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浜田 省司(はまだ せいじ、1963年〈昭和38年〉1月23日 - )は、日本の政治家、総務官僚。高知県知事(第20代・21代)。
本来の表記は「浜」が異体字の濵田 省司で、高知県の公式ホームページではこちらの表記が採用されている。
来歴[編集]
[編集]高知県中村市(現・四万十市)出身。小学4年生のときに高知市に転居。土佐中学校、土佐高等学校卒業。1985年(昭和60年)3月、東京大学法学部卒業。同年4月、自治省に入省。同年7月、京都府庁(地方課・財政課)に配属される。
1991年(平成3年)3月、外務省在サンフランシスコ日本国総領事館に副領事・領事として勤務。1994年(平成7年)5月、福岡県庁に消防防災課長・財政課長として勤務。
2003年(平成15年)4月、島根県総務部長に就任。2014年(平成26年)7月、総務省大臣官房参事官(秘書課担当)に就任。2015年(平成27年)7月、内閣府大臣官房審議官(経済社会システム担当)に就任。
2017年(平成29年)7月11日、大阪府副知事に就任。
2019年(令和元年)7月、大阪府副知事を退任し、総務省大臣官房総括審議官(マイナンバー情報連携、政策企画)に就任。同年8月21日、尾﨑正直知事が任期満了に伴う知事選挙への不出馬を表明。第49回衆議院議員総選挙で高知2区から立候補を目指す意向を示し、後継候補に浜田を指名した。これを受けて8月27日、知事選へ立候補する意向を表明した。同月、総務省を退職。
同年11月24日に行われた高知県知事選挙に無所属(自由民主党・公明党推薦)で立候補し、日本共産党県委員の松本顕治を破り初当選した。12月7日、公選第20代高知県知事に就任。
2023年3月1日、再選を目指して高知県知事選挙に立候補する意向を表明した。
同年11月26日に行われた高知県知事選挙に無所属(自由民主党・公明党推薦)で立候補し、再選した。
県政[編集]
[編集]- 2020年(令和2年)4月30日、新型コロナウイルス対策の財源に充てるため、自身の5月分の給与(109万8千円)を全額カットすると発表した。
脚注[編集]
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高知県歴代知事[編集]
[編集]代 | 氏名 | 任期 | 出身 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
高知県令 | |||||
初 | 林有造 | 1871年12月26日 - 1872年12月26日 | 高知県 | 参事 | |
2 | 岩崎長武 | 1872年12月26日 - 1876年8月25日
(明治5年11月26日 - 明治9年8月25日) |
高知県 | 権令 | |
3 | 小池国武 | 1876年(明治9年)8月26日 - 1879年(明治12年)6月7日 | 長野県 | 権令、1878年(明治11年)7月25日から県令 | |
4 | 北垣国道 | 1879年(明治12年)6月7日 - 1881年(明治14年)1月19日 | 兵庫県 | ||
5 | 田辺輝実 | 1881年(明治14年)1月19日 - 1882年(明治15年)11月6日 | 丹波国 | 県会の立志社と保守派の対立により退任 | |
6 | 伊集院兼善 | 1882年(明治15年)11月6日 - 1883年(明治16年)3月5日 | 鹿児島県 | 前任の穏健策で混乱した県政を自由党弾圧で改革 | |
高知県知事 | |||||
7 | 田辺良顕 | 1883年(明治16年)3月7日 - 1888年(明治21年)2月29日 | 福井県 | 1886年(明治19年)7月19日県令から知事に呼称変更 | |
8 | 時任為基 | 1888年(明治21年)2月29日 - 1889年(明治22年)6月8日 | 鹿児島県 | ||
9 | 調所広丈 | 1889年(明治22年)6月8日 - 1892年(明治25年)7月20日 | 鹿児島県 | ||
10 | 丸岡莞爾 | 1892年(明治25年)7月20日 - 1892年(明治25年)11月29日 | 高知県 | ||
11 | 石田英吉 | 1892年(明治25年)11月29日 - 1897年(明治30年)4月7日 | 高知県 | ||
12 | 末弘直方 | 1897年(明治30年)4月7日 - 1898年(明治31年)7月28日 | 鹿児島県 | ||
