→15→8)→外国人記者クラブでのプレゼンテーション(8校を順位付け)→準決勝・8文字を解読せよひらめきパズルクイズ(早押し+キーワード当て)(8→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)
  • 第26回(2006年) - 50音バトルクイズ(早押し・通過阻止クイズ)[敗者復活・3人一致相性ビンゴ](50→15+3)→激流!ラフティングクイズ(ゴムボートに乗り、激流の途中にある問題に答える)[敗者復活・親子愛ホットライン復活キーワードクイズ](18→5+1)→準決勝・生き残りデッドラインクイズ(パズル問題中心の書き問題)(6→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)→世界決戦(早押し+書き問題・15ポイント先取)
  • 第27回(2007年)- 開け○×クイズシアター(○×+映像早押し)[敗者復活・お絵かき伝言クイズ](51→15+3)→真夏の!!カヌークイズ(カヌーに乗り途中にある問題に答える)(18→10)→SLサバイバルクイズ(団体戦早押し+車窓から見える風景に関する書き問題+個人戦早押し)(10→7)→近似値クイズ→スリーアンサークイズ(一問三答問題)(7→6)→準決勝・生き残りデッドラインクイズ(パズル問題中心の書き問題)(6→3)→決勝戦(早押し・10ポイント先取)

その他[編集]

  • 最近の回では、全国大会出場チームは収録開始前日に集合・受付する。
  • 会期中の宿は、東京都文京区の「機山館」がよく用いられる。
  • スタジオ収録のケースが多い第1回戦は、川崎市多摩区の生田スタジオで行われることがよくあるが、日本テレビの社屋移転後は麹町のスタジオが使われることが多い。
  • 全国大会では出場チームの高校生は上から県名、学校名、名前が書かれた黄色地のネームプレートを着用している。ただし体力系クイズの時は地区予選でも使用しているゼッケンを着用する。

どんでん返し[編集]

