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島津 友久(しまづ ともひさ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。薩摩国島津氏の分家・相州家初代当主。
島津宗家9代当主・島津忠国の庶長子であったため本家を継ぐことができず、田布施を与えられて相模守を称した。これに対し、新名一仁は忠国と弟の島津持久との内紛に関する論文の中で、友久の母方の伯父(もしくは叔父)伊作教久は持久方、宗家10代当主となった異母弟の立久の外祖父新納忠臣は忠国方であった事実を指摘し、忠国陣営が自派の求心力を保つために対立する伊作氏の血を引く友久ではなく、支持者である新納氏の血を引く立久が後継に選んだとする[1]。「相州家」の名は友久の受領名に由来している。
宗家11代当主・忠昌に対し反乱を起こすが、忠昌の討伐軍に敗れた後は宗家に従った。
明応2年(1493年)死去、享年62。
- ^ 新名一仁「嘉吉・文安の島津氏内訌-南九州政治史上の意義-」『史学研究』235号(2001年)/改題所収:「嘉吉・文安の島津氏内訌」新名 編『室町期島津氏領国の政治構造』(戎光祥出版、2015年)
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宗家 |
忠久????-1227 | 忠時1227-1265 | 久経1265-1284 | 忠宗1284-1318 | 貞久1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂
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総州家 |
師久1363-1376 | 伊久1376-1404 | 守久1404-???? | 久世????-1417 | 久林1417-1430 | 断絶
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奥州家 |
氏久1363-1387 | 元久1387-1411 | 久豊1411-1425 | 忠国1425-1470 | 立久1470-1474 | 忠昌1474-1508 | 忠治1508-1515 | 忠隆1515-1519 | 勝久1519-1526 | 貴久1526-1566 | 義久1566-1587 | 義弘1587-1602 | 家久1602-1638 | 光久1638-1687 | 綱貴1687-1704 | 吉貴1704-1721 | 継豊1721-1746 | 宗信1746-1749 | 重年1749-1755 | 重豪1755-1787 | 斉宣1787-1809 | 斉興1809-1851 | 斉彬1851-1858 | 忠義1858-1897 | 忠重1897-1968 | 忠秀1968-1996 | 修久1996-現在
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越前家 | |
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播磨家 | |
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伊作家 |
久長1281-1317 | 宗久1317-1354 | 親忠1354-1371 | 久義1371-1422 | 勝久1422-1433 | 教久1433-1442 | 犬安丸1442-1458 | 久逸1458-???? | 善久????-1494 | 忠良1494-1526 | 相州家相続
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薩州家 |
用久????-1459 | 国久1459-1498 | 成久1498-???? | 忠興????-1525 | 実久1525-1553 | 義虎1553-1585 | 忠辰1585-1595 | 断絶
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相州家→ 垂水家 | |
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豊州家 | |
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玉里家 |
久光1871-1887 | 忠済1888-1915 | 忠承1915-1990 | 忠広1990-現在
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加治木家 | |
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佐土原家 |
忠興1610-1637 | 久雄1637-1663 | 忠高1663-1676 | 久寿1676-1690 | 惟久1690-1723 | 忠雅1723-1753 | 久柄1753-1785 | 忠持1785-1816 | 忠徹1816-1839 | 忠寛1839-1896 | 忠亮1896-1909 | 忠麿1909-1926 | 久範1926-1944 | 忠韶1944-1973 | 忠範1973-現在
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重富家 | |
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和泉家→ 今和泉家 | |
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宮之城家 | |
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永吉家 | |
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日置家 | |
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北郷氏→ 都城家 | |
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佐多氏→ 知覧家 | |
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