出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
島津 久治(しまづ ひさはる)は、江戸時代前期の薩摩藩士。大隅郡垂水[1]領主。垂水島津家7代当主。
正保2年(1645年)11月2日、垂水領主島津忠紀の子として生まれる。幼名は万千代丸。正保4年(1647年)8月、父忠紀が死去した際には3歳の幼児だったが、藩主島津光久の甥であることから家督を許された。
承応2年(1653年)、藩主光久の命で、垂水島津家4代久信次男久章の遺児の忠清を養弟として分家を立てさせた。
元禄年間に新田開発のため、領内嫁女川(よめじょがわ)疎水の大規模な工事を開始。また、先祖島津忠将が戦死した福山の馬立坂中に建てられた供養塔を修繕した。
元禄5年(1692年)7月27日死去。享年48。
- 『垂水市史』第1巻 垂水市史編集委員会、1973年
|
---|
宗家 |
忠久????-1227 | 忠時1227-1265 | 久経1265-1284 | 忠宗1284-1318 | 貞久1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂
|
---|
総州家 |
師久1363-1376 | 伊久1376-1404 | 守久1404-???? | 久世????-1417 | 久林1417-1430 | 断絶
|
---|
奥州家 |
氏久1363-1387 | 元久1387-1411 | 久豊1411-1425 | 忠国1425-1470 | 立久1470-1474 | 忠昌1474-1508 | 忠治1508-1515 | 忠隆1515-1519 | 勝久1519-1526 | 貴久1526-1566 | 義久1566-1587 | 義弘1587-1602 | 家久1602-1638 | 光久1638-1687 | 綱貴1687-1704 | 吉貴1704-1721 | 継豊1721-1746 | 宗信1746-1749 | 重年1749-1755 | 重豪1755-1787 | 斉宣1787-1809 | 斉興1809-1851 | 斉彬1851-1858 | 忠義1858-1897 | 忠重1897-1968 | 忠秀1968-1996 | 修久1996-現在
|
---|
|
越前家 | |
---|
播磨家 | |
---|
伊作家 |
久長1281-1317 | 宗久1317-1354 | 親忠1354-1371 | 久義1371-1422 | 勝久1422-1433 | 教久1433-1442 | 犬安丸1442-1458 | 久逸1458-???? | 善久????-1494 | 忠良1494-1526 | 相州家相続
|
---|
薩州家 |
用久????-1459 | 国久1459-1498 | 成久1498-???? | 忠興????-1525 | 実久1525-1553 | 義虎1553-1585 | 忠辰1585-1595 | 断絶
|
---|
相州家→ 垂水家 | |
---|
豊州家 | |
---|
玉里家 |
久光1871-1887 | 忠済1888-1915 | 忠承1915-1990 | 忠広1990-現在
|
---|
加治木家 | |
---|
佐土原家 |
忠興1610-1637 | 久雄1637-1663 | 忠高1663-1676 | 久寿1676-1690 | 惟久1690-1723 | 忠雅1723-1753 | 久柄1753-1785 | 忠持1785-1816 | 忠徹1816-1839 | 忠寛1839-1896 | 忠亮1896-1909 | 忠麿1909-1926 | 久範1926-1944 | 忠韶1944-1973 | 忠範1973-現在
|
---|
重富家 | |
---|
和泉家→ 今和泉家 | |
---|
宮之城家 | |
---|
永吉家 | |
---|
日置家 | |
---|
北郷氏→ 都城家 | |
---|
佐多氏→ 知覧家 | |
---|