  • 結果発表の際に、勝者(敗者)をあたかも敗者(勝者)のように発表し、高校生を喜怒哀楽の混乱に陥れる「どんでん返し」は名物となっている(地区大会でもあり)。過去に行われ、放送された大どんでん返しは下記の通り。
地区大会
  • 西鉄福岡駅から西鉄二日市駅までYES列車(西鉄600形を使用)とNO列車(西鉄5000形を使用)を運行し、同駅で2つの列車を並べて正解発表が行われた。福留はYES列車の乗務員室に乗り込んだが、「君たちにさようならを言うためです」と告げて下車した。YES列車はその場で「敗者専用列車」となり、西鉄福岡駅へ強制送還となった。ヘリコプターを使って上空から2つの列車を追いかけ撮影する大掛かりなクイズだった。なお、後述の通り実際はこの問題の正解はYESであったことが判明したため、後日九州大会そのものをやり直した(第1回・九州大会)。
  • ペーパークイズの結果によって瀬戸大橋を電車で渡るチームとバスで渡るチームに分かれる。そして福留が「私はバスで行きます」と発表するが、バスの中で「私がバスに乗ったのは、敗者復活戦をするため」と告げる(第8回・四国・岡山大会)。
  • 近鉄特急の貸し切り列車の車内でペーパークイズが行われ、伊勢市駅で各県下位3チームが下車させられた。続いて鳥羽駅でも各県3チームが下車させられたが、今度は下車した方が勝者だった(第8回・中部大会)。
  • 予讃線の列車でのペーパークイズの後、今治駅で下車させられるチームを発表。しかし列車の出発直前に福留も下車し、こちらが勝者であることが分かる(第9回・四国・岡山大会)。
  • ペーパークイズ終了後、JR山陽新幹線博多総合車両所に集合した高校生。その目の前に停車していた0系の側面に書かれた学校名プレートが、洗車機によって消されたチームは置き去りにされ、学校名が消えなかったチームは列車に乗り込もうとした。ところが列車の前で記念撮影しようとすると、高校生の後ろに突然「敗者御一行様」の横断幕が出てきた。実は学校名の消えたチームが勝者だった(第11回・九州大会)。九州大会はどんでん返しが多く、毎年恒例になっている(例:駅に降りなかったチームが勝ち、バスが高速道路のインターチェンジに降りたチーム全員が敗者、など)。
  • ペーパークイズの結果発表で、巨大な絵馬に学校名が表示してあったが、その絵馬の一番上に「ペーパークイズ敗者」と書いてあった(第13回・四国・岡山大会)。
  • 近畿大会の100問ペーパークイズの結果発表で福澤がバスに乗車できるチームを発表。全員が乗り込んだ時に「敗者の皆さんさようなら」と告げた。このバスは敗者専用だった(第14回・近畿大会)。
  • 「車内3択クイズ」の結果を駅で発表した。福澤がホームに降りられる各県2チームを発表。ホームには「歓迎 高校生クイズ様」とあった。しかしアナウンスで「この列車は決勝会場に向かいます」と告げる。結局、ホームに降りたチームが敗者となった(第18回・九州大会)。
  • 山陽電気鉄道の電車内で近似値クイズを行い、各府県1チームが下車させられるが、実は下車したチームが正解に最も近い答えを出していた。残りのチームが車内で引き続き三択クイズをしている間に、準決勝へシードされたチームとして後から行く列車で追い抜いた(第18回・近畿大会)。
  • クイズの結果により、大阪モノレール千里中央駅で下車させられるチームを発表。しかし、下車した高校生に対して駅の外にくす玉が用意されており、「君たちが勝者だ」という垂れ幕が出てきた(第19回・近畿大会)。
  • 「50問ペーパークイズとどんこ舟3択クイズ」の総合発表を岸辺で発表。神主から結果発表の札をラルフ鈴木がもらい「ここでどんこ舟を降りることのできるチームを発表します」と告げて各県2チームを発表。しかし、岸辺にあったパネルに「どんこ舟は決勝会場に直行」と書かれていた。結果、岸辺に降りなかったチームが決勝進出となった(第21回・九州大会)。
全国大会
  • 結果発表で学校名を呼ばれたチームが前の舞台に上がるように言われ、該当する全チームが発表されたところで徳光和夫が登場。舞台上の高校生に「敗者である君たちに会いに来た」と告げた(第1回・1983年)。
  • 結果発表の際、全チームに赤または青のミッキーマウスの帽子が渡され、「東京ディズニーランドに入れるのは赤!」と発表される。しかしディズニーランドの中には徳光が待っており、実は敗者であるということが示された(第2回・1984年)。
  • ペーパークイズをやった高校生に対し、一部の学校名だけを書いたプレートが結果発表として示された。名前のあった学校はホテルの大広間で、選挙速報のように学校名にだるまが飾られ、フランス料理を食べられる。しかし、名前のなかった学校は壁を隔てた隣の部屋におり、突然壁が開いてだるまが落ち、大広間にいたチームが敗者であることが示された。だるまは敗者が手も足も出ないという意味だった(第4回・1985年)。
  • 「宅Q便クイズ」(挑戦者の自宅でペーパークイズをやり、どんな手段で答えを調べてもよい)の勝者10チームは豪華なホテルに泊まり、敗者はその下に建てられたプレハブに泊まる。しかし、勝者が敗者に差し入れをするために持って来た箱にペーパークイズが入っており、改めてこのペーパークイズで勝者を決めることが発表される。結局、10チーム中8チームが入れ替わった。宅Q便クイズは、番組史上唯一、勝者決定に一切関係ないクイズだった(第5回・1985年)。
  • 伊豆大島行のフェリーの前で、ブーブーゲートによるペーパークイズの結果発表。ゲートに足を踏み入れた際にブザーが鳴らなければ乗船できるルールだった。しかし、福留が置き去りチームに投げた紙テープには「君たちが勝者」と書かれていた。実はフェリー自体が敗者専用のフェリーだった(第9回・1989年)。
  • 特Qファイヤー号の勝ち抜き戦の「おはようございます どっち!どっち?クイズ」は1チームずつ最下位チームが駅に置き去りとなるルールであった。最終結果発表では、羽島アナが「札の書かれている高校生。この駅で下車して下さい」と告げた。しかし、実は駅に降りたチームが勝者で、列車に残ったチームは敗者だった(第20回・2000年)。
  • 「激流!ラフティングクイズ」の結果を上野行きJRチケットの有無で発表。チケットを獲得した18チーム中13チームがバスに乗車した。しかし、見送りの際にラルフからバスに乗ったチームに対して「さようなら〜。さようなら、するのは、君たちだ!!」と告げられた。JRチケットを獲得してバスに乗車したチームが敗者で、残された5チームが勝者だった(第26回・2006年)。

決勝戦[編集]

