長崎県立島原高等学校
表示
(島原高校から転送)
長崎県立島原高等学校 | |
---|---|
北緯32度47分36.8秒 東経130度21分55.8秒 / 北緯32.793556度 東経130.365500度座標: 北緯32度47分36.8秒 東経130度21分55.8秒 / 北緯32.793556度 東経130.365500度 | |
過去の名称 |
【旧制中学】 長崎県立島原中学校 長崎県立島原高等学校 【女学校】 女子手芸学校 私立島原実科高等女学校 南高来郡立島原実科高等女学校 長崎県島原高等女学校 長崎県立島原高等女学校 長崎県立島原女子高等学校 【商業学校】(後に分離・独立) 長崎県立島原商業学校 長崎県立島原工業学校 長崎県立島原商業学校 長崎県立島原商業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 長崎県 |
学区 |
(全日制普通科) 島原学区 【理数科】全県学区 全日制は全国募集あり(12名以内) 【定時制】全県学区 |
併合学校 |
長崎県立島原高等学校 長崎県立島原女子高等学校 長崎県立島原商業高等学校(後に分離・独立) |
校訓 | 文武両道 |
設立年月日 | 1900年4月 |
創立記念日 | 11月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 |
全日制課程 定時制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
全日制課程 -普通科 -理数科 定時制課程 -普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D142210000079 |
高校コード | 42120A |
所在地 | 〒855-0036 |
長崎県島原市城内二丁目1130番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
長崎県立島原高等学校は、島原半島東部、長崎県島原市城内二丁目にある公立高等学校。地元では「島高」(しまたか、しまこう)と呼ばれる。
概要
[編集]- 歴史
- 1900年(明治33年)に開校した「長崎県立島原中学校」(旧制中学校)を前身とする。この当時、県立中学校(旧制中学校)は長崎市に1校(長崎県立長崎中学校)のみで、大村の玖島学館(現長崎県立大村高等学校)と平戸の猶興館(現長崎県立猶興館高等学校)は旧藩主の出資によるもの(私立)であった。島原地方の要望をうけた当時の南高来郡長、松原英義が中学設立に奔走し、実現に至った。校地には旧島原藩主の松平忠和より邸宅敷地が与えられた。2010年(平成22年)に創立110周年を迎えた。
- 校是
- 「文武両道」
- スローガン
- 「輝け!★21世紀の旗手・青き楓たち」
- 教育方針
- 和衷協同のもと、伝統ある校風の継承・発展に努め、誇り高く向上心盛んな活気溢れる学校をつくる。
- 師弟同行のもと、文武両道の修練に励み、心身ともに健康で豊かな教養を備えた人間を育てる。
- 校章
- 1949年(昭和24年)に公募され、在校生の作品が校章となった。可能性を秘めた若さを表すために緑色の楓の葉を背景に「高」の文字を置いている。
- 校歌
- 1949年(昭和24年)に制定。作詞は詩人の宮崎康平[1]、作曲は大沢寿人(関西交響楽団の指揮者)による。3番まであり、各番とも「島原高校 あゝ我等が母校」で終わる。
- 校舎
- 1931年(昭和6年)に完成。ゴシック様式。
- 課程・学科および特色
- 全日制課程 2学科
- 定時制課程(夜間部)1学科
- 島原半島にある高等学校の中で唯一の定時制。本来4年で修了となるが、長崎県立鳴滝高等学校の通信制を利用し同時に学習すると、3年での卒業が可能(定通併修制度)。
- 学級数・生徒数
- 全日制課程 (2011年(平成23年)4月現在)
- 1学年 - 6学級(普通科5+理数科1)239名
- 2学年 - 7学級(普通科6+理数科1)265名
- 3学年 - 7学級(普通科6+理数科1)272名
- 合計 - 20学級 776名
- 定時制課程 (2011年(平成23年)4月現在)
- 1学年~4学年まで各1学級、計4学級。生徒総数は59名。
沿革
[編集]- 長崎県立島原中学校(旧制中学校)
- 1900年(明治33年)4月 - 「長崎県立島原中学校」として開校。校長1名(年俸900円)、教員5名(月20~60円)、監査役1名、小使[3]2名でのスタート。入学試験は4月中旬に実施。
