コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

日野春駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日野春駅
駅舎(2021年6月)
ひのはる
Hinoharu
CO 48 穴山 (5.4 km)
(6.2 km) 長坂 CO 50
地図
所在地 山梨県北杜市長坂町富岡50
北緯35度47分24.2秒 東経138度23分40.9秒 / 北緯35.790056度 東経138.394694度 / 35.790056; 138.394694座標: 北緯35度47分24.2秒 東経138度23分40.9秒 / 北緯35.790056度 東経138.394694度 / 35.790056; 138.394694
駅番号 CO49[1]
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 中央本線
キロ程 160.1 km(東京起点)
電報略号 ヒハ
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線[2]
乗車人員
-統計年度-
449人/日(降車客含まず)
-2023年-
開業年月日 1904年明治37年)12月21日[3]
備考 直営駅
テンプレートを表示

日野春駅(ひのはるえき)は、山梨県北杜市長坂町富岡にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)中央本線である[2]駅番号CO 49[1]標高は615 m。駅名は開業当時の村名である、山梨県北巨摩郡日野春村に由来する[2]

歴史

[編集]

当駅は、中央本線が韮崎駅から富士見駅まで開通した1904年明治37年)12月21日に開業した。当時は韮崎駅と富士見駅との間にはこの駅と小淵沢駅しか設けられていなかった。

七里岩の急勾配の途中にある駅で、かつては蒸気機関車の給水をする駅として重要な役割を有していた。その後、1964年(昭和39年)8月23日に甲府駅から上諏訪駅までが電化され、この駅の給水駅としての役割は終わった。

年表

[編集]
  • 1904年明治37年)12月21日鉄道院中央本線韮崎 - 富士見間開通時に開設。旅客貨物取扱開始[3]。構内に水溜及び水槽を設け手押しポンプで揚水を行い機関車に給水する[4]
  • 1906年(明治39年)8月2日:縦型プランジャーポンプ11/W 23を据え付け徹夜勤務の給水機関方2名を配置。[5]
  • 列車後部停止位置付近(駅長官舎前)に給水柱を増設し、補機への給水の便を図る。[5]
  • 1923年大正12年)3月:電動渦巻ポンプ11/W 23及び電動渦巻ポンプ用誘導電動機16/p60を据付け。給水ポンプ動力軽油発電機を電気動力に変更。[5]
  • 大正14年の自動連結器切替に伴い補機連結位置が前頭機関車次位となったため、給水柱移設を行い、本務機・補機の同時給水を実施。その後も機関車の大型化に合わせ、給水柱位置変更を行っている。[5]
  • 1936年昭和11年)10月30日:日軽動弁式給水柱99/X 133を建植。[5]
  • 1938年(昭和13年)8月15日:石油機関11/W 23を据え付け。[5]
  • 1940年(昭和15年)7月22日:大型機関車使用・石炭効率低下による業務量増加に伴い、諸機手2名の定員に対して過員1名を配置し、駐在員3名による日勤・徹夜・非番の3交代勤務を開始。定期下り旅客10本・貨物10本(うち補機付5本)に対する給水・石炭かき寄せ・火床整理灰の片付けに従事する。[6]
  • 1949年(昭和24年)6月1日日本国有鉄道に移管[7]
  • 1972年(昭和47年)2月1日:貨物および荷物取扱廃止[3]
  • 1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる[3][8]
  • 2014年平成26年)4月1日:東京近郊区間に編入される[9]
  • 2017年(平成29年)4月1日:ICカードSuica」の利用が可能となる[10]

駅構造

[編集]

島式ホーム1面2線、単式ホーム1面1線、計2面3線を有する地上駅。ホームは嵩上げされていない。うち駅舎から離れた方の1面は駅舎側にのみ線路がある単式ホーム、駅舎側1面は両側に線路がある島式ホームである[2]。のりばは駅舎側から1、2、3番線で、1番線に小淵沢方面列車が発着し3番線に甲府方面列車が発着する。2番線は上下問わず、特急等他列車通過を待つ列車等の使用になっているが、中央本線の甲府駅 - 小淵沢駅間に待避線設備がある駅は当駅と竜王駅しか無いため、2番線に発着する列車は比較的多い。

駅南側に駅舎を備える。当駅の駅舎は旧国鉄標準駅舎1号型で、長坂寄りに増築が行われているが比較的原型を保っており、入口右側の柱にある財産管理標には1904の文字が刻印されている。川岸駅の駅舎も当駅と同様の形態を有しているが、開業は当駅のほうが古く、中央東線に現存する駅舎では最古のものといえる。

2つのホームの穴山方端と駅舎を一本の跨線橋が結び、駅舎は当駅の構内全体から見ると穴山方端に近い場所に位置している。当駅は甲府方面から中央本線列車が七里岩と呼ばれる台地を登って行く途中にあるので、蒸気機関車時代にはこの駅で機関車に水を補給したが、この名残で当駅の3番線長坂方、北側の脇にはそのための設備、給水塔が残されている。この給水塔は当駅の開業時に出来たもので下部がレンガ、上部がコンクリートで出来ている。タンク直径は約2m、容量は約2万6千Lであるが、甲府駅 - 上諏訪駅電化が完成した2年後の1966年昭和41年)にはその役目を終えることとなった。