  • 基本的に『ウルトラクイズ』以来伝統の10ポイント先取早押しクイズ(1問正解1ポイント、不正解は1ポイントマイナス)。本大会では3チームで行われる。
  • 出場者の地元の家族や学校、応援団などと中継を結んだり、家族や応援団を会場に招く場合がある。
  • 第3回では生放送で行われ、まず中継先から2問出題した後、7分間のタイムレースクイズを実施した。
  • 第6回では10ポイント先取であることに変わりはないが、2位と3位のポイント差が5ポイントになった時点で3位チームは失格・3位確定となった。
  • 第14回では最初に地元中継の応援団にYES-NOクイズを1問出題、応援団が正解したチームに1ポイントが加算された(正解はどこか1チームが5ポイントに達した時点で発表)。
  • 第17回では早押しクイズの前に香港の観光地を巡ってクイズを行い、そこで獲得したポイントを持って早押しクイズに挑んだ。
  • 第18回と第19回では例外的に2チームによるホーム&アウェー形式(各チームのメンバーが所属する高校内、またはその高校がある都道府県の名所でクイズを行う)で20ポイント先取(前半戦はどちらかのチームが10ポイントになった時点で終了)の早押しクイズだった。
  • 第21回では10ポイント獲得でアドバンテージとなり、その状態でもう1問連続正解しなければならなかった。
  • 第22回では最初の数問は英語で出題され、オーストラリアの高校生が答えられなかった場合のみ解答権が得られる形式であった。解答は日本語でよいが、英語の問題文だけで解答を考えなければならなかった。

歴代決勝戦会場[編集]

  • 日本テレビスタジオ - 第1回(1983年)、第3回(1984年・冬:生放送)、第20回(2000年)
  • 日比谷野外音楽堂 - 第2回(1984年・夏)
  • 東京ディズニーランド - 第4回(1985年・夏)、第5回(1985年・冬)
  • 富士山山頂 - 第6回(1986年)- 第11回(1991年)
  • 有明コロシアム - 第12回(1992年)
  • 豪華客船「ヴァンテアン号」 - 第13回(1993年)- 第16回(1996年)、第26回(2006年)、第27回(2007年)
    • 第10回大会の全国大会オープニングセレモニー会場にも使用された。
  • 香港 - 第17回(1997年)
  • ホーム&アウェークイズ - 第18回(1998年)、第19回(1999年)
  • お台場・東京都立潮風公園 - 第21回(2001年)
  • オーストラリアメルボルン - 第22回(2002年)
  • 汐留・日テレタワー - 第23回(2003年)- 第25回(2005年)

歴代優勝校と各回の概要[編集]

優勝校には優勝旗・賞金・副賞(世界研修旅行など)が授与され、後日学校に優勝レリーフ(富士山が描かれている)が授与される。レリーフは第7回以降授与されるようになった。

回数 放送日 優勝校 概要
第1回 1983年12月31日 県立山形南高校(山形) 参加人数77,781人(関東31,380人)。敗者復活・九州再予選実施。
(京王プラザホテルでの全国大会1回戦(第2次予選)まで放送ライブラリーで視聴可能)
第2回 1984年8月28日 県立第一女子高校(宮城) 夏の大会を初開催。女子チーム初制覇。
第3回 1984年12月31日 都立江戸川高校(東京) 100人以上が一斉に参加できる早押しクイズが初登場。決勝戦を生放送。
第4回 1985年8月28日 県立加納高校(岐阜) 地区大会の番組がローカル放送で始まる(一部はそれ以前から)。
第5回 1985年12月31日 県立仙台第二高校(宮城) 最後の冬の大会。
第6回 1986年8月27日 私立東大寺学園高校(奈良) 都道府県別代表制導入。初の富士山頂決戦。
第7回 1987年8月28日 県立山形東高校(山形) 参加人数は過去最多の133,086人(関東49,962人)。3人バラバラクイズ実施。本放送視聴率20%越え。
第8回 1988年8月26日 県立静岡高校(静岡) 各地区大会第1問を全国統一問題で実施。東軍が札幌から、西軍が福岡から寝台列車で上京。
第9回 1989年8月18日 県立宇都宮高校(栃木) 伊豆大島で敗者復活戦。
第10回 1990年8月31日 道立札幌西高校(北海道) 福留功男最後の司会。2度目の3人バラバラクイズ実施。
第11回 1991年8月23日 県立高志高校(福井) 2代目司会・福澤朗初登場。最後の富士山決勝。
第12回 1992年8月28日 県立水戸第一高校(茨城) 全国大会出場校による入場行進の実施。大観衆の前で決勝戦。
第13回 1993年8月27日 私立ラ・サール高校(鹿児島) 初のヴァンテアン号船上決勝。
第14回 1994年8月26日 県立石橋高校(栃木) 10年ぶり2度目の女子チーム優勝。
第15回 1995年8月25日 県立米子東高校(鳥取) 前年の準優勝者が悲願の全国制覇。
第16回 1996年8月30日 県立西条高校(愛媛) 現在のタイトルロゴマークが初登場。
第17回 1997年9月12日 県立弘前高校(青森) 運大王制度(翌年まで)。初の海外・香港へ(決勝のみ)。
第18回 1998年9月4日 国立筑波大学附属駒場高校(東京) 関東大会と全国大会の第1問が共通。ホーム&アウェー方式の決勝(翌年まで)。
第19回 1999年9月3日 道立札幌南高校(北海道) 石原慎太郎がゲストで登場。
第20回 2000年9月1日 県立川越高校(三重) 福澤朗最後の司会(途中から羽鳥慎一アナが司会代行)。貸切列車特Qファイヤー号で勝ち抜き戦。
(放送ライブラリーで視聴可能)
第21回 2001年9月7日 県立宇部高校(山口) 3代目司会・ラルフ鈴木初登場。福留・福澤がそれぞれ東軍・西軍のゲスト司会。
第22回 2002年8月30日 道立旭川東高校(北海道) 豪州初上陸。成田でジャンケン。初の男女混成チーム優勝。
第23回 2003年9月12日 私立栄光学園高校(神奈川) "メインパーソナリティ"に爆笑問題。地区大会が6地区に、各地区代表制復活、新予選方式(翌年まで)。
第24回 2004年9月3日 県立岐阜高校(岐阜) 高校生VS芸能人・著名人。地区大会に芸能人サポーターを起用。
第25回 2005年9月2日 県立浦和高校(埼玉) 地区大会が10地区に、都道府県別代表制復活。15年ぶりに3人バラバラクイズ実施。
第26回 2006年9月1日 県立浦和高校(埼玉) "メインパーソナリティ"にオリエンタルラジオ。地区大会が12地区に。島特別大会実施。史上初の2連覇&2大会制覇。10年ぶりヴァンテアン号決勝。韓国「奨学クイズ」(EBSテレビ)優勝校・春川高と世界決戦。
第27回 2007年9月7日 私立ラ・サール高校(鹿児島) 地区大会が13地区に。スーパーオリラジチャンス制度。2校目の2大会制覇。

