島津久甫
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 正徳4年11月27日(1715年1月2日) |
死没 | 寛延2年2月24日(1749年4月11日) |
改名 | 長袈裟(幼名)→久甫 |
別名 | 又次郎、民部左衛門(通称) |
神号 | 豊明真英雄命 |
墓所 | 鹿児島県日置市日吉町日置日置島津家菩提寺(吉富山大乗寺跡) |
主君 | 島津吉貴→継豊→宗信 |
藩 | 薩摩国薩摩藩 |
氏族 | 島津氏 |
父母 | 父:島津久林、母:島津久兵の娘[1] |
兄弟 | 久甫、久田 |
妻 | 正室:種子島久達の娘 |
子 | 於恵能 (島津貴澄室)、久暢 |
島津 久甫(しまづ ひさすけ)は、薩摩国薩摩藩家老日置島津家第9代。
家系
[編集]日置島津家は、島津宗家15代当主島津貴久の三男島津歳久に始まり、2代島津常久以降に薩摩国日置(現・鹿児島県日置市日吉町日置)を領した。藩内の家格は一門に次ぐ大身分で、元服時に藩主が烏帽子親になる特権を持つ。家紋は日置十文字。明治33年(1900年)に島津久明が男爵に叙され華族となった。
略歴
[編集]正徳4年11月27日(新暦1715年1月2日)、薩摩藩日置島津家嫡男久林の長男として生まれる。
享保7年(1722年)11月15日、鹿児島城に登城して元服。藩主継豊が烏帽子親となり、理髪役は国老島津久貫が務め、島津又次郎久甫と名乗った。[2]
元文5年(1740年)10月15日、大磯館で藩主吉貴に拝謁し、世子継豊付の若年寄役と薩摩国市来地頭職を命じられる。
寛保3年(1743年)閏4月23日、父久林の隠居により家督を相続。同日、家老職を命じられる。職田1000石を与えられて、島津左衛門久甫と名乗った。[2]
延享4年(1747年)11月14日、勝手方家老を命じられる。同年12月26日、嫡男久定(久暢)と先々代藩主吉貴の娘徳姫が婚約した。延享5年(1748年)1月21日、薩摩国出水地頭職。
寛延元年(1748年)種子島家の家督を相続した義弟の久芳が若年のため、家政を代行する。[3]
寛延2年(1749年)2月24日、死去。享年36。家督は嫡男久定(久暢)が相続した。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 東京大学史料編纂所「種子嶋家譜」
- 島津久明 島津家系譜
- 島津金吾歳久の自害