日野春駅での給水は、水田に大量の水が必要となる田植え時期には機関車用水の確保が度々困難となったため、長坂駅構内に官舎飲用水の余りを揚水する水槽を設置し、下り列車停止位置付近に設けた給水柱により、日野春給水所渇水の場合等に使用し得る予備給水所としての役割を果たしていた。[11]

当駅構内は広く、駅舎長坂方脇に側線が敷かれている他、給水塔付近等には線路を撤去した跡も見える。かつては駅舎から離れた方のホームの駅舎から離れた側にも線路があったがこれも撤去された。駅舎は開業当初からのものを手直ししながら使用している。木造一階建ての建築で内部には待合所と駅事務室がある。待合所内部には簡易Suica改札機と自動券売機が1台設置されている。

小淵沢駅管理の直営駅。近隣には北杜市オオムラサキセンター大陽日酸㈱山梨事業所等がある。

のりば

[編集]
番線 事業者による呼称 路線 方向 行先
1 下り本線 CO 中央本線 下り 小淵沢上諏訪松本長野方面
2 中線 CO 中央本線 上り・下り 優等列車待避に使用
3 上り本線 CO 中央本線 上り 甲府高尾新宿方面

(出典:JR東日本:駅構内図

利用状況

[編集]

JR東日本によると、2023年度(令和5年度)の1日平均乗車人員449人である[利用客数 1]

2000年度(平成12年度)以降の推移は以下の通り。

乗車人員推移
年度 1日平均
乗車人員
出典
2000年(平成12年) 506 [利用客数 2]
2001年(平成13年) 527 [利用客数 3]
2002年(平成14年) 583 [利用客数 4]
2003年(平成15年) 572 [利用客数 5]
2004年(平成16年) 575 [利用客数 6]
2005年(平成17年) 566 [利用客数 7]
2006年(平成18年) 537 [利用客数 8]
2007年(平成19年) 540 [利用客数 9]
2008年(平成20年) 607 [利用客数 10]
2009年(平成21年) 586 [利用客数 11]
2010年(平成22年) 561 [利用客数 12]
2011年(平成23年) 550 [利用客数 13]
2012年(平成24年) 549 [利用客数 14]
2013年(平成25年) 569 [利用客数 15]
2014年(平成26年) 565 [利用客数 16]
2015年(平成27年) 600 [利用客数 17]
2016年(平成28年) 609 [利用客数 18]
2017年(平成29年) 590 [利用客数 19]
2018年(平成30年) 591 [利用客数 20]
2019年(令和元年) 597 [利用客数 21]
2020年(令和02年) 447 [利用客数 22]
2021年(令和03年) 448 [利用客数 23]
2022年(令和04年) 435 [利用客数 24]
2023年(令和05年) 449 [利用客数 1]

駅周辺

[編集]

駅前の通りに沿って人家が散在する。駅を出て通りを越すとそこからすぐに急な斜面となり、その底に釜無川が流れている。駅を出て右側を見ると小さな公園が整備されており、そこから釜無川を眺めることができる。

このあたりは日本の国蝶、オオムラサキの生息地である。6月から7月にかけてこのあたりではオオムラサキの飛ぶ様子が見られる他、駅の北東300メートルほどのところには北杜市オオムラサキセンターを中心に、オオムラサキを観察するための施設などが整備されたオオムラサキ自然公園があり、駅前からオオムラサキ自然観察歩道(遊歩百選に選定)がのびている。駅のスタンプもオオムラサキである。

駅の北西にのびる曲がりくねった道を行き釜無川橋で釜無川を渡ると2キロメートルほどで北杜市武川町(旧武川村)の中心部に出る。この地域には日本三大桜の一つ、実相寺神代桜がある。またこの駅から甲斐駒ヶ岳への登山口に向かうことも出来る。

駅を出て左側、駅前広場の南東の隅には木立に囲まれて大きな石碑があるが、これは1914年大正3年)12月、当駅の構内はずれにあった信玄公旗掛松という古い松が枯れてしまった事についての事件を記念したものである。この事件については後述する。

バス路線

[編集]

「日野春駅」停留所にて、北杜市民バスの路線が発着する。

  • 南循環線
  • 大坊・白須・大武川線:山口スクールバス停行
  • 橫手・日野春線:西村入口行、むかわの湯行 ※むかわの湯行は休日運転

信玄公旗掛松事件

[編集]

日野春駅が出来る前から、この地には信玄公旗掛松(しんげんこう はたかけまつ)と言う古いの木があった。「甲斐の一本松」とも呼ばれ、実際は17世紀半ば頃からのものであったが武田信玄が旗を掛けて休息した松であると言う伝承もあり、名松として大切に扱われていた。1896年明治29年)に中央本線のルートが決められここ日野春を線路が通ることが内定するが、この線路は松を掠めるようにして通ることとなっていた。このあたり一帯の地主で松所有者でもあった清水倫茂と言う者が鉄道院に松を避けて線路を通すよう要請したが、これも断られ、結局1904年(明治37年)に線路は開通、当駅が開設した。