※放送日は日本テレビでの放送日を示す。

複数回優勝校[編集]

  • 県立浦和高等学校(埼玉) 第25回(2005年)、第26回(2006年)優勝
    番組史上初の複数回優勝を果たした。当然、2大会連覇も初の快挙である。
    なお、第26回では決勝進出した3チームは浦和高校のほかに、私立ラ・サール高校(第13回優勝・鹿児島)、県立川越高校(第20回優勝・三重)といずれも過去に優勝を経験した高校であり、どの高校が優勝しても初の快挙であった。この第26回ではその後に世界決戦として、韓国「奨学クイズ」(EBSテレビ)の優勝校・韓国代表の春川高校と対決し、これにも勝利した。また第27回(2007年)も全国大会の決勝戦まで行ったものの、準優勝に終わり3連覇とはならなかった。
  • 私立ラ・サール高等学校(鹿児島) 第13回(1993年)、第27回(2007年)優勝
    第13回(1993年)では準々決勝で敗色濃厚からの奇跡の大逆転勝利、準決勝では敗者決定戦を行うなど、綱渡り的に勝ち進み優勝した。
    第16回(1996年)では各チェックポイントを上位で通過し、優勝候補の筆頭に挙げられていた。決勝でも西条高校(愛媛)に一時7ポイント差(ラ・サール6:西条-1)をつけるが、お手つきにより自滅。土壇場で9-10と逆転負けを喫した。
    第26回(2006年)では浦和高校(埼玉)に1ポイント差まで詰めたが(浦和8:ラ・サール7)、最終的には浦和高校に連覇を許してしまった。その時のリーダーが「来年はここで日本一になります!!」と同一チームでの全国大会決勝進出・優勝を誓った。
    第27回(2007年)では、前年と同一メンバーのチームで出場。南九州大会決勝ではライバルチームに先に王手を掛けられるがその後逆転し2年連続で全国大会に出場。全国大会でもほとんどのクイズを上位の成績で勝ち抜き史上初めて同一メンバーでの2年連続の決勝進出という快挙を成し遂げた。決勝戦では浦和高校(埼玉)との接戦を制して優勝。見事に2年越しの夢を果たした。
    余談だがラ・サール高校が決勝進出した4大会の決勝戦の舞台は全てヴァンテアン号であった。ヴァンテアン号ではこれまで6回決勝戦が行われたがラ・サール高校はそのうち4回進出している。

2度目の優勝まであと一歩だった高校[編集]