- 1923年(大正12年) - 創立20周年に際し、同窓生の寄付により、図書館として「八角堂」が完成。[4]
- 1931年(昭和6年)
- 8月 - ゴシック様式の新校舎(現校舎)が完成。
- 11月 - 体操場(武道場)が完成。[5]
- この当時、正門前には農園があり、授業の一環として園芸実習が行われていた。現在は自転車置き場、弓道場となっている。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、併設中学校(新制)を設置し、旧制中学校の2・3年生を収容。生徒募集を停止し、4・5年生はそのまま旧制中学校に在籍。
- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、「長崎県立島原高等学校」(新制高等学校、男子校)が発足。
- 併設中学校卒業生が高校1年生、旧制中学校5年生が高校2年生、旧制中学校卒業生(希望者)が高校3年生となる。
- 長崎県立島原高等女学校
- 1901年(明治34年)5月 - 「女子手芸学校」が開校。
- 1912年(明治45年)4月 - 「私立島原実科高等女学校」と改称。
- 1914年(大正3年)4月 - 南高来郡に移管し、「南高来郡立島原実科高等女学校」と改称。
- 1919年(大正8年)4月 - 修業年限を4年とし、定員200名となる。
- 1920年(大正9年)4月 - 長崎県に移管し、「長崎県島原高等女学校」と改称。
- 1922年(大正11年)4月 - 「長崎県立島原高等女学校」と改称。
- 1936年(昭和11年)- 島原城堀端の場所[8]に改築移転。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、併設中学校(新制)を設置し、高等女学校の2・3年生を収容。生徒募集を停止し、4年生はそのまま高等女学校に在籍。
- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、「長崎県立島原女子高等学校」と改称。併設中学校卒業生が高校1年生、高等女学校卒業生(希望者)が高校2年生となる。
- 長崎県立島原商業学校
- 1941年(昭和16年)4月 - 「長崎県立島原商業学校」が開校。第1回の入学者は20名。校舎は島原高等女学校の旧校舎を利用。
- 1944年(昭和19年)4月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、「長崎県立島原工業学校[9][10]」に転換。
- 1946年(昭和21年)4月 - 「長崎県立島原商業学校」と改称(復帰)。
- 1947年(昭和22年)4月 - 学制改革により、併設中学校(新制)を設置し、商業学校の2・3年生を収容。生徒募集を停止し、4年生はそのまま商業学校に在籍。
- 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により、「長崎県立島原商業高等学校」と改称。併設中学校卒業生が高校1年生、商業学校卒業生(希望者)が高校2年生となる。
- 新制 長崎県立島原高等学校(共学)
- 1948年(昭和23年)11月 - 長崎県立島原高等学校、島原女子高等学校、島原商業高等学校が統合され、男女共学の「長崎県立島原高等学校」となる。併設中学校も統合。
- 1949年(昭和24年)
- 1955年(昭和30年)4月 - 有家、西有家、堂崎分校が分離独立し、長崎県立島原南高等学校となる。
- 1956年(昭和31年)
- 4月 - 商業科、家庭科が分離独立し、長崎県立島原商業高等学校となる。
- 11月 - 多比良分校が国見分校に改称。
- 1964年(昭和39年)4月 - 国見、神代分校が統合し、全日制の分校となる。
- 1967年(昭和42年)4月 - 全日制分校が分離独立し、長崎県立国見高等学校となる。
- 1974年(昭和49年)3月 - 八角堂を解体。
- 1987年(昭和62年)7月 - 体操場(武道館)を解体。
- 1991年(平成3年)
- 2001年(平成13年) - 100周年記念館(同窓会館)「秋岳館」が完成。
- 2003年(平成15年)4月 - 理数科を設置。
- 2010年(平成22年)-創立110周年を機に体育祭と文化祭を合わせて「青楓(せいふう)[15]祭」とする。マスコットキャラクター(ふうちゃん)が完成。
- 2011年(平成23年)-創立110周年記念石碑を「秋岳館」前に設置。
- 2022年(令和4年)4月1日 - 普通科(5学級)、理数科(1学級)を普通科(4学級)、文理探究科(2学級)に改編(予定)[16]。