13 | 谷河尚忠 | 1898年(明治31年)7月28日 - 1900年(明治33年)1月19日 | 岩手県 | ||
14 | 渡辺融 | 1900年(明治33年)1月19日 - 1903年(明治36年)6月29日 | 熊本県 | ||
15 | 宗像政 | 1903年(明治36年)6月29日 - 1907年(明治40年)1月11日 | 熊本県 | ||
16 | 鈴木定直 | 1907年(明治40年)1月11日 - 1908年(明治41年)3月28日 | 宮崎県 | ||
17 | 石原健三 | 1908年(明治41年)3月28日 - 1910年(明治43年)6月14日 | 岡山県 | ||
18 | 杉山四五郎 | 1910年(明治43年)6月14日 - 1913年(大正2年)6月1日 | 新潟県 | ||
19 | 永井金次郎 | 1913年(大正2年)6月29日 - 1914年(大正3年)6月9日 | 新潟県 | 政友会の第1次山本内閣により任命 | |
20 | 土岐嘉平 | 1914年(大正3年)6月9日 - 1916年(大正5年)10月13日 | 和歌山県 | ||
21 | 柿沼竹雄 | 1916年(大正5年)10月13日 - 1919年(大正8年)4月18日 | 栃木県 | ||
22 | 阿部亀彦 | 1919年(大正8年)4月18日 - 1922年(大正11年)10月16日 | 大分県 | 原内閣により就任 | |
23 | 小幡豊治 | 1922年(大正11年)10月16日 - 1923年(大正12年)9月29日 | 千葉県 | ||
24 | 藤岡兵一 | 1923年(大正12年)9月29日 - 1926年(大正15年)9月28日 | 石川県 | 第2次山本内閣により任命 | |
25 | 佐藤復三 | 1926年(大正15年)9月28日 - 1927年(昭和2年)5月17日 | 広島県 | ||
26 | 加勢清雄 | 1927年(昭和2年)5月17日 - 1928年(昭和3年)5月25日 | 山形県 | 政友会派の知事 | |
27 | 大島破竹郎 | 1928年(昭和3年)5月25日 - 1929年(昭和4年)7月5日 | 福島県 | 田中義一内閣により就任 | |
28 | 田中無事生 | 1929年(昭和4年)7月5日 - 1931年(昭和6年)6月27日 | 三重県 | 濱口内閣により就任 | |
29 | 坪井勧吉 | 1931年(昭和6年)6月27日 - 1931年(昭和6年)12月18日 | 愛知県 | ||
30 | 赤松小寅 | 1931年(昭和6年)12月18日 - 1932年(昭和7年)3月4日 | 東京府 | 犬養内閣により就任 | |
31 | 坂間棟治 | 1932年(昭和7年)3月4日 - 1935年(昭和10年)1月15日 | 神奈川県 | ||
32 | 泊武治 | 1935年(昭和10年)1月15日 - 1936年(昭和11年)10月16日 | 石川県 | ||
33 | 小林光政 | 1936年(昭和11年)10月16日 - 1939年(昭和14年)4月17日 | 栃木県 | ||
34 | 中野善敦 | 1939年(昭和14年)4月17日 - 1939年(昭和14年)12月22日 | 東京府 | ||
35 | 小山知一 | 1939年(昭和14年)12月22日 - 1941年(昭和16年)1月7日 | 福島県 | ||
36 | 服部直彰 | 1941年(昭和16年)1月7日 - 1942年(昭和17年)7月7日 | 熊本県 | ||
37 | 沖野悟 | 1942年(昭和17年)7月7日 - 1943年(昭和18年)7月1日 | 広島県 | ||
38 | 高橋三郎 | 1943年(昭和18年)7月1日 - 1945年(昭和20年)4月21日 | 宮城県 | ||
39 | 栗原美能留 | 1945年(昭和20年)4月21日 - 1945年(昭和20年)10月27日 | 長野県 | ||
40 | 永野芳辰 | 1945年(昭和20年)10月27日 - 1946年(昭和21年)1月25日 | 鹿児島県 | ||
41 | 吉富滋 | 1946年(昭和21年)1月25日 - 1946年(昭和21年)10月18日 | 山口県 | 在任中急死。桝本輝義(内務部長)が臨時代理を務める。 | |
42 | 西村直己 | 1946年(昭和21年)10月23日 - 1947年(昭和22年)4月21日 | 静岡県 |