  • 私立東大寺学園高等学校(奈良) 第6回(1986年)優勝
    初めての1県1代表制の地区大会が行われた第6回の優勝校。
    翌年の第7回(1987年)でも決勝に進み、一時は2位の山形東高校(山形)に5ポイント差をつけ楽勝ムードだったが、終盤追いつかれ9-10と1ポイント差で優勝を逃す。
    また、その13年後の第20回(2000年)の決勝においても、最大で6ポイント差(東大寺9:川越3)のあった川越高校(三重)に7ポイントを連取され、まさかの逆転優勝を許した。
    第11回(1991年)・第22回(2002年)でも準決勝まで進出しているが、優勝には届いていない。
  • 県立米子東高等学校(鳥取) 第15回(1995年)優勝
    第14回(1994年)の決勝で2ポイント差で石橋高校(栃木)に敗れ、準優勝に終わった直後にリーダーが「来年また来ます、スーパー八木橋研二になって」とコメント。そして、翌年の第15回で本当に全国制覇を果たした(後述も参照)。もし第14回大会も制していれば2年連続優勝の快挙だった。
    また、第17回(1997年)決勝でも主導権を握る弘前高校(青森)の自滅により一時逆転に成功するが、最後の最後で逆転され準優勝に終わった(その時の代表は第15回で八木橋チームと中国大会決勝で争ったチームである)。
    第10回(1990年)でも決勝戦まで進出し、3位の成績を残した。
    余談として、第9回(1989年)- 第15回(1995年)にかけての7年連続全国大会出場は、高校生クイズ記録である。
    また、全国大会出場3回連続(第14・15・17回)で決勝進出も高校生クイズ記録である(第16回の鳥取代表は鳥取東高校)第27でラ・サール高校が3人同一メンバーで2大会連続全国大会決勝に進むまで、同一人物の2大会連続決勝進出は八木橋ただ1人であった。
  • 県立弘前高等学校(青森) 第17回(1997年)優勝
    第17回・2回戦の地雷クイズでは奇跡の26チーム切りでラスト抜けすると、準決勝でも危なく敗退するところだった。決勝ではあっという間に9ポイントを獲得(いわき光洋2:弘前9:米子東3)するが、お手つきを繰り返し一時米子東高校にリードを許す。しかし4度目のリーチで見事頂点を射止めた。
    第9回(1989年)では当時の決勝戦の舞台である富士山頂上まで進出するも、チームリーダーが体調不良にて途中下山し2人で決勝戦に挑むという緊急事態に。しかし宇都宮高校(栃木)と互角に優勝争いを演じ、惜しくも準優勝に終わった。
  • 国立筑波大学附属駒場高等学校(東京) 第18回(1998年)優勝
    第18回・本大会史上初の2校による決勝戦(HOME&AWAY)で高校生クイズ史上初の国立高校優勝校となった筑波大学附属駒場高校(通称:筑駒)。
    第22回(2002年)では東京2つの枠を独占し、2チームとも準々決勝進出(=オーストラリア上陸)を果たす。そんな中、中西チームが決勝進出を果たしたが、旭川東高校(北海道)の独走を止められず8-10で敗れ準優勝に終わる。
  • 道立旭川東高等学校(北海道) 第22回(2002年)優勝
    第22回で本大会史上初めて男女混成チームでの優勝を果たした。と同時に筑波大学附属駒場高等学校(東京)の2回目の優勝を阻止した。
    第11回(1991年)では北海道勢2連覇をかけて決勝戦まで進出(前年の第10回(1990年)で札幌西高校(北海道)が優勝)。高志高校(福井)と激しいシーソーゲームを展開するも、わずか1ポイント足らず準優勝に終わった(この時の北海道予選担当局である札幌テレビのサブアナウンサーは、同校OBの明石英一郎だった)。
  • 県立第一女子高等学校(宮城) 第2回(1984年夏)優勝
    第2回(1984年夏)では複雑なチーム結成(後述する岡田明子の項を参考)を経て東北大会を勝ち進み、3チーム接戦の決勝戦を制し、女子チームとして初めて全国制覇を果たした。
    その後第4回(1985年夏)でも同一チームで全国大会出場を果たす。順調に準決勝まで進出するが、準決勝「宇宙⇔夢の国オンライン電話クイズ」で敗者となり2度目の優勝を逃す(なお、この時のメンバーだった岡田明子はこの出場をきっかけに放送業界への就職を志願し、仙台放送のアナウンサーとしてデビューした)。
  • 県立仙台第二高等学校(宮城) 第5回(1985年冬)優勝
    第5回(1985年冬)この回仙台第二高校からは2チームが全国大会に出場。最後の冬の大会で見事に優勝を飾った。ちなみに肩にかけていた寄せ書きが書いてあったセーターはお泊り300問ペーパーを一緒に勝ち進み準々決勝で敗れた弘前高校のもの。
    第25回(2005年)・準決勝のひらめき通過クイズで2度通過席に立つも、この年優勝した浦和高校(埼玉)に1文字のヒントで抜けられ惜しくも決勝進出を逃した。ちなみに放送された分だけを見れば準決勝では仙台二高が最も多く早押しで正解している。
  • 県立川越高校(三重) 第20回(2000年)優勝
    第20回の決勝戦では3チームのうち東大寺学園(奈良)が先に9ポイント獲得し、V2まであと1ポイントとしたが、その時点で3ポイントだった川越高校が7連続ポイントで逆転勝利を収めた。
    第26回(2006年)では2回戦のラフティングクイズで一度は敗退したが敗者復活戦で生き残り、その勢いで決勝まで進んだ。浦和高校(埼玉)、ラ・サール高校(鹿児島)を相手に史上初の優勝経験校のみによる決勝を行い、川越高校自身2度目、また第22回(2002年)の旭川東高校(北海道)以来2度目の男女混成チーム優勝を目指したがポイントが伸びず、浦和高校の連覇を許した。
  • 県立山形東高校(山形) 第7回(1987年)優勝
    第7回で当時2連覇を狙っていた東大寺学園と対戦。東大寺に大幅なリードを許すも、東大寺の誤答をきっかけに逆転し流れをつかみ優勝。東大寺2連覇を阻止した。
    第27回(2007年)では危ない所もあったが順調に勝ち進み決勝戦に進出。しかしラ・サール高校(鹿児島)と浦和高校(埼玉)の争いについてゆけず、3位に終わった。