前述の通り、日野春駅は蒸気機関車の給水駅として重要な役割を持っており、機関車が長時間この駅に停車した。そしてそのことも手伝って機関車の煤煙により松は弱って行き、1914年大正3年)12月に枯れてしまった。

清水倫茂は鉄道院に損害を賠償するよう申入れたが拒否され、1917年(大正6年)遂に清水は鉄道院を提訴した。最終的に1919年(大正8年)3月3日大審院が清水の訴えを認める判決民録25輯356頁を参照)を出し、鉄道院が清水の求めた1500円では無いものの72円60銭を清水に支払うことで事件は解決を見た。国の力が強い当時にあってこれは画期的な判決であった。

当駅の駅前広場にある石碑はこの事件を記念したもので、清水がその死去の3年前、1933年昭和8年)に建立した。この石碑は松のあった場所に建立されたが、1969年(昭和44年)に中央本線穴山駅 - 当駅間複線化に伴い、現在の駅前広場に移された。

隣の駅

[編集]
東日本旅客鉄道(JR東日本)
CO 中央本線
穴山駅 (CO 48) - 日野春駅 (CO 49) - 長坂駅 (CO 50)

脚注

[編集]

記事本文

[編集]
  1. ^ a b 中央本線 初狩~小淵沢駅間へ「駅ナンバリング」を拡大しました』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道八王子支社、2020年3月23日。オリジナルの2020年3月23日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20200323070544/https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20200323/20200323_info001.pdf2020年3月23日閲覧 
  2. ^ a b c d 『週刊 JR全駅・全車両基地』 36号 松本駅・穂高駅・姨捨駅ほか70駅、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2013年4月21日、19頁。 
  3. ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、183頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  4. ^ 沿革誌 設立100周年記念 P62(給水に関する事項)
  5. ^ a b c d e f 沿革誌 設立100周年記念 P62
  6. ^ 沿革誌 設立100周年記念 P63
  7. ^ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号、25頁
  8. ^ 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR 5号、27頁
  9. ^ Suicaの一部サービスをご利用いただける駅が増えます』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道、2013年11月29日。オリジナルの2019年2月14日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20200214164402/https://www.jreast.co.jp/press/2013/20131114.pdf2020年3月24日閲覧 
  10. ^ Suicaをご利用いただける駅が増えます』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道、2016年12月2日。オリジナルの2019年3月27日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20190327183848/https://www.jreast.co.jp/press/2016/20161203.pdf2020年3月24日閲覧 
  11. ^ 沿革誌 設立100周年記念 P62~63

利用状況

[編集]
  1. ^ a b 各駅の乗車人員(2023年度)”. 東日本旅客鉄道. 2024年7月20日閲覧。
  2. ^ 各駅の乗車人員(2000年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  3. ^ 各駅の乗車人員(2001年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  4. ^ 各駅の乗車人員(2002年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  5. ^ 各駅の乗車人員(2003年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  6. ^ 各駅の乗車人員(2004年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  7. ^ 各駅の乗車人員(2005年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  8. ^ 各駅の乗車人員(2006年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  9. ^ 各駅の乗車人員(2007年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  10. ^ 各駅の乗車人員(2008年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  11. ^ 各駅の乗車人員(2009年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  12. ^ 各駅の乗車人員(2010年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  13. ^ 各駅の乗車人員(2011年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  14. ^ 各駅の乗車人員(2012年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  15. ^ 各駅の乗車人員(2013年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  16. ^ 各駅の乗車人員(2014年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  17. ^ 各駅の乗車人員(2015年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  18. ^ 各駅の乗車人員(2016年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  19. ^ 各駅の乗車人員(2017年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年4月18日閲覧。
  20. ^ 各駅の乗車人員(2018年度)”. 東日本旅客鉄道. 2019年7月10日閲覧。
  21. ^ 各駅の乗車人員(2019年度)”. 東日本旅客鉄道. 2020年7月10日閲覧。
  22. ^ 各駅の乗車人員(2020年度)”. 東日本旅客鉄道. 2021年7月20日閲覧。
  23. ^ 各駅の乗車人員(2021年度)”. 東日本旅客鉄道. 2022年8月3日閲覧。
  24. ^ 各駅の乗車人員(2022年度)”. 東日本旅客鉄道. 2023年7月9日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 長坂町郷土資料館『長坂駅の本』、長坂町郷土資料館、1998年
  • 長坂町郷土資料館『旗かけ松の本』、長坂町郷土資料館、2001年
  • 曽根悟(監修)(著)、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)(編)「中央本線」『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』第5号、朝日新聞出版、2009年8月9日。 
  • 甲府運転区(編)「沿革誌 設立100周年記念」(東日本旅客鉄道 甲府運転区 2003年6月)

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]