公選知事[編集][編集]
[編集]代 | 公選代 | 氏名 | 任期 | 出身 | 支援政党 | 期・備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
43 | 初 | 川村和嘉治 | 1947年(昭和22年)4月21日 - 1947年(昭和22年)11月11日 | 高知県 本山町 | 中立 | 1期、公職追放で退任 |
44 | 2 | 桃井直美 | 1948年(昭和23年)1月10日 - 1951年(昭和26年)11月12日 | 高知県 南国市 | 無所属 | 1期、自由、民主推薦 |
45 | 3 | 川村和嘉治 | 1951年(昭和26年)12月16日 - 1955年(昭和30年)12月11日 | 高知県 本山町 | 無所属 | 2期、民主、社会推薦 |
46 | 4 | 溝渕増巳 | 1955年(昭和30年)12月12日 - 1959年(昭和34年)12月11日 | 高知県 | 無所属 | 1期、自民・社会推薦 |
47 | 5 | 1959年(昭和34年)12月12日 - 1963年(昭和38年)12月11日 | 2期 | |||
48 | 6 | 1963年(昭和38年)12月12日 - 1967年(昭和42年)12月11日 | 3期、社会党は推薦せず | |||
49 | 7 | 1967年(昭和42年)12月12日 - 1971年(昭和46年)12月11日 | 4期 | |||
50 | 8 | 1971年(昭和46年)12月12日 - 1975年(昭和50年)12月6日 | 自由民主党 | 5期 | ||
51 | 9 | 中内力 | 1975年(昭和50年)12月7日 - 1979年(昭和54年)12月6日 | 高知県 越知町 | 自由民主党 | 1期 |
52 | 10 | 1979年(昭和54年)12月7日 - 1983年(昭和58年)12月6日 | 2期 | |||
53 | 11 | 1983年(昭和58年)12月7日 - 1987年(昭和62年)12月6日 | 3期 | |||
54 | 12 | 1987年(昭和62年)12月7日 - 1991年(平成3年)12月6日 | 4期 | |||
55 | 13 | 橋本大二郎 | 1991年(平成3年)12月7日 - 1995年(平成7年)12月6日 | 東京都 | 無所属 | 1期 |
56 | 14 | 1995年(平成7年)12月7日 - 1999年(平成11年)12月6日 | 2期 | |||
57 | 15 | 1999年(平成11年)12月7日 - 2003年(平成15年)12月6日 | 3期 | |||
58 | 16 | 2003年(平成15年)12月7日 - 2004年(平成16年)10月12日
2004年(平成16年)12月1日 - 2007年(平成19年)12月6日 |
4期、任期中辞職、出直し選挙で再選 | |||
59 | 17 | 尾﨑正直 | 2007年(平成19年)12月7日 - 2011年(平成23年)12月6日 | 高知県 高知市 | 無所属 | 1期、共産党以外の各党支持 |
60 | 18 | 2011年(平成23年)12月7日 - 2015年(平成27年)12月6日 | 2期、無投票再選 | |||
61 | 19 | 2015年(平成27年)12月7日 - 2019年(令和元年)12月6日 | 3期、無投票再選 | |||
62 | 20 | 浜田省司(現職者) | 2019年(令和元年)12月7日 - 2023年(令和5年)12月6日 | 高知県 四万十市 | 無所属
現職者 |
1期 |
63 | 21 | 2023年(令和5年)12月7日 - | 2期 現職者 |
外部リンク[編集]
[編集]- 浜田せいじ official site
- 浜田せいじ事務所 (浜田せいじ事務所-120874322637920) - Facebook
- 浜田せいじ (@HamadaSeiji0123) - X(旧Twitter)
- ようこそ知事室へ。高知県知事の濵田省司です! - 高知県総務部秘書課
公職 | ||
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先代 | 高知県知事
公選第20代:2019年 - |
次代
現職 |
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