全国大会出場回数上位校[編集]

※第27回(2007年)時点

  1. 15回 私立東大寺学園高等学校(奈良)
  2. 12回 県立米子東高等学校(鳥取)
  3. 10回 私立智辯学園和歌山高等学校(和歌山)、私立ラ・サール高等学校(鹿児島)
  4. 9回 県立熊本高等学校(熊本)
  5. 8回 県立弘前高等学校(青森)

高校生クイズ名ゼリフ集[編集]

  • 「青春真っ直中。みんな燃えているかぁー!!」(福留功男
  • 「燃えて行け!FIRE!!」(福澤朗
  • 「POWER!!」「さぁ、冒険の、始まりだー!!」(ラルフ鈴木
  • 「来年また来ます、スーパー八木橋研二になって」(八木橋研二)
    • 第14回の豪華客船「ヴァンテアン号」での決勝戦で、石橋高校(栃木)が10年ぶり2度目の女子チーム優勝で幕を閉じ、米子東高校が敗れたあとにインタビューでメンバーの一人の八木橋研二が答えたセリフ。その後翌第15回で再び決勝に登りつめ、前年そのセリフを言い残した場所で見事優勝を飾った。同一人物で2度の決勝戦進出は、彼が初めてであり、第27回にもラ・サール高校(鹿児島)の3人が成し遂げている。

ハプニング・エピソード[編集]

