河内永和駅
河内永和駅 | |
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駅舎(2020年1月) | |
かわち えいわ Kawachi-Eiwa | |
◄A06 布施 (0.8 km) (0.8 km) 河内小阪 A08► | |
左はJR河内永和駅 | |
所在地 | 大阪府東大阪市高井田元町一丁目1-5 |
駅番号 | A07 |
所属事業者 | 近畿日本鉄道(近鉄) |
所属路線 | A 奈良線 |
キロ程 |
0.8km(布施起点) 大阪難波から6.9 km |
電報略号 | エイワ |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
12,540人/日 -2022年- |
開業年月日 | 1938年(昭和13年)2月1日 ** |
乗換 | JR河内永和駅(おおさか東線)[注 1] |
河内永和駅(かわちえいわえき)は、大阪府東大阪市高井田元町一丁目にある近畿日本鉄道(近鉄)奈良線の駅。駅番号はA07。
歴史
[編集]1934年10月、布施町にひとのみち教団(現・パーフェクト リバティー教団)が仮本殿を落成し、その最寄り駅として1936年8月1日に開業した人ノ道駅を前身とする。1937年4月5日二代目教主の御木徳近は不敬罪で検挙され[2]教団は解散を命じられる[3]。4月22日には駅は廃駅(出典ママ)となる[4]。なお1940年発行の大阪電気軌道株式会社三十年史には駅の存在が一言もふれられていなかった[5]。
年表
[編集]- 1936年(昭和11年)8月1日:人ノ道駅(ひとのみちえき)として開業[6][7][8]。「ひとのみち教団」の仮本殿があったためで、開業当時は臨時駅だった。
- 1937年(昭和12年)4月22日:営業休止[6][9]。
- 1938年(昭和13年)2月1日:大軌永和駅と改称して営業再開、常設駅となる[10]。
- 1941年(昭和16年)3月15日:参宮急行電鉄との合併により関西急行鉄道の駅となる[11]。同時に河内永和駅へ改称[6]。
- 1944年(昭和19年)6月1日:会社合併により近畿日本鉄道の駅となる[11]。
- 1977年(昭和52年)6月26日:高架化完成。
- 2007年(平成19年)4月1日:ICカード「PiTaPa」の利用が可能となる[12]。
- 2008年(平成20年)3月15日:JRおおさか東線のJR河内永和駅が開業し、乗換駅となる[注 1]。
駅構造
[編集]相対式2面2線のホームを持つ高架駅。改札口は2階、ホームは3階にある。改札口は1か所のみ。
布施駅管理の有人駅で、PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機(回数券カードおよびICカードのチャージに対応)が設置されている。
のりば
[編集]のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | A 奈良線 | 下り | 近鉄奈良方面[13] |
2 | 上り | 大阪難波・尼崎方面[13] |
利用状況
[編集]2022年11月8日における1日乗降人員は12,540人である[14]。
近年における1日乗降・乗車人員は以下の通り。
年度 | 特定日 | 1日平均 乗車人員[15] |
出典 | ||
---|---|---|---|---|---|
調査日 | 乗降人員 | 乗車人員 | |||
1990年(平成 | 2年)11月 | 6日13,374 | 6,504 | 6,213 | [16] |
1991年(平成 | 3年)- | 6,081 | |||
1992年(平成 | 4年)11月10日 | 13,141 | 6,411 | 5,773 | [17] |
1993年(平成 | 5年)- | 5,999 | |||
1994年(平成 | 6年)- | 5,934 | |||
1995年(平成 | 7年)12月 | 5日12,407 | 5,919 | 5,785 | [18] |
1996年(平成 | 8年)- | 5,599 | |||
1997年(平成 | 9年)- | 5,466 | |||
1998年(平成10年) | 11月10日 | 11,994 | 5,701 | 5,330 | [19] |
1999年(平成11年) | - | 5,022 | |||
2000年(平成12年) | 11月 | 7日10,667 | 5,264 | 4,909 | [20] |
2001年(平成13年) | - | 4,840 | |||
2002年(平成14年) | - | 4,856 | |||
2003年(平成15年) | 11月11日 | 9,918 | 4,780 | 4,630 | [21] |
2004年(平成16年) | - | 4,568 | |||
2005年(平成17年) | 11月 | 8日9,473 | 4,623 | 4,431 | [22] |
2006年(平成18年) | - | 4,379 | |||
2007年(平成19年) | - | 4,332 | |||