学校行事
[編集]- 全日制課程
- 進路
- 同窓生講師による「島高青楓塾」
- 早朝読書
- 出張講座進路講演会コース説明会
- 高大連携講座
- 東大金曜講座
- 雲仙合宿(1年)
- 南風楼合宿(3年)
- 難関校対策チーフ連絡会部活動支援学習会
- 地域連携ボランティア活動
- 雲仙百年の森記念植樹
- 芸術鑑賞会
- 小高連携ボランティア活動(1・2年)
- 森岳城清掃活動
- 異世代交流ふれあい体験(1・2年)
- 部活動生による地域清掃ボランティア
- 福祉ボランティア(1年)
- 運動・文化
- 青楓祭(体育祭・文化祭)(9月)
- まゆやまロード健脚大会 マラソン大会 (毎年交代)
- 芸術鑑賞会定期演奏会(管弦楽・合唱)
- 定時制課程
- 1学期 - 新入生歓迎バスハイク、全国定通大会県予選
- 2学期 - 中地区体育大会、薪能ボランティア参加、ケーキ作り
- 3学期 - 餅つき大会(兼・新規成人祝賀式)、予餞会、キャンドル卒業式
部活動
[編集]- 全日制課程
-
- 運動部
- 文化部
- 定時制課程
関連組織
[編集]- PTA活動
PTA総会、学年PTA、学級懇談会、部活動保護者会、三者面談、PTA研修(大学・高校等訪問)
- 同窓会
「島高同窓会」と称する。長崎市(長崎普賢[17]会)、福岡県(福岡普賢会)、関西、関東、有明町に支部を置く。
著名な出身者
[編集]- あ
- 岩本正和 - 東京工業大学名誉教授、元北海道大学触媒化学研究センター長、元触媒学会会長、紫綬褒章
- 植木雅俊 - 仏教思想研究家、第62回毎日出版文化賞(2008年)、第11回パピルス賞(2013年)
- 太田一也 - 火山学者、九州大学名誉教授
- か
- さ
- た
- な
- は
- ま
- 松尾造酒蔵 - 牧師、横須賀学院理事長
- 松本正夫 - 郵政・総務官僚
- 水田かかし - 漫談師
- 宮崎輝 - 旭化成工業社長
- 宮﨑香蓮 - 女優
- 宮崎康平 - 古代史研究家、島原鉄道常務取締役
- 村田重治 - 海軍大佐
- や
- わ
アクセス
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 島原鉄道島原鉄道線:島原駅徒歩約10分
- 最寄りのバス停
- 島鉄バス 「島原駅前」バス停下車後徒歩約10分、「文化会館前」バス停徒歩約3分(通学時間帯のみ)
- 最寄りの国道
- 国道251号島原街道
周辺
[編集]脚注
[編集]- ^ 校章同様、校歌の歌詞も公募され、佳作で選ばれた作品をもとに詩人の宮崎康平が作詞。
- ^ Science Partnership Projectの略。科学技術振興機構 (JST) による科学学習支援企画 詳しくはSPPのホームページへ。
- ^ 読みは「こづかい」。意味は「用務員の旧称」。
- ^ 1955年(昭和30年)以後は弦楽部・新聞部の部室として親しまれた。
- ^ 当時としては珍しい鉄筋コンクリート平屋建て。
- ^ 授業料1か月50銭(せん)で、カリキュラムは読書・算術・作文・修身・経済・育児・看護・唱歌・体操・裁縫・繍箔(ぬいはく、刺繍と摺箔の技法を併用して文様を表す)
- ^ 授業料1ヶ月40銭で、カリキュラムは裁縫・繍箔その他技芸から構成される。
- ^ 現 島原商業高等学校の校舎となっている。
- ^ 現・長崎県立島原工業高等学校とは無関係。
- ^ この時、長崎県内では、佐世保商業学校、長崎県立諫早商業学校・佐世保市立商業学校の3校も工業学校に転換された。
- ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、102頁。ISBN 978-4-10-320523-4。
- ^ 「みなみめ」南部のこと。
- ^ 「きため」北部のこと。
- ^ 現在は有馬商業高等学校と統合し、島原翔南高等学校となっている。
- ^ 緑の楓という意味。校章にあるように、可能性を秘めた若さの象徴として「緑」を使用している。
- ^ 長崎県教育だより ながさき(保護者向け情報誌)「げんき広場」No.78 令和3年7月発行「文理探求科(仮称) 大学進学重点学科の設置 「深い学び」による高い進路目標の実現!」
- ^ 島原半島を代表する雲仙普賢岳に由来。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 長崎県立島原高等学校
- 長崎県立島原高等学校同窓会 - ウェイバックマシン(2000年5月10日アーカイブ分)(旧)
- 長崎県立島原高等学校同窓会(新)