  • 本大会の開催の経緯としては『ウルトラクイズ』に参加したい高校生の手紙が番組宛に殺到したことにより、福留が提案をしたのが始まりである。個人戦では面白くない、3人1チームであれば喜怒哀楽が出せるということで現在のシステムが確立したのは福留のアイデアであった(この話はラルフ鈴木司会就任時の事前番組で紹介された。この番組では当時のスタッフと密談をしたおでん屋が本大会の原点と紹介されている)。
  • 第1回(1983年)で九州大会の第1問(本大会史上最初に出た問題)に出題ミスが発生した(正解がYESなのにNOを勝者にしてしまった。放送では、別の問題が出されたことにした)。このため、敗者復活戦と称して九州大会そのものを後日やり直し、最初の予選と「敗者復活戦」の両方の勝者が全国大会に進出した。
  • 第1回の決勝戦は生放送という名目で放送されたが、実際は収録であった。
  • 第2・3回(1984年)で福留が一部の予選に行かなかったことについて、スタッフルームに「福留を出せ」という高校生の血判状が届いた。このことが翌年から総合司会が全予選を担当する理由の1つになった。
  • 第2回(1984年夏)で優勝した第一女子高校のチームの担任をしていた教師が、仙台第二高校に異動になったところ、担任するチームが第5回(1985年冬)で優勝した。
  • 第4回(1985年夏)の四国・岡山大会で代表になったチームが登録したメンバーと違うことが分かったため、全国大会への出場を取り消された。高校生クイズの本では代表チーム紹介で、代わりに全国大会に出たチームだけが写真の撮られ方が違う。なお、現在では少しでも多くのチームに参加してもらうため、予選当日までメンバーを決めないことも可能なので、このような事件が起きる可能性は小さい。
  • 同じく第4回で放送当日、岐阜日日新聞(現・岐阜新聞)がテレビ番組紹介欄で出場した加納高校について優勝すると書いた。
  • 第6回(1986年)の関東大会の第3問で正解発表の後に大量の敗者が勝者側に入り込んだ。当然、その問題はノーカウントになったが、激怒した福留は他の地区の予選会場で「今年は関東からは絶対に優勝者は出ません」と言っていた。さらにこの大会で参加資格のない新潟県のチームが紛れ込んで出場し、YES-NOクイズで勝ち残ってしまった(そのチームは北陸大会では第1問で敗れた)。
  • 第7回(1987年)の関東大会ではあまりの猛暑のため、熱中症の症状を訴える参加者が続出した。このため、4問出題しただけで大会を中止し後日、続きを明治公園で行った。
  • 第9回(1989年)全国大会の富士山頂での決勝で県立弘前高等学校青森県)のチームリーダーが体調不良により途中下山し、決勝は2人で戦った。
  • 第10回(1990年)の全国大会の放送当日、札幌テレビ放送が昼間の生ローカルワイド番組にて、その大会で全国優勝した札幌西高校のメンバーを優勝旗と共にスタジオに招きトークを展開したため、全国大会の放送前に優勝チームを全道に発表する形(フライング)となってしまった。高校生クイズ北海道初の全国優勝ということで、その活躍ぶりを道民にぜひとも見てほしかったためのフライングと思われる。
  • 第16回(1996年)の近畿大会は堺市の大泉緑地公園で行われる予定だったが、同市でO-157による食中毒が発生したため、開催3日前になって万博公園に変更された。
  • 第17回(1997年)で行われた「運大王」は地区大会の全敗者の中から抽選で全国大会に出られることになっていた。しかし抽選方法が電気スイッチを使うものであった4カ所の予選でいずれも、予備抽選で残った中で最も外見のいい女子チームが選ばれた。このため、結果を操作した疑惑が強く指摘されている。
  • 第20回(2000年)では関東大会の敗者復活戦として一問多答クイズ(新人アナウンサーが何問解答できるかというもの。正解数=敗者復活チーム数となる)が行われた。オリンピックの開催地を挙げるという問題だったが、小野寺麻衣アナウンサー(当時)がモスクワと言うところを盛岡と言ってしまった。この小野寺の発言に西武ドームに集まった25,000人の参加者だけでなく、福澤朗や来年総合司会で見守っていた鈴木崇司(ラルフ鈴木)アナウンサーまでもが呆れ返ってしまった。また、羽鳥慎一アナウンサーは本大会の小野寺の回答が衝撃的な出会いだったとコメントしている。なお、小野寺はその後、第22回(2002年)のニューヨーク大会で代行司会を務めた。
  • 第22回(2002年)では上位に残ったチームがオーストラリアからクイズ情報を仲間に送り続け、それがネットで公開されたため、以後の大会の参加を禁止された。
  • 第26回(2006年)は以下に挙げる通り、例年以上に大きなトラブルが連続して発生した。
    • 関東大会が行われた明治神宮野球場オリエンタルラジオ中田敦彦インストラクターの2人が乗ったパラシュートが強風にあおられて球場内に着陸できず、流されて皇室の敷地である赤坂御用地に誤って不時着した。2名にけがはなかった。この日は天候が不安定で、にも見舞われていた。また、宮内庁によると皇族の生活には特に影響はなかったという。番組関係者が皇宮警察警視庁警衛課から厳重注意を受けたのはもちろん、日本テレビも平謝りだった。当然このハプニング映像は放送されなかった。菊タブーに抵触するためだろう。
    • この年の記録的な豪雨は多くの大会で影響を受け、北陸大会は開催前日になって新潟県から河川敷を会場にしないよう要請があり、テレビ新潟本社の敷地で行った。また、南九州大会では番組史上初の雨天順延となった。
    • 近畿大会では兵庫県の準決勝開始直前になって体調が悪くなり救急車で運ばれる挑戦者がいた。既に敗者は解散した後であり、準決勝が3人そろわないと成立しないルールであったため、兵庫だけ1チーム少ない状態のままで準決勝を行った。
    • さらに、全国大会の後に優勝チームがアメリカと韓国のクイズ優勝者と世界大会を行うことになっていたが、直前にヒースロー空港での航空機爆破未遂が発覚したため、アメリカ代表のリチャード・モントゴメリー高校が来日を中止し、日韓のみの対戦となった。
    • 本放送の2週間ほど前(全国大会収録直後)に、韓国の中央日報の日本版ホームページで決勝戦と日韓戦の結果が報道されてしまう事態があった。
  • 第27回(2007年)の北九州大会は台風通過のため大分県のチームの交通手段が確保できないと判断し、大分県を除外して開催した。同県には代替措置として後日、島特別大会と同様のインターネット及びFAXを用いたペーパークイズで代表チームを決定した。
  • 地区大会などの進行は日本テレビと本大会制作幹事放送局のスタッフで行われる。しかし、それでもクイズに使われる早押し機やテーブル、ステージなどの機材の重さは4トン以上になる。ラルフ鈴木などの東京からのスタッフの移動のために新幹線1両や旅客機の3分の1、バスを3台チャーター、ホテルも1フロアー貸し切りが当たり前になっている。地区大会前日にリハーサルを、当日に本番をするので日焼けをするスタッフが多く、他の社員から「高校生クイズの制作スタッフは海で遊んでいるんじゃないの」と勘違いされているとのこと。ひどい時には、近くの喫茶店に行っても入店拒否をされることもあった。地区大会・全国大会に参加しているスタッフの総数は1,000人で支えられている。