2008年(平成20年) | 11月18日 | 9,723 | 4,752 | 4,846 | [23] |
2009年(平成21年) | - | 5,040 | |||
2010年(平成22年) | 11月 | 9日10,468 | 5,048 | 5,215 | [24] |
2011年(平成23年) | - | 5,236 | |||
2012年(平成24年) | 11月13日 | 10,667 | 5,264 | 5,285 | [25] |
2013年(平成25年) | - | 5,379 | |||
2014年(平成26年) | - | 5,342 | |||
2015年(平成27年) | 11月10日 | 11,260 | 5,578 | 5,418 | [26] |
2016年(平成28年) | - | 5,509 | |||
2017年(平成29年) | - | 5,509 | |||
2018年(平成30年) | 11月13日 | 10,987 | 5,387 | 5,668 | [27][28] |
2019年(令和元年) | - | 6,592 | [29] | ||
2020年(令和 | 2年)- | 5,543 | [30] | ||
2021年(令和 | 3年)11月 | 9日12,299 | - | - | [31] |
2022年(令和 | 4年)11月 | 8日12,540 | - | - | [32] |
2023年(令和 | 5年)11月 | 7日12,805 | - | - | [33] |
駅周辺
[編集]旧布施市の官庁街として栄えたこともあり、駅周辺には公共施設が多い。
駅名は駅南側に広がる永和(えいわ)という地名に由来するが、かつては渋川郡永和村(ながにごむら)と呼ばれた[34]。この周囲には荒川村に属する枝郷の三ノ瀬、長堂、横沼が点在していたが、江戸時代より荒川村からの独立を目指して長年争っていた。明治に入り、堺県令の税所篤は各集落の荒川村からの分離要求を受け入れ、三ノ瀬、長堂、横沼をまとめて一村とし、争いを収めて末永く平和であるようにと「永和」と名付け、読み方を「ながにご」とした。後に、長堂は東足代村に、三ノ瀬は荒川村に合併したため、永和村は旧横沼だけになった[35]。1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により永和村などが合併して布施村が発足した際、横沼の北にある大字永和の読みは「えいわ」になった。
永和には1928年(昭和3年)にひとのみち教団が本部を置き、1934年(昭和9年)には教団の本殿が落成し、周囲には教団関連施設が立ち並んだが、1937年に解散命令が出された。同年12月、布施市は手狭になった旧布施町役場のかわりに、教団の小学校校舎だった建物を新市役所とし[34]、以後この周囲に公共施設が集中することになる。
公共施設
[編集]- 東大阪法務合同庁舎
- 東大阪簡易裁判所
- 東大阪税務署
- 東大阪年金事務所
- 東大阪商工会議所
- 東大阪市立永和図書館
- 布施郵便局
- 小阪病院・小阪病院看護専門学校
商業施設
[編集]- ポッポアベニュー(布施駅までの高架下)
- 永和駅前商店街
- 鴨高商店街
- 関西スーパー 永和店
- サンディ永和店
- ローソンストア100 河内永和駅前店
- セブンイレブン近鉄河内永和駅前店
- 関西みらい銀行 東大阪永和支店
- 京都銀行 東大阪支店
- 南都銀行 永和支店
- 大阪信用金庫 永和支店
その他
[編集]バス路線
[編集]大阪バスによって、駅北側のJRおおさか東線高架下付近に「東大阪永和駅」停留所が2021年7月1日より新設された[36]。乗車降車共用となっている[37]。
- 高速バス
- 「東京特急ニュースター号」東京駅・北区王子駅行(東京バスとの共同運行)
京都特急ニュースター号は2023年8月1日のダイヤ改正により当停留所への乗り入れは休止された[38]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “旅客連絡運輸規則” (PDF). 西日本旅客鉄道. pp. 14-16 (2021年). 2021年11月2日閲覧。
- ^ 遂に半田(愛知県)で検束現教祖、大阪へ護送本部から多数証拠品を押収愈よ数日中に禁令」大阪朝日新聞1937年4月6日
- ^ ひとのみち教団遂に潰滅治警法第八条を適用し結社禁止を正式発令全国各支部教会所の取消も文部大臣から同時に通牒」大阪朝日新聞1937年4月29日
- ^ 神殿に封印、教団マークも取り除く『大阪毎日新聞』(昭和12年4月22日)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p619 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 今尾恵介『消えた駅名』東京堂出版、2004年、209頁
- ^ a b c 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 8 関西1、新潮社、2008年、24頁。ISBN 978-4-10-790026-5。
