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島津久甫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
島津久甫
時代 江戸時代
生誕 正徳4年11月27日1715年1月2日
死没 寛延2年2月24日1749年4月11日
改名 長袈裟(幼名)→久甫
別名 又次郎、民部左衛門(通称)
神号 豊明真英雄命
墓所 鹿児島県日置市日吉町日置日置島津家菩提寺(吉富山大乗寺跡)
主君 島津吉貴継豊宗信
薩摩国薩摩藩
氏族 島津氏
父母 父:島津久林、母:島津久兵の娘[1]
兄弟 久甫、久田
正室:種子島久達の娘
於恵能 (島津貴澄室)、久暢
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島津 久甫(しまづ ひさすけ)は、薩摩国薩摩藩家老日置島津家第9代。

家系

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日置島津家は、島津宗家15代当主島津貴久の三男島津歳久に始まり、2代島津常久以降に薩摩国日置(現・鹿児島県日置市日吉町日置)を領した。藩内の家格は一門に次ぐ大身分で、元服時に藩主が烏帽子親になる特権を持つ。家紋は日置十文字。明治33年(1900年)に島津久明が男爵に叙され華族となった。

略歴

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正徳4年11月27日(新暦1715年1月2日)、薩摩藩日置島津家嫡男久林の長男として生まれる。

享保7年(1722年)11月15日、鹿児島城に登城して元服。藩主継豊が烏帽子親となり、理髪役は国老島津久貫が務め、島津又次郎久甫と名乗った。[2]

元文5年(1740年)10月15日、大磯館で藩主吉貴に拝謁し、世子継豊付の若年寄役と薩摩国市来地頭職を命じられる。

寛保3年(1743年)閏4月23日、父久林の隠居により家督を相続。同日、家老職を命じられる。職田1000石を与えられて、島津左衛門久甫と名乗った。[2]

延享4年(1747年)11月14日、勝手方家老を命じられる。同年12月26日、嫡男久定(久暢)と先々代藩主吉貴の娘徳姫が婚約した。延享5年(1748年)1月21日、薩摩国出水地頭職。

寛延元年(1748年)種子島家の家督を相続した義弟の久芳が若年のため、家政を代行する。[3]

寛延2年(1749年)2月24日、死去。享年36。家督は嫡男久定(久暢)が相続した。

出典

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  1. ^ 島津金吾歳久の自害
  2. ^ a b 島津家系譜
  3. ^ 種子嶋家譜

参考文献

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