関連書籍[編集]

  • 全国高等学校クイズ選手権 1 - 16(日本テレビ) ※各回の放送内容と全問題を収録。ただし、第12回以降では予選部分がかなり省略されている。
  • 全国高等学校クイズ選手権 燃えているかーッ!(日本テレビ 1990年) ※第9回までの問題をジャンル別に抜粋したものと、主要スタッフのインタビューなどを掲載。
  • 全国高等学校クイズ選手権-史上最強の指南書(全国高等学校クイズ選手権審査委員会・編著/日本テレビ 2000年) ※第17回 - 第19回で出題された問題の一部を収録。

ゲームソフト[編集]

スタッフ[編集]

  • この番組のスタッフはチーフプロデューサーを筆頭に『24時間テレビ』を担当している傾向がある。

(例)吉田真CPは2002年の24時間テレビを担当し、2002年と2004年の高校生クイズを担当、高橋正弘CPは2004年の24時間テレビを担当し、2005年と2006年の高校生クイズを担当した。

全国大会では現場アルバイトとして前年以前の全国大会出場者が働くことが多い。

第26回(2006年)[編集]

  • 構成:松井尚/山口克久伊藤忠西本満博田中利明西宮晋矢野了平藤本裕、外山信行、吉橋広宣
  • 問題作成:吉本選江、日高大介、郡司昌代、古川弘子、野田修平、桝舘康隆、泉真裕美、岡由美子、佐藤信也、小松田規文、三瓶由里子、山田雄也
  • 美術:小野寺一幸、星野充紀、栗原純二、大倉聡明、海老沼浩二、斉木祐一、中里昭博、溝口博志、磯野公章、富田仁、伊藤伸朗、斎藤賢、岩崎正樹、日テレアート
  • 技術:新名大作、高岡彰吾、中野功士、森川哲男、村松明、渡辺滋雄、川合亮、日テレ映像センターコスモ・スペース
  • 照明:内藤晋
  • 音効:江藤純、生駒篤則
  • 編集:高橋亮
  • MA:竹岡良樹、オムニバス・ジャパン
  • 協力:札幌テレビ、テレビ岩手、ミヤギテレビ、テレビ新潟、中京テレビ、読売テレビ、広島テレビ、西日本放送、福岡放送、熊本県民テレビ、沖縄テレビ、読売旅行、アフロ、日刊スポーツ、共同通信社
  • 制作協力:スタッフラビ、カメヨ、ハテナス、officeNY、安寿、ファランクス
  • 広報:村上淳一、西端薫
  • WEB:安蒜泰樹
  • デスク:北村佳子、吉田美幸、岩田みつる
  • AD:長野幸平、川村元昭、川畑良太、柳沢英俊
  • AP:本多里子
  • リサーチ:小林清人、小堀裕也
  • ディレクター:赤間佳彦、浜村俊郎、長嶺望、山崎敏光
  • 演出:西川宏一、高野信行、原島雅之
  • プロデューサー:黒岩直樹/富田秀樹、遠藤英幸、山本愛、岩崎都
  • 総合演出:財津功
  • チーフプロデューサー:高橋正弘

過去のスタッフ[編集]

  • 高橋洋二放送作家/第22回・2002年 -)
  • YAS5000(同上)
  • 今村良樹(放送作家=元ずうとるびメンバー/ - 第25回・2005年)
  • 中村元気(プロデューサー/第16回・1996年 - 第17回・1997年)
  • 増田一穂(プロデューサー/第16回・1996年、チーフプロデューサー/第18回・1998年 - 第20回・2000年)
  • 原園明彦(プロデューサー/第18回・1998年 - 第20回・2000年)
  • 篠崎安雄(総合プロデューサー/第6回・1986年 - 第15回・1995年)
  • 吉岡正敏(チーフプロデューサー/第16回・1996年 - 第17回・1997年)
  • 大澤雅彦(チーフプロデューサー/第21回・2001年)
  • 吉川圭三(チーフプロデューサー/第23回・2003年)
  • 吉田真(チーフプロデューサー/第22回・2002年、第24回・2004年)

また、初期の問題を泉麻人が作っていたことを福留が明かしている。

過去の協力企業[編集]

外部リンク[編集]

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