- ^ 近畿日本鉄道株式会社『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年12月、680頁。全国書誌番号:21906373。
- ^ 中山嘉彦「近畿日本鉄道奈良線 -軌道位置・電車線路のあゆみ-」は大阪電気軌道届出資料にしたがって、1936年1月20日に臨時駅として開業し(1936年1月20日付大技乙第1148号届出)、同年8月1日に常設駅に変更された(1936年8月1日付大運乙第1310号届出)ことを証明している(『近畿の産業遺産』16号、4・16頁、ISSN 1881-2481)。
- ^ 1937年4月21日付大運甲第1279号申請、同年6月30日付監第2698号認可(中山嘉彦「近畿日本鉄道奈良線 -軌道位置・電車線路のあゆみ-」『近畿の産業遺産』16号、4・16頁、ISSN 1881-2481)。
- ^ 鉄道省監督局「地方鉄道、軌道事業の現況並に異動」『電気協会雑誌』第198号、日本電気協会、1938年6月、附録3頁。(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 3号 近畿日本鉄道 2、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月29日、12-13頁。ISBN 978-4-02-340133-4。
- ^ 『平成19年4月1日から、近鉄主要路線でICカードの利用が可能になります』(pdf)(プレスリリース)近畿日本鉄道、2007年1月30日 。2016年3月2日閲覧。
- ^ a b “駅の情報|河内永和”. 近畿日本鉄道. 2021年4月17日閲覧。
- ^ 駅別乗降人員 奈良線 - 近畿日本鉄道
- ^ 東大阪市統計書
- ^ 大阪府統計年鑑(平成3年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成5年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成8年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成11年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成13年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成16年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成18年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成21年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成23年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成25年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(平成28年) (PDF)
- ^ 大阪府統計年鑑(令和元年) (PDF)
- ^ “東大阪市統計書2019年(令和元年)版” (PDF). 東大阪市. p. 166. 2020年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月29日閲覧。
- ^ “東大阪市統計書2021年(令和3年)版” (PDF). 東大阪市. p. 8. 2022年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月11日閲覧。
- ^ “東大阪市統計書2021年(令和3年)版” (PDF). 東大阪市. p. 8. 2022年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月11日閲覧。
- ^ 近鉄線駅別乗降人員データ【調査日:令和3年11月9日(火)】 (PDF)
- ^ 近畿日本鉄道 駅別一日乗降人員(調査日:令和4年11月8日(火))
- ^ 近畿日本鉄道 駅別一日乗降人員(調査日:令和5年11月7日(火))
- ^ a b 「永和」の歴史(河内亭 九里丸)
- ^ 東大阪の地名といわれ
- ^ “【重要】7/1(木) より『京都特急ニュースター号』ダイヤ改正のお知らせ”. 大阪バス (2021年6月17日). 2021年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月2日閲覧。
- ^ “「東大阪永和駅」停留所のりばのご案内”. 大阪バス. 2024年3月6日閲覧。
- ^ “8/1からの時刻改正のご案内”. 大阪バス. 2024年3月6日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 駅の情報|河内永和 - 近畿日本鉄道