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潮恵之輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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潮恵之輔
うしお しげのすけ
生年月日 1881年8月11日
出生地 日本の旗 日本 島根県美濃郡横田村
(現島根県益田市)
没年月日 (1955-01-09) 1955年1月9日(73歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学卒業
(現東京大学法学部)
前職 内務次官
所属政党 研究会
称号 正二位
勲一等
配偶者 潮実根
親族 義兄・寺島敏三(貴族院議員)

在任期間 1946年6月13日 - 1947年5月2日

日本の旗 第47代 内務大臣
内閣 廣田内閣
在任期間 1936年3月9日 - 1937年2月2日

日本の旗 第44代 文部大臣
内閣 廣田内閣
在任期間 1936年3月9日 - 1936年3月25日

日本の旗 枢密院顧問官
在任期間 1938年12月6日 - 1946年6月13日

在任期間 1931年8月7日[1] - 1938年12月9日[2]
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潮 恵之輔(うしお しげのすけ、1881年明治14年)8月11日 - 1955年昭和30年)1月9日)は、日本の内務官僚。後に内務大臣文部大臣、最後の枢密院副議長を務める。

来歴・人物

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1881年、綿職人・潮房太郎の二男として島根県美濃郡横田村(後に同郡豊田村字横田となり、現在は益田市横田町)に生まれる[3]郁文館中学一高を経て、1907年東京帝国大学法科大学卒業後に内務省入省。行政法の専門家として活動、衛生局長・地方局長などを歴任した。1928年田中義一内閣内務次官となり、濱口内閣第2次若槻内閣で次官を務めた後に1931年貴族院勅選議員となる(研究会所属)。翌1932年、斎藤内閣で再度内務次官を務めて文官任用令改正、選挙粛正運動などに関与した。

1936年広田弘毅内閣に内務大臣兼文部大臣として入閣した。軍部と一定の距離を持ち、党派色が薄いという理由での起用であったが、内務省内の革新官僚が内相任命反対運動を行ったため、報復として唐沢俊樹安倍源基相川勝六ら有力革新官僚の休職処分・左遷が行われた。だが、党派色排除を掲げて内務政務次官鍋島直縄、同参与官肝付兼英とともに自分と同じ貴族院議員を起用(内務次官湯沢三千男)したため、政党・軍部からも反発を受けた。

1938年枢密顧問官に転じた。戦後1946年清水澄枢密院議長昇進に伴って後任の副議長となった。日本国憲法施行と同時に枢密院が廃止、後に公職追放を受けて引退した。 

1955年1月9日、死去。墓所は港区麻布十番善福寺

栄典

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位階
勲章等

親族

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脚注

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  1. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、39頁。
  2. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、46頁。
  3. ^ a b 『日本近現代人物履歴事典』82頁。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 履歴書(3名)」 アジア歴史資料センター Ref.A06050362200 
  5. ^ 『官報』第159号「叙任及辞令」1913年2月12日。
  6. ^ 『官報』第2064号「叙任及辞令」1919年6月21日。
  7. ^ 『官報』第1407号「叙任及辞令」1931年9月5日。
  8. ^ 『官報』第4840号「叙任及辞令」1943年3月4日。
  9. ^ 『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。
  10. ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
  11. ^ 『官報』第2096号「叙任及辞令」1919年7月31日。
  12. ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
  13. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  14. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  15. ^ 『官報』1937年11月26日「叙任及辞令」。
  16. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  17. ^ 『官報』第5085号「叙任及辞令」1943年12月23日。
  18. ^ 『人事興信録』第14版 上、ウ44頁。
  19. ^ “潮匡人事務所”. https://web.archive.org/web/20161010191621/https://sites.google.com/site/ussy02/chao-kuang-renttekon-na-ren 

参考文献

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  • 編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。


公職
先代
杉山四五郎
河原田稼吉
日本の旗 内務次官
第32代:1928 - 1931
第35代:1932 - 1934
次代
次田大三郎
丹羽七郎
先代
後藤文夫
日本の旗 内務大臣
第54代:1936 - 1937
次代
河原田稼吉
先代
川崎卓吉
日本の旗 文部大臣
兼任
第44代:1936 - 1936
次代
平生釟三郎
先代
清水澄
日本の旗 枢密院副議長
第16代:1946 - 1947